第二十六話ちっぽけかもしれない、でも確かに存在する
「ここまで手こずったのは久しぶりだ、貴様の血はさぞかし美味いだろう」
吸血鬼の青白く、冷たい腕が仰向けで倒れる俺の服を持って起き上がらせる。
その赤い目が怪しく光り、その白い牙を俺の首元に突き立てる――その瞬間。
ゴンッ!と何かがぶつかった音と共に、俺を起き上がらせていた腕が離れる。
支えを失いそのまま再度倒れる。
「――アァ?」
吸血鬼の状況が掴めていないような声が聞こえる。
声の主を見ると、頭から血を流し、信じられないという表情で立ち尽くしていた。
何事かと思っていると――更にまたポコン、と石が吸血鬼の肩に当たる。
石の飛んできた方を見ると――
「この化け物めぇ!儂の村から出ていけぇ!」
さっき別れた時までガタガタと震えていたジジイ――吸血鬼に襲われた村の村長――が吸血鬼に石を投げていた。
「――私が弱っていれば、戦えるとでも思い上がったかぁ!」
頭から血を流しながら、その青白い筈の顔を真っ赤な怒りに染めて怒号を上げた。
「ひいぃ!」
村長が怯えた叫びを上げて、森の中に逃げるが、すぐに転んで這い蹲る。
確か――あの方向は――
吸血鬼はほんの数秒で村長のいる場所まで走り、追い詰めた。
「食料以下の分際で、勇者との戦いに水を差したことを後悔させてやろう!」
「た……助けてくれぇ!出来心だったんです!」
村長は完全に跪いて、両膝をついた土下座のような姿勢で――
――しっかり地面に伏せていた。
吸血鬼が村長に近付こうと一歩を踏み出した瞬間、ピンッとワイヤーが足にかかった。
その瞬間――ボンッと凄まじい爆発音が辺りを包み、砂ぼこりが舞い上がる。
そうか……村長は俺がここへ突入する直前に罠を仕掛けていたのを見ていた。
M18 クレイモア――米軍がベトナム戦争で使用した指向性対人地雷、その箱型の地雷は設置された前面左右60度の範囲に秒速1200メートル以上で700個の鉄球を発射する――
砂煙が晴れると、その中に黒いマントが立っていた。
「ハァ……ハァ……フフッ……効いたぞ……」
全身を包んでいた黒いマントが取り払われると、そこには荒い息を隠すこともできない吸血鬼がいたが――すぐに片膝をつく。
村長の方はクレイモアの危害範囲の外だったが、爆発の衝撃を受けたのか、倒れて微動だにしない。
「食料以下というのは取り消そう――フフフッ、やるじゃないか、こんなに追い詰められたのは……500年も生きてきて初めてだよ……こんな目に会うなんて――貴様の村、襲って良かったなぁ……」
辛そうで息も上がっている――しかし吸血鬼が喜びを隠しきれない声で村長へ呟いた。
あのジジイ――彼のお陰で勇気が湧いてきた。
強打した背中から内臓は、まだ立つなと痛みと苦しみを伝えてくる。
右の足首は、先程の踏みつけで折れたのか思うように動かない。
俺は、ポーチから神涙石を取り出す。
全身痛い?足首が折れてる?――ただ震えていた彼の、命懸けの行動を考えれば。
「動け!俺の身体!お願いだ!」
手に握られた神涙石が輝き、俺に力を与える。
先程まで指一本動かすのも辛かったことが嘘のように立ち上がる。
全身痛いし折れた足首が治ったわけでもない、だが走れる。
痛む右足を無理矢理に踏みしめて、飛蝗によって飛ばされたM16へ走る。
「まだ立つか!ハアアアアア!」
吸血鬼が気付いたのか、雄叫びを上げながら走ってくる。
間に合うか――と目前のM16に手を伸ばそうとするが、後ろから衝撃を受けて倒れる。
背後を見ると、全身真っ赤に染まり、必死の形相の赤い目がこちらを見ていた。
「ハァ……ハァ……フフフ、必死だ――生まれて初めて、必死になっているぞ」
その声は、息も絶え絶えだが、隠しきれない喜びに満ちている。
俺はプレートキャリアのポーチから、手榴弾を取り出す。
ピンを抜いて右手に持ち、素早く立ち上がって吸血鬼にタックルを食らわせる。
その強靭な肉体は弱っていて、俺のタックルを受け止めてそのまま仰向けに倒れる。
抱き着くように一緒に倒れながら、右手にある手榴弾の最後の安全装置であるトリガーを離した。
倒れた瞬間に右手を吸血鬼の背中から出して、大急ぎで横に転がり離れる。
横に転がるとき、驚愕で染まった赤い目と目が合った。
ボゴンッ!と吸血鬼の背中と地面に挟まれたMK3攻撃型手榴弾がその爆発エネルギーを余すことなく解放した。
MK3手榴弾――攻撃型手榴弾と呼ばれる種類で、爆風の衝撃のみで攻撃する。そのため危害半径が狭く、投擲後に身を隠す必要が無いので攻撃型と呼ばれる。
ボタボタと、空からバラバラになり飛び散った肉塊が降り注ぐ。
――流石にこれで死んだ、と思いたいが……まだA3Wのポイントが入らない。
慌てて立ち上がり警戒するが――ドサッと、目の前に大きな塊が落ちてきた――
「――ハハハ……負けたよ」
それは上半身のみになり、仰向けに倒れるしかできなくなった吸血鬼だった。
もはやその命が長くないことは、一目見れば分かった。
「あぁ――完全敗北だ――清々しいほどに」
弱弱しい声で呟く。
「勇者よ、もはやお前が本物か否かなど問題ではない――それ故にお前が望む望まざるに関わらず……戦いはお前を追い掛け、飲み込むだろう……」
警戒しながら近付くと、こちらを見て語り掛けてくる。
「お前達の同類が、人類に対して何かをするつもりらしい――声を掛けられたよ、無論、断ったがね。奴らは新しい魔王を生み出すだの新しい秩序がなんだのと言っていた……」
重要な情報を教えてくれるが、魔王――それがどれ程のことを意味するのか、今の俺には分からなかった。
「我が名はドラキュリオ・ヴィ・ヴァンピール――口さがない者は【飛蝗公】なんて呼ぶがね……私の灰と名を魔族に言えば、大抵の面倒ごとは解決できるさ……あっちで伸びてる老人にも教えてやってくれ……」
楽しい時間が終わるのを惜しむような光を湛えた赤い目が俺を映す。
「お前が……これからどのような道を歩むのか――地獄から見ているよ」
それだけ伝えると、吸血鬼――ドラキュリオは完全に力を抜いて空を見上げた。
「あー……勇気ある人間の強運と機転に負けて……太陽の下で……死ぬ……こん……な……贅沢……ないぜ……」
最期にそう呟くと、全身から発火し、灰となった。
「ッハァ――」
A3Wのポイントが入り、完全に死んだことを確認すると全身から力が抜ける。
仰向けに倒れて、すぐには立ち上がれそうにない。
いくつも幸運が重なってギリギリ生き延びた。
マリーのブレスレットが無ければ――一瞬の隙を突いた弾丸が当たっていなければ――飛蝗に弾き飛ばされたとき当たり所が悪ければ――青銅のナイフが無ければ――村長が勇気を出さなければ――手榴弾の爆風が吸血鬼の身体で十分減衰されていなければ――
何か1つでも違っていれば、俺は死んでいただろう。
熊や蜥蜴とは違う、今までで間違いなく最強の敵だった。
「マリー……」
ドラキュリオに蹴飛ばされて気絶している彼女を見遣る。
彼女は大丈夫なのだろうか、すぐに駆け寄りたいが起き上がることができない。
それに――俺は彼女にどう接するべきなのだろうか。
左手に巻き付けていたネックレスを見る、神涙石が陽光を反射している。
「大丈夫か~、2人とも生きとるか~?」
森から気の抜けた老人の声が響いて来る、この声は――
先程まで森で倒れていた、村長が腰を擦りながら現れた。
俺は天を仰いだまま、右手を振って応えた。




