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猿と放浪(モンキー・ビジネス)

1. 鬼熊の課題


「選手だと?お前さんのディスコに集まるのは、『華やかな光』に釣られた『負け犬』だけだ」

「KUMAGYM」のリングサイドで、鬼熊豪は達也に向かって泥の混じった水を吐き捨てた。

触覚: 達也の顔には、鬼熊が吐き出した水飛沫がわずかにかかり、土気色の冷たさを感じさせた。彼は無言で袖で拭う。

「俺が欲しいのは、復讐の炎をくすぶらせている本物だ。だが、そんな奴は表に出てこねぇ。お前さんの審美眼で、『光』と『泥』の交差点にいる人間を見つけてこい」

鬼熊はそう言って、錆びついた鉄の重りを床に置いた。その金属の重い音が、達也の胸に、課題の難しさを響かせた。

達也は、この一週間、鬼熊の命令で場末のジムや地下の格闘技サークルを訪ね歩いたが、収穫はなかった。彼の着ているスーツは、もうすっかり埃と汗にまみれて、以前の輝きを完全に失っていた。

(アートなら、その線、その色で価値がわかる。だが、人間の肉体と魂の価値は、どこで測るんだ?)

彼は途方に暮れ、渋谷のスクランブル交差点近くの、古びたゲームセンターの薄暗い一角に座り込んでいた。

巨大なモニターには、神楽岳の興行の宣伝映像が流れている。画面の中で、プロボクサーたちは完璧な肉体と整えられた笑顔で観客に手を振っている。達也の目には、その全てが『偽物』に見えた。

「ああ、また贋作の光だ。俺が欲しいのは、この光に唾を吐きかけるような、本物の泥なのに」

達也は、イライラしながら、ポケットに手を突っ込んだ。彼は、銀製のライターの冷たい感触を、指先で確かめた。


2. 肩の上の目撃者


その時、彼の隣に、一人の女性が座った。

新キャラクター登場:雨宮あまみや れい

彼女は、電子音の洪水のようなゲームセンターの中で、極めて静かに、達也の隣に座った。達也は、彼女がそこに座ったことすら、衣服の微かな擦れる音で初めて気づいたほどだった。

彼女の風貌は、非常に異様だった。髪は短い刈り上げで、目の周りには濃いアイシャドウ。服装は、作業服のような無骨なオーバーオールだが、その布の質感には、質の良い麻が使われているのが、達也の審美眼にはわかった。

そして、何よりも目を引いたのは、彼女の右肩の上だった。

彼女の肩の上には、小さな小型の猿が乗っていた。猿は、彼女の黒い髪の色とほぼ同じ濃い茶色の毛並みを持ち、小さな手で彼女の襟首を掴んでいる。猿は、達也の顔を、まるで鑑定士のように、好奇心に満ちた、しかし冷めた眼差しで見つめていた。

「お兄さん、悩んでいるね。『負け犬』を探している顔だ」

麗は、まるで電子音に紛れるかのような低い声で言った。

「その猿は…」達也は思わず言葉を失った。

「ああ、こいつは『ワイズ』。私のビジネスパートナーよ」

麗の仕事は、「都市の裏側で、動物の生態を研究し、人間の心理を分析する」ことだった。

「私の仕事は、『猿の放浪』。都会で生きる猿の行動範囲を追うことで、裏社会の『流れ』や人間の『欲の経路』を予測する。猿は金や美に興味がない。だから、真実の価値のルートを知っている」

達也の審美眼は、彼女の言葉の裏に、過去の贋作アートの裏取引のような、冷酷な論理があることを察知した。彼女は、明日香とは違うベクトルで、「真実の価値」を測る人間だ。

「あなたが探しているのは、『最も低い場所の価値』でしょう?それは、光を憎み、泥に安住している男よ」


3. 光を憎む瞳


麗は、ワイズをそっと撫でた。ワイズは、達也のスーツの汚れた襟を指さし、「キーキー」と鳴いた。

「ワイズが言ってる。『この男は、もうすぐ汚い泥の中へ落ちるが、まだ高慢な香りが残っている』って。…あなたは、光の世界の人よ。泥の価値は、光を憎む者にしか見抜けない」

達「光を憎む者…?」

麗「この街で、最も光を憎んでいるのは、闇に生きる人間じゃない。光に裏切られた人間よ」

麗はそう言って、達也を連れて、ゲームセンターを出た。彼女は、達也を古びた地下の格闘技サークルのビルの前へ連れて行った。

ビルの壁には、落書きのような派手なポスターが貼られていた。ポスターには、血にまみれた顔で吠える男の写真の下に、「THE GLORY KILLER」という文字。

「この男よ。元プロボクサー、神代かみよ しゅん。彼は、八年前、神楽岳がプロデュースした新人王戦で、不正な薬物使用の濡れ衣を着せられ、すべてを失った。彼は、今、この地下で、闇試合の死神になっている」

「神楽岳が…?」達也は、ライバルとなるはずの男の名前を聞き、胃の腑がねじれるような感覚を覚えた。

「彼は、光(神楽)に人生を奪われた。だから、光そのものを憎んでいる。彼こそ、あなたの『SKRIMM』に必要な、最も価値のある『負け犬』よ」

達也の瞳が、再び熱を帯び始めた。神代瞬。彼をスカウトすることは、鬼熊の課題をクリアするだけでなく、神楽岳への復讐という、達也自身の『真実の欲望』と直結する。


4. 闇と光の対価


麗は、達也の手に、小さなメモを握らせた。そこには、神代瞬が「闇試合」に出る、秘密の場所と時間が書かれていた。

触覚: メモの紙の荒い質感が、彼の手に、裏社会の冷酷さを伝えた。

「神代は、光を餌にして、金しか受け取らない。彼を連れて行くには、『闇の世界で通用する価値』が必要よ」

麗は、最後に、達也の銀製のライターに目線を向けた。

「そのライター。あなたが大事にしている『信念の光』とやらは、闇では何の価値も持たない。彼を連れ出すには、あなたの最も大事なものを差し出す覚悟が必要よ」

彼女はそう言うと、肩の上のワイズと共に、人混みの中へ静かに消えていった。達也は、ライターの冷たさをポケット越しに感じながら、闇試合の行われる場所へ向かう決意を固めた。

一ヶ月の期限、鬼熊の期待、明日香との契約、そして神楽への復讐。すべての重圧が、達也を「SKRIMM」という名の、新しい地獄へと駆り立てていた。


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