黒いサルヴァドール
どれほど時間が立ったのか分からなかった。メリッサはそれから石造りの床に爪を立て、血が滲んで爪が折れても、石の床をひっかきながらリータの魂が何処かに隠れては居まいかと号泣しながら探した。
牢屋の壁にも爪を立て、半狂乱で泣き喚く。牢屋から出たいのではなく、まだリータの魂が消えてしまったことをメリッサは受け入れられず、自分が閉じ込められた牢屋中を探しまわった。
そしてその虚しい行為を繰り返し、メリッサは涙も枯れ果て、ボロボロになって疲れた体を牢屋の隅に預けた。その瞳にはもはや生気がなく、虚無感しかなかった。
GM達の再三の指示も無視し、だた虚ろな眼差しで広間の高炉を見つめていた。
「あの中に入ってみたいか?」
ふとメリッサの視界の端に、白い衣をまとった人物が立っていた。思わずその人物の方へ、メリッサはとっさに体ごと向ける。
そこには、古代の西洋人達が着ていそうな白い一枚布を体に巻きつけた黒人の男性がいた。そしてその黒人の頭上にはメリッサ同様、頭上に名前が載っている。
「あなたは・・・神様?」
そのメリッサの言葉に、白い服の黒人は自分の頭上を見る。そしてメリッサのほうを向いて自分の名前を指さす。
「よく見てみたほうがいい。ネットスラングだ。」
そう言われてよくよく見てみると、その黒人の頭上には『ネ申』と書かれていた。黒人はもう一度自分の頭上を見て、自分に付けられた名前を読んでみる。
「ねしん?かな?」
黒人の言うその言葉に、メリッサは一気に脱力し、その場にへたり込んだ。
「神様じゃないのね・・・。」
メリッサはうなだれ、肩を落とした。この黒人の名前を見た時、本当に神様が救いに来たと喜んだが、それもぬか喜びでしなかった。
「それにしても、この世界は『アカシックレコード』の真似のわりには現代的でよく出来た作りだね。あの蔵書もここみたいに管理したら楽なのにな。」
「アカシック・・・レコード・・・?」
ネ申の男の言葉をメリッサはオウム返しする。ネ申はどうやらその言葉の意味をメリッサが知らない事に気がついた。
「そうか、この世界を作る時に教えて貰わなかったのか。」
ネ申は呆れたようにため息をつく。メリッサはその言葉に何か重要な意味があるのかと思い、よたよたと鉄格子までたどり着くと、鉄格子を掴みながら鉄格子の外に居るネ申に必死に尋ねた。
「なんですか?そのアカシックレコードって?!」
もしかしたら、それでリータが帰ってくるかもしれないと思い、メリッサは鉄格子にしがみつきながら必死の形相でネ申を見つめる。だがネ申はそのメリッサの視線から目を逸らすように高炉を眺めた。
「ただの記録の場所だ。ここもその記録の場所を模して作った偽物の世界さ。」
その言葉を聞いて、メリッサはあの男とこの世界を作った時のことを思い出した。
『場所はある。好きなように作ればいい。』
あの男はまるでメリッサと共に、箱庭を造る要領でこの世界を造った。
そして、男からこの世界を作る意味の全てを教えてもらった。子供たちの魂を男のエネルギー源にするだけではなく、ヴァチカンのエクソシストたちを近寄らせない為の結界の役割、そしていずれ訪れる戦争のことなど。
男はメリッサに全てを話し、メリッサには嘘はつかなかった。だた一つを除いて。
「名のない悪魔にしては上出来としかいいようがないな。」
ネ申は今度は感嘆のため息をつく。そう、メリッサは分かっていた。男には名前がなく、自分を『悪魔』だとは言わなかった。それはメリッサの気持ちを知ってか、それとも何か別の理由があってのことかは分からなかったが、それが男の唯一の嘘だった。
「君はもう彼が居ないことを知ってるか?君を散々邪魔した奴に封印されてしまったよ。」
ネ申の言葉にメリッサは驚いた。だが、これで通常チャットしかできなかったこの地下でも全てのチャットが急に使えるようになったことや、男からまったく連絡がなかったことも納得できた。そして男の死を知り、鉄格子に頭を擦り付けてメリッサは再び泣いた。
リータに対してとはまた違う涙だった。リータが希望なら、男はメリッサにとっての最愛の人だった。
メリッサは鉄格子に寄りかかったまま、膝をつき、座り込んで男の死を悲しんだ。メリッサの胸に、男との思いが去来する。男はメリッサの苦しみを優しく溶かし、最後まで口吻すらしなかった。
男を裏切ってしまったものの、いざ男の死を目の当たりにすると、もうあの優しい眼差しや優しく強く抱きしめてくれる腕も胸も無くなってしまったことが、切なく、苦しかった。
さめざめと泣くメリッサを横目に、ネ申は高炉へ向かい、高炉の南京錠をヘアピンでこじ開けた。
「だめ、開けないで!」
メリッサはネ申が高炉を開けようとしていることに気が付き、再び立ち上がって鉄格子を掴みながら大声で叫ぶ。
「私は君を救いに来たわけじゃない。ここへ閉じ込められて天国へ行けなくなったエクソシスト達の魂を救済に来た。」
ネ申はそう言って、高炉の扉を開きながら、高炉の扉と共に高炉の横へ後退った。悲鳴にも似た音を立てながら錆びた高炉の扉は開き、轟々と音を立てて灼熱の火柱が上がる。その火柱に厳かな白い光が差し込み、炎の一つ一つが光りに包まれ、炎は消えて穏やかな顔の人の姿になって消えて行った。
やがて高炉は灰ひとつ残さず空っぽになった。ネ申は高炉の中を確認すると扉を閉じた。
この高炉は、日本に居たエクソシスト達の魂を閉じ込め、擬似地獄として灼熱の炎の中に彼らの魂を閉じ込めていたのだ。
「どうして・・・あなたは神なのに残酷なことをするの・・・?」
何もかも奪われ、メリッサは力なくネ申に問いかける。
「神は試練を与え、試練を乗り越えたものに天国への扉を開く。悪魔は甘い言葉で誘惑し、その魂を地獄で弄び貪り食う。簡単に言えば、先に楽をするか、後で楽をするかの違いかな?あまり簡単に言ってはいけないことだけど。」
ネ申はさらりとそう言った。メリッサはあまりにも拍子抜けして呆然としていた。
「特にキリスト教の神は、信じない者以外は皆地獄行きさ。君が思うより心がせまいよ。それに布教という名のもとに植民地支配をしてきた・・・。信仰とは何なんだろうね。」
ネ申は神らしくない言葉を投げかける。そしてメリッサはただ呆然としてネ申を見つめる。
そして、ネ申はメリッサに背を向けた。
「君を救うつもりはない。だが助言はあげよう。君はもういい大人だ。現実を受け止め、皆と共に罪を償いなさい。そして、この世界は君と悪魔が作り出したものだ。本当に、今、君はそこに閉じ込められているのか?大人なら、自分の責任は自分でどうにかしなさい。」
そう言ってネ申は消えた。
真っ暗な地下の牢屋の中で、メリッサはぼんやりと鉄格子を見つめる。
―病院に閉じ込められているほうが、どこかにずっと閉じこもって居る方が、居心地がいい・・・。でも・・・。
メリッサは静かに立ち上がり、鉄格子へ向かった。そして、メリッサは鉄格子をすり抜け、鉄格子の外へ出た。




