タダより高いものはない。
しばらくして
「では、我かティンがそのホルトとかいう街に行ってみればよいのか?」
ルチルが声を上げた。
「そうなるな。だが、まずはルチル。お前が元に戻った状態で夜に紛れ込め。その方が関所をくぐる時に問題を起こさないで済む。その上で丸一日程度、視覚を共有してあちらこちら見回れば、様子がわかるだろう」
「是」
トライン様って、私と話す時とルチルや雪花と話す時では言葉や雰囲気が違う。こういうところ見ると、やっぱり神様なんだなって思う。
「僕はダメなんですか?」
「ティンは元の姿でも目立つ。なんのための偵察かわからなくなってしまうだろう。それに、お前には狩りに出て食料と売り物を作る手伝いという仕事がある。適材適所というものだ。(……間違ってないよね?)」
こそっと視線を送って来るトライン様に、わたしは吹き出すのを止められなかった。
なんで日本の格言とか中途半端に知ってるの。そしてそれをなぜ使いたがる。
「……大丈夫です。確かに黒猫は夜に紛れて動きやすいですもんね。でも視覚共有って?」
「読んで字の如く、だね。ルチルの見ているものを、君も一緒に見るんだ」
「はー……。で、方法は?」
「動じないね」
「織葉さんですから」
「なるほど。……まぁ、方法は簡単で、瞼に口づけるだけでいい。でも、片目だけにしておきなさいね」
じろりと睨んだわたしの視線に、2人揃って首を竦めた。
「ルチルの目を通して、同じものをわたしが見るというのはわかりました。でもそうすると、その間わたしやルチルの視界はどうなるんですか?」
「それが片目だけにしとくように言った理由だよ。ルチルは片目を君に貸し出す形になるから、もう片方で見ることになる」
「えっ?!」
「ああ、術が発動している間しか効果は出ないから安心して。そして君の視界はちょっとややこしいよ。両方が見えることになるから」
ええと……。
「じゃあ、反対の目は閉じといた方がいいですね」
「その方がいいかもね。ええと、発動はマスターの意思1つでいつでもできるけど、共有するにはあらかじめリンクを張っておく必要があるんだ。共有したい部分に口づければいいだけ。今回は視覚だから、瞼」
へぇ。
「ちょっとやってみよっか。ルチル、おいで」
猫に戻ってもらったルチルを抱き上げると、右目の瞼に口づける。何故ならわたしが片目だけ瞑れるのは左目だから。
そして庭へ出てもらって、少し離れた木に登るのを見届けた。これで窓を閉めると、わたしとルチルの視界は完全に別物となる。
「えっと……?」
「見たいって思うだけで大丈夫」
「あ、はい。なんだ、意外と簡単……っ?!」
瞬間、ぐらり、と視界が傾いだ。
反射的に両目を瞑る。
「織葉?!」
トライン様がわたしの名前を呼んで、倒れかけた体を抱き留めてくれたのがわかった。ぎゅっと目を瞑っても視界が走る。気持ち悪い。
「ルチル、止まって目を閉じろ!」
その声で、やっと視界が暗くなる。
ああ、そっか。あれはルチルの視界だったんだ……。
そう思いながら、まだ目を開けることができないでいると、瞼に柔らかな温もりが触れた。
「リンクを切った。もう大丈夫だから、目を開けてごらん」
穏やかな声に、恐る恐る目を開ける。
視界いっぱいに広がるのは、トライン様の気遣うような表情。
そして私は、抱き起こされた状態でその腕の中に囲われている。
・・・・・。
「ひゃわ?!」
変な声が出た。
目の前のトライン様も、目をぱちくりさせている。
そりゃそうだろう。
いきなり妙な悲鳴が上がれば誰だってこんな顔になる。
「す、すすすみません!!」
絶対に赤くなっているだろう顔を俯けて、何とか腕から脱出しようとすると、腕の力が強まった。
えええ、なんで?!
「落ち着きなさい織葉。暴れないで」
不思議な雰囲気を纏った声が鼓膜に響いて、強張った体から、すとん、と力が抜ける。
「そう、いい子だね」
髪を撫でる手のひら、体を包む温かい腕。耳元に囁きかけられる低い声に、思考ごと完全に硬直する。
「うーん。なんでこっちの制御はうまくいかないんだろう……」
そう言いながら、わたしをひょいと抱き上げる。
……いわゆる、お姫様抱っこで。
「にぎゃ?!」
またおかしな悲鳴が飛び出る。
あああ、なんでこんな色気のない悲鳴ばっかり……! いや変に色気あっても困るけど!
