126 彼岸でお茶を
翌日、わたしは宮内庁からの手紙に記された番号に電話をかけた。
正直言ってわたしは好奇心いっぱいだったの。いったいどんな話になるのか……。
呼び出し音がカチカチとへんな切り替わりかたして、繋がった。わたしが「もしもし」と言おうとしたら、先方が言った。
『やあ川上ナツミさんですね?』
「あ、はいそうです」
『ご無沙汰しとります、と言ってもお忘れやもしれませんが』
「あっ」わたしは思い出した。「あの、名誉会長さん……様、ですよね?出雲でもお見かけしました」
『そうですそうです』嬉しそうに言った。『あらためて、芳村と申します』
「どうも、いきなり電話をおかけしたりして、申し訳ありません……」
『いいえ、いつでも、よろしい』芳村さんは言った。
『わたしはある時期宮司をしておりましてねえ。それで、宮内庁関係の臨時雇い職にも就いておるのです。このたびそちらにご連絡させて頂いたのもその関係でしてのう。ですが電話ではなんなので、いちどそちらにお伺いさせていただいてもよろしいですかね?』
「え、そんな、うちの安アパートは無理ですよ!どこか違う場所のほうが……いえそれよりわたしがそちらに伺いますけど?」
芳村さんはほっほっほっと笑った。
『遠慮なさるな。それにあの――』芳村さんはすこし言いいよどんだ。『――あなたの「持ち物」をおいそれと外に持ち歩くのは、いかがなものかと思いますが、どうでしょう?』
「え~……たしかにそうかも、知れませんねえ……」
わたしとしてはとくに問題無いのだけれど、そう言える雰囲気でもなかった。
『まあ気にせんでください。わたしは車でお伺いして、すぐ帰りますからね。それで、ご都合の日時を教えていただけますかな?』
そんなこんなでまたしても妙な成りゆき。
超大企業の会長さんが、うちに来るですって?
わたしは思わず室内を見回した。台所のテーブルでお茶を飲んでるサイとメイヴさんを見た。
(とりあえず本棚は隠さないと……)
――ってレベルの話か!?
せめてですぴーのタワマンならともかく。といっても芳村さん、まえも近所の公園にやってきたしなあ……
わたしは降参した。
いまさら取り繕っても無駄だ。とりあえずお掃除しとこう……。
サイとメイヴさんはノーパソを眺めながら何か相談している。
「サイ、あのおじいさん覚えてる?公園で会ったひと」
「ああ、覚えてる。出雲大社にもいた」
わたしはうなずいた。サイはなにひとつ見逃さない。
「あの人がここに来るって言うの」
「そうか、わたしも同席すべき?」
「そりゃもちろん!わたしひとりじゃ心細いし……でも良いのかしらここにお通しなんかして」
「天つ御骨を見に来るだけだろう?お茶とお菓子でも用意すればいいよ」
「誰が来るの?」メイヴさんが尋ねた。
「シントーの偉い人だよ」
「ああ、あのお山を守護していた土着信仰の……天草さんのボスよね?」
メイヴさんもここに来たばかりのサイと同様、メキメキこの世界のことを勉強している。中国で幽閉されてた頃はあまり世界のことを教えてもらえなかったから、なおさら熱心だった。
「そうだ!鮫島さんと天草さんにも知らせないと」
「ほっといても連絡が行くと思うよ。大騒ぎする必要ないよ、堂々としてりゃいい」
わたしはうなずいてテーブルに座った。
「なにを相談してたの?」
「メイヴがね、山を買うって言うんだ」
「山!?」
「そうよ。せっかくお金が入るから土地を買おうと思って。思ったより安いからお山をいくつか買おうと思うの。いま物色中」
「山を買って……そこに住むと?」
「そのつもりよ」
「はあ……」わたしはサイに顔を向けた。サイは仕方ないというように微笑んだ。
「まあ……メイヴのお眼鏡にかなう霊山が安く買えるかどうかわからないしね。いますぐって話じゃない」
「そっか」
約束では火曜日の午前中ということだった。
わたしが会社に遅れますと連絡しながら外を見ると、天草さんたちが外の道を竹箒で掃いていた。
それだけではなかった。ビシッと黒い背広でキメた鮫島さんが、似たような格好の男女数人に指示を与えている。
天草さんはメイヴさんが言ったように芳村さんの部下なのだろうけれど、鮫島さんもそうなのだろうか?
見た目は温厚なお爺さんだけど、やっぱりあの芳村さんて、日本の偉い人なのね……政府なのかどこなのかよく分からないけど、かっこ良く言うと「陰の実力者」っていうの?
なんだか「マンガの見過ぎ」と言われそうな話だな。
九時ぴったりに黒塗りの立派な車が三台、角をまがってアパートの前に停まった。
まずシークレットサービスの皆さんが前後の車から降りてまわりに散らばり、アパート周辺は物々しい雰囲気となった。鮫島さんと天草さんが真ん中の車の前にかしこまり、後部ドアからあのお爺さんが現れると深くお辞儀した。
(おっと、偉そうに見おろしてる場合じゃないぞっと)
わたしは玄関ドアを開けて、芳村さんが上がってくるのを待った。
芳村さんが大勢を従えて階段を上がってきたので、わたしはぺこりと頭を下げた。
「おはようございます」
「おはようございます、川上さん」
「ええと……皆さんお上がりで――」
「ナツミ」背後に現れたサイが言った。「芳村さんと、天草さんだけ上がっていただこう。残りはお待ちいただく」
わたしが芳村さんの顔を伺うと、彼はうなずいた。
「それでけっこうです」
芳村さんが草履を脱いで台所に上がると、サイがまた言った。
「ナツミ、あちらにお通ししようと思うんだが」
「え?そうね……それでは」
「芳村さん、こちらへ」サイが浴室のほうに手を振った。芳村さんは怪訝な顔だったけれど、洗面台と浴室の短い廊下の向こうにドアがあるのを見てまた首をひねった。
わたしはそのドアを開けてみせた。
「おやおや……」
芳村さんのうしろで天草さんが口に手を当て、目を丸くしていた。
「ほっほっほっ!こりゃあたまげた!」
わたしたちがドアをくぐってラブラブアイランドに立つと、芳村さんは子供みたいにはしゃいだ。
「80年近く生きてきましたがのう、こんなのは初めてですわ!」小走りに砂浜を駆けて、大河のほとりで空を見上げていた。
「空に蜃気楼が浮かんでおる!」
「あれはわたしたちが居た世界だ」サイが言った。
「ほう!して、あの海は?」
「あなたたちが三途の川と呼んでいるものに近い……あれは大河だ。生きている人間は渡れない」
芳村さんは、はあ――と嘆息して、しばし大河を眺め続けていた。
わたしと一緒にその後ろ姿を眺めていた天草さんが、言った。
「三途の川」少し哀しそうな声。「それじゃあNSAのメイガン・マーシャルさんから回ってきた話は、真実だったのですね……」
「話?」
「サイファーさんたちが言ったという説です……この世界は流刑地で、地獄のようなものだ。あの空に浮かぶ世界こそが人間にとって本当の故郷だって……」
サイがずっと前にパウエルさんに語った話だった。
「巌津上人はあの大河をお渡りになったのですね?」
「うん、わたしたちの目の前で」
芳村さんが感無量という顔で戻ってきた。
「このようなものを見せていただきまことにありがとう、ありがとう」
「いえ……」
「こちらにどうぞ」サイがコテージに誘った。
コテージではメイヴさんが七輪で茶を沸かしていた。
「なんと、仙女様だ!」芳村さんが言った。




