第二十五話たとえ、勇気が尽きようとも
荒い呼吸を抑えることができず――
ただ茫然と吸血鬼と倒れているマリーを見つめる。
「自身の出自と正体は分かったかね?世の中には産まれた瞬間、人買いに売られて親の顔すら知らない人間もいるんだ。私の親切心に感謝し給え」
吸血鬼がコロコロと神涙石を弄び、先ほどまでの嘲笑が嘘のような無表情で話す。
「うーむ――お前の意思決定はこの石に依存するのだから、こちらが本体ということになるのかな?」
その赤い目は石に向けられており、顎に手を当てて考える素振りを見せる。
「さて、私が新しい飼い主として使ってやろう――そこの女を射殺しろ……お願いだ」
その絶望的な命令によって神涙石が淡く輝き、俺に行動を取らせる。
マリーは吸血鬼の足元で項垂れている。
「クソったれが!」
俺は悪態をつきその命令に抵抗しようと、全身に力を入れる――
だが意思に反して身体はブルブルと震えるだけで、M16をマリーへ向けようとする。
「おぉ、そうか!私と近くて撃てないか!ホレ」
「かはっ!」
吸血鬼が抵抗する俺を見て、思い出したように呟いてマリーを蹴り飛ばした。
腹を蹴り飛ばされた彼女は、木の葉のように宙を舞い、倒れて動かない。
――そうね、満月でよかったわ――
2人で旅立った日の月に照らされた彼女を思い出す。
――ちゃんと弔ってあげないと――
傭兵たちを弔った彼女を思い出す。
――ダメよっ!ただでさえ血も失って危険なのに!絶対安静よ!――
エリックさんを必死で介抱する彼女を思い出す。
――私が鎧なんて着たら重くて動けなくなるわよ――
彼女の折れてしまいそうな華奢な身体を思い出す。
――アンタに酒を飲むときのマナーを教えてあげる――
見た目によらず、酒好きな彼女を思い出す。
――さっきの人たち怪我してたわ!追いましょう!――
真っ先にけが人を心配する彼女を思い出す。
マリー……マリー……マリー!
――これ、装備してちょうだい――
「おおぉ――!」
ブチリと手首に付けていたブレスレットが、切れて落ち――一瞬自由になった身体が反射的に吸血鬼を狙って撃った。
「なんだと!?グアッ!」
吸血鬼の腕や胸部に5.56mm FMJが命中して、これ見よがしに掲げていた神涙石のネックレスを取り落とした。
俺はそのまま銃を乱射しながら吸血鬼に走って向かう。
吸血鬼は神涙石を拾おうとしたが、更に弾が何発か当たり、堪らず大きく飛び退きそのまま飛翔してM16の射線から逃れる。
――その隙に俺は神涙石のネックレスを拾い、落とさないように身体に付けているポーチに入れた。
空中を飛んでいるヤツにM16を向け、警戒する。
しばらく旋回した後、小屋の屋根に着地した。
「痛ってぇ……なんだよ、精神干渉に対する護りか?そんな子供騙しで――」
吸血鬼が弾の当たった右手を眺めながら、呟くが、その声色と表情は――
「首輪の付いた猫かと思ったが、実際は首輪を喰いちぎる獅子だったというわけか……」
たった今、アサルトライフルの連射を受けてかなりのダメージがあるはずなのに――
「フッ……フフ、これだから――」
――その口を耳まで裂けた三日月状にして、楽しくて堪らないという声が響いていた。
「人間にちょっかい出すのはやめられねぇ~」
吸血鬼が満面の笑みを浮かべて、こちらに赤い目を向ける。
「申し訳ない、これまでの無礼な発言を謝罪しよう――そして君の強運と精神の宿った血を吸って我が物とすることを宣言しよう」
こちらへ一方的に宣言してくる。
屋根のヤツに向けてM16の引き金を引く。
ドンッという発砲音の鳴るが早いか、大きく跳躍してまた飛翔し始める。
真正面からの銃撃は、あの反射神経で避けられてしまう――なにか隙を作らなければ。
倒れ伏したマリーに目を遣る、彼女をどうするべきか――
「ハハハ!安心しろ!女にはもう興味は無い、一対一だ!勇者よ!」
俺の迷いを見抜いたのか空中から声が響く、何かの魔法で増幅しているのか離れているのにはっきりと聞こえた。
空を飛ばれると手の出しようがない。
そう思い、様子を見ていると。
「悠長に構えていていいのかな?こういうこともできるんだぞ!」
ブブブブと森から無数の黒い塊が空を覆いつくさんばかりに現れる。
そしてソレは、大きな黒い津波となり空からこちらへ向かってくる!
俺はヘルメットを目深に被りなおし、黒い津波から逃れようと森へ向かって走る。
木々を盾にしようとするが、それよりも早く黒い津波に飲み込まれる。
黒い津波の正体は、一匹一匹がデカい飛蝗であった。
もはや壁とも言える密度で襲来した大群に俺は吹き飛ばされ、地面を転がる。
その後、飛蝗は完全に統率された動きで吸血鬼の周りを飛び始める。
「ハァ……ハァ……どうだね?虫でもこれだけ集まれば中々効くだろう?」
吸血鬼が話しかけてくる。 その声は息切れしており、先程の不意打ちによるダメージを隠しきれていなかった。
転がされた俺も俺で、今の一撃で全身が打撲で悲鳴を上げている。
プレートキャリアーとヘルメットが無ければ今の一撃で頭か内臓に致命傷を負っていただろう。
「随分……辛そうじゃねぇか!」
俺は軽口を返して、M16を吸血鬼に向けて引き金を引く。
吸血鬼の周り飛蝗が囲み、黒い壁を形成して弾丸が逸らされる。
しかし連射を止めず、発砲しながら背後の森へ逃げ込む。
木を背にしてM16のマガジンをタクティカルリロードし、まだ弾の残っている弾倉を腰のポーチに入れる。
木の陰から様子を窺うと、またしても黒い津波が森に雪崩れ込む。
バキバキと自身の身体が砕けるのも構わずに突進する飛蝗は、激しい音と共に細い木や枝葉を破壊する。
津波の切れ目に素早く身を出して引き金を引く。
ドンッドンッと発砲音が鳴り響くが、吸血鬼は素早く高度を落として着地し、回避した。
こちらを睨みつけるその赤い目が怪しい光を放ち――通り過ぎた黒い津波が森からこちらへ向かって戻ってくる!
何とか伏せて木の根元に隠れるが、津波が俺の身体を流し森から叩き出される。
激しい衝撃で上下すらわからなくなり、地面をただ転がる。
いつの間にかスリングを掛けて手に持っていたM16は、どこかへ飛んで行ってしまっていた。
「君の……武器は少々厄介なのでね……外させてもらったよ」
声の方を見ると、外れたM16が転がっていた。
吸血鬼はゆっくりとこちらへ歩いて向かってくる――その足元は真っ赤に染まっており大量に出血していることが分かった。
数メートルまで近付いてきたときに、M1911を引き抜き引き金を引くが――
「悪あがきが!」
地面スレスレに身体を倒して一気にこちらに駆け寄ってきた!
更に数発撃つが、弾丸は全て虚空に消える。
恐ろしい膂力で腕を殴られM1911がどこかへ飛んでいく。
右腕を捻り上げられ、首を締めあげられて、持ち上げられる。
「さて、捕まえた……お前の血はどんな味がするかな?」
咄嗟に左手で背中側に付けていたポーチから青銅のナイフを取り出して、無我夢中で刺す。
「グアッ!――まだこんな物を!」
激高した吸血鬼がその膂力で、軽々と俺を地面に叩き付ける。
「カハッ……ア……」
背中を地面に強打し、息ができなくなり意識が遠のく――次の瞬間、右足首を思い切り踏まれて鈍い音が響く。
「ぐあぁ……」
もう苦痛を現すことも辛い。
「やっと、大人しくなったかね」
勝利を確信したその赤い目で、仰向けに倒れる俺を見下していた。
――体が――動かない――ここまでか、と目を伏せた。




