タルタロス50階
タルタロス50階の広間は、篝火が壁に添って均等に並んでいる。
メリッサが立っている深紅の絨毯は玉座まで続いている。
そして、玉座には真っ白なワンピースを着た女が座っている。玉座には不釣り合いな、30代くらいのゆるくウェーブした長い髪の女性が、糸が切れた人形のように目を見開いたまま力なく座っている。
メリッサは玉座ではなく、玉座に続く階段に座る男の元へゆっくりと歩いていった。
男は階段に座り、足を組んで頬杖をついている。穏やかな顔でメリッサを待っていた。
やがてメリッサは階段近くに到着すると、杖を置いて跪いて俯いた。
「顔を上げなさい。」
男の言葉に、メリッサはおずおずと顔を上げる。
メリッサの目の前にいる男は、漆黒の痩身のスーツを身に纏い、肌は白磁のように白い。豊かな髪をオールバックにしている。
「あのっ!」
「分かっている。辛い思いをさせて悪かったね。」
メリッサが、連絡がないこと、外部の人間に対して敵意をむき出しにしてつい許可なくこの世界のことを話してしまったことについて尋ねようとしたが、男はそれを遮った。
男はゆっくりと立ち上がり、階段を降りた。
「さぁ、おいで。」
そう言って男は両腕を広げた、メリッサは無言で男の胸に飛び込み、激しく泣きながらきつく男を抱きしめた。そして何度もその胸に頬ずりをする。まるで無垢な子供のようだった。
「何も言わなくてすまなかった。私はメリッサを信じていたからこそ、あえて何も言わなかったんだ。許してくれ・・・。そして、よくやってくれた。」
男は真っ白く細い指でメリッサの髪を優しく撫でる。
「今日はご褒美に膝枕をしてあげよう。」
「ほ、本当ですか?!」
メリッサは顔を上げ、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにさせながらも、目を輝かせていた。
「うん、本当だとも。私が嘘をついたことなどあったかい?」
メリッサはその問いかけに首を振る。男は満足気に頷いてメリッサから離れると、階段の一番下へ座った。そしてメリッサははにかみながら男の元へ跪き、上半身を傾けて男の膝に自分の頭を預けた。
まるでメリッサは幼い子供のように安らかな表情で満足そうにしている。しばらく二人はそのままの状態を続ける。
「あの・・・。」
メリッサは膝枕されながら男に問いかける。
「雷が落ちてから狩りをサボる子が増えたのですが、何があったんですか?」
男はしばらく黙ってメリッサの肩に手のひらを乗せて、子供をあやすように優しいリズムで撫でるように叩いた。
「大丈夫だ。心配することはない。」
「本当ですか?」
「ああ、本当だとも。ここは私とお前で作った世界なんだ。誰にも邪魔はさせないよ。」
その男の言葉に、さらにメリッサの力が抜けて安心しきっていた。メリッサはこの男に全幅の信頼を寄せている。
「それから、お前が気にしていた伝書鳩は、無事に役目を果たしてくれた。ありがとう。」
「はい・・・。」
メリッサの頬から温かい涙がゆっくりと流れる。男の冷たい手が、優しくメリッサの涙を拭った。
「お前は私にとって特別な存在だ。そう、とっても・・・。」
男はいつの間にか穏やかに寝息を立てるメリッサに暖かな声でポツリと呟いた。
そして次の日、ギルド長兼GM達が50階に集められた。その中にはジオサイドと共にボスを倒した牙王も居た。彼もまた、首元に翼のような戦士用の文様が入っており、その両翼の中央には片目の文様が入っている。皆それぞれ、どこかにメリッサや牙王のように、必ず片目の文様が入っている。
広間の中で大勢のGM達が玉座に跪いて頭を垂れている。GM達の先頭にはメリッサがいた。
そして玉座の階段の中央には、スーツを着た男が立っている。
「皆、表を上げろ。」
男の声で一斉にGM達が顔を上げる。その面持ちは真剣そのものだった。
「先のイレギュラーや雷や狩りをしないものが増えた件に関して、疑問に思っているものもいるだろう。だが君たちGMにはまた知らせるには時期尚早と思い、私も時間が欲しかったのだ。」
男の声が広間中に響く。その声を音楽を聴くように恍惚としている者もいた。
「これは、全ては外の世界の連中達にしばしの甘い夢を見せるためだ。」
その言葉に部屋中のGM達がどよめく。そのどよめきが鎮まるまで男はしばし黙った。
「外の世界もゲームと同じだ。辛いことばかりでは人は飽きて投げ出してしまう。もしこのままの状況を続ければ、外の世界の連中は彼らを見捨ててしまうかもしれない。そうなると、いずれこの世界を維持できなくなる。」
GM達は男の言葉に青ざめる。
「そこでだ。今、疲弊しきった外の連中に少しばかりの夢を見させてやろう。」
「その夢とはなんでしょうか?」
男に一番近いメリッサが問いかける。男は穏やかな声で答えた。
「敵対心や暴力性の少ない者を、件のイレギュラーのようにログアウト・切断させる。」
その答えにGM達は戸惑い、どよめく。
「心配はするな。ちゃんと数は調整して指示を送る。もちろん彼らを目覚めさせる時はここの記憶を一切抹消しろ。彼らが目覚めれば、外の連中は自分たちが目覚めさせたと勘違いして、またせっせと我々の為に働いてくれるだろう。どうだ?憎くて汚い大人たちが勘違いして我々に騙されるところを想像してごらん?楽しいだろう?嬉しいだろう?」
男の計画に、GM達は立ち上がってその計画に歓喜の雄叫びを上げた。それは広間の空気が激しく震えるほどに響き渡る。
メリッサはただ静かに男を見つめながら満足気に微笑んでいた。
高揚するGM達を男は高みから眺めて満足そうな笑みを浮かべる。そして、玉座のほうを振り返って冷たく邪な笑みを浮かべながらつぶやいた。
玉座に座る女は目を見開いたまま微動だにしていない。
「そう、ここにもあちらにも『希望』は必要だからな。」




