102 エスケープフロムチャイナ
「あ~あの、メイヴさん……とお見受けしますが」
女性は穏やかな笑みを浮かべてうなずいた。
「いかにも……あなた、いつもの軍人さんたちとはずいぶん様子が違うようだけれど……」
「はあ、わたしもここに伺うのは想定外でして……」
「それで、約束通りまたなにか玩具を提供すればいいの?」
「いえ!そういう要件じゃなくて」
メイヴさんは問いかけるように首をかしげた。
「今度はなに?……いえちょっと待って!あなたちょっと信じられないくらい〈魔導律〉を纏ってるじゃないの!」
「えっ?はい、まあ、そうらしいですねぇ」
「これは興味深いわ……よく無事でいられるわねえ」
「そそそそうなんです?」よく無事でって、そんな不穏なことさらりと言って!
「ええ。――それはともかく、どんなご用?」
「あ、そうでした!」わたしは額に汗していた。「ええと、ここからあなたをお連れしたいんです」
「え、いやよ」
これは想定外の返答ですわ……。
「いやって……外に出られるんですよ?自由になりたいでしょ?」
「べつにいいわよ!外はとっても恐ろしい世界なのよ?誰もなにも教えてくれないけれど見当はついてる。ここは凶帝ホスが追放された世界だと思う。〈ギルシス〉しかいない世界なんて荒廃してるに決まってるもの!あなたに言っても致し方ないことだけど」
「いえいえいえ!」わたしはいささか焦った。
「そのお話は承知してますとも!サイ――サイファーに聞かされましたからね!」
メイヴさんは目を丸くした。
「サイファー?」
「ええ」
「あの子も……ここに流されてる、の?」
「そうです!」
「あのガキ……!」
「……えっ?」
「腹立つわぁ……やっぱり失敗してたのね!」
メイヴさんは急に怒り出して、人が変わった。
「わたしがせっかく身を投げ出してまで奴の隙を作ってやったのにあの間抜け!どうりで帰還できないわけだわ!」
「えーと……メイヴさん?」
「あ、失礼。それで何でしたっけ?」
「だから、一緒にここから出ましょうよ。メイヴさんが思ってるほどここは荒廃してないですから――ただし、ちょっと面倒くさい状況ですけれど……」
「面倒くさいとはなにが――」
「オイ!いい加減にしろよな。早く引っ張り出せ!」山田くんが戸口で言った。
メイヴさんはその声の主に不信感ばりばりの目を向けた。
「――彼が面倒くさいの?」
「まあ、そうっす……」
メイヴさんはうっちゃるように手を振った。
「まあいいわ!わたしは外に出る気ないの。もう自分でそっちの研究してるから」
「研究って?」
「あれよ」
メイヴさんは壁に穿たれた窓を指さした……ホテルルームの一角にはそぐわない両扉の窓だ。そのカーテンがサッと開いて鎧戸が開くと、地下世界ではあり得ない景色が見えた。
「あれっ」わたしは思わず窓際に駆け寄って、「外」を眺め回した。
椰子の林と砂浜。
紫色の空。
――そして、その空に浮かぶ蜃気楼。
「ラブラブアイランド……」
わたしは呆然と呟いた。
「ヘンな呼び方しないで。それは「彼岸」。わたしがもともと居た世界とこの馬鹿げた世界の境界線よ」
「はい」わたしはのろのろと言って振り返った。「それは承知してます」
「へえ?さすが〈魔導律〉を溜め込んでるだけあるじゃない」
「あの……メイヴさん?この――」わたしは「外」を指さした。「場所から、別の場所に行けるかもしれないんですけど。試してみません?」
「そうなの?断っておくけどそこってなにも無いのよ」
「いえ!サイファーがもう一個穴を作ったんですよ!たぶんそこと繋がってると思うんですけど」
メイヴさんは指を頬に当てて思案顔だ。
「かもしれないとか思うんですけどとか、多すぎるのがちょっと引っかかるけど……面白そうね。それじゃあさっそく出発しますか」
「オイ!なに勝手な相談してる!いますぐ戻ってこないと――」
「大丈夫大丈夫」メイヴさんは笑った。「あの木偶人形はこの部屋には入れない。次元位相で隔たれるからリモートコントロールが切れちゃうのよ。さっ行くわよ!」
「はーい……」
わたしは怒り狂ってる山田くんを横目に窓をまたいだ。
メイヴさんは昔のお医者さんが使ってたような古風なカバンひとつと、丸めた布を抱えて砂浜に降り立った。
「ちょっと手伝って」
メイヴさんは布――っていうか絨毯?を地面に横たえると、広げ始めた……ピクニックするのかな?わたしはとにかくその作業を手伝った。
3×2メートル四方の絨毯を広げると、メイヴさんはその上に正座した。
「あなたも乗って」
「あ、はい」
わたしは靴を脱いで絨毯の上に座った。
「もうちょっと真ん中、わたしのうしろに……あ、靴は持って」
わたしは言うとおりにして、メイヴさんの背後に座った……端から見ると、いい年した女性ふたりが前後に並んで正座してる姿って、ちょっと間が抜けてない?
とはいえ見てる人もいないか……
「それじゃ行くから」
「はい……え?」
メイヴさんが前に屈んで絨毯をポンポンと叩いた。
すると、わたしたちを乗せたまま、絨毯が浮かび上がった!




