第76話 常夜の闇が覆う②
なぜ今の男は死んだのか。ましてや全身を破裂させてまで死ぬ因果とは、何か。理不尽な事に思わず硬直して動けなくなる。
近くに何者かが居ることも分かっていた。それが危険な人物だろうという事も。しかし余りにも唐突で凄惨な光景が、オレ達から行動力を奪い去っていた。
「あれれ〜〜逃げないのかなぁ? つまんないでしょ、ちゃんとキャアキャア逃げ回ってくんないとさぁ〜〜」
その時、フロントガラスに亀裂が走るとともに、乾いた音が鳴った。風穴が空いた。弾痕だ。いずこからか射出された弾はガラスを突き抜け、運転席側のドアまでも貫通した。
その異変が、凍りついた時を再び動かした。
「銃撃だ! 撃たれたぞ」オレが叫ぶと、凜花は目いっぱいにハンドルを切り、アクセルも強く踏みつけた。
「全力で逃げるから掴まってろ!」
車は悲鳴をあげたようにして、いきなり疾走した。タイヤが歩道の段差に乗り上げてバウンドして、一時ばかり制御を失う。
すると枯れ枝だらけの茂みへと、車が頭から突っ込んだ。生気のない枝は容易く折れてゆくが、視界は最悪だ。暗がりも手伝って数メートル先すらも見えない。
「やべえとこ入っちまった! どっかの植え込みだぞココ!」
ハンドルを懸命に動かすのだが、段差や勾配が邪魔をする。車体を激しく揺らしながらも、走行できているだけ奇跡かもしれない。
「ヤベェぞ。早いとこ道路に戻らねぇと、どこかで事故る!」
「右だ凜花! ハンドルを右に切れ!」
枝の隙間から行く先が見えた。凜花も素早くハンドルを回すが、同時に茂みから抜けた。
飛び出た先はオフィスビルの入口付近で、左は背の高い壁が続く。右の公道だけが生存ルートだ。オレ達を乗せた車はどちらにも行けず、正面に向かって飛び出した。
「凜花、そっちは地下街の入口だぞ!」
単に下り階段ならマシで、入口は巨大な倒木が塞いでいた。このまま突っ込めば車はスタック、下手すれば大破だろう。車内のオレ達はどうなるかと、想像するだけで肌にあわがたつ。
「んぎぎぎ! 曲がれこの野郎!」
孤を描きながら疾駆した車は、片輪が階段に落ちかけるが、辛うじて回避。車体をレンガ壁にぶつけるなどして、