青薔薇の王子
あるところに大国がありました。日々活気が絶えず、他国からの来訪者も多い豊かな国です。その国には1人の王子がいました。
ある日、城の庭園を散歩していた王子は走ってきた1人の少女とぶつかりました。
「おっと、これは失礼。花に見とれて注意を怠っていたようだ」
王子が転んだ少女に手を差し伸べます。少女はその手を取ろうと顔をあげ、はっとした顔をしました。すぐにがばりと頭を下げます。
「お、王子!申し訳ございません!私としたことがとんだご無礼を!」
「いや、僕は大丈夫だ。どうか顔を上げておくれ」
王子がそう告げると少女は恐る恐る顔を上げます。そのあまりの美しさに王子は吐息を漏らしました。
「君はなんて美しいんだ」
王子が思わずそう言うと少女は狼狽して言いました。
「滅相もございません。私などとても。私が美しいなど、もったいないお言葉でございます」
「そんなことはない。それだけの美貌を持ちながらそのような素朴な心を持っているとは」
「あ、ぁあの!私急いでおりますので!し、失礼いたします!」
少女はそれだけ叫ぶと王子が止める間もなくどこかへ駆けて行ってしまいました。
その夜、王子は部屋へ来た召使いの女に溢しました。
「僕は今日とても美しい女性と出会ったんだ。城の下働きのようだったのだが......名前を聞きそびれてしまった。心当たりはないかい?」
すると召使いの女はすぐに答えました。
「それはきっとミヤでございましょう。王子に無礼を働いてしまったと先程も申しておりました。美しく、気立てもいい、とても良い子なんですよ」
一息に告げてから、私としたことがペラペラと、と畏まった女に対して、王子は気にするでもなくパッと顔を明るくして言いました。
「そうか!ミヤというのか。僕はもう一度彼女に会いたい。明日の朝ここへ来るように伝えてくれるか」
翌朝、部屋を訪れたミヤはまさしく庭園でぶつかった少女でした。王子は少女に言います。
「ああ、なんと美しい。僕は君に一目惚れしてしまったようだ。どうか僕と結婚してくれないか」
少女は恐縮して答えました。
「恐れながら王子、それは無理でございます。私と貴方様では身分があまりに違います。例え王子が望んだとしても王がお許しにならないでしょう」
「ならば、それは僕が話をつけよう。そんなことより僕は君の気持ちが聞きたい。僕の勝手で君の人生を奪ってしまっては心苦しい」
王子の言葉に少女は頬を染めて答えました。
「い、以前より、お慕い申し上げておりました」
王子は満面の笑みを浮かべます。
「そうか!そうかそうか!こんなに嬉しいことはない。早速父上に話をつけにいこう」
王子はそのまま王の居室へ赴き言いました。
「父上、僕はここにいるミヤを伴侶としたい。どうか結婚を許していただきたい」
王は一言答えました。
「ならん」
「しかし!」
「だめだ。そんな顔だけの女のどこがいいんだ。お前にはもっと一流の教育を受けた女性がふさわしい。そのような下賤の者など」
王の言葉に 王子は思わず声を荒らげました。
「王よ!それ以上はミヤに対する侮辱です!」
「お前がわたしに口ごたえするなど......! その娘を捕らえよ! 息子はその魔女に誑かされておる! 」
ミヤは側に控えていた兵士たちによってたちまち捕らえられてしまいました。
「父上! ミヤを解放してください! 僕は誑かされてなどいない! 」
ミヤが叫びます。
「王子! もうよいのです! 私のことはどうか諦めてください! 」
王子はその言葉にハッとして黙りました。
「その娘を連れて行け。 それから、お前は部屋に戻って頭を冷やしていろ。 お前は騙されているだけなのだ」
半ば放心状態で居室へ戻った王子は苦悶し、1人つぶやきました。
「そうなのか? 僕は‥‥‥騙されているのか‥‥‥? 惑わされているのか‥‥‥? 僕のこの想いは、偽物、なのか‥‥‥‥‥‥しかし、そんな」
王子は恋しさと疑心暗鬼の中で気が狂いそうになりました。元気がなくなり、部屋に引きこもるようになった王子を心配した王様は考えました。
「魔女を捕らえたのに息子は体調が優れないようだ。捕らえられたことの腹いせに呪いをかけているに違いない。あの魔女を即刻火あぶりにしなくては」
そして、ミヤが処刑される2日前。召使いの女が王子の居室を訪れて言いました。
「王子、ミヤの処刑が明後日に決定いたしました」
王子は仰天しました。まさかそんなことになるなんて。王子はすぐさま王の居室へとんでいきました。
「父上! ミヤが処刑されるとは本当なのですか!? 」
王は心配そうな顔で答えます。
「ああ。本当だとも。これでお前も元に戻るはずだ。今はあの女のせいで辛いかもしれないが、大人しく辛抱していなさい」
王子は何を言っても無駄だと悟り、自室へ戻り机に突っ伏して一晩を泣き明かしました。
翌日、泣き疲れていつのまにか眠っていた王子が目を覚ますと目の前に見知らぬ男が立っていました。黒いケープを羽織り、フードを目深に被ったその男はどう見ても召使いではありません。
「誰だお前は」
王子は興味なさそうに尋ねました。すると男は軽くお辞儀をして言います。
「お初にお目にかかります王子。私は‥‥‥本物の魔法使い、とでも名乗っておきましょうか。本日は王子にプレゼントを持ってまいりました」
「魔法使い‥‥‥だと。馬鹿にするな、人を呼ぶぞ」
王子は相手にしません。
「私が、ミヤを助けられる、と言ってもですか?」
男がそう言った瞬間、王子の目の色が変わりました。掴みかからんばかりに男に詰め寄ります。
「助けられるのか!? ミヤを!」
「ええ。慌てないでください。私が魔法使いである証明も兼ねて、ミヤをあの場から逃がして見せましょう」
ようやく落ち着いた王子は慎重に尋ねました。
「‥‥‥‥‥‥目的はなんだ」
「目的だなんて。私はただ、ミヤに幸せになってほしいだけですよ」
そう言って男はにこりと笑って続けます。
「そうだ、こちらを」
男はどこからか美しい一輪の青い薔薇を取り出すと王子に渡しました。
「これは‥‥‥青薔薇だと。存在しないはずだが‥‥‥」
「はい。存在しないはずのものが存在している。これは奇跡の象徴です。私はミヤを逃がします。ただ、その後どうなるかは王子次第です。よくお聞きなさい」
そして男は歌うように言葉を紡ぎます。
薔薇の花1枚浮かべて飲めばミヤは1人国外へ
薔薇の花2枚浮かべて飲めばミヤは私と国外へ
薔薇の花3枚浮かべて飲めばミヤは貴方と国外へ
「もし、飲まなければ......?」
男はそれには答えずにこりと笑います。その姿が徐々に薄く透けていきます。
「決断は明日の15時までに」
その言葉だけを残して男の姿は掻き消えてしまいました。王子は手を伸ばします。
「待て!まだ話は! 」
王子は叫んで目を覚ましました。
「なんだ‥‥‥夢か‥‥‥」
その時王子の腕にチクリとした痛みが走りました。手元を見ると青薔薇のトゲが王子の腕に当たっています。
翌日、ミヤの処刑は昼の12時に決行されます。王子は自室で青薔薇を見つめながらその時を待っていました。ギリギリと音がしそうなほどに手を握りしめます。
「ああ‥‥‥‥‥‥ミヤ‥‥‥」
そして12時を少し過ぎた頃、召使いが王子の部屋に息を切らせて駆け込んできました。
「っ‥‥‥はっ、王子!ノックもせずに失礼いたします!ミヤが‥‥‥消えました! 」
王子は目を見開き、諸手を挙げて喜びました。
「ああ!ああ!それは本当か!なんと!夢ではなかった! 」
そしてはっと青薔薇を振り返りました。
「では‥‥‥これも‥‥‥」
その時、王子の脳裏には2つの案が浮かんでいました。ミヤを1人逃がすか、自分も共に逃げるかです。王子が失踪すれば国は大騒ぎになるでしょう。王様に兄弟はおらず、子供も王子ただ1人です。王子がいなくなれば世継ぎがいなくなってしまいます。
「僕は‥‥‥どうすれば‥‥‥」
王子が悩んでいると、王様が来ました。
「息子よ! あの魔女は火の中から忽然と消えた! やはり魔女だったのだ! 私が正しかった! もうあんな女のことは忘れろ。私がもっと教養が深く美しい女性を見つけてきてやろう」
王子はその言葉にカッとなって叫びました。
「正しかった、だと‥‥‥!もし消えなければ、どうするつもりだった!本当に魔女ならば父上を操ることも牢から逃げ出すこともできただろうに!」
王も負けじと言い返します。
「しかしだ!結果として奴は逃げ出したのだ。よかったではないか、魔女と結婚することにならず。魔女に国を渡すこともなかった。これに懲りたら私に」
王子はふーっと長く息を吐いてから王の言葉を遮って静かに言いました。
「父上。僕はもう、貴方の側にはいられない」
そして用意しておいた紅茶に青薔薇の花弁を3枚入れて一息に飲み干しました。すると、たちまち王子の姿は掻き消えてしまいました。
その日の夕刻、国外の森を仲睦まじげに歩く2人の男女が目撃されました。年若い青年は一目で高価とわかる衣装を、それに対して少女は焦げ付いた質素な衣服を身につけていたそうです。
その後幸せに暮らした彼らについては、また別のお話。
花弁のちぎられた一輪の青薔薇を残して跡形もなく消えた王子の話は、その後市井の民たちの間でまことしやかにこう囁かれたそうです。『青薔薇の王子』と。