13.ゆめのおわり
青空を仰ぐ。
雲一つなくこんなに澄んでいるというのに。
私はただひたすらに虚しく、疲れている。
「……」
――あれから、1年になる。
往来。賑やかな街並み。
王都は相変わらず活気に満ちていた。
私は疲労困憊だった。胡乱な目の前に通りを行く人々が過ぎる。皆表情は明るく、不幸な事等どこにも無いかのようだ。
通りを行く人々は私を奇異の目で見、あるいは気の毒な視線を送る。
だが、人からどう見られようと、もはやどうでも良かった。
私は――疲れていた。
眩暈がする。私は立ち上がる元気すらない。
赤竜の少女との生活を思い起こす。
奴隷として連れて来られたことがきっかけで仲睦まじく過ごした日々。
彼女の事を恐れた日も有ったが今では昔の事だ。
私は王都に帰ってきた。
ここは相変わらずの喧噪と活気に溢れている。
かつては住みよい町だと思ったが、赤竜ルチアとの日々の方がずっと眩しかった。
今、その対極に居る私は沈鬱な気持ちにこのまま消え入りたい気分だった。
街に居ても既に自分の居場所は無い。
無力感と底知れぬ倦怠感だけが心を埋め、苛む様に責め立てる。
――もういい。十分だ。
――何もかもに疲れた。
「……」
親子連れの賑やかな声が聞こえる。
笑い声を上げた子供が走り抜ける。
それらに交じって――遠くから微かに少女の声が聞こえる。
……メルウェート。
澄んだ声。
幻聴の様なそれは私の名前を呼んでいるように聞こえた。
彼女はいつの間にか現われて、私の目の前に影を落とした。
……待った?
逆光に映る彼女の姿はとても美しい。
赤く細い髪が太陽に透ける。
幻のように儚い。
……待たせちゃってごめんね。
彼女はそう言って屈託なく笑う。
無邪気な笑顔は頑なになった私の心を溶かす。
私は長い時間、彼女を待ちわびていた。
あまりに待ち遠しかった。
私はどうしようもない程、貴女の帰りを焦がれていた。
早くここから離れたい、消えてしまいたい――と。
私に向けて差し伸べられた手。
……メルウェート、そろそろ行きましょう。
彼女の言葉が遠くに聞こえる。
――ええ、そうですね。
――そろそろ時間でしょうか。
彼女は私の言葉に優しく微笑むと――私の口に、その細い指を突っ込んだ。
「……っ!」
思わず呻く。
口の中に甘い何かが突っ込まれた。
途端に意識がはっきり戻る。
「その前に、これっ! 買ってきたよぅ! どう? おいしい?」
彼女が片手に持っていたのは綿飴。
かつて、一緒に街に来たら食べようと約束していたそれだ。
彼女は手をべとべとにしながら自分の指にまとわりついた綿飴をしゃぶっていた。
さながら幼児の様である。
「おいしいよねぇ!」
「……私は陽の光に当たり過ぎて気分が悪くなっていた所です」
暑い日に、日当りの良い場所で起きる熱射病だ。
まざまざとその症状を自覚する。
「じゃあ帰ろぅ」
「無理を言わないで下さい……この荷物、どうするつもりですか」
私は彼女の行動をたしなめる。
私の背後には山のように積まれた品々。
全てを持ち運ぶには少なくとも荷車が必要だ。
「久しぶりの街だからと言ってはしゃぎすぎです。悪目立ちし過ぎです。それから物を買い過ぎです」
「えへ」
ルチアはわざとらしくにこやかに笑む。
こんなに大量の荷物をどうやって持って帰るつもりだろうか。
後先考えない彼女の振る舞いには困ったものだ。
王都へ来てからと言うもの、彼女は終始全力で街を楽しんでいた。
「だって、久しぶりで楽しかったんだよぅ」
「……貴女が目を覚ましてからとても元気になったのはよく判りました」
――彼女に今回訪れた『休眠期』。
ルチアは私が眠りの間守ってくれることを信じた。
そしてまた、竜の姿を怖れる私のために『初めて人間の姿』で眠る事を選んだ。
その結果。
――彼女は眠ってからたった『一年』で目覚めた。
竜の寿命はおよそ一万年。
人の寿命はおよそ百年。
寿命の差は『百分の一』。
悩んだのが馬鹿らしいくらい簡単な理屈だった。
