海の中から月を見る
前々から変人だってことは知っていた。
海ガメの産卵シーンのDVDに食いついている男は、私の先輩で、しかも彼氏だったりする。校内でも変人率が高いことで有名な生物部にもれなく所属していて、生物全般に広く深く詳しい。例えば虫一匹にしたって、特徴から始まり生息地まで把握していて、プラス豆知識まで披露できる始末だ。このように、先輩の生物に対する思い入れようは尋常ではなく、立派にオタクと呼べるレベルにあった。だから、そんな先輩が生き物のDVDに熱中する気持ちは、わからなくもない。海ガメの産卵なんて、高校生が休日に見れる機会なんてDVDくらいしかないと思うし。
「見て下さい、神秘的ですねぇ、由奈さん」
だからと言って先輩のはしゃぎぶりに目を粒ってあげられるほど、私は大人じゃない。折角の日曜日、恋人同士が同じ部屋の中で二人きりでいるのに、肝心の先輩は海ガメばかり見ている。本来なら年上の先輩の方が、付き合い始めたばかりの年下の彼女を気にかける素振りを見せるべきだと、心の底では思っている。
「そうねぇ」
先輩がこんな調子だから、相槌ちの言葉も投げやりになってしまうのも、仕方ないだろう。先輩は私の物言いたげな視線を綺麗にスルーして、拍手喝采しかねない勢いで夢中でテレビの中の海ガメにラブコールを送っている。
「はわぁぁ…興奮しますねぇ」
「興奮はさておき、お母さん亀の涙は、綺麗ね」
私が無難で当たり障りのない…でも正直に心から思った感想を述べると、先輩の視線が、漸くテレビから私に移った。しかも満面の笑顔付きだ。
「ですよね!!とても尊い物だと、僕も思います!!」
「…う///」
どうやら熱の籠もらない私の感想でも、先輩を喜ばせることができたらしい。
困ったことに、いくら存在をないがしろにされようが、私は先輩の生物好きなところを嫌いになれなかった。むしろ生物について饒舌に語る時の顔を可愛いと思ってしまうし、図書館で生物の分厚い本を真剣に読みふける横顔も、なかなか凛々しくて好きだった。年下の私に敬語口調で話さなくてもと思うけれど、無理に直してと言う気もなかった。好きになったのも告白したのも私の方からということもあり、惚れた弱味で基本的に私は先輩に甘かった。
それでも、今は曲がりなりにもデート中だ。折角部屋に二人きりでいるのに、『海ガメ←先輩←私』のまるですれ違い三角関係のような構図に納得がいかないことは確かだった。相手にされなくて悔しいなら帰ればいいのに、私にはそれができない。一緒にいたいと思ってしまう。そして出来るなら、私の事をもう少し見て欲しいと思う。私ばかり先輩を好きみたいで悔しくて、こんな質問を投げかけてしまった。
「ねぇ」
「はい?」
「…私と一緒にいても、興奮しないの?」
先輩の目を探るようにして見つめた。けれど、先輩は全く動揺せず、それどころかさらりと言ってのけた。
「やだなぁ。興奮の種類が違いますよ」
固まった空気の中で平常運転しているのは、今のところ目の前の先輩だけだった。
「…そうなの」
「はいっ」
全力で頷いてみせた先輩は、自分の発言の大胆さに漸く気付いたようだ。海ガメに夢中で反応が遅れたのか、それとも天然なのか。どちらにしても恥ずかしいことには変わりない。
「…って、何を言わせるんですか、由奈さん!」
「…知らない。先輩が勝手に言ったんでしょ…」
「そ…うですけど」
産卵シーンを見ながらラブシーンに突入する気は更々ない。驚くことに、リモコンへ手を伸ばしたのは、私だけではなかった。