君はなんにも悪くないんだよ
「リーゼロッテ!どこに行ってたの?」
「クロエ」
教室に戻ると、クロエが慌てた様子で走り寄ってくる。先ほどのことを説明するにも、どう言えばいいのかわらからない。
「えっとね、うーん……とりあえず、食堂に行かない?」
「もう、ごまかして……。仕方ないわね。ご飯食べながら、しっかり聞かせてもらうわよ」
「うんうん、まあ、いいことがあったから。それは絶対!」
クロヴィスと両想いになっていた!なんて、ガールズトークの恋バナとしては完璧だ。
眉尻を下げて笑うクロエに、リーゼロッテも口の端を上げた。
「本当?じゃあ根掘り葉掘り聞いちゃう!」
クロエは楽しそうに言った。
クロエのこういうところが好きだと思う。リーゼロッテを急かさないから。
リーゼロッテがそう思って目を細めると、リーゼロッテの顔を見たクロエは少しだけ、悲しそうな顔をした。
「どうしたの?クロエ」
「ううん、ううん!お腹すいて切ないだけ!行こう、リーゼロッテ!」
クロエがリーゼロッテの手を引く。
慌てて足を運ぶ、その際に、一瞬だけ、窓ガラスに映った自分が見えて、リーゼロッテはあれ、と思った。
なにか違和感があって、だから立ち止まろうとしたのだけれど、クロエが焦ったようにリーゼロッテを呼ぶから、そんなにお腹が空いているんだな、なんて思った。リーゼロッテはなんだか微笑ましくなって、声を上げて笑ったーーそう、思っていた。
窓ガラスに映ったリーゼロッテは、目を細めてはいなかったし、口は引き結ばれていた。
わずかに空いた口の端から、歪な吐息交じりの声だけが漏れ出ていて。
クロエが隠そうとしたものに、本当は心のどこかで気付いていたのかもしれない。
両想いが嬉しくて、だからちょっとだけ我に返ってしまって。それがだめだったのだ。
誰もリーゼロッテには言わなかった。 あなたは笑えてないんだよ、なんて、誰も。
自分をを見るたび、信じたくなくてーークロヴィスを守るんだと、守ってあげなきゃ、と、そんな、まるで自分がヒーローにでもなったような思い込みで、リーゼロッテはいつだって自分から目をそらした。
だから、リーゼロッテは笑っていた。
リーゼロッテが笑ったと思うんだから、リーゼロッテは笑っているのだ。
ーーねえ、ヴィー。そうでしょ。
ーーヴィーはなんにも私を傷つけてないの。
ーー私はヴィーに壊されてなんかない。
ーーだから、ほら、ねえ、ヴィー。
「私が、ヴィーを守ってあげるからね」
小さな声が、まるで遠くから響くように胸に落ちる。リーゼロッテの手が胸のリボンに触れる。
その手を握りしめて、失くしたものを、失くしていないのだと自分に言い聞かせた。
本当は、受け入れなければいけなかったのに。リーゼロッテは自分がなにもできないことを見ようとしなかった。
手を引かれて、リーゼロッテは笑った。そう、リーゼロッテは今、笑っているのだ。笑わなければならない。笑えーー笑え。
「そういえば、ねえ、リーゼロッテ。今度のガーデンパーティー、ドレスをお揃いにしない?」
そう言って、振り返ったクロエの顔が青ざめる。
どうしたの?とリーゼロッテは口にした。
「……ううん。なんでもないよ」
クロエは顔をくしゃくしゃにして、涙が流れていないのが不思議なくらいに傷ついた目をして、それでも必死に「なんでもない」を装うとしていた。
「ごめんねえ、リーゼロッテ。お腹すいちゃって、だからねえ……だから、」
クロエがリーゼロッテの手を取る。リーゼロッテの真っ白になった手をぎゅっと握って、クロエは泣きそうな顔を無理やりじみた笑顔に変える。
「今日、パンを買って、お外で食べよっか。窓ガラスが眩しいから、あのね、バラ園に行こう」
そうだね、リーゼロッテは静かに言った。
クロエがそういうから、窓ガラスは眩しいのだ。だから、窓ガラスを見ないように、外に行こう。
クロヴィスは、なんにも悪くない。
リーゼロッテは壊れてないから、クロヴィスは悪くないのだ。
「私ね、本当は百合も好きなんだ」
「そっか、綺麗だもんね」
いつのまにか嗚咽をこぼすクロエの手を握り返す。
いつか、最後に触れたクロヴィスの手の感覚は、もうおぼろげだ。クロエの手に、勝手に「ヴィー」の柔らかい手のひらを重ねた。
「クロエ、いつもありがとう。……ごめんね」
「なにそれ、リーゼロッテはなんにもしてないじゃない。これはねえ、これはねえ……目がかゆいだけなんだよ」
クロエは、優しい優しい友達だ。
リーゼロッテの大好きな友達で。そして、リーゼロッテの、数多存在する「二番目に好きな人」だった。
ーークロエ、ごめんね。
リーゼロッテは笑って。……「笑って」そう言った。
リーゼロッテはどこもおかしくない、だからそれは、当然の笑顔だった。