ルチアの休眠期は――。
竜の姿では『百年』。
人の姿ならば『一年』。
ルチアは初めて人間の姿で眠る事で、早く目を覚ます事が出来た。
彼女のいない一年は随分と長かったが、それでも奇跡は起きた。
だが――彼女は目覚めるや否や、こうして一緒に王都に行きたいと私を連れだして見れば、錬金術師ギルドへ顔を出し、奴隷商人の元に顔を出し、それ続いて遠慮のない買い物。
彼女の暴れっぷりは暴虐の赤竜を人間の少女に映した様そのものだった。
王都における彼女の傍若無人な振る舞いは私を大いに疲弊させ――今に至る。
「……まさかこんな事になろうとは」
「うん? 結果良ければすべてよしっていうよぅ?」
笑みを浮かべて綿菓子を頬張るルチア。
悪びれた様子は一切無い。悪意はない分、性質が悪い。
そして、ようやく買い物に満足して戻ってきたルチアは私の前に仁王立ち。
珍しく真っ白のワンピースを身につけた彼女はどこかの高貴な貴族令嬢のように見える。
一方の私は令嬢付きの用心棒として礼服を身に着け、見知った人の多いこの町で、顔を隠すために目深に帽子をかぶり、変装していた――はずだった。
今となっては彼女の遠慮のない立ち回りでその計画は全くの水泡に帰していた。
結果として、奴隷として町を出て、そして非常に目立つ少女を連れて帰ってきた私は、多くの人の視線を浴びる羽目になった。
噴水のそばに大量の荷物。
それを守るようにして座り込む用心棒。
目立って仕方が無いのは言うまでもない。
その奇抜な様子に話しかけられる事もないが、人々に向けられる視線は痛い。
彼らは遠巻きにして、私が視線を合わせればさっと目を逸らして去って行く。
私はひと騒動起こして街を追われた身だけに針のむしろだ。
だが、既に起こってしまったことを悔やんでも仕方がない。
彼女がこの街でしでかしてしまったことの後片付けを想像し頭が痛くなる。
私があれこれと考えていると、ルチアは私の目の前に立ったままもじもじと何かを言い渋っていた。
「……ねぇメルウェート。もう一回ちゃんと言って欲しいな」
「?」
「……眠る前だったから良く聞こえなかったんだよぅ」
彼女が聞いた上で、聞こえなかった振りをしているのは目に見えている。
ともかく、無邪気な彼女の姿を見て私はほくそ笑む。
ようやく回ってきた反撃の機。すっ呆けるつもりで口を開いた。
「ふむ。一年前の事で何と言ったか忘れました」
「もぅ! それなら賭けの事は覚えてる?」
流石にそれまで反故にしては彼女は怒り出すだろう。
「ええ」
彼女は嬉しそうに笑った。
「それじゃあ……メルウェート。今、幸せ? それとも不幸せ?」
「不幸せです。貴女に散々付き合って、疲れ切ってしまいました……まぁ、一緒に街に繰り出せて楽しかったといえば楽しかったのですが」
半ば自棄になってぶっきらぼうに放たれた私の言葉にとびきりの笑顔で喜びを表現するルチア。
久しぶりの人間の街に気分が上がっていたのか、ぴょんぴょん飛び跳ねる様子は、年相応の少女のようだ。
元気の良いルチアは見ていて心地良い。が、その一方で振り回されっぱなしの私はどこか釈然としない。
「――ですから、一応『賭け』には負けました。一つだけ言う事を聞きましょう」
「ふふ。ならもう、いいんだぁ」
「賭けに勝って何を望むつもりだったのですか?」
「もちろん――」
彼女は微笑みながら、臆面も無くいってのけた。
「メルウェートの幸せだよぅ」
彼女のまっすぐな愛情に触れて面食らう。
俯いて表情を隠し、少し気持ちを落ち着かせてから顔を上げる。
見れば、ルチアは後ろ手に手を組んで目を細めて嬉しそうに笑んでいた。
これでは格好がつかない。
せめて一矢報いよう。
「では、私を幸せにするために手伝ってくれますか?」
「?」
「少しの間そこを動かないで下さい」
私の指示で怪訝そうに首を傾げた彼女。
私は彼女の顔に自分の顔を寄せた。
――そのまま口づける。
顔を真っ赤にして硬直したルチア。
世界一可愛い竜は今日も健在だ。




