趣味と言われると困る。
鏡の前で呆然自失になったわたしは、トライン様に抱っこされて、リビングに連れてこられていた。
あまりに連続の衝撃に、頭の中では情報が玉突き事故を起こしている。
頭を抱えてうんうん唸るわたしを、雪花は心配そうに、ルチルはきょとんとして、トライン様は面白がっているのがまるわかりな表情で、それぞれが見つめているのがわかる。
わかるけれども、構っている余裕はない。
いや、身長は雪花という比較対象が居たからね。ちっこいまんまなのはわかってたんだ。だから子ども抱っこなんてされるんだ。
それはそれとして、だ。
なんだこの美少女顔。
いやもう少女とか言う年齢じゃないんだけど。この世界の成人が16歳だっていうから、じゃあもう少し大人に、ってことで日本の成人である20歳にしてもらったんだから。
日本人の感覚だと、ちょうど節目の齢だし。
……じゃなくて。
自慢にもならないけど、わたしは某映画で言うところの『平たい顔族』、つまり純日本人の顔立ちだった。
なのに鏡の中には、ぱっちり二重瞼の大きな眼とかぷっくりツヤツヤ唇とか、とにかく極上のパーツがバランスよく配置された、まごうことなき西洋系美少女が居たのだ。
それに、色彩。
手鏡を覗いた時の違和感は主にそのせいだ。
髪は真珠みたいな淡い光沢を乗せた銀色で、瞳は桔梗色。
ついでに改めて自分の体を客観的に見て、正直ドン引いた。
大昔の、若い頃の体型なぞ完全再現しなくともいいだろうに!
死んだ時は流石に見る影もなくなっていたけれど、若かりし頃のわたしはいわゆるトランジスタグラマー。胸と腰は大きく、胴は細い。
晴れ着着るのにどれだけ苦労したことか。洋服を主に着るようになって、そこまで気にしなくてもよくなったけど。それでも着る物を探すのは苦労したなぁ。
「なんで、こうなった……?」
呻いたわたしに答えたのは、なんとルチル。
「主は、織葉殿があまりにも何も望まないのを気に病んでおられた。だからだと思う」
「だからって顔面チートにしてどうするよっ!?」
「顔もだけど身体もだよね。おいしそう」
「これは元々! ってトライン様?!」
「へぇ……。でさ、さっき『役得』って言った意味、理解できた?」
「……くっ」
ええ、理解できましたとも。
そりゃこんなのに抱き着かれて嬉しくない野郎なぞおらんだろうさ! 女であるわたしだって悪い気しない自信あるし。神様もその感覚は同じだというのが驚きだけどね!
「神と言っても、私やイアルのような存在は人間にとても近いから。肉体もあるし、さっきみたいに血も流れるし、お腹空くからご飯も食べるし、普通に欲情するし、なんだったら人間と結婚することだってあるんだよ?」
あー、うん。
わかったけど、後ろ2つは正直聞きたくなかったかな。
「うわー」
頭を抱えて転がる。
もうね、銀髪青目でトラジスタグラマーのちまロリ美人って、誰得なの? 女神様まさかそっちの趣味があったの? 何か、どうにか、したかったの? 色々考えだすとものっすごい怖いんだけど!
「……ねぇ、見せてくれるっていうなら喜んで見るけど」
何を?
と思って、自分の状況を確認する。
瞬間。
跳ね起きて、思わず正座。
「……お見苦しいものをお見せいたしました」
三つ指ついて頭を下げた。
現在のわたしは、プルオーバータイプのブラウスとスカートという服装をしている。それで床を転がったらそりゃ、ね。
いかんな、まだズボン生活の感覚が抜けてない。
「言ったでしょ、私は人に近いって。いいもの見せてくれてありがとう」
ぶわ、と顔が赤くなるのがわかった。
「だけど、気をつけて。今の君が外でそんなことをしたら、問答無用で襲われるよ?」
デスヨネー。
「トライン様が紳士でよかった」
そう言うと、トライン様はものすごく微妙な表情を浮かべた。
「どうしよう。信頼されてるって点ではものすごく嬉しいんだけど、今のって完全にアウトオブ眼中ってことだよね? ちょっと失敗したかなぁ」
口元に手を当てて、何やら小声でぶつぶつ呟いているんだけど、大丈夫かな。雪花とルチルも、どこか生暖かい目でトライン様を見てる気がするし。
「あっと、そうだ。もう1つあるんだった。忘れてたよ。左手だしてくれる? ティン、ルチル、お前たちもこちらへ」
なんだ?
