115 お山でスローライフ
わたしたちを乗せた絨毯は山間をゆっくり飛行し続けた。実際には勝手に高度と速度が落ちて、明らかに絨毯が魔力を失いつつあったのだ。
ホントに、信じらんないくらい深い山間部だった。角度45度くらいの斜面が重なり合って、平らな地面は無い。
そもそも谷底は霧がかかって見えない。
県民の皆さんの名誉のため、わたしたちが降り立った地域の明言は避けよう。
前もって行く先は知らされてたから、わたしは事前に観光案内HPとかグーグルアースまで確認して安心してた……【もののけ姫】みたいな土地なんてあるわけ無いだろうと。
温泉や観光施設、お土産まで物色してたのだ……
が、ここにそんなものは無かった!
めっさ秘境です。
絨毯が力尽きて、わたしたちは河川敷に着陸した。
河川敷って言うか……家一軒ぶんくらいある大きな石がゴロゴロ転がってるあいだを滝のような水流が下ってるのをどう呼ぶのか知らないけれど。
石のところどころから真っ白な倒木が恐竜の化石みたいに突き出てる。
なんでしょうこの終末感。
メイヴさんは尖った石のてっぺんに立って、静かに目を瞑っていた。節くれだった杖を持ち、真っ白なローブ姿。
サイとですぴーがその様子を見上げてる。ふたりともまだ甲冑は着けてないけど剣は携えていた。かすみがかった黒っぽい山林に囲まれたこの場所だと絵になる構図だった。
「メイヴ姐さん寒くないのかね?」ざっくり山登りルックで大きなリュックを背負ったジョーが言った。わたしも到着早々マフラーと毛糸の帽子を装備した。
そう、真っ昼間なのに寒い。十月中旬とはいえ体感温度は10℃……白い空の片隅で陽光がやる気なさそうにぼんやり世界を照らしてた。
メイヴさんが石から軽やかに飛び降りて、杖を上流に向けた。
「やはりあちらのほう」
「登りか。峰を越えるのはひと苦労のようだぜ」ですぴーが気乗りしない口調で言った。わたしも気乗りしなかった。こんな険しいとこを登り?
空から見たときは45度くらいの登坂角に見えたけれど、下から見上げると垂直の壁のように見えた。突き出した崖や節くれだった松の幹がすべて障害物に見えるし。
わたしたちは重なり合った大きな石の上をせっせと登った。いったいこの巨大な石はどこからこぼれ落ちたのか、そんな地形が山頂あたりまでずっと続いてる。
ハリー軍曹はさすがネコちゃん、都会の動物だ。ずっとシャロンの肩に乗ってくつろいでいた。
サイとですぴーは50メートルくらい先行してる。
その様子を見てメイヴさんが(比較的)歩きやすいルートを見極めていた。
シャロンがわたしの前を行き、鮫島さんとジョーがうしろについていた。
「メイヴさんはいったいどこに行こうとしてるんだ?」
鮫島さんが素朴な疑問を呈した。
「いちど説明されたけど」ジョーが答えた。「なにかパワースポットを探してるらしいよ」
みんなよく喋れるな、とわたしは思った。
わたしは歩くだけでいっぱいいっぱいだ。
とはいえ荷物はいちばん少ないし、不平は言えない。
それに、まったく楽しめてないと言ったら嘘になる。
わたしはわたしなりにこの自然を満喫していた。
わたしも出不精な街の人間だけど、このところサイにいろいろ連れてもらってその都度楽しんでた。今回もそうだ。
ここはまるで世界の果てのように見える。
人間とはまったく関係ないようなこの場所で感じるのは、魂が虚空で満たされるような、ある種の心地よさというか、ただただ圧倒される感じ。
意識が子供の頃に戻っていく。それで、わたしはこのハードなアスレチックを楽しんでた。妙に心がウキウキしてるといっても良い。
果てしなく続くと思ってた沢登りが不意に終わって、わたしたちは杉がまばらに立つ山の斜面に入った。
同時にサイが休息を宣言した……つまりお昼。
「ふえ~!」
わたしはほとんど雑草も生えてない苔むした地面に尻餅をついた。
「よく頑張ったねえ!」シャロンがわたしの頭を撫でた。
「そうだよ、思ったよりタフだねあんた」ジョーが降ろしたリュックからいろいろ取り出しながら言い添えた。
「ありがとう……どれくらい歩いたのかな?」
「地図上だと……2マイル。3㎞ちょっとってとこかな」
「たったそれっぽっちすか……3時間も歩いたのに」
「上等だよ。四駆でも難しい土地だし」
サイとですぴーが少し離れた場所で、地面を見下ろしながら話し合ってた。
「道だな」
「ああ」
道なんかどこにも見えないけれど。
どこからともなくコンロが現れ、メイヴさんが汲んできた沢の水を湧かした。
「これ便利だわねえ」折りたたみのビニールバケツにたっぷり水を汲んできたメイヴさんが言った。白いローブは汚れひとつなく、着てる人も含めて新品同様に見えた。
「メイヴ姐さん元気っすね~やっぱ異世界人だからかな」
「心が清らかだからだ」ですぴーがドスンと腰を降ろして言った。
「ま、メイヴさんとサイファーについては、信じますけどね」
シャロンさんが両面焼きフライパンを取り出して、手際よく焼きチーズサンドを作った。
コーヒーも煎れて、ランチとなった。
耳を切り落としたパンにチーズをしこたま挟んで焼いただけなのに、めっっっちゃ美味しい!
ですぴーがリュックから缶ビールを取り出して、希望者に配った。あのでかい荷物の半分はビールなのではないか?とわたしは疑ってる。
酔っ払うのは怖いので辞退したけれど、コーラは頂いた。
「ディーはサンドイッチもう一個?」
「いや、じゅうぶんだ」
「あらボスったら小食。良いんですかそれで」
「空腹ってのはな、収まってくれさえすりゃ良いんだ。腹一杯食うのは戻ってからできる」
ジョーとシャロンは顔を見合わせた。
「ボスが臨戦態勢になってる」
「あんたは腹一杯食べてエール飲んだら昼寝したくなるんでしょ?」メイヴさんが言った。
ですぴーは素っ気なくうなずいた。
「俺はまだ人間だからな。おまえみたいに半分妖精になっちまったのとは違う」
「えっ……」わたしは思わず言った。「それどういう意味なんです?」
「ナツミ、メイヴが何歳に見える?」
「えっと……さ、30歳、くらい?」
メイヴさんが静かな笑みを浮かべた。
「わたしはこの世界の暦で言うと、200歳を超えてる」
「にひゃっ……!?」わたしたち人間組はみんな驚愕した。
ですぴーはうなずいた。
「そういうこった。俺たちは地球人より長生きだが、それでも150を超えたらたいがいの奴は頭が完全にいかれちまう。メイヴみたいな一部の者だけがその壁を越える。能力の副作用みてえなもんだ……歳も取らなくなってそのうち空腹やいろんな感覚を忘れちまう。結末も見えなくなってくる」
まえに巌津和尚が言ってたのを思い出した。
向こうで千歳の生き神に会ったと。
「え……つまり、メイヴさんは文字通り妖精さんになりかかってるということなんですか……?」
メイヴさんは朗らかに笑った。
「まあねえ。普通は魂の流転を繰り返すのだけれど、なにか背負ってしまうと因果律のくびきから解き放たれてしまうの」
「ま、とにかく俺はゴメンだね」
因果律。
ずっと前にサイがその言葉を使ってた……どんな文脈でだったか?




