4. 清らかなる『幸運の聖女』
(SIDE:王太子ロイド)
山奥に不思議な力を持った『幸運の乙女』がいるらしい。
一年前、眉唾ものの情報に王命がくだった。
そして王太子ロイドは旅人を装い、極秘にメイベルのもとを訪れたのだが――。
なんだこの粗末なあばら家は……。
さらに目の前に広がるのは、収穫間近の野菜で色とりどりに賑わう農園である。
侯爵家とはとても思えない風景にロイドは愕然とした。
しかもだ。
獣道だらけの山奥にあるその農園の一角で、少女が泥まみれになって働いているのだ。
「こんな朝早くから労働をさせられて……」
王都で贅沢三昧の貴族令嬢達に、見せてやりたい。
ロイドはその健気な姿に、なんだか涙が出そうになった。
「現在侯爵家に、年頃の使用人はいないと聞いている。アレが『幸運の乙女』だろうか?」
「娘一人ですので、おそらくは……」
視線の先で、のっぺりした地味顔の少女がイキイキと野菜を収穫している。
家計を助けるため、なんと親孝行な令嬢なのだ。
ゴクリと喉を鳴らし、身を乗り出したところでバチリと目が合った。
「ん――?」
普段客など来ないのだろう。
驚いた顔をした後、何かに気付いたように首を傾げた。
「ちょっと失礼」
歩み寄るなり、足元に生えていた草の葉を千切ってこね始める。
初めの印象とだいぶ異なるが、なんともフレンドリーなその少女はロイドの腕を突然掴み、草の汁を塗りこんだ。
「何だそれは……ッ!?」
「ドクダミの葉です。虫刺されに効くんですよ」
話しているうちにスッとかゆみが引いていく。
驚いて眺めていると、今度は患部を覆うように腰布を巻いてくれた。
「これ以上腫れると良くないので、触らないよう布を巻いておきますね」
彼女を取り巻く優しい空気と、穏やかな時間が心地良い。
頭を覆っていたスカーフからプラチナブロンドの髪が一束零れ落ち、ロイドの頬を優しく撫でた。
「……随分と、粗末な服を着ている」
「これで結構気に入っているんですよ? 今の私には充分です」
仮にも侯爵令嬢だというのに、なんと無欲な娘。
この美しい心が運を呼び込み、『幸運の乙女』と呼ばれるようになったのかもしれない。
「ありがとう、もう大丈夫だ。先を急ぐから、これで失礼する」
葉の汁を塗られた時に腕を掴まれたが、全然嫌じゃなかった。
不思議なこともあるものだ……。
お土産のニンジンをもらい、首を傾げながら馬車へと乗る。
見送りに来たメイベルが「あっ」と一声発し、何かを思い出したように遠くの山々へと目を向けた。
「……この先に、朱色の実がなったカラスウリの木があります」
遠くに視線を彷徨わせ、淡々と告げるその表情からは、何を考えているのかまったく読み取ることが出来ない。
「道は左右に分岐し、右は砂利の多い登山道。左は険しい獣道……ですが右へ進んではいけません」
「!?」
「馬車を降り、獣道を進んでください。……神の、ご加護を」
まるで神託のように告げる厳かなその声に、ゾクリと全身が粟立った。
意味が分からず呆然とするロイドを乗せて、ゆっくりと馬車が動き出す。
ひらひらと手を振るメイベルの姿が視界から消えるまで、ロイドは窓に貼り付くようにして見つめた。
――そして。
その言葉を信じたわけではなかったのだが。
念のため馬車を乗り捨て、左の『険しい獣道』へと進んだ十分後……本来であれば通る予定だった右の登山道から、唸り声のような地響きが聞こえた。
足元に振動が走りだし、同時にミシミシと鈍い音を立てて木が傾いていく。
何かが裂けるような亀裂音が鳴った次の瞬間、ドドドド……と凄まじい轟音が山全体を揺るがした。
もし、あのまま進んでいたら。
ロイドは青褪める護衛騎士達とともに、獣道で呆然と立ち尽くす。
『……神の、ご加護を』
ゾクリと背筋を伝う汗とともに、去り際のメイベルを思い出した。
「ジェノス、急ぎ父上に報告しなければならない」
『幸運の乙女』は、本物だ――。
山間に住まい、神の言葉を預かる清らかな聖女。
「筆頭聖女の座が長いこと空席だったはずだ。あの方のお力を世に示し、本来いるべき高みへとお戻りいただくのが我らの使命だ」
メイベルにとってはとんでもなく、迷惑この上ない話。
だがロイドは決意に満ちた眼差しで、ジェノスにそう告げたのだった――。