騎士ウスターシュの願い
ウスターシュ視点
ウスターシュはラジェント子爵家の次男として生を受けた。
元々は騎士として爵位を叙された先祖が、武勲をあげては陞爵されて子爵にまでなった家柄だ。
故に、幼い頃から剣を振るうのが当たり前の環境で育った。
寄親というよりは、主家として仕えているのがアドモンテ公爵家である。
三歳から体力づくりが始まり、五歳から剣の訓練が始まり、七歳ともなればお目見えとして公爵家に挨拶に行く。
それは儀礼的な習わしの様なもので、両家の絆は深く常に色々と行き来はあったのだが、ウスターシュが豪奢な城へと連れて行かれたのは初めての事だった。
そこで出会ったのが、同じ歳の公爵令嬢グレイシアである。
光り輝く金の髪は緩やかにうねり、光を眩く反射していた。
星を散りばめたような神秘的な夜空色の瞳は、フォルケン帝国の皇族の証とも言われる特別な瞳だ。
それゆえ、彼女の母である皇妹コンスタンツェと共に、順位は低いながらも皇位継承権を身に宿している。
このアルテシア王国にあり乍ら、大変希少な人物達であった。
いと尊き御方だから、粗相のないようにと父からも母からもこの挨拶の日取りが決まってから、何くれとなく言われ続けていた。
「お初にお目にかかります」
「ええ、宜しくね、ウスターシュ。折角ですからお庭を案内致しましょう」
スッと手袋に包まれた手を差し出されて、ウスターシュは恭しくその手を支えた。
彼女に庭を案内してもらえるという事は、初見でのふるい落としに残ったという事だ。
だが、安堵よりもまだ、ウスターシュには緊張の方が大きい。
庭を案内しながら、迷う事も淀む事もなく咲いている花について教えてくれる。
謡う様な声が美しかった。
「寡黙ですのね」
見上げられれば、ウスターシュの胸がドキリと跳ねた。
心地好い声に耳を傾けていて、相槌しか打てずにいたのだ。
「武家の出自ゆえの拙さと、お許しください」
「いいえ、責めたわけではないの。殿方には花の話など詰まらないものでしょうに、貴方はきちんと聞いてくれるのね」
表情にはあまり出ていないと思うが、そう言われればしっかりと頷き返した。
「公女様の話が興味深かったからです。美しいだけでなく、薬や毒になるのが植物だというのは頭では分かっておりましたが、知らない事も多く」
「ふふ。貴方はその分武芸に秀でているのだもの。問題ありませんわ。……わたくしも漸く刃物を持つ許可を戴いたばかりで、まだ慣れてもいないのよ」
刃物を、公女が?
驚きに目を瞠ってグレイシアを見れば、グレイシアはあどけない微笑みを浮かべた。
「最後に自分の身を守れるのは自分だと、わたくしもそう思いますの」
「そこまで敵を近づける事は許しません。………生意気な事を申し上げましたが、何れはそうありたいと、思っております」
思わず力を込めて言えば、グレイシアの歩みが止まった。
脅かしてしまっただろうかと、ウスターシュは心配そうに眉尻を下げて様子を窺う。
だが、グレイシアは嬉しそうに微笑んでいた。
「では、貴方がわたくしの二人目の騎士ね」
「二人目……?」
アドモンテ公爵家には優秀な当主であるエドゥアールとその妻コンスタンツェにもそれぞれ騎士団がある。
三人の兄達も同様だ。
10歳になれば、それぞれ別個の騎士団を持つのが習わしだと両親からは聞いていた。
だが、まだ7歳。
グレイシアが既にその準備をしていたというのは初耳だった。
「ええ。もう数年も前になるけれど、一人目はアメルン辺境伯令嬢のルシャンテですの」
ごくり、とウスターシュの喉が鳴る。
噂も知っていれば、実際に剣を合わせた事もあった。
ラジェント子爵家は領地を持たない貴族である。
王家に仕える身だから、俸給は貰えるが、更にアドモンテ公爵家の旗下として色々な保護を受けていた。
両親はそれぞれ剣の腕を重宝されて、父は辺境騎士団やアドモンテ公爵騎士団に剣の師範の一人として若い騎士を育てている。
行軍の演習がてら、辺境伯の領地と公爵家の領地を巡視隊の様に行き来しているので、両家を結ぶ街道の安全さは国内で群を抜いていた。
ウスターシュもその旅に同行して辺境伯領へ何度も行っていたのである。
女だてらに剣を振り回す辺境伯令嬢というのは、噂で聞いていた時は少女の姿を思い浮かべていたものだ。
だが、実際に目にしたルシャンテは少年の様な人物だった。
訓練でも女扱いされる事なく、実際に模擬戦をしてみれば素早く巧みな剣筋で翻弄してくる。
成長すれば男女の膂力の差で圧倒できるだろう、などと軽々しく思えない見事さだ。
緩急も見事だし、剣に載せる力の強弱も合わせて、引き分けになった時にはウスターシュの息も上がっていた。
「彼女は、優秀な騎士です」
「ええ、そして、貴方もよ」
美しい主人に認められたのは、身に余る栄誉だった。
それに、女とはいえ優秀な騎士と遜色ないと言われた事も、また嬉しい。
じっ、と様子を見るように視線を据えられて戸惑えば、彼女は首を傾げる。
「女性と比べられても受け入れるのね」
「優秀さに性別は関係ありません」
「ええ、わたくしもそう思うわ。……貴方のお母様も大変優秀でいらっしゃるものね。わたくしもお世話になっていてよ」
「そうでしたか」
母からはグレイシアの教育に関しての事は一切聞いた事がなかった。
人物評価として、最高傑作という言葉は聞いた事があったが、まさか剣を教えているとは。
「素晴らしいご両親だわ。教育を他人任せにしない家門の方が、優秀な子供が育ちやすいのかしら。それとも血筋がそうさせるのかしら。……不思議ね」
遠くを見るように呟いたグレイシアの言葉が、何だか大人びていて、ウスターシュは頷く事しか出来なかった。
両親を誉めて貰えたのも嬉しかったし、認められたことも安堵したのである。
立身出世をするよりも、グレイシアという主人に剣を持たせる事なく守り切る事を心に誓った。
数年後、グレイシアが帝国へと短期留学が決まった折り、ウスターシュはレクサス王子の側近兼護衛として側に召される事になった。
両親は、浮かれて喜ぶどころか苦い顔をしている。
一応、この国の中枢であり頂点である王族の側近なのに、だ。
「少しは慶んだら如何ですか」
兄のロイターシュが両親に呆れた様に良い、両親はため息を吐いた。
「ただの王族ならばまあ、目出度いが」
「あの王子ではね」
レクサス王子の評判は、騎士達の間では良くはない。
最近、辺境伯令嬢のルシャンテが、その傲慢な鼻っ柱を叩き折った事が武勇伝とされるくらいには。
本来なら王族に対しての不敬になるが、城勤めの騎士達に手加減をさせていい気になっていたのだと知れば、一つの忠義の証だろうとも言われている。
それに、辺境伯家という後ろ盾があってこそ出来る事だ。
彼女の意思だけではないだろう。
「だからといって、ウスターシュが王子の側近に命じられたのはグレイシア様のお考えでしょう。あの方がただの盆暗にウスターシュを付ける訳がない」
けれど兄の言葉にも、両親の顔は晴れなかった。
「それはそうだけど、辺境伯の御子息のハルキオ様とルシャンテ様が帝国へ随行するそうなの」
気落ちした様子の母に、ロイターシュは、はぁ、とため息を吐いた。
「身分的にも順当でしょう。彼らは帝国語も学んでいるでしょうし。ウスターシュにはそろそろ剣以外の礼儀作法や語学を王子と共に学ばせたいというお考えなのでは?」
ああ、そうか、と言うように両親がウスターシュを見た。
勉強はしているが、まだ完璧とはいえない。
「済まないな、ウスターシュ。お前の門出を穢すような態度を許してくれ」
父の謝罪に、ウスターシュは静かに頷いた。
勤勉で有能な父からすれば、厄介払いのように思ったのだろうというのは想像がつく。
「私はグレイシア様の命令に従うだけです」
学ばねばならないという兄の意見には賛成だ。
ただ無為に過ごして良い時間ではない。
鍛錬しながらも、実務として警護の経験を積み、何れは何処へでも付いていけるように語学はある程度出来なくては。
ラジェント子爵家の家はアドモンテ公爵領の領都にあるが、王都にも小さな邸宅を構えている。
その邸宅も公爵家の近くにあり、子爵の抱える騎士達の宿舎も兼ねていた。
彼らも普段は公爵邸の警備などの仕事をしている。
公爵領には父と兄が残り、母とウスターシュが王都へと居を移した。
社交期間になれば父と兄も王都へと来るが、それ以外は離れて暮らす事となる。
その家から城までは、毎朝馬で登城する許可を得て、レクサスの側に仕える事になった。
側近達は様々な家門の令息達で、王子と共に勉学に励み、執務の手伝いを覚える。
その中にアーバン伯爵家のレナトもいた。
ウスターシュを見るなり、ニヤニヤと揶揄の言葉をかけてくる。
「ああ、君もシアに置いて行かれたんだ」
言葉に潜んだ悪意と愉悦に、ウスターシュは嫌悪の表情を隠さない。
「お前とは違う。グレイシア様の御意志で此処にいる」
「ふうん。ルシャは連れて行って貰ったのになぁ?差し詰めレクサス王子を叩きのめした褒賞ってとこかな」
グレイシアはレクサスを叩きのめしたルシャンテに苦言を呈したという。
ならば、グレイシアの命令で行った事ではない。
「グレイシア様の深遠なお考えは分からんが、その様な些末な理由ではない」
無駄な争いを好む方ではない。
必要な時に必要なだけの力を振るう。
それも最小限に、最大限の効果を発揮する場で。
目の前のレナトもそれは分かっているのに、態と煽ってくるのだから相手にする必要は無い。
だが、向こうもそれを分かっていて、つまらなそうに微笑した。
国王陛下と王妃殿下、王子との挨拶を終えて、正式に側近候補として着任する。
朝は城にある騎士団の修練場で、騎士達と共に修練をする許可も得た。
「君が、将来の護衛騎士か」
「は。学園に通う際には学園内での護衛も務めさせて頂く事になるかと」
会釈をすれば、レクサスはふむ、と考え込んでから口にした。
「あの男女とどちらが強い」
「最近は剣を合わせておりませんが、互角かと」
馬鹿にするような呼び名は、レクサスを叩きのめしたルシャンテの事だろうというのは推察できた。
だとしても、器の小ささを露呈していて苦い失望が胸を満たす。
あの炎の髪と眼を持つルシャンテが、この男をぶちのめした理由が良く分かる。
この男にあのグレイシア様が仕えるなど、許し難かったのだろう。
「何だ、大して強くないという事か」
「確かに及ばぬ所はあるやもしれませんが、ルシャンテ嬢は優秀な騎士です。あのグレイシア様が、自分の騎士となる事をお許しになった者ですので」
そう言えば、少し眉を顰めるが、レクサスが何かを言う前にレナトの声が飛んできた。
「殿下、それって大したことない相手にぼろ負けしたって自分を罵ってるんですか?」
「なっ!不敬な事を言うな!」
「だって、そうでしょう」
まあ、有体に言えばそうだ。
レナトの言葉は過ぎるが、咎める気にもなれなかった。
「お前など解任してやる」
指をさすレクサスにレナトは愉しそうに笑った。
「え?懐妊?孕まされちゃうの?俺」
「違う!男が孕むわけはないだろう!」
「ああ、その辺は一応知識あるんですね」
何処までも馬鹿らしいやり取りが始まって、ウスターシュは呆れた様に割って入った。
このままレナトの会話に引きずられても良い事はない。
「殿下。それよりもそろそろ授業の時間ですから移動しましょう」
「あ、ああ、そうだな。そうしよう」
この期に及んで、レナトの言動を諫める事もしない、公爵令息ユーグレアスと侯爵令息シドニスにも問題がある。
家格の問題もあるのだから、伯爵令息であるレナトに注意を与えるのであれば彼らが適任だ。
だが、しらっとして我関せずという態度を取っていた。
忠誠心が無いのはこの王子の問題か、それとも本人の資質か、その両方。
グレイシア様が本気で支えようとするならば、選ぶ人員ではない。
帝国からお帰りになられたら、一度真意をお聞きしなくてはならないだろう。
「そう、苦労をかけたわね、ターシュ」
「は。ですが、私も愚昧ゆえ、グレイシア様のお考えや方針を戴ければと愚考いたしました」
帝国へと行っている間の報告を伝える序に、自分がどうするべきなのかグレイシアの希望があれば聞きたかった。
じっと考えるグレイシアをウスターシュは静かに見つめる。
「今後、殿下はお命を狙われる事になるでしょう。優秀な護衛がどうしても必要ですの。他にも付けるけれど、一番近くに置けるのが貴方になりますわ。……もしかしたら、遠くない将来、わたくしは殿下のお側を離れる事になるかもしれません。その時が来るまで、どうか彼を守って差し上げてね」
「は。御意に」
短くウスターシュは返事を返した。
命を守りたいのだから見限る訳ではないだろうが、いずれ離れる気があるという事だ。
ルシャンテが以前よりも生き生きとして見えるのは、それが理由なのだろう。
離れる時は、ウスターシュもグレイシアの騎士に戻れるのだと、グレイシアの言葉で分かった。
一番聞きたかった言葉はそれかもしれない。
学園に通い始めると、珍妙な女に出くわすことになった。
男爵の庶子である、カリンだ。
何度か王子に突進してきては、注意を与えた。
夕陽色の髪と眼を持つ美少女だが、礼儀を弁えない上に、学習能力が低い。
狙い定めて直進してくるのだから、当然護衛としては止めるだろう。
一度目で既に不審者としてグレイシアには報告してあった。
調べがつく頃には、王子が罠にかかり、まんまと接触を持っていたのだが。
近づけても問題は無いと知らされて、ウスターシュはただ、成り行きを見守った。
「腹に据えかねるだろうが、馬鹿王子に似合いの馬鹿女だ」
学園に通う頃には、ルシャンテは男装をするようになっていた。
すらりと背も高く、精悍な顔つきは男と言われても気づかない者はいるだろう。
二人を見つめる彼女は嬉しそうでもあった。
「分かっている。口出しはしない」
「お前も、アレがシア様の仕えるに足る男だと思っていないだろう」
「否定はしない」
今は別の護衛が数人レクサスの側にいて、ウスターシュは連絡役のルシャンテと庭にいるカリンとレクサスと側近達を見下ろしていた。
学園内では事件も起きていないが、公務中には何度か刺客との戦いもあったのである。
いずれも未然に防いだが、多分レクサスは気づいてもいない。
「シア様と婚約を解消すれば、刺客も馬鹿王子を狙う意味が半減する。あと少しの辛抱だ」
「そうだな」
だが、グレイシアは更に過酷な茨の道に足を踏み入れる事になる。
ウスターシュの表情を見て、ルシャンテが言い足した。
「俺達が守ればいいだけの話だよ、ターシュ」
「ああ、分かっている」
幼い頃から心に誓っていた。
グレイシアの剣であり、盾である事を。
だが、その未来に彼女の幸せがあるのかどうか、と考えてしまう。
出来ればそうあって欲しいとウスターシュは願った。
グレイシアの二人目の騎士のお話でした。カリン視点でチラッと出て来た人です。
一番こうお堅いタイプの騎士で、レナトにとってはつまらない相手であり、レナトの言動に流されない人ですね。真面目系わんこ。ルシャンテと双璧。2号のどストライク系寡黙騎士。
1号の好みは……書いてる側だとあんまり分からない!全員我が子!
あとまだ書いていないのは数人ですが、一旦ここで中長編のサーシャ達の話を書くので、グレイシアシリーズの短編は停止します~。楽しんで頂けると嬉しいです。
さて、そろそろヴァレンタインのチョコを買う季節になって参りました!(贈るとかではない)
生チョコとかも美味しいですよね。宇治園の抹茶の生チョコが好きです!資生堂パーラーもいいですね。チョコ、おすすめがあったら教えてくださいませ。
※シリーズ設定機能が壊れているようですので、復旧次第シリーズに載せます※