「はいはい、いい子だから暴れない」
わたしを軽々と抱き上げたトライン様は、そのままゆったりとソファに座った。
膝に、わたしを乗せたまま。
あのーぅ? なぜ抱っこされたままなんでしょう?
「ルチル、もう大丈夫だ。戻ってこい」
「窓開けるね。その方が早いでしょ」
目を向けると、ぴょい、と窓枠に黒猫が飛び乗ったところだった。横抱きにされたままトライン様の膝の上に居るわたしを見て、琥珀色の目が丸くなる。
い、いたたまれない……!
「あの、トライン……様?」
「どうしたの?」
どうしたの、じゃなくてですね。
「なぜわたしは膝の上に乗せられたままなのでしょう……?」
恐る恐る尋ねるわたしに、
「うん……。君の魔力を調べようと思って。触れてる方が効率が上がるんだよね」
どこか上の空で答えるトライン様。
……調べる? 魔力を? 結局この体勢の意味は?
雪花やルチルに目を向けてみたけど、2人揃って首を横に振った。気になるのか、ちらちらと視線を向けてくるのに軽くムッとしたわたしは、指鉄砲を作って
「ばーん」
と口パクで撃つ真似をした。
その瞬間、猫のルチルがものすごいスピードで飛び退り、人型でしゃがみ込んでいた雪花がデコピンでも食らったかのようにのけぞって転がった。はずみで棚から小物がいくつか転げ落ちる。
「え?」
「……何やってるの?」
「えぇっ?!」
指鉄砲を構えたまま固まっていたわたしを、トライン様が覗き込む。
「あーもう、魔力こんな風に使う子なんて初めて見たよ。君はホントにびっくり箱みたいだね」
楽しそうに笑いながら、ぽんぽん、と頭を撫でられる。
……その、なんか凄まじく落ち着かないんですが。
「で、この手は何? それをどうしたの?」
「ええとこれは、わたしがいた所で子どもが遊びの中でよく使うもので、指鉄砲って言います。あの2人が手の届かない所でちらちらこっち見るのに軽く腹が立ちまして、ちょっと撃つ真似をしてみただけだったんですけど……」
まさかの物理的衝撃発生。これで驚くなという方が無理だ。
「ははぁ……。これで一つわかった。君は、その魔力で形を作るのが得意なんだね。だから複製も異常なほど早くできた。あれも魔力で作るから。そういう意味でも高度な制御ができてるってことなんだけど……」
なんで視覚共有はうまくいかなかったんだろう。
そう呟いて、また考え込みだすトライン様。
というか考えてみれば、先刻『そろそろ今日の役目は終わりかな』って言いましたよね? そこからすでにかなりの時間経ってますよね? いや、確かに呼び戻したのはわたしなんだけども。
神様のお仕事がどういうものかわからないし、まさかサラリーマンよろしく定時とかあるわけじゃないだろうけど、わたし達にこんなに時間取ってて大丈夫なんだろうか。
不安になってきたわたしは、トライン様の服をくいくいと引っ張って注意を引いてみる。
「あの……。トライン様」
「…………」
「トライン様!」
「わ?! ……ああ、君か。どうしたの?」
よほどびっくりしたのか、目がまん丸だ。
……や、可愛いとか気のせいですからね。
「あの、さっき一旦お帰りになったのに、戻ってこられてから結構な時間経ってますよね。大丈夫かなって思って……」
そう言うとトライン様は、目を細めるようにして微笑んだ。
「この世界は結構安定しててね。今は私が出張らないといけない問題なんかはそうそう起きないんだよ。優秀な部下もいることだしね」
「部下……」
思わず心の中でその方に合掌する。
わたし達のせいでお仕事増えてたらごめんなさい。
どうやらトライン様のお仕事優先順位の上位に来てしまったらしいわたしは、只今お宅訪問中です。いやお宅訪問ではないな。職場訪問、だな。たぶん。
「はぁ……。確かに面白い魔力の波形をしてますね。こんな上質で純度の高い魔力というのも珍しい」
「魔力という概念がないところで育まれたものだからではないかと思うのだが」
「可能性はあります。そういう世界なら魔力の乱れがない分、精錬されやすいのかもしれません」
「そう。それに加えて、無意識化の制御能力も高い。……彼女を放置する方が、由々しき事態を引き起こすのではないかと思ってな」
「……そうですね。直近で何か起こるということはなさそうですけれど、魅魔に見つかると大問題が勃発するのは明らかです」
「みま?」
トライン様も結構背が高いんだけど、部下だと紹介されたシディルさんは熊みたいに大きな方だった。
ちなみにシディル様と呼んだらご本人から全力で却下されてしまったので、さん付けだ。
そんなわけで、遥か頭上で会話が飛び交ってたんだけど、その中に聞きなれない単語が聞こえて首を傾げたわたしに、2人の目が向いた。
いけない、声でてた……!?
慌てて口元を押さえたわたしの頭に、ぽん、とトライン様の手が乗せられた。
「大丈夫。ごめんね、君の話なのに。魅魔っていうのはね、さっき言った、私達と同じく魔力を見ることができる者たちのことだよ」
「大問題になるっていうのは?」
「そのすべてが善なるものじゃない、とも言ったでしょ。本当のことを言うと、今は善ではない者の方が多くなってしまってるんだ。悲しいことにね。『見魔』と呼ばれる善なる者達の多くは人との交流を避けて隠れ住むようになり、対して『魅魔』はむしろ人の集まるようなところで上質の魔力を持つものを探している」
『見魔』と『魅魔』
聞こえる単語は微妙に違うんだけど、その違いが漢字として脳裏に浮かぶ。
なるほど。
見るだけの者と魅せられてしまった者の違いという所かな。
だけど……
「探して、どうするんですか?」
これを聞くのは、本当は怖い。
でも、わたしの想像が正しければ、なんらかの自衛手段を講じない限り、雪花やルチルに多大なる迷惑をかけることになるだろう。
頼りなく震える声が、耳に届く。
それを感じたのだろうトライン様は眉を顰め、シディルさんは苦虫をかみつぶしたような顔で口を開いた。
「たぶん、貴女の想像しているとおりです。魅魔は、上質の魔力を持つ者を自分の物にしようとします。様々な意味で便利に使うために。上質であればあるほど、手段を択ばず動くでしょう。そして……」
彼が言う通り、それは想像していたことだった。
なのに、体が勝手に強張る。いつのまにか握りしめていた手が白くなるくらい力が入っているのに、震えてしまう。
「シディル」
咎めるような声で遮ったトライン様が、ふわりとわたしを抱き上げた。
「聞いたのは彼女ですし、内容についても予想とそう変わりはなかったはずです。それにこういうことは最初に隠さず言っておいた方がいいでしょう」
「その通りだけどね、お前はもう少し言葉を選ぶことを覚えよう。ほら、すっかり竦み上ってる」
小さな子どものように抱き上げられて、あやすように背中を叩かれる。
反射的にしがみつきかけて、すんでのところで踏みとどまった。
いやいや、サイズ的には確かに大人と子ども位の差があるけど、駄目でしょう。わたしこれでも一応成人してるんだから。もっと言えば90も近い婆だったんだから。その前にそもそもこの方神様だから……!!
「あ、また余計なこと考えてる」
さっきとは全く別の理由でふるふる震えだしたわたしを覗き込んだトライン様が、面白がるように言った。
「よっ、余計なことではないと思います!」
「じゃあ考えてたこと言ってごらん?」
視界に広がるトライン様の笑顔の向こうに、目をまん丸にしたシディルさんが見えた。
ああ、居たたまれない。
「答えないなら言っちゃうけど、私が神であるとか自分の年齢とか気にしたんでしょ」
ぐっ……。
言葉に詰まるわたしとにこにこと笑うトライン様、眉間に指を当てるシディルさん。
ちなみに雪花とルチルもいるんだけど、彼らは置物のように微動だにしない。
「そういえば貴女おいくつなんです?」
ようやく立ち直ったらしいシディルさん。
「ええと、こちらの年齢では20歳です。前の世界では80歳超えてました」
正直に申告すると、目がまん丸になっただけでは飽き足らず、口までかっぱりと開いてしまった。
……顎、外れてないよね?
「それはまた……」
あれ、なんだろう。
シディルさんの目に、なんていうか、妙な光が浮かんでる、気がする。
「何を考えている?」
「いえ別に。何でもありません」
そういう言い方する時って、絶対何か考えてるよね。しかも大抵の場合、碌なことじゃないんだ。
そんなシディルさんに、雪花とルチルは胡乱な目を向けている。
トライン様に抱っこされてたわたしからはほぼ見えなかったけど、気配がね。
それにしても。
向こうじゃ毒にも薬にもならなかった……というか『無い物』だったものが、こっちじゃ何やらとんでもないものだとか言われても困る。人生やり直させてくれるからって乗っかっちゃったけど、こういうのは考えてもみなかったなぁ。
しかも他所様巻き込む可能性があるとかものすごく嫌なんだけど。
やっぱり、何事も無償ってわけにはいかないみたいだね。
お読みいただきありがとうございます。