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これは最期の戦いだ


 クロヴィスの葬儀から、いく日が過ぎただろう。

 結局、クロヴィスの死に顔は見られなかった。体と心が拒否し過ぎて、リーゼロッテは葬儀中に倒れたのだ。

 そして、先日、王城から、例の老婆がリーゼロッテを王妹の遺児だと証言したため、その事実確認をしたいといって勅使がやって来ていた。

 リーゼロッテは、侯爵夫妻が対応しているのをいいことに、相変わらずクロヴィスのベッドに潜り込んでいた。

 もうどうだっていい。リーゼロッテが王族なら、 クロヴィスが帰ってくるのだろうか。

 老婆の思い通りにリーゼロッテが王族と認められたとして、それがリーゼロッテに与えるものは何もなかった。




 とんとん、とノックの音がする。

 クロヴィスの部屋に来る相手なんて限られている。特に、侯爵夫妻は実の息子を喪ったのだ。リーゼロッテがいるとしたって、いいや、だからこそ、こちらにはこないだろう。

 侯爵夫妻はリーゼロッテを責めなかった。

 それでも、それでも、わだかまりくらいあるはずだ。リーゼロッテに対してなんの怒りも抱かないなんて、そんな人間がいるとは考えにくかった。

 だから、こちらに来るとしたら、それは。


「お姉ちゃま」

「マルティナ……」


 薄い金の髪は、クロヴィスと同じ色。濃い緑の目も、クロヴィスと同じ色だ。

 それを見て、またほろりと涙がこぼれそうになる。マルティナは、兄が死んだことを理解していないのか、笑顔すら浮かべてリーゼロッテによちよちと近づいてきた。


「お姉ちゃま、おかえりなさいませ」

「マルティナ、まる、てぃな」


 マルティナの、無邪気な笑顔が胸に突き刺さる。

 クロヴィスが死んだのに笑えるマルティナが理解できないーーいいや、マルティナは知らないのだから当然でーー。

 リーゼロッテが言葉を選びあぐねて押し黙ると、マルティナは不思議そうな顔をして、リーゼロッテの膝に這い上がってきた。

 きゅ、と抱きついてくる、その力は幼児らしくよわよわしい。

 と、その体が小さく震えているのに気づいて、リーゼロッテはこころから後悔した。


「マルティナ、ごめん、ごめんね……ヴィーが、私のせいで、わたしの、わたし、の」


 マルティナが知らないわけない、悲しんでいないわけない。残された姉に縋り付いてきた妹を、どうしてそんな風に見られたのだろう。

 思えば、リーゼロッテは間違えてばかりだ。

 クロヴィスを助けようとして、その実、リーゼロッテがしたことは全部裏目に出て、クロヴィスを追い込むばかりだった。

 クロヴィスを守りたくて、その命を消させたくなくて、手を出したことは全てクロヴィスを危険に晒した。

 ……私が、この世界に、ヒロインとして生まれてきた意味はなんだったの。

 リーゼロッテがいるから、ヒロインが存在するから、クロヴィスが死んでしまうのだろうか。

 ヒロインたるリーゼロッテが動くたび、物語のハッピーエンドに進む。それはつまり、物語の悪役であるクロヴィスの幸せが遠ざかるということだ。

 それならつまりーーヒロインがいる限り、クロヴィスが幸せになれない、生きられないというのなら、リーゼロッテはあの日、肩に刺されたナイフを心の臓に受けていればよかったのだ。

