43/想い人
4303室のPUCSの少年が衰弱で亡くなった。
PUCSのもう一つの特徴として、重度になると体力の消耗が激しくなり、通常の昏睡状態の患者よりもかなりの早さで衰弱し、亡くなることがあげられる。
また病室のベッドが一つ空き、空き待ちだった患者が入っていく。
PUCSプロジェクトのメンバーのいつもの日常だった。
病室は、いつも親や保護者のすすり泣く声や、両親の喧嘩の怒号だけで、子供の賑やかな声など一切聞こえてこない。
PUCSの患者の目を覚ます方法はあるが、その後自殺するか精神病院に入院するはめになる。それとも起こさないまま衰弱死させるか。
一時期医学会ではこの点についてのQOL(クオリティー・オブ・ライフ。生きることの質)が争点となり、現在は患者を衰弱死させることで落ち着いている。
それに、普通の昏睡状態の患者の場合は長く入院していると病院の病床数の関係で、一定期間を過ぎると別の病院へ転院するか、自宅で介護するかのどちらかになる。
それに比べてPUCSの患者達は転院する間もなく衰弱死し、病床数で困ることがない。
今の重度のPUCSへの治療方針が正解なのかどうかは岩見には分かりかねるが、病院としては傷病数で頭を悩ませずに済む点に関しては経営的によかったのだろうかと考えていたこともあった。
岩見は今朝のミーティングで聞いた衰弱死の少年のことを忘れようと、休憩室でテレビを付けた。
そこには目尻の笑いジワにまだ張りのあるスーツ姿の男が映しだされている。
選挙戦で話題となっていた40歳の議員が、とうとう最年少で総理の椅子に座ることとなった。
豊かな髪をオールバックにし、痩身の体に燕尾服をまとい、党員達の中央に立ってにこやかに笑っていた。
そこへ、イトマキがやって来た。テレビに映る総理の顔を見た瞬間、何か嫌そうな顔をした。
「私、この人、なんか苦手なんですよねー・・・・。」
「精神科医なら、まず自分のわけのわからん考えを整理してから言えって言ってんだろ。」
岩見はまるで自宅に居るかのように、長いソファーに寝転びながらくつろぎ、テレビを観ていた。
イトマキはテレビを観るのをやめて新聞を読み始めた。
イトマキの目に止まったのは、総理と同じ党のベテラン議員の突然の死だった。
党内でも発言力のあるベテラン議員であったが、総理の政治方針に反対し、ベテラン議員が党の精鋭数名を連れて党を離党するか否かという時のことだった。死因は心不全。おそらく年のせいであろうということで、事件性はないと結論付けられた。
最年少の総理大臣の誕生と、総理に反対していたベテラン議員の死。
イトマキは何らかの意図があるように思い、寒気を感じた。
イトマキは自分の気持ちを切り替えようと別の話を持ちだした。
「そういえば豊平先生はお昼休みなのにどちらへ?」
そう言うと、その言葉に反応して、岩見が起き上がった。
「あいつは米子ちゃんのところに行ってるよ。」
「よねこ?豊平先生のおばあちゃんですか?」
イトマキの反応に、岩見がニヤニヤとしている。
「お前なんかよりナイスバディで女の色気ムンムンのべっぴんさんのことだよ。」
「ちょっと、それ、セクハラです!」
イトマキは自分の幼児体型と童顔のことを暗に岩見に言われて顔を真っ赤にしていた。しかしふとそのあとあることを思い出す。
「飲み会で豊平先生に岩見先生が『よねちゃん』とか、島松先生が『よねこ』って仰ってたのはその米子さんって方なんですね?米子さんと豊平先生ってどういった御関係ですか?」
岩見はイトマキの察しの良さに改めて感心させられた。何も考えてないようで、意外に鋭いところを突いてくるため、岩見は内心イトマキを恐れていた。
「稲村米子さんは新聞社の記者で、PUCSの親の取材をしてたんだよ。んで、豊平んところによく米子さんが取材に来てた、という関係。豊平は純情だからさー、お世辞でも間に受けちゃってさ、俺はそれが不憫で不憫で」
「今日はその取材の日なんですか?」
イトマキは岩見の話を遮った。岩見は話を遮らえ、ムッとしたが、しばらくしてイトマキの問いに答えた。
「明後日で転院だとさ。」
「え?米子さんって方、入院されてたんですか?」
「ああ。ひき逃げに遭ってここに来たんだが、そん時はかすり傷くらいで特に脳にも何もなかったんだけどな・・・。退院の日にいきなり昏睡状態になってな。しかも豊平の目の前でだぜ。」
話を聞いたイトマキの顔が心なしか青くなっていた。
「それで、豊平先生は健気に米子ちゃんが目を覚ますまで昼休みに一輪の花を添えに行くというね・・・。涙ながらには語れない豊平先生のいじらしくて健気な理由があるんだよ。」
岩見は芝居臭く泣く振りをし、イトマキもその話を納得して聞いていた。
「確かに、病床の関係で転院するのはしょうがないですものね・・・。」
イトマキは寂しそうに呟いた。
医師として、長期入院患者の転院は物理的・経営的にもしょうがないとは分かりながらも、医師としての無力さを感じずにはいられないのはイトマキも岩見も同じだった。
一方、豊平は稲村米子とのあと数日の逢瀬を心に刻みながら、彼女の母親が活けた花瓶の花の中にこっそり自分が持ってきた花を一輪指した。花瓶の横にはいつも彼女が愛用していたエルメスのスカーフがきれいに折りたたまれて置いてあった。
米子は今も眠ったままだった。
豊平はその寝顔を見ながら、いつも取材にきては快活な笑顔で話しかけてくれる米子の在りし日の姿を思い出していた。米子が豊平に話しかけるのはあくまで仕事だからと思っていても、豊平はその笑顔にいつも甘く胸を締め付けられていた。気づけば豊平は米子に恋心を抱いていた。
そして、この病院で米子が目を覚ました時は振られるのは分かっていてもどうしても告白がしたいと豊平は願っていた。美しく聡明なこの女性を愛せたことを、振られても感謝したい思いで、豊平の胸はいつもいっぱいになっていた。
しかし、現実は米子は眠ったままで、豊平はその眠れる姫に口付けすらできない臆病者だった。
たった一輪、願掛けに花を添えるのが精一杯だった。
そして願いかなわず、米子は数日後に転院することになった。
豊平は米子が昏睡状態に陥る前に、米子から渡されたUSBを白衣の中で握りしめた。
その時、豊平と同期の医師がやってきた。その様子は毎日米子を見舞う豊平を冷やかすものではなく、何か切羽詰まったような様子だった。
「よかった・・・。豊平まだ居てくれたのか。」
「ま、まだ居てくれたのかって・・・。」
豊平は同期の医師にそう言われ、同期にも自分が毎日米子を見舞っているを知られて居ることがとても恥ずかしくなって顔を真赤にして恥ずかしそうにしていた。
「いや、実はさ、稲村さんの病状がどうもおかしいんだよ。」
「おかしいって?」
豊平が首をかしげると、同期の医師は今までの脳波のデータと体調の記録を手持ちのA4タイプのタブレット端末で豊平に見せた。
豊平はその情報を見て、目を丸くし、額に汗が伝っていた。
「重度のPUCSと似てると思わないか?」
同期の医師に言われ、豊平はデータを見ながら頷くしかなかった。
「俺、稲村さんのこと上司に掛けあってくるから、豊平も手伝ってくれ!」
「ど、どういうこと?」
「重度のPUCSの例外として、この病院に引き続き入院してもらえるよう説得するんだよ!」
同期の医師はいつの間にか熱く語っていた。それは豊平の恋を応援するというものではなく、医師として、最後まで自分の手を尽くして治したいという情熱からだった。
豊平も同期の医師の気持ちに賛同し、二人は手分けして双方の科とプロジェクトで米子を引き続き入院する手続きを取れるよう動き始めた。
米子さんは9話目のエルメスのスカーフの人です。
なんで妙に古臭い名前なのかはまた後ほど・・・。




