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116 樹海で神学談義

 

 ジョーが十字を切った。


 わたしたちはそれから言葉少なに荷物を畳んで、トレッキングを再開した。


 もう登りではなく、いくらか降りルートに変化している。山肌にそって迂回してる感じ……といっても斜面であることに変わりはない。うっかりすれば転げ落ちる。

 サイはさっき言ってた「道」をたどってるらしいけれど、相変わらずそんなものは見えなかった。


 しばらくしてシャロンが言った。

 「因果律のくびきから解き放たれるってのは、つまり物理学的な事柄から解放されるってこと?」

 サイが先を歩きながら答えた。

 「自然学……人間ふうに言うと自然科学かな?そう、一面的にはそういうことだ」

 「あんたたちの世界に神様がいないわけだ……」

 「そうだ。いるのは生き神だ。地球人ふうに言えば」

 「カミサマ?それはなに?」メイヴさんが聞いた。

 「地球人は数千年かけて神という「概念」を生み出したのだ。万物の創造者にして人間を導き救済する存在」

 「ああ、万能の存在」メイヴさんが気のない調子で言った。「そんな存在がいるとしたら想定されるエネルギー消費量からして、それは無いわねえ」  

サイはうなずいた。

 「この世に存在する生命活動の総量を上回る。しかし人間はその存在を信仰している。実在すると固く信じている者も少なからずいる」

 「それは救いのない考えだわ」

 「ダメっすか?」ジョーが言った。

「たしかに実在して救済をもたらしてくれるなら、そういう生き方も良いでしょう。だけど――」

 ジョーは神妙な顔でうなずいた。

 「まあ、気まぐれですね、いるとしたら」

 「万能でないなら、いてもいなくても変わらない」

 「う~ん」

 メイヴさんは同情的な笑みだ。

 「それでもいないとは考えたくないのね?」

 「わたしゃメイガンほど徹底した不可知論者じゃないですからね」ジョーは肩をすくめた。「でも警察も軍隊もない、天国に相応しいのはあんたたちの世界のほうだし……」

 「わたしたちは滅多に殺し合いはしないわ。だって魂はいずれ戻ってくるんだもの」

 「こ、殺した相手が生き返ってくるってことで……?」

 「そんなところ。怨念というのは根が深いわ。蘇っても前世の記憶が鮮明に残ってる。わたしたちの世界にいさかいがもたらされるのは、そうした負の連鎖が始まったときなの。まあ何百年、何千年というサイクルだけれど、子孫が蘇った相手に仕返しされるかもしれないのに、そんなの耐えられる?」

「神経磨り減りますねえ……」

 「そうよ。だからどうしても手に負えない、という場合だけソウルテイカーが魂ごと滅するの」


 ソウルテイカーという言葉にわたしはハッとした。サイが携えてるあの剣……


 シャロンさんが不意に吹き出した。

 「それじゃ、あの中国主席の狙いは見当違いでもなかったわけか!」

 「ああなるほど、不死になりたがってて」ジョーも笑い出した。

 「闇雲に長生きだけ願っても叶わないけどね」メイヴさんが言い添えた

 

会話が途切れて、わたしたちは深い森の中を歩き続けた。

 いったいどのくらいの標高なのか、まばらな杉木の幹の向こうに山の連なりが広がってるのが見えた。

 山々は半分霧に埋まってる。

 あまりにも荘厳な景色なのでもっと見晴らしの良い場所で写真を撮りたかったけれど、杉林の向こうは崖だ。さっき通り過ぎた沢に向かって何十メートルも落ち込んでるはず。

 足を滑らせて斜面を転げ落ちたらジ・エンドだ。だからなのか、いざというときわたしを受け止められる位置を鮫島さんが歩いてた。

 誰も一列になって歩かない。

 距離をとって、お互いの位置を常に確認しながら歩いていた。シャロンだけがピッタリわたしのうしろを歩いている。それにみんなが先頭を歩くサイとですぴーに注意を払ってた。

 事前の打ち合わせもないのに、みんなが一個の有機体のように連動していた。

 わたしだけがなんだか分からないままに歩き続けていた。

 でも妙に安心する。みんな「プロ」だ。ひとりだけで、あるいはタカコとふたりだけでこんな場所に放り出されたら絶賛遭難中ってとこだけど、そういう不安はない。

 夕ごはんを作る余力も残りそう。


 ま、思ってたのと違うけど。

 わたしは尾瀬あたりで楽しくピクニック、というのを考えてたんだが。


 (つくづく、変わった経験だけは堪能できるよね)


 いよいよ降りが本格化してくると、地面は草に覆われはじめた。

 いったいこれ杉なの?ってくらい太い幹が林立して、枝が空を遮っていた。

 おかげで茂みは高く育つこともなく、歩くのはそれほどたいへんでもない。

 地面の傾斜も緩やかになっていた。

 それにしても静かだ。

 鳥のさえずりも聞こえず、動物の姿も見かけない。


 夕方近く、何度めかの休息ののち、サイが今日の歩きはおしまい、と宣言して、わたしはホッとした。

 暗くなるまえにキャンプを設置しなければならないからだ。


 わたしたちが留まることにしたのはゴツゴツした岩場。かろうじて平らな場所がある。やっぱり崩落した石なのだろうけど、水の代わりに土が溜まって石が半分埋もれたような場所だった。

 そこだけぽっかり樹木がなくなって開けた土地だ。


 鮫島さんとAチームが信じらんないくらい手早くテントを張った。驚くほど小さなフレームが、伸ばして引っ張るだけで傘状に展開して、運動会のテントくらいの大きさになる。そのフレームに天幕と壁のシートを貼って地面に金具(わたしはペグという言葉さえ知らない)で固定すれば、あら完成。

 テントを10メートルの距離を置いてふたつ設置し終えたときはまだ明るかった。

 サイは水酌みに出掛けた。


 残ったわたしたちは、岩によじ登って見晴らしを堪能した。

 四方とも山に囲まれてる。一部の山肌が崩落していびつな裂け目を晒していた。この岩だらけの小さな盆地も、かつてはあの山の一部だったらしい。


 「ぜんぜん、人工物が見えない……」わたしは呟いた。

 「さすがに僕も驚きました」鮫島さんも言った。「ゴミひとつ見かけなかった」

 それが、長いこと人間がこの土地を訪れなかった事実を雄弁に語っていた、


 「明日はあっちのほうに行くんだろうな」シャロンが指さした。

 そちらに目を遣ると、富士山を真ん中あたりですっぱり切り落としたような、奇妙な形の山がそびえていた。

 「あ~……たしかに、なんか変な形」

 わたしは視界の隅、盆地の末端の林に動きを捉えて、思わず叫んだ。

 「あれ、けむり!火事!?」

 「え?――アレは……」

 「……湯気じゃないかな?」


 わたしたちは顔を見合わせた。


 「ひょっとして温泉!?」


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