 クロヴィスが生きていてくれることがリーゼロッテの幸せだから。


 ヴィーが好き、ヴィーが一番大切。


 ーー大切なことに気づいたときには、もう、クロヴィスはいなかった。

 会いたいのに、会いたいのに、ねえ、ヴィー。うまく息が吸えないよ。


「私が、死んでいればよかったの、ヴィーが死ぬなら、その方が」

「それは、違いますわ」


 ばっとマルティナが起き上がり、リーゼロッテの顔をしたから覗き込む。迷子になって、母を探すような目で、マルティナがリーゼロッテを見つめている。


「お兄さまは、お姉ちゃまに生きていて欲しいから守ったのです、だからそんなこと言わないで、お姉ちゃま」

「それでも、私が何かするとヴィーが傷ついたの、ごめんね、マルティナ、あなたのお兄様を、私が奪ってしまっ、」

「違います、違います!お兄さまは、お姉ちゃまがいっとう大切なのです、だから、お姉ちゃまが、お姉ちゃまが……」


 マルティナがリーゼロッテにしがみつく。

 泣きじゃくるマルティナを抱き返して、リーゼロッテはどうしようもなくなって涙を流した。

 ーー大切にされていることはわかっていたよ。それでももうどうにもならないんだよ。どうしろっていうの、マルティナ。


「わたくし、知っているんですわ。お兄さま、お姉ちゃまがいたから笑っていたんです、お兄さまは、お姉ちゃまがいないと笑えなかったんです」

「そんなわけ」

「あるんですわ!だって……だって、わたくし、お兄さまのそういうところが、嫌い、だったのですもの!お兄さまは、いつもお姉ちゃまがいっとういっとう好きで、お姉ちゃまがいないと何にもできないくらいで……」


 マルティナは、嗚咽まじりで、いっそ喚くように言う。


「わたくしたちにとって、名前は大切なものなのです、だから、だから、名前があるから、クロヴィス・ヴィー・ティーゼは、お姉ちゃまに生かされていたのですわ!」


 名前ーーミドルネーム。ゲームの中では、特別なものとしか記述されていなかったこと。

 初代王家の愛犬、その血を引く証。


「名前は命なのです!名前があるからーー……わたくしたち、大切なひとがわかるのですわ」


 ーー呼んで、リズ。僕のこと。


 ヴィー、そう呼んだとき、嬉しそうに笑った彼を思い出す。

 そんなこと知らない。ゲームの知識にはなかった。

 リーゼロッテがつけた名前に、そんな意味があったなんて聞いたことがない。

 ああーーでも、それでも、それは、ゲームの知識だ。


「お姉ちゃま、お姉ちゃまには、まだお兄さまがつけた名前がおありです!お兄さまの、命がおありです!」


 知らないことは、ゲームの知識ではない。

 リーゼロッテが思い出そうとしていたことではない。

 ここは、ゲームではない。そんなこと、わかっているつもりで、けれどわかっていなかった。


 ーーリズが生きる、この世界のことわり。

 ヴィーが生きた、この世界のことを、リーゼロッテは、まだ、知ろうとしていない。

 ヴィー……。


「…………ごめんね」

「……お姉ちゃま?」

「そうね……遅いけれど、全部遅かったけれど、それでも、まだ、全部やりきってはいないわ」


 リーゼロッテはーーリズは、すうっと息を吸って、その目をゆっくりと開いた。

 涙に濡れた瞳は、ろうそくの灯のような赤色を、燃えるような色に染め上げて、マルティナを正面から見返していた。


「私は、お姫様なんかじゃない。私はリズよ。あいつらに、わからせてやってからだって、遅くないわ」


 君がいない。もう、君はいない。

 それでもーーそれでも、私の中の君を、もう絶対に、傷つけさせたりしない。

 マルティナがホッとしたように笑う。

 ごめんね、と、言おうとする唇を無理矢理に閉じた。きっと、優しい妹はリズを止めようとする。

 

 これは、リーゼロッテが立ち向かう、最初で最期の戦いだ。

 ーー今度こそーー今度こそ、君を守るよ。

 これはゲームではない。これは、リズの生きる現実だ。

 だからこそ、リーゼロッテではなく、リズの戦いなのだ。

 ーー遅すぎるって呆れるかな。ごめんね、ヴィー。


 ……それでも。

 リーゼロッテ・リズ・ティーゼ。ヴィーの生きた証を、絶対に守り抜く。


 だからねえ。ヴィー。


 リーゼロッテは、ヴィーの笑顔を思い出して、薄く笑った。

 ちゃんと勝ったら、また、リズって呼んでね。

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