というか諸々忘れ過ぎじゃありませんかね。
そう思いつつも言われるままにおとなしく左手を差し出すと、大きな手が、包み込むようにわたしの手を握る。
雪花とルチルは何が起こるのかわかっているようで、神妙な顔でトライン様の足元にお座りをした。
「ごめん、ちょっと傷をつけるよ。すぐに治してあげるから」
「はい」
人差し指の指先に、少し熱いような感覚が起きる。
ぷくり、と盛り上がった血を見ながら、またわたしにはわからない言葉が紡がれる。
きらきらと光がまとわりついて、ころん、と小さな結晶体が掌に転がった。
「もう1個ね」
同じ手順を踏んでもう1つ結晶体を生み出したトライン様は、まずわたしの指の傷を治した。
「これは……?」
「これはね、君と彼らの契約の証になるんだ」
「契約?」
「うーん。使い魔、というと語弊があるんだけど……」
「そんなものいらない」
聞こえた『使い魔』という言葉に、反射的に否定の言葉を紡ぐ。
「語弊があるって言ったでしょ。最後まで聞いて」
「あ……。ごめんなさい、つい」
怒らせたかと身を縮めると、大きな手が頭を撫でた。
「わかってるから大丈夫。落ち着いて。……でね、彼らはこれを着けることで君とリンクすることができる。君と色々なものを共有することができるようになるんだ。もう1つの姿を手に入れることもできる。さっき『契約』って言ったのはね、双方の合意がないと成立しないから。ただし、マスター……主はあくまで君になるから、『使い魔契約』というのが一番近い表現になるんだよ」
「はぁ……」
あれ? だとすると。
「ルチル、あんた女神様が主なんじゃないの?」
そう呼んでたよね?
「契約ではない故、厳密には主ではない。だが、我はかの御方の御許で働きその庇護を受けており、故に主と呼び慣わしていた。世界を違えた今、我もティンと同じ。主を持たぬ、いわば野良のようなものであるな」
「な……!」
なにやってんだい!?
「僕も確かに女神様の許に居たけど、もう消滅を待つだけの存在だったからね。雪花の主は織葉さんだから、僕の主も織葉さんだよ」
「雪花……」
「我がこちらに来ることを願い、主……ああ、こう言うから織葉殿が気に病むのであるな。かの女神が許したのであるから、何も問題はない。無論、織葉殿に拒絶されたら野良となることも覚悟の上であるから、心配は無用だ」
無用って、あんたね……!
「そんなことできるわけないだろ。わたしの……わたしと雪花のためについてきてくれたのに。……でもごめんよ、そんなこと全然知らなかった」
感謝を込めてルチルと雪花を抱きしめると、両側からわたしの頬に頭を摺り寄せてくれた。
「言っておらぬのだ。謝る必要などない」
言えばわたしが同行を拒否するだろうと思ったんだろうな。
たぶんそれは正しいと思うけど。
「……落ち着いたところで、契約をしてしまおうか」
「はい」
「じゃあ、まずこれ持って。色を決めたら、石に口づけて。そのままつけたいところに触れればいいよ」
「色?」
「うん。君に使ったような加護の証のは変えられないんだけど、契約の石は好きなように変えられるから、似合うのを考えてあげてよ。ちなみに、特に考えなかった場合は今みたいな赤色」
「はぁ」
似合う色、ねぇ。
あ、そうだ。
「もう1つの姿って、何ですか?」
「あー。……うん、それは見てのお楽しみってことで」
「えー」
抗議の気持ちを込めて睨んでみても、当然ながら効果はなく、諦めて考えに戻る。
…………よし、決めた。
「まず雪花からね」
ちゅ、と石に唇を寄せて、右耳の縁、中ほどの所に押し付ける。
ルチルにも同じように、だけど左耳の縁、中ほどに。
「へぇ……」
一部始終を見ていたトライン様が、面白がるような声を上げた。
それに振り返るよりも先に、
「じゃ、変化してごらん」
と2匹に声をかける。
その瞬間の感覚を、わたしは未だにうまく言葉にできない。
指先に結んだ糸を僅かに引っ張られるような感覚、が一番近いだろうか。
それでも全然言い表せてはいないのだけれど。
2匹の輪郭が、滲むように曖昧になる。その輪郭がもう一度明確になった時には。
人が2人、立っていた。
「……は?」
柔らかくウェーブした長めの乳白色の髪に空と海の色の瞳をした大柄な男性と、真っ直ぐで艶やかな黒髪に琥珀色の瞳をした細身の男性。
耳にはそれぞれターコイズブルーとカナリアイエローの石を嵌め込んだ銀のイヤーカフがつけられている。
「雪花、と、ルチル……?」
「「はい」」
半ば硬直するわたしの前に、2人は片膝をついて身を屈めた。
「ふぉ?!」
そんな風にかしこまられたことなぞ生まれてこの方なかったもので、思わず変な声が飛び出る。
「なーるほど。君はこういう風に思ってるんだね」
「どういう意味ですか?」
「彼らの外見については、マスターの意識が強く出るんだ。色彩を変えることはできないんだけど、それ以外の要素はほぼマスターの意識で変えられる」
つまりこの容姿はわたしの意識が決めたということですか……。
「うぁぁぁ」
わたしはさっきからもう何度目かわからない呻き声を上げた。
違う、別に面食いなわけではなくて……!
