8話
「……はぁ」
「ルアナ嬢? どうかされましたか?」
「あ、いえ! なんでもありません」
キースと喧嘩して彼を屋敷から追い出した日から早数日。
今日は仮面舞踏会当日である。
久しぶりに遠目からとはいえゆっくりと絵画を鑑賞できるというのに、キースのことが頭をちらついて気になって仕方がない。
今までキースと何度も喧嘩をしたことがあるが大抵2、3日でお互いケロッとした顔で屋敷を行き来していた。
しかし今回は間が悪かったようでキースは仕事が忙しいらしく、私の方も溜まりに溜まった用事の数々が襲いかかってきたため2週間の間一度も会えていない。
ここまで時間が空いてしまうことはなかなかないので、ずっと気にかかってしまう状態である。
「本当にお綺麗ですね、ルアナ嬢」
「……ありがとうございます。このドレスは母が選んだものなんです」
今夜の水色のドレスは、アランと仮面舞踏会に行くと知ったお母様が急ピッチで仕立てさせたものである。もともと前から仕立て屋に頼んでいたものとはいえ、本来の完成の一ヶ月も前に完成させることになってしまい、仕立て屋の方々には本当に申し訳ないと思っている。
そんな仕立て屋の方々の努力の結晶であるドレスを褒められたのだと思って、アランにそんな言葉を返すと、アランは少し困ったように笑った。
「ドレスも確かにとても美しいですが、僕が美しいと言ったのはルアナ嬢自身のことですよ。月の女神かと思うほどお綺麗です」
「え……あぁ、その、ありがとうございます。アラン様もとても素敵ですよ」
アランの言葉はまさかの私に向けたものだったらしい。
仮面舞踏会に向かう2人きりの馬車の中で恥ずかしげもなくそんなふうに言えるアランは流石貴族令息といったところだろうか。
前世はゴリゴリに普通の中流家庭に生まれた私からすると、とてつもなく慣れないことである。淑女スマイルでなんとか返事をするが、少々ぎこちないものになってしまった。
確かに今夜の私の装いはかなり気合が入っている。だがここで強調したいのは、決して私が気合を入れたわけではないということだ。
今朝だって舞踏会に行くまではゆったり読書でもしていようかと思っていたのに、お母様専属の侍女が突然部屋に襲来し、昼前から舞踏会に向けた準備をさせられた。
そんなお母様の暴挙の甲斐があり、今夜の私はまぁまぁな出来に仕上がった。
どうせアランとはすぐに別行動になるのだし、別にアランのことを狙っているわけでもないのだからそこまでする必要性はないと思ったのだが、お母様の気迫に負けた。
「……着きましたね」
「えぇ。やっぱりすごい規模ですね、今夜は」
馬車の窓の外から覗くヴァーヴァル伯爵家はアランの言う通りとてもきらびやかに装飾されていた。
屋敷の目の前で止まった馬車からアランが降り、私もそれに続こうとするが突然横からそっと手を差し出される。
なんだろうと思って横を見ると先に降りたアランが馬車の外からこちらに手を差し出していた。
「……あぁ!」
アランがエスコートをしようとしてくれていることにやっと気付いた私は思わず小さく声を出した後、エスコート慣れしていない気恥ずかしさを顔に出さないように気をつけて、私は彼の手に自分の手をのせた。
馬車から降りてアランとともに会場へ向かう階段をのぼる。
会場の入口の側に立つ燕尾服を着た男性にアランが何かを小さく呟くと、男性は手元のリストらしきものにさっと目を通し軽く頷く。
「素晴らしい夜をお過ごしくださいませ」
男性が深々とお辞儀をしながらそう言うと、入口の両端に立っている二人の衛兵が重厚な扉をゆっくりと開いた。
「……本当に大規模ですね……王家主催の夜会みたいだ」
「えぇ……」
会場に入ったアランが思わずといったふうに感嘆の声を出し、私もそれに続く。
ヴァーヴァル伯爵家は最近羽振りが良いと聞いていたが、ここまでとは思わなかった。大きな会場の天井にはきらびやかなシャンデリアがあり、その下で既に何組かがワルツを踊っている。
ワインやジュースなどの飲み物はもちろん、会場の端に並んだテーブルの上に置かれている食べ物も見たところ一級品のようだ。
「一曲だけ踊りませんか?」
「えぇ、よろこんで」
ちょうど演奏されている曲が終わったところでアランからそう誘われたので、アランの手を取り会場の中央に向かう。目的は異なるが一応は舞踏会なので踊っていたほうがいいだろう。
数ある淑女教育の中でダンスは得意なほうだったため、アランの足を踏むことはないと思う。踏んだりしたらお母様になんて言われることやら。
「お上手ですね」
「アラン様のリードのおかげですよ」
「まさか……妹にリードが下手だとよく言われます」
「まぁ……妹さんと仲が良いのですね」
「悪くはないです……ルアナ嬢はエルヴァレイン小公爵と踊ることはないんですか?」
「お兄様とはあまりないですね」
踊りながらアランとそんな会話をする。
そういえば見合いのときに年が近い妹がいると言っていた。私とお兄様なんて夜会で踊ることは絶対にない。お兄様が全くもって踊れないからだ。お兄様は他のことは完璧にできるのに、ダンスだけは千鳥足になる。正直なところダンスをしているお兄様はとてもカッコ悪いので、あまり公の場で踊らないほうが良いと思う。
「確かにルアナ嬢は王家の夜会ではいつもガーランド侯爵と踊っていますね」
「……えぇ、幼馴染なものですから」
まさかのキースの話が出てきた。再びキースとの喧嘩を思い出してしまい、気分がズーンと落ち込む。
そういえばキースは結局今日どうしたのだろうか、まぁ多分仮面舞踏会には参加していないだろう。家で仕事をしていそうである。
それにしても、アランがお見合いの前から私のことを知っていたことに少し驚く。おそらく欠席できない王家の夜会の度、美貌ゆえにとてつもなく目立つキースの隣にいるからだろうが。
「……幼馴染だけですか?」
「え?」
「ガーランド侯爵との関係は……幼馴染だけですか?」
先程まで楽しげに話していたアランが真面目な顔をして、私を見ている。
しかし私には彼の質問の意味がよく分からなかった。
「えっと……?」
「すみません、回りくどい言い方をしましたね」
全く意味を理解できていないことが表情に出ていたのだろう。アランは真面目な顔に苦笑を浮かべる。
そして一回黙ったあと、再び真剣な顔になって口を開いた。
「ガーランド侯爵と恋仲ではありませんか?」
「あ、違います」
アランの言葉に対する私の即答に彼は目をパチクリとさせる。
「即答、なんですね」
「本当に違いますから。もし恋仲だったらお見合いなんて受けていません」
今では全く噂になっていないが、キースと私が社交界デビューした当時はこの手の話が多かった。三年ほどとはいえ一つ屋根の下で一緒に暮らしていたのだから、そういうふうに勘ぐられることは仕方がないといえば仕方がない。
緊張した面持ちのご令嬢らが私に噂の正否を確認してくるたびに否定していたのを思い出して、懐かしい気持ちになる。あの時は面倒で面倒で仕方がなかったが。
「そうですか……少しほっとしました」
「え?」
アランの言葉に驚いて顔を上げると、彼はこちらをじっと見つめていた。仮面から覗くその瞳に熱がこもっているように思えるのは、おそらく私の自意識過剰ではない。
「……ガーランド侯爵には叶いませんから」
叶わないと言いつつ、晴れやかに笑うアランになんと返せばよいのかわからなくなる。
「……あ……キースと面識が?」
ようやく私の喉から出てきた言葉は会話の的外れもいいところな言葉だった。
「えぇ、騎士団にガーランド侯爵が訪れていたときに一度だけ……ですがおそらくガーランド侯爵は私のことなど覚えてないと思います」
「そう……ですか」
私の突拍子もない質問にも律儀に返してくれたアランにそんなぎこちない言葉しか返せず、その後も会話が続かず沈黙が続くなか曲が終わり、私はアランと別れた。
お読みいただき、ありがとうございました。




