実録かもしれない赤ずきん
昔々、あるヨーロッパ辺りのある田舎の集落に「赤ずきん」と呼ばれる少女がいました。
少女は常に赤い色のずきんを被っていたので周りからは「赤ずきん」「赤ずきん」と呼ばれ、誰も少女の本当の名前を呼んでくれませんでした。そんな日々を過ごしている内に実の親であるはずの母親からも「赤ずきん」と呼ばれるようになり、少女はもはや自分が独自の固有名詞を持つ個人であるのか、それとも被っているずきんが自分なのか自己を見失いかけていましたが、すでに「赤い色のずきんを被った少女」が「自分」であるのだと認識し、赤いずきんを手放さないようになっていました。
そんなある日、赤ずきんはお母さんからお使いを頼まれます。
「町のはずれの、森を抜けた先に一人で暮らすおばあさんが寝込んでいるのでお見舞いに行ってほしい」
と言われました。
赤ずきんのおばあさんは年老いて病気がちでありながらも町で皆と暮らそうとはせず、不便な森の中の一軒家にたった一人で暮らしているのです。
病気になってもすぐに診察を受けることができるわけでもない孤独な老人の、しかも病気で臥せっているにも関わらず、母はおばあさんと一緒に暮らすわけでもなく、時折、お見舞いに行くだけなのでした。
まだ幼い赤ずきんにはそのような嫁姑の関係がどういったものか理解ができませんでしたが、たまの見舞いですら母が直接行くのではなく、幼い自分が行かされるということに多少は感じる何かがありました。赤ずきんの家にはその時、父親がいなかったので、母が赤ずきんに一人で見舞いを頼むことを止めるような人もいませんでした。
赤ずきんは母に言われるままパンとワインが入ったバスケットを持ち、おばあさんのお見舞いに出掛けました。
おばあさんの家までは一応道がありましたが周囲は木々に囲まれており、子供がたった一人で出歩くのは少しばかり危険な場所です。
道はきちんと整理されてはなく、馬車が通るような道幅もありません。
森の中に迷い込みでもすれば、海に投げ出されるのと同じでした。
そんな小道を赤ずきんは迷子にならないように必死に覚えている記憶の通り歩いていました。
しばらくすると森の木々の間に可愛らしい色とりどりの花畑が見えます。
この辺りには花農家はいないので自然にできた花畑なのでしょう。
赤ずきんは溢れんばかりに咲く花々を覗き見て、おばあさんのお見舞いにお花を少し取っていこうかと考えました。
ですが森の小道を外れるというのはどんなに危険なことか大人達の会話で知っています。
どうしようかと赤ずきんが迷っていると木々の間から一人の男が顔を出しました。
「やあ、こんにちは。赤ずきん」
「こんにちは」
赤ずきんは初めて会う人物でしたが相手は自分のことを知っている風だったので無視をするわけにもいかず挨拶の言葉を返しました。
「赤ずきんはこれからおばあさんのお見舞いに行くのかい?」
不審な男は赤ずきんの顔を見ながらニヤニヤと言いました。
赤ずきんは自分が何をしに行くのかを男に言い当てられ、少し嫌な気分になりました。
「そうよ。これから、おばあさんの家に行くの」
けれどこの小道の奥に住んでいるのは赤ずきんのおばあさん一人です。
赤ずきんは男のことを知らなくても、おばあさんの知り合いだとすれば赤ずきんがどこへ向かうのか分かっても不思議ではないのかもしれません。それに赤いずきんを被っている少女と言えば、この辺りにいるのは赤ずきんだけです。
「そうかい。お見舞いに行くなんて偉いね。
でも、ちょっとばかしお見舞いには寂しいんじゃないかい?」
男は赤ずきんが持っているバケットの中身を見て言いました。
「お見舞いに行くなら花のひとつも持っていくもんなんだよ」
確かに独りで臥せっているおばあさんにパンとワインだけを持っていくのは少し寂しいのかもしれません。
「おばあさんも赤ずきんがお花を持ってきてくれたら嬉しいはずさ」
男はそう言いながら赤ずきんの手を引き、花畑へ案内しました。
花畑には木々の間から見た以上に綺麗な花々が咲いています。
「ここの花は好きなだけ摘んでいいんだよ」
男に言われ、赤ずきんは舞い上がって綺麗な花を次々に摘んでいきました。