「ああ、美醜に関しては本体の素地が基礎になってるから。よかったね、2人ともなかなかのイケメンで」
よかったのかそうじゃないのか今一つよくわからない!
そりゃ、どうせ見るならイケメンの方がいいのかもしれないが!
「そっかー、僕って織葉さんの中ではこんなイメージなんだねぇ」
「我は予想の範囲内と言えば範囲内だな……」
2人は自分の姿を鏡に映して、そんな感想を漏らした。
「あれ、そういえば服は……」
2人ともきちんと服を着ている。
いや、そうじゃないと困るんだけど。
「それが一番マスターの意識が出るんだけどね。そっかぁ、君、そういうのが趣味なんだねぇ」
後半、妙にもったりした口調で教えてくれる。
雪花はホテルのラウンジなんかに居そうな感じだし、ルチルは執事っぽい。
つまりは2人ともがフォーマルに準ずるような服装。
趣味って、いや、違……っ!
でもこの姿になるってことは違くないのか?!
……ん? あれ?
「待って、雪花は雌だったのに、なんで男性になってんの? まさかこれもわたしの趣味とか言わないよね?!」
「あ、それ多分僕のせい。雪花は死んでから僕に体をくれたから、外見だけじゃなくて性別まで引きずられちゃったみたい」
「あ、そうなんだ」
頷くと、雪花はへしょんと眉を下げた。
「うん?」
「ごめんね織葉さん。雪花の要素全部無くなっちゃって」
頭の上に垂れた耳が幻視できそうなしょんぼり具合だ。
ふむ。
まあ確かに、体格以外は雪花とはまるで違う。
だけど……
「雪花も生まれ変わったようなもんだし、当たり前なんじゃないかね」
そう、わたしと同じだ。
わたしの場合はちょっとかなり女神様の趣味なのかなんなのかが混じってるけど。
「まぁ、2人とも良く似合ってるし、いいんじゃない?」
ようやくにやにや笑いを引っ込めてくれたトライン様に、気になったことをぶつけてみる。
「あの、2人の服ってどうなってるんですか?」
「そこ気にするんだ?」
「だってほら、着替えとか必要なんだったら用意しないと。既製品が無理なら布の量増やさないと」
「なるほど。というかその台詞が出るということは、君は服が作れるの?」
「簡単なものなら。体型とか体格的に既製品だとなかなか合うものが無くて。必要に迫られて、覚えました」
なんだっけ。
必要は発展の母? 窮すれば通ず、というやつだ。
「……なかなか多才なようだね」
「どうでしょうね? 半自給自足生活送ってましたから、生きていくのに必要な一通りはこなせると思います。ただ、いくら似てると言ってもこちらの世界でそれが通用するのかはわかりませんが」
「まぁ、それは追々確認していくしかないね。イアルからこちらの世界で必要になりそうな技術はもらったんでしょ?」
「そうですね。言葉と読み書き、時間と通貨の単位は絶対必要だと思ったんで教えてもらって、あとこっちじゃ魔力がないと生活できないと聞いて一般人程度には使えるようにしてもらいました。でもそれ以外が特に思いつかなかったんですよね。後で女神様が使えると聞いて『複製』だけいただきました」
「ああ、あれは便利だね。なるほど、それでルチルが『何も望まないのを気に病んで』なんて言ったのか」
「魔物退治しないといけないって言われましたけど、話を聞く限りでは猟をするのとあまり変わらなさそうでしたし、それなら銃とナイフが使えれば充分だと思いまして。体術も多少の覚えがありますし、そもそも不要な戦闘をするつもりはありませんし。そもそも技術なんて、必要になった都度覚えていくものでしょう?」
考え考え言いながら首を傾げると、トライン様が、とても優しい目でわたしを見つめていることに気付いた。
「君は、そういう考え方をするんだね。……いいね、すごくいい」
ふわりと浮かんだ微笑みは、今まで見たどの笑顔よりも穏やかで嬉しそうで。
「自らの手で何かをつかみ取ろうとする魂は、とても気高い。あらためて歓迎するよ、織葉。……君の輪廻の輪がこの世界に生まれることを誇りに思う」
恭しくわたしの手をとり、手のひらに口づける。
それは、今までの軽いスキンシップの延長ではなく、神聖で厳かな、何かの儀式のようだった。
「君のこれからが、明るいものであるように」
最後にそう言って額に口づけを落とすと、ふわっと消えてしまった。
硬直するわたしを置き去りにして。