出会いイベントは想定外です!
「彼女が……」
「ティーゼ侯爵家の……?」
談笑に隠しきれぬ無遠慮な視線がリーゼロッテに突き刺さる。
これまで家の外に顔を出さなかった、名門ティーゼ侯爵家の養子とはどんなのかと値踏みするようなそれに、リーゼロッテはため息をついた。
侯爵令嬢とはいえ、リーゼロッテはあくまで養子だ。青い血は半分流れている、とはいえ、血統意識の高いこの国では、雑種に過ぎないということだろうか。
そんなの、庶民の間では通用しないわよ、とリーゼロッテは心の中で悪態をつく。
ゲームにおいて、たしかヒロインは男爵とか子爵の令嬢として引き取られていたから、多分この状況はゲームよりずっといいのだろう。
この学園に来て1週間だが、今も受けるのは視線やひそひそ声だけで、リーゼロッテに直接の嫌がらせをするような相手はいなかった。
恥ずかしい話だが、ここに来てリーゼロッテは、引き取られた家の力というものを知った。
アインヴォルフ国における王家以外で、いや、場合によっては王家すらしのぐと言われる最大の権力を持つヒュントヘン公爵家と並ぶ名門、ティーゼ侯爵家。
攻略対象のうちひとりが王太子アルブレヒトで、もう1人がヒュントヘン公爵令息のヴィルヘルム。
残念ながらその2人以外思い出せないのだが、まあリーゼロッテの今の立場が、ゲームの顔であった二大巨塔とはれるということは確かだ。
だからといって、遠巻きにされても嬉しくもなんともないが。
ただ今リーゼロッテは、広々とした学園の庭、次の講義のある教室への道を探してうろうろとさまよっていた。
「ああもう!右見ても左見ても薔薇しかない!この国はどれだけ薔薇が好きなの?せめてもっと低く植えてよ!」
思わず声を大きくしたが、気付くものは居ない。もうそろそろ授業の時間だから、園舎の中にいるのだろう。
この広大な薔薇園の生垣に阻まれて建物の中にすら入ることのできないリーゼロッテは、そろそろ限界だった。
「このままじゃ、ヴィーに会う前に退学だわ」
貴族が集う、イコール、教育にかけられるお金が多い、すなわち、求められる学力が高いという方式がもれなくついてくるこの学園で、流石に教室に遅れ過ぎて単位が修得できないというのはまずい。
からんからん、と授業開始の合図の鐘が鳴り、リーゼロッテは顔を青くした。
「ええ……どうしよう……」
焦りが足元に落ちる。
上を見上げて、いっそ窓から入ろうかと思って背伸びをする。だから、リーゼロッテはうっかり、足元の小さな段差につまづいてしまったのだった。
「あえ?」
ぐらりと体が傾ぐ。そして眼前には薔薇の生垣。
おや?やばいのでは?
などと思う余裕があったのは、リーゼロッテが現実を理解できていなかったからだ。棘がついた薔薇の木が、リーゼロッテの顔面に迫りーーしかし、リーゼロッテの白い肌に傷をつけることはなく遠ざかった。
「いくらなんでも、のろま過ぎないか」
呆れたような声が降ってくる。は、とリーゼロッテが首だけで振り返ったそこには、黒い髪に青い目の美少年。
待って!?と。リーゼロッテは心の中で悲鳴をあげた。
クロヴィスの死の元凶ーーリーゼロッテの敵が、なぜ!ここに!
「あ、アルブレヒト、王太子、殿下」
攻略対象、アルブレヒト。通称公式バグ王子。
リーゼロッテの腰を支えて、その少年が、呆れたような顔をしていた。
「声と顔が一致していない。なるほどあいつの言った通りだ」
「な、ナニガデショウカ」
カタコトの言葉、目はそらす。リーゼロッテはできることなら気絶したくなった。
心の準備ができていない。だってコイツは敵だ。
攻略対象とヒロインなどと知ったことではない。
その証拠に、アルブレヒト攻略ルートはすでに発生フラグごと折れて久しく、目の前の目からは恋に落ちる音など前奏からして聞こえてこない。
ひややかにリーゼロッテを見下ろす目には、ただ家畜か何かの検分の目的らしい色だけがある。
「お前は一年遅れだったな……ならば一年か。そこの生垣を右、黄色い薔薇が見えたら左に曲がって直進だ。あの教授は足が遅いからまだ講義は始まっていないはずだ。急げば間に合う」
「は、はい?」
「急げば。間に合う」
急げ、のところを強調して言ったアルブレヒトに、リーゼロッテは立ち去れと命じる意志を感じた。
言われた通り、右に早足で進みつつ思う。
なんだあれ、なんだあれ。
フラグはたしかに折れたはず。
ときめきなんぞかけらもない。あの王太子もそうだろう。けれど、あのセリフはたしか、運ゲーを超えて愛犬シャロが生き残ったルートの出会いイベントのものだ。
ゾッとして、リーゼロッテは今更震えた。
なにが起こっているのかわからない。
その先にある、クロヴィスへ降りかかる危険を思って、リーゼロッテはぐぅと喉を鳴らした。
誰かが、運命を変えている?
もしそうだとして、リーゼロッテはなにをすればいいのか。考え過ぎて頭が痛くなるだろう。今日は眠れないに違いない。
足早に、もはや駆けているリーゼロッテの背後で、薄い金髪の少年が、黒髪の少年の元へ歩み寄った。
小さな声で、2人は会話を交わしていた。けれどそれを、考え込んでいたリーゼロッテが聞くことはなかった。
「彼女は、本当に表情がないんだな」
「確かめるためにリズに触れたと?」
「そう殺しそうな目をするな。とっさに手が出せたのは僕だけだろうが。……ただ、そうだな。あれは、根が深い問題だと、思っただけさ」
「それでも……それでも、リズに触れていい異性は僕だけですよ」
黒髪の少年ーーアルブレヒトは、呆れたような顔をして言った。
「僕はお前のことを言えないがーー……。本当に嫉妬深いんだな。クロヴィス・ヴィー・ティーゼ」
その言葉に、薄い金髪を肩でゆるく結った少年ーークロヴィスは、皮肉げにわらう。
「そんなの、お互い様でしょう」
その緑の目に、遠ざかる蜂蜜色をうつしたまま。