最終話
ゆったりとしたのどかな空気が流れる午後の街を俺は足早に歩いていた。
せっかくの午後休みの日なので一刻も早く家に帰りたい。
長年の恋心をルアナに告げ、結局最後はルアナに求婚されるという少々不思議な1日からもうすぐで5年ほど経つ。
当初の計画通り俺は3年ほどで従兄弟に当主の座を引き継いだ。
俺自身の個人資産は平民として一生暮らしていくなら十分なほどあったので、このまま隣国で隠居生活を楽しめると思ったのも束の間、ニコニコとした従兄弟に隣国でガーランド家で展開している商売を任された。
さほど大きな商売ではないので当主業をしていたときよりは忙しくないが、それでも平日の朝から夕方は商店で仕事をしなくてはならない。
しかし繁忙期が過ぎたことで、俺の補佐として同じ商店で働いているヴェンから今日はもう帰宅して良いとの言葉が出た。
そうして俺はヴェンの気が変わらないうちにさっさと商店を出て、家に向かって歩いている。
ルアナが気に入ったこの街は海と山に挟まれた小さな街で、街の中心地は商店や露店が並び賑わっているものの、そこから少し離れると静かな住宅街が連なっていた。
そんな住宅街を通り過ぎて5分ほど経った所に、生け垣で囲まれた2階建ての一軒家と小屋のような2つの建物がある。
一軒家の方は俺たちが住んでいて、それと渡り廊下で繋がる小屋はルアナが使用しているアトリエだ。
それらは俺がいつも出勤している商店から歩いて15分ほどの距離にある場所にある。
道は舗装されているし、一応は商店の店主という立ち位置にあるので馬車で出勤・退勤を行うこともできるのだが、「歩いたほうが健康に良いわよ」というルアナの勧めもあり時間のある時は徒歩で行うようにしている。
やっと見えてきた我が家の生け垣に小走りで近づいて門を開くと、庭に生えた木の下に座りながら絵本のページをめくる娘を見つける。
「リア」
「! とうさま、おかえりなさい!」
近づいて声を掛けると、ぱっと顔を上げて舌足らずな口調でリアが言う。
俺譲りの紺色の髪とルアナ譲りの青い瞳をしたリアはニコニコと笑っていて、目に入れても痛くないほど可愛い。
今年3歳になるリアは無類の読書好きで平日はルアナと、休日には俺と本屋に繰り出しては絵本を購入している。
「ただいま、リア。母様はどこにいる?」
「かあさまならルイとアトリエにいるわ!」
「そうか、じゃぁアトリエに行こう。帰りにクッキーを買ってきたんだ」
「クッキー!」
思いがけないお土産に目を輝かせたリアに手を差し伸べると、彼女は小さな手で俺の人差し指と中指をキュッと掴む。
脇に絵本を抱えたリアの小さな歩幅に合わせ、ゆっくりとアトリエの方へ向かう。
できるだけ音を立てないようにアトリエの扉を開くと、アトリエの中でルアナと息子であるルイが並んでそれぞれの絵を描いていた。
リアと双子のルイは母親であるルアナによく似て絵が大好きだ。今も二人してよく似た楽しげな表情をしながら一心不乱に絵筆を進めている。
どうにも二人とも一度集中し始めると周りの物音がシャットダウンされる性質らしく、今二人になにか話しかけても返答はないだろう。
二人の作業が一段落するまで、アトリエに置いてあるベンチにリアとともに腰掛けて待つことにする。
アトリエ内には俺が結婚前にオークションで買い集めた絵とルアナとルイが描いた絵がともに飾られている。もっともルアナとルイが描いた作品は数が多すぎて飾りきれずに積まれているものもあるが。
これはクッキーにありつけるまでまだ時間がかかりそうだと判断したのか、リアは俺の隣で脇に抱えていた絵本を開いて読み始める。
そんなこんなで30分ほど経ったあたりで、ルイがコトッと絵筆を置いた。
どうやら絵が完成したらしく、満足気にニコニコしている。
「ルイ、おいで」
「!」
俺がそうルイを呼びかけると、ルイは少しだけ驚いた顔をした後嬉しそうに笑ってトテトテとこちらに駆けてくる。
やはりルイは今の今まで父親と双子の妹が側にいることなんて知らなかったようだ。
リアと異なりおとなしい性格のルイは、ルアナ譲りの銀髪に俺譲りの薄紫色の瞳をしている。
ベンチの直ぐ側までやってきたルイだがベンチに腰掛けることはせず、キュッと俺の膝あたりの服を引っ張った。
ルイがよくする『膝に乗せてほしい』の合図である。ルイもリアと同様、目に入れても痛くないほど可愛い。
俺はルイのご要望通り彼をひょいっと抱き上げ、膝の上に乗せる。
「絵は完成したのか?」
「……うん」
ルイの耳元に口を寄せて小声で尋ねると、ルイは嬉しそうに頬を染めて頷いた。
「……母様はいつから絵を描いてる?」
「朝からずっと……」
「途中でリアたちにね、ごはん作ってくれたけどかあさまは食べてないみたい」
絵筆を置くことなく、ずっと描き続けているルアナを眺めながら子どもたちに聞いてみると案の定ルアナは昼食そっちのけで絵を描き続けているらしい。
子どもたちにきちんと昼食を作ったあたりはルアナらしいが、子どもたちの分を作ったのなら自分の分も作って食べてほしかったと思う。
ルアナは週に一度ほど、このようにアトリエに籠もって絵を描き続ける。
いつもは子どもたちから目を離さないルアナだが、このときだけは絵に集中してしまうのでそういうときはシッターを呼ぶことが多い。
コンコンと控えめな小さいノックの後に、アトリエの扉が少しだけ開かれてシッターであるメアリがその隙間からひょっこりと顔を出した。
「旦那様、今日はお早いお帰りなのですね」
「はい。今日もありがとうございます、もうあがって大丈夫ですよ」
「ありがとうございます、それでは失礼しますね」
俺の言葉に対して人の良い笑みを浮かべたメアリはペコリとお辞儀をして、アトリエを後にした。
ちなみにメアリはルアナの兄であるリヴァンを育てた乳母だったらしい。事情があってリヴァンが小さい頃にこの街に引っ越すことになったのだと、この街に俺たち家族が移住することになったとき公爵夫人が教えてくれた。
それで無理を承知で週に一回のシッターを頼んだ所、彼女は快く引き受けてくれたというわけだ。
それから30分ほどすると、ようやくルアナが絵筆を置いた。
どうやら一段落ついたらしい。
そんな母親の様子にいち早く気づいた子ども二人はさっと立ち上がる。俺もそれに続いてベンチから立ち上がり、ルアナの方に近づく。
静かにルアナの背後に近づき、後ろからギュッと抱きしめるとルアナが「うわっ!?」と素っ頓狂な声を出した。
「キース! 帰ってたの?」
「あぁ、1時間ほど前にな」
パッと後ろを振り返ったルアナにそう返すと、ルアナは「そうなんだ」と相槌をうつ。
婚約当初は抱きしめるだけで真っ赤になって慌てふためいていたくせに、今はもう全く動じないルアナの態度がなんだか面白くない気もするが、それもそれで心地良いと思ってしまっているあたり俺の恋心は重症なのだろう。
「昼食を抜いたらしいな?」
「……」
「ルアナ、健康に悪いことはするなって何度も言ってるよな?」
「……ごめんなさい」
何度も注意していることなので、流石に悪いと思ったのかルアナは素直に謝罪した。
一応は反省しているようなので__多分また同じことをやらかすだろうが__パッとルアナから手を離す。
「今から食べても夕食に響くだろうから、お茶にしよう。帰りにクッキーを買ってきたんだ」
「「クッキー!」」
リアにクッキーを買ってきたと教えたときと全く同じ反応を、同じタイミングでするルアナとルイに親子だなぁと吹き出しそうになった。
「リアが紅茶淹れてあげる!」
「ルイも淹れたい……」
快活に叫んだリアに、ぼそぼそと言葉を重ねるルイ。
そんな双子の兄の言葉に少し考えたリアはパッと顔色を明るくして口を開く。
「じゃぁ、リアがかあさまに淹れるから、ルイはとうさまね!」
「うん、わかった」
双子なりに妥協点を見つけたらしく、二人は仲良く手を繋いで渡り廊下に出る。
「どっちも可愛い……」
「あぁ、そうだな」
そんな子どもたちの後ろ姿を見ながら、感激したように呟くルアナに心の底から同意して子どもたちを追うように俺たちもアトリエから出る。
渡り廊下に出ると、ザァっと少し強い風が吹き込んだ。
その風に運ばれる庭に咲く花の香りと、目の前で仲睦まじく喋っている我が子を眺めていると、ルアナが口を開いた。
「私、キースと結婚して良かったわ」
「……あぁ、俺もルアナと結婚して良かった」
心の底からの思いを言葉にしてルアナにこたえると、ルアナの顔には思わず見惚れるような、嬉しそうで、幸せそうな笑顔がこぼれたのだった。
お読みいただき、ありがとうございます。
これにて本編は完結ですが、番外編として他の人物視点の話も書けたら良いなと思っています。
ルアナとキースの少し変わった恋模様を見守ってくださり、ありがとうございました!




