3. 本日の聖女業務は『雨乞い』
「メイベル、昨夜はいくらなんでもやりすぎだ」
「そう?」
「しかも、あんな仕事まで引き受けて」
「そうそう、すっごい好条件だったよね!」
週に一度の副業タイムで、あれだけの高額報酬。
しかも身バレ不要な上、形式的な愛人で構わないのだ。
「これで豊かな老後、確定だよ!!」
「――どうなっても知らないぞ」
カジノに随伴した護衛騎士テオは、幼い頃から勝手知ったる仲の従兄弟である。
もともとは王都で騎士をしていたのだが、メイベルが聖女として神殿に向かう際、心配だからとついて来てくれたのだ。
そのまま聖騎士として神殿に転職し、護衛として日々支えてくれている。
「俺は夜カジノに行くのも、反対だったのに」
「そんなこと今さら言われても……夜くらい自由にさせてもらわなきゃ、やってられないじゃない?」
不満気に口を尖らせ、プイッとそっぽを向いて抗議する。
それにカジノに行く際は、バッチリメイクで変装しているのだ。
どうせ誰だか分からないに決まっている……昨夜カジノにいた目も覚めるような美女は今、のっぺりとした地味顔の『筆頭聖女』になっていた。
極貧だが、一応侯爵令嬢という身分を持つメイベル。
聖女として神殿に行くことが決まった際、『それなりの見た目』にしなければと、手先の器用なテオが侍女と一緒に、人生初の化粧をしてくれたのだが……。
自分で言うのもなんだが、まるで別人。
特に印象に残らない、地味顔代表メイベルの『化粧映え』は半端なかった。
骨格ごと入れ替えたのかと思うほど化粧の効果は凄まじく、もしこれで街中を闊歩しようものなら、別の信者が出来てしまうのではと心配になるレベルである。
その上ドレスに着替えると、別の問題が浮上した。
ゆったりとした平民服の時は目立たなかった胸元が、激しく自己主張を始めてしまったのだ。
それは、普段冷静なテオが、目のやり場に困るほど。
……いくらなんでも、これはマズい。
急きょ、地味さを強調する方針に変更した。
なお、初対面の司教からは、『聖女様はその……なんというか、ホッとするような、ええと素朴で温かみのあるお顔立ちをしていらっしゃいます……』という金言を引き出すことに成功している。
結果、神殿では地味顔のまま、ダボッとした聖女服で慎ましい生活を送っているのだ。
「さぁ、やりたくないけど今日も頑張りますか! テオ、午前八時まであとどれくらい?」
「五分程度だな」
よし、と気合を入れて、乾燥し、ヒビ割れた大地を踏みしめた。
多くの村人達に囲まれ、期待に満ちた眼差しを送られる。
実はこの村、二ヶ月ものあいだ一滴も雨が降っておらず、このままだと作物が枯れて餓死者が出る恐れがあるのだという。
……そう、本日の聖女業務は『雨乞い』。
そもそも聖女らしいことなど何ひとつできないのに……あまりの無茶ぶりに呆れ果てるが、困っているなら仕方ない。
なるようになれと、けだるげに空を見上げたメイベルの瞳に、勢いよく集まってくる重たげな黒雲が映りこんだ。
「皆様、ご安心ください。長く続いた日照りはもうじき終わりを迎えるでしょう」
祈る前から雨が降りそうな気配だが、急ごしらえの祭壇の前で跪き、胸の前で手を組んで祈りを捧げる。
ポッ、ポッと弾けるような雨音が耳へとまばらに届いたのも束の間、二ヶ月ぶりの雨は瞬く間に地を染めた。
「……みなさまに、神のご加護があらんことを」
「聖女様!」
「聖女様、万歳!!」
微笑みを浮かべ手のひらをかざすと、鼓膜を突き破りそうなほどの歓声がメイベルを包み込む。
――本当は聖女なんかじゃないのに。
望んでなったわけではないが、善良な人々を騙しているようで、チクリと胸が痛くなる。
ただほんの少し、人よりも運がいいだけ。
一日二回、八時と二十時から始まる、十五分だけの時限式『幸運タイム』。
癒しの力などは持っていないため、聖女の業務を『幸運タイム』に合わせ、いつも運だけで乗り切ってきた。
今日だってそう。
メイベルが雨雲を呼んだわけではなく、たまたま雨が降る日に居合わせたにすぎないのだ。
「お疲れ様! 相変わらず凄いな」
「なんとか乗り切ったよ、テオ。もうやだ……私いつも思うの。あの時、殿下に助言なんかしなければよかったって」
「まぁ過ぎたことを言ってもな」
他の護衛騎士を遠ざけてテオに愚痴をこぼすと、「十八歳になれば聖女を卒業できるから、あと一年半の辛抱だ」と慰められる。
こんなことを一年半も続けるのかと悲しくなって俯くと、男物のブーツが視界の端に映った。
「殿下、本日はお忙しい中ありがとうございました」
「……ん」
いつも変わらぬ塩対応。
頭を下げたメイベルを労うでもなく、前髪の隙間から不機嫌にテオを睨みつけている。
「いつまで話しているつもりだ? 護衛騎士ごときが聖女様のお手を煩わせるな」
隙あらば小言を言う神経質な王太子ロイド・アルザークは、メイベルを聖女にすべく、国王に進言した張本人。
王太子のくせに暇なのだろうか。
嫌なら来なければいいのにと思うのだが、推挙した責任があるからと、やたら遠征についてくる。
分厚い前髪は目の下まであり野暮ったく、口元は微笑みひとつ浮かべたことがない。
信仰心が厚いらしく、神殿で頻繁に顔を合わせるが、話し掛けても素っ気ない返事ばかりである。
できることなら関わりたくないのだが……。
はぁ、とひとつ溜息を吐き、メイベルは馬車へと乗り込んだ。