43/日常
巨悪は倒されました。しかし問題はまだまだ山積みです。
「おいおい、マジかよ?!」
珍しくその日自宅で目を覚ました岩見は、テレビを付けて何度もチャンネルを変える。
どの局も『藤枝総理、急死』の訃報を流している。死因は心筋梗塞で、眠ったように死んでいたという報道がなされている。インタビューに応じる政治家たちも『誠に遺憾です。お悔み申し上げます。』と似たような事を言っている。そして、街頭では早すぎる死を惜しむ声が絶えなかった。
テレビを見ながら、岩見は街頭インタビューの人々とは反対に、肩を落として安堵のため息をついた。
―これで、終わったんだな・・・。
イトマキの言葉を信じるなら、『悪魔はいなくなった』とでも言うことなのだろう。
岩見は妻と一緒に朝食を摂り、数年ぶりの穏やかな朝を取り戻した。
出勤前、伏せられていた仏壇の遺影は立て直されており、昨日買った花の半分を仏壇に飾って、夫婦二人で幼い娘の遺影に手を合わせた。
それから、妻は岩見を見送りに一緒に玄関へ出た。
ふいに、妻の未来は岩見の胸の中に抱かれた。
「ごめんな・・・。情けない男で・・・。」
岩見が未来を抱きしめながらそう言うと、未来は岩見の背中に無言で手を回し、嬉しそうに頬を寄せる。
「いいのよ・・・。帰ってきてくれて、受け入れてくれてありがとう。」
そう言って未来は静かに感涙しながら岩見の胸に顔を埋めた。
しばらく二人はそのまま抱き合い、静かにどちらからともなく体をゆっくりと離して見つめ合い、4年ぶりに二人は玄関先で互いの唇を重ねあわせた。
「ふふ・・・。なんだか、恥ずかしいね。」
未来は初めてキスした少女のように顔を赤くして笑顔で恥じらった。岩見もそっぽを向いて、体を少し前かがみにして恥ずかしさをごまかしていた。
「そ、それじゃ、行ってくる。」
岩見は若干ぎこちない様子で妻にそう言うと、玄関を開けた。
「行ってらっしゃい。」
未来は嬉しそうにその岩見の背中を見送った。
やがて岩見は京帝大学病院に到着し、いつもの服に着替えたあと、自分のロッカーに沢山貼り付けていたテーマパークでの写真を丁寧に片づけ、紙封筒の中に大切そうに仕舞った。そして、朝のミーティングに出席した。
昨日の三沢少年の回復の件と、現在の患者の状況の説明がなされたあと、真駒が目の笑っていないにこやかな顔で岩見を見る。
「岩見先生、昨日は52度の熱の中、戻ってきてくだってありがとうございます。」
「いや、あれはうちの体温計がですね・・・。」
真駒は改めて岩見に皮肉を言い、ポケットから細長い綿棒を取り出す。それはインフルエンザの検査で鼻の粘膜を掻き取る、耳鼻専用の綿棒だった。
「いや、もしかして新種の病気かもしれない。だから、私が自ら君の鼻の粘膜という粘膜を採取してあげましょう。」
「いやいや勘弁してくださいよ、鼻血がでるじゃないですか。」
岩見はその真駒の恐ろしい仕返しに顔を真っ青にし、周りのメンバーは皆笑っていた。
「もう本当に、いろいろすいませんでした。すいませんでしたついでなんですけど・・・」
岩見は後頭部を掻きながらぎこちない笑顔で謝る。
「これから、しばらく、毎月この日は午前中、半休を頂けませんか?これから毎月、娘の月命日に妻と一緒に墓参りをしてきます。どうか、ご迷惑をお掛けしますがよろしくお願いします。」
岩見が珍しく真剣な面持ちで頭を深く下げる。その言動に、皆が一斉に驚いた。
「おいおい、岩見、お前やっぱり熱があるんじゃねぇのか?」
島松を含め、頑なに娘の死を受け入れなかった岩見があっさりとその事を受け入れている様子に、皆が動揺していた。イトマキひとりだけはにこやかに岩見を見守っている。
「もちろん、仕事も休んだ分こなします。ですから、これからも、この病棟で働かせてください!」
顔を上げて真剣な表情の岩見を見て、子を持つ看護師の女性たちは感涙していた。
真駒はペン回しの要領で綿棒を手持ちぶたさにくるくると回している。
「そうですか。ぜひこれからも頑張ってください。」
そう岩見に言い、ポケットに綿棒を仕舞った。
朝のミーティング終了後、岩見はほっと大きなため息をついた。そして、まだ手術まで時間があるため、岩見は休憩室へ出向いた。
そこには待ってましたとばかりにイトマキと豊平がニヤニヤして岩見を見ていた。
「なんだよお前ら、揃いも揃って気持ち悪い顔しやがって。」
岩見が二人にそう言って背を向けながらコーヒーを淹れている間、イトマキと豊平は、岩見先生の口の悪さは相変わらずですねと小声で会話していた。
岩見はコーヒーを持っていつものようにソファーに腰掛けて足を組んでコーヒーを飲んでいる。その間、イトマキと豊平はまだコソコソ話を続けている。その光景に、岩見の悪い癖が騒ぐ。片方の眉尻を上げながら、イトマキと豊平を観察する。そして二人もわざと岩見に気がついて欲しいかのようにチラチラと岩見を盗み見る。
「なんか用があるなら、さっさと言えよ。」
岩見が語尾を強調して言うと、イトマキと豊平は岩見に向かって背筋をシャンと伸ばして向き合った。
「あの・・・実は・・・。」
話を切り出したのはイトマキだった。
どうやら三沢少年の言葉にどうしてもイトマキは気になっているらしい。岩見も昨日は三沢少年が目を覚ました時の録画映像を会議室で見ているため、概要は分かっている。
「4312号室に居た患者のことか・・・。」
「はい・・・。」
岩見もイトマキも豊平も、三沢少年のあの発言が気になっていた。どうして中島遥香の名前や病室まで知っているのか、そして、なぜ中島遥香が父親にイジメられていると言ったのか・・・。
昔から中島遥香と交流があったのか、なぜ病室を知っているのか、その事をイトマキは聞きたかったが、まだ三沢少年は目が覚めたばかりということもあって昨日は詳しく話せずじまいだった。
「あの中島って患者の親父さんは有名な建築家なんだろ?しかも、すげー人が良さそうに見えるんだけどなぁ。」
「しかもボランティア事業にも積極的に参加してるみたいですね。」
岩見は中島の父親の仕事内容と人当たりの良さ、豊平は中島がボランティアで手がけた福祉施設の設計の話についてタブレット端末で調べていた。
その二人の様子を見ながら、イトマキは苦い顔をして、下唇を突き出していた。
「あの中島さんのお父さん、やっぱり何かあると思うんです・・・。」
まだイトマキは昨日の会議での発言が通らなかったことを不満に思っていた。昨日の会議で、イトマキは中島遥香の父親には問題があると指摘したものの、真駒に会議の内容が違うと言われてまったく聞く耳を持たれなかった。イトマキにとってせっかくのチャンスではあったのに、そのチャンスを逃してしまったことが相当に悔しかったようだ。
「なんか根拠あんのか?」
岩見が不満そうにするイトマキに挑発するように質問する。イトマキはようやく待ってましたとばかりに、中島遥香の父親の不審な行動の数々を相談した。
「もし三沢くんが明確な証言や証拠を持っていれば、きっとわかると思うんです。」
「DVか。だがなぁ・・・、真駒先生はそういう厄介事は絶対に協力しないだろうなぁ・・・。」
岩見は刑事や民事に関わるような厄介事は、真駒だけでなくてもどこでもあまり医療関係者は協力的ではないのが常だと知っている。
「そう言う家庭の事は家庭で解決する。そういうもんだ・・・。」
岩見はそう言いながらコーヒーをすする。だが岩見も愛娘が居た分、本心では中島遥香の父親が許せなかった。
「おい、伊東大先生。」
しわがれた野太い声に、三人は思わず休憩室の入り口を見る。そこには不機嫌そのものの島松が居た。
「は、はい、なんでしょう。」
イトマキは慌ててソファーから立ち上がる。
「三沢クンがお前をご指名だ。ケッ、これだから年頃のガキは嫌いなんだよ。」
女医が居るからって色気づきやがって、などとブツブツ独り言を言いながら島松は休憩室を去っていった。
「ご指名おめでとう。」
岩見はイトマキに拍手を送った。
「ありがとうございます。」
イトマキはようやく三沢少年と話せるチャンスを貰えて嬉しさ余って照れていた。
「ちゃんとムケてるかどうかも聞いてこいよ。」
「岩見先生!セクハラです!」
岩見のセクハラ発言に、イトマキは顔を真赤にして休憩室から出て行った。
「ウブな奴だなぁ。」
「岩見先生にデリカシーがないだけですよぉ。」
去っていくイトマキの小さな背中を見ながら岩見はからかった。
豊平に指摘されながらも、微かに、しかし静かに大きく変わっていく日常を思い、岩見は目をつぶって嬉しそうにコーヒーを飲み干した。
岩見は『未来(みらい/みく)』を取り戻しました。
岩見が玄関先で前かがみになったり若干ぎこちなかったのは、察してください。(感動台なし)
とはいえ、岩見の性格は今日も通常運行でした。