これだけの花を花屋で買えば赤ずきんのおこづかいがいくらあっても足りませんが、自由に摘んでいいのなら、おばあさんの家の花瓶が足りなくなるくらい摘んでも大丈夫です。それにこんな花畑があることをお母さんに教えれば赤ずきんの家は花屋を開くこともできるかもしれません。
元値の掛からない花達を赤ずきんは両手に抱えました。
「素敵な場所を教えてくれてありがとう」
赤ずきんが男にそうお礼を言おうとすると、すでに男はいませんでした。
少しだけ不思議に思いましたが、赤ずきんはたくさんの花とバスケットを抱え、おばあさんの家に行くのでした。
その頃、おばあさんは長年住み慣れた小さな家で独り、寂しくベッドに寝ていました。
息子夫婦からはこんな辺鄙な場所ではなく町で一緒に暮らそうと言われていますが、おじいさんと一緒に過ごしたこの家を離れ、知らない町で暮らすのはおばあさんにはとても勇気が必要なことです。
昔はこの辺りもたくさんの人が住んでいたのですが、どこの家も子供たちは便利な都会へ引越し、年寄りばかりが残されました。そして気付けばもうおばあさんしかこの辺りには住んでいません。
時代の移り変わりを寂しく思いつつも、おばあさんはベッドで横になり、もうすぐ自分もおじいさんのところに行く順番が来たのかもしれないと思い始めていたのでした。
と、トントンと誰かが玄関のドアをノックします。
「おやおや、こんなところに誰かしら」
息子夫婦が見舞いにでも来てくれたのかとおばあさんはベッド脇の窓から顔を覗かせました。
「どちらさまですか?」
「こんにちは、おばあさん。町に住むあなたの息子さんに頼まれて様子を見に来たんだ」
知らない男の声でしたが、こんな森の中の不自由なところにわざわざ訪ねてきてくれた人を無下にするわけにもいきません。
「おや、それはそれは。玄関には鍵が掛かってないので、どうぞ中へお入りください」
おばあさんは男を家の中に招き入れました。
赤ずきんは両手で抱えた花束を落とさないようにしながらおばあさんの家に到着しました。
両手がお花とバスケットで塞がっているのでおばあさんの家のドアを開けることができません。
赤ずきんは寝込んでいるおばあさんに聞こえるように大きな声で挨拶しました。
「おばあさん、こんにちは。赤ずきんよ。
お見舞いに来たので、ドアを開けてちょうだい」
赤ずきんがそう言うと家の中でごそごそと音がして、ドアが開きました。
「おばあさん、こんにちは。
お見舞いに来たの。体は大丈夫?」
ドアを開けてもらったのでお花を抱えたまま赤ずきんはおばあさんの家に入りました。
お花で前がよく見えず、ドアを開けてくれたおばあさんの顔もよく見えません。
「おばあさん、お花を持ってきたわ。パンとワインもあるのよ」
赤ずきんが言うとおばあさんがお花の束を変わりに持ってくれました。
お花でおばあさんの顔が隠れて赤ずきんにはおばあさんの顔が見えません。
「パンとワインはテーブルの上に置いておくわ」
赤ずきんはおばあさんの家の古びたテーブルの上にバスケットを置きました。
おばあさんは花束を持ったまま何も言いません。
赤ずきんはおばあさんが何も言わないことを不思議に思いましたが、臥せっていると聞いていたおばあさんがベッドに寝たきりになっておらず、赤ずきんが持ってきたたくさんの花を両手に抱えて立っているので、おばあさんの病気はそんなに悪くないのだろうと思い、安心しました。
それに花畑に寄り道をしたので早く帰らないと森の小道が真っ暗になってしまいます。
「おばあさん、またお見舞いに来るわ。さようなら」
赤ずきんはそう言って、おばあさんの家を出て行きました。
やはり寄り道をした分、お日様が翳っています。
赤ずきんは急いでお母さんが待っている家まで走って帰りました。
後日、お母さんと赤ずきんが一緒におばあさんの家に行くと枯れた花と空のバスケットだけが残されていて、おばあさんの家には誰もいませんでした。
町の大人達がおばあさんがどこかへ出掛けようとして迷子になったのかもしれないと森の中も探しましたが、おばあさんが見付かることはありませんでした。そして、赤ずきんに花畑を教えてくれた男も見付かりませんでした。
おばあさんはいったいどこへ行ったのでしょうか?