残紅葉(のこり もみじ)
木枯らしが、庭の紅を持ち去った。―― 慶長四年、奉行職を解かれた石田三成が領国佐和山へと退去した年、その十月はじめのことである。
ビュウと鳴る風に冬を感じる。佐和山の麓、屋敷の庭先にいる三成は、思わず着物の袖を握った。
「寒くなったもんだ……」
ふと顔をあげると、一葉のもみじの葉がかろうじて風に耐え、枝にしがみついていた。冷たい空気のなか、三成は唇の先から釣られるようにそれを見上げた。―― あたかも揺れるともしびのような、その一葉を……。
―― 殿さま……。
どこからか、心地の良い声が響く。
―― 殿さま、こんなところに……。
そっと目を閉じると、紅の残像がやわらかく瞳をつつんだ。
―― お風邪を召されますよ。
声とともに近づく、軽やかな足音。そして……、
「俺の、うた……」
「違いますよっ」
三成が目を開けると ――、そこに立っていたのは、ひとりの僧侶だった。
「愛しのおりんさまなら、大坂城にてお勤め中です。まったく、こんなところに突っ立ってお寝んねしてたら、そのうちぽっくりいっちゃいますぜ」
「秀喜どの……」
相手が寺の僧侶とわかり、肩を落とした三成だったが、
「な、なぜ、おりんのことだと?」
「わかりますがな。そこらの女子が、よりにもよってあなたさまのお側に侍るなど考えられませんで」
「悪口を言うか。それならこちらも ――」
「言い返しやさせません」
そう言うなり、僧侶は手に持った干し柿を三成の口中へと押しこんだ。
「寺よりのおすそ分けでござる」
秀喜という名の僧は、二月ほど前、三成が佐和山城内へ建立した母親の菩提寺、瑞嶽寺の僧侶で、和尚である董甫紹仲の弟子だった。
「また抜け出してきたのか」
「心外な。寺を抜け出したことなど一度もござらんです」
「まったく、困った坊主だ」
初老の三成は、ひとまわり年下の僧侶に横柄な態度をとるが、この僧は気にするどころか、かえってそれをおもしろがっていた。
「なぜ笑う」
「いえ、笑ったことなどござりませんて」
「どの顔をしていうのだ」
「どの顔と。さて、満面の笑みとでももうしましょうか」
「笑っているではないか」
秀喜は、屋敷を訪れては三成との会話を楽しみ、そしてまた三成自身も、彼の生涯にまたとない憩いの時節 ―― それを邪魔しにやってくる小賢しい僧侶をかわいがり ―― 領国佐和山の草木を愛で ――、束の間の平穏なときを過ごしていた。
しかし、三成の胸中にはその平穏を揺るがすものがあった。この夏、彼のもとを訪れたひとりの熱い同士のことばが、三成の耳へしつこくこびりついていたのだ。
***
この年の閏三月、三成が奉行職を解かれ佐和山へ退去して以来、勢力を増す内大臣徳川家康は、自身に対抗する勢力の切り崩しに着手していた。
まず、安芸の毛利、薩摩の島津という西国の二大勢力と私的な誓書を交わし、反目の動きを牽制。さらに、先の加賀大納言、故前田利家の反発により中断されていた、陸奥の大名伊達家との私的な縁組交渉を再開させた。
そうしたうえで、前田家当主である中納言利長を領国加賀へ一時帰国させて自身は大坂城へ入城、西の丸に腰を落ちつけたのが先月九月のことである。
佐和山へは、大坂に残る豊臣奉行衆により、この不穏な政局が逐一伝わっていたが、もたらされた情報は家康の動向だけではなかった。三成とは古くからの友人であり同士である大谷刑部少輔吉継は、徳川への親和を見せつつも、一方で安芸毛利家の外交僧恵瓊との密談を重ね、徳川に対抗しうる勢力の再形成を模索していた。
「誓書を交わしたとはいえ、安芸どのにとって、徳川内府の台頭はけして好ましいことではない」
夏 ―― 庭のもみじの青いころ ――、密かに佐和山を訪れた吉継は、三成に言った。
「安芸どのは、豊臣家による公儀を望んでいる……」
毛利家当主である安芸中納言輝元にとって、豊臣公儀の乱れは大きな問題だった。
幼くして家督を継いだ輝元は、ふたりの叔父を中心とした年長の家臣団をまとめるのに苦心していた。ところが、豊臣家へ臣従した後は、有力な家臣であれ公儀の命を受ける当主へ意見することは難しくなった。
今、毛利両川ともいわれたふたりの叔父はすでに世になかったが、輝元の領国支配において公儀の安定はもはや不可欠なものとなっていた。
「毛利家と我ら豊臣奉行衆の利害は一致している。毛利と我らを中心に、島津、備前の宇喜多も加われば、勢いを増す徳川内府の力を抑えることができる」
吉継は、そう言い切った。
しかし三成は、同士の熱弁に対して冷ややかな態度で臨んだ。
「それに、俺も加われというのか」
「貴殿は豊臣家奉行衆の筆頭、石田治部少輔ではないか。今はその職を解かれ、領国へ押し込められているとはいえ、時が来れば大坂へ立ち戻り、ふたたび公儀の中心に立つこととなろう。貴殿が中心となって大名勢力の均衡を取り戻し、場合によっては徳川内府の専横を真正面から糾弾することにもなる」
「俺にはそのつもりはない」
冷たく、三成は言い放った。
「なんのための天下か」
「なに……」
「毛利も島津も、結局はおのれの利権が大事なのではないか。それは大坂の奉行衆も同じこと。ならばいっそのこと、無駄な争いごとを避け、力のある徳川内府に天下を任せるというのもありではないか」
「なにをいう、治部 ――」
「俺はもう治部ではない」
吉継は、じっと彼のようすをうかがう。―― もみじの青を抜けて穏やかになった陽光が、彼の横顔を明るく照らしだしていた。
「……諦めたのではない。心の底から、俺はそう思えるようになったのだ。心から……、俺は、ほんとうの天下の安寧を願っている……」
彼のことばを聞き、同士吉継はいくらか穏やかな口調になって、諭すように言った。
「いたちごっこだ。……徳川内府が主家をもしのぎ、天下の支配者たる地位を築きえたとして、内府が死ねば必ずだれかがその地位を狙う。織田がやぶれて豊臣が栄え、後が徳川とくれば、また次もあろう。そのたびに争いごとが起こるのだ。これを野放しにして、天下の安寧を願っているといえるか。豊臣公儀がつづくかいなか、天下の安寧がつづくかいなかは、俺たちの行動にかかっているのではないか、治部。……これ以上はなにも言うまい。じっくりと、考えておいてくれ」
言い終えると、吉継は表情を和らげ、庭の風情をほめてから三成の屋敷を後にした。
***
冷たい風が、もみじを揺らした。
「じめじめしてきましたね、中、入りましょうよ」
秀喜の声をもって、三成は雨の気配を知る。―― 雨、みぞれ……。
「なんですか、今にも歌ひとつ詠みそうな、感慨にふけった顔をして」
三成はまた、もみじを見ている。―― 細い枝にしがみつき、ともしびのように揺れている、その一葉を……。
「秀喜どの」
「なんです?」
「秋は、終わりか」
しとしとという音が近づいて、三成は着物の袖を握りしめる。
「……柿ならまだ、寺のほうに。お持ちしましょう」
「やめておこう。柿は腹を冷やす」
「……好きなくせに」
降りだした雨が、もみじの枝を濡らしていく。
「なんだか、ほんとうに歌でも詠みそう」
「詠んだら悪いか」
「まさか」
「お前の前では詠まん」
「そうですか。……こりゃ残念でござる」
三成はかすかに笑んだ。そして、おどけた僧侶のほうへ目を向けると、
「風邪をひくぞ、中へ入ろう」
「だから、それ……」
白い息を吐いて、秀喜は笑った。―― 屋敷の縁側で、彼は雨に濡れたもみじの葉が枝を離れるのを目にしたが、主人には伝えず、ひっそりと心の奥底へしまっておくことにした。
(終)
三成さんの詠んだ歌に「残紅葉」というものがあります。
「散り残る紅葉はことにいとおしき 秋の名残はこればかりぞと」
ちなみに、辞世はちゃんと別にあるので、これは辞世ではないです。
私はこの歌を関ヶ原の前年と勝手に解釈して、「秋の終わり、紅葉が散って、ひとりの男が定められた道へと歩み始める」……みたいな感じに捉えました。なので、こんなお話に。
ちなみにこの後、名前だけ登場させた宇喜多家にお家騒動があり、なんとかするために大谷刑部は大忙し。けれど、それも結局、徳川の力によって収められ……
ついで上杉征伐 & 関ヶ原です。
そうそう、このお話に登場させた秀喜というお坊さんですが、のちの紫衣事件と、徳川家光の帰依を受けたこと、そしてなんといっても「沢庵漬け」の名前の由来になった(諸説あり)ことで有名な沢庵宗彭の若かりし頃(二十代後半だったかな)です。
このお話の二ヶ月前、八月から佐和山にいて、以後約一年間、三成さんとの交流があったようです。それ以後のエピソードを見ると、当代きってのミツナリストだったようですね。
まあ、佐和山で初対面というわけではなく、これ以前にも彼らは京の大徳寺で会っていたりはするのでしょうけど。
あ、大谷刑部が関ヶ原の前年の夏にみずから佐和山をこっそり訪れた……というのは、
まあ、フィクションなので、許してください^^;
今後とも、石田三成公をよろしくお願いいたします。