17話
ガーランド邸の正面玄関から外に出ると、太陽は少しだけ西に傾いていた。
エルヴァレイン家の馬車はまだ到着していないらしく、入口に立つ衛兵に聞いてみた所、あと5分ほどで着くはずとのことだった。
5分くらいならこのまま外で待っとけばいいか、と思い建物の影になる所に入る。
(あの絵……ずっと持ってたんだ。キース)
ぼーっとエルヴァレイン家の馬車を待ちながら、私はヴェンに案内されたあの部屋の中に飾られた1枚の絵を思い出す。まだ比較的新しい額縁に入れられた作品が多い中、かなり年季が入った額縁に入ったその絵は、小さい頃私が描いてキースにあげたものだ。
それも別に特別なものでもなんでもない。前世を思い出したばかりの頃、まだ貴族令嬢としての自覚があまりなかったときに描いた落書きのようなものだった。
そんな絵をキースがエルヴァレイン家で過ごすようになったあと、偶然物置を掃除していたマーサが見つけて、キースがなぜか欲しいと言ったのであげたものである。
あの絵を見て思い出したことは、もう一つある。
初めてキースに私が絵を描くことがバレた日のことだ。
いつもは自分の部屋で絵を描いていたのに、その日はどうしても温室の花を実際に見ながら描きたいと思い、温室の端っこでコソコソと絵を描いていた。
そうしたら案の定キースに見つかったというわけだ。
慌てて絵を隠そうとする私にキースが『なんで隠すの?』と聞いてきたので、社交界での暗黙のルールを教えてあげると彼は不思議そうな顔をして言った。
『でも好きなんだろう?』
その言葉に私は泣きたくなるほど嬉しくなった。
お母様もお父様もお兄様も、私に絵を描くことを許してはくれたけれどどこかぎこちなさがあった。
キースが純粋にそんな言葉を紡げたのは私と身内なわけじゃないからかもしれないが、それでもどこか救われる心地がしたのをあの部屋を見たとき、思い出したのだ。
なんだかこそばゆい気分になってウズウズと動いていると、屋敷の入口の扉からキースが飛び出てきた。
あたりを見渡したキースは建物の影に立つ私の方を見て、大きく口を開く。
「ルアナ!」
私の名前を叫んだキースは私の方に駆け寄って来た。
「はぁ……もう帰ったのかと思った……なんでそんなに行動が早いんだよ」
「なんでと言われても……」
私の隣に立ったキースは息を切らしている。先ほどの私と同じように廊下を疾走してきたのだろうか。当主の威厳はどうした。
「……本当に俺と結婚する気なのか?」
「キースって大概しつこいよね」
「ルアナの判断が早すぎるんだよ。事の重大さ、ちゃんと分かってるのか?」
「失礼な。ちゃんと分かったうえで、言ってるわよ」
「そうか……」
私の言葉にはーっと息をつくキース。それを確認するためだけに追ってきたのか、と思う。わざわざ大変なことである。
「あ、馬車来た」
ガーランド邸の正門に現れたエルヴァレイン家の家紋が彫られた馬車がこちらに近づいてきて、ゆっくりと停まる。
帰ったらすぐに家族に報告をしなければ……と考えながら馬車のステップに片足をのせようとした瞬間。
後ろに立っていたキースにグイッと腕を引っ張られた。
そこまで強い力で引かれたわけでもないのでバランスは崩さなかったものの、一体どうしたのだろうと思い「どうしたの? まだなにかある?」と聞こうとしたが、唇から言葉が発せられることはなかった。
「っ!」
私の唇にはキースの唇が重ねられていて、それはおそらくすぐに離れていったのだと思う。正確にどれくらいキスしていたのかだなんてわかりもしない。
キースは真っ赤になっているかと思いきや、いつも通りの表情でこちらを見ている。
だがどう考えても今、私の顔は真っ赤だ。頬だけではなく顔全体が火照っているのを感じる。
そんな私の様子を見て気分良さげに笑みを浮かべたキースは、余裕な表情で言葉を紡いだ。
「結婚するってこういうことも、だからな?」
頭が真っ白でハクハクと口を動かすことしかできない私の頭をグシャリと撫でたキースは、踵を返して「気をつけて帰れよ」と言いながら屋敷に戻っていく。
そんなキースの後ろ姿を見ながら、私は大きく息を吸って口を開いた。
「のぞむところよ!」
それだけ叫んで、すぐにエルヴァレイン家の馬車に乗り込んだ私は馬車の座席と座席の間の床にヘナヘナと座り込んだ。
顔どころか全身が火照っている気がする。なんでキースはあんなに余裕綽々としていたのだろうか。
「お嬢様? 一体どうしたんですか?」
御者が御者台から降りてこちらを覗きながら聞いてくるが、笑って返せるような状態ではない。というか、問いかけてきた御者はニマニマ笑っているし、心配して声をかけてきたわけではないだろう。他人の恋路は大抵の人間にとって大好物というわけだ。
「いいから! 早く出して!」
「はいはい」
肩をすくめながら御者は御者台に戻り、しばらくして馬車が動き出す。
馬車がエルヴァレイン家に着くまでの間、私はずっとふわふわと地面に足がつかない気分のまま過ごしたのだった。
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次話が本編最終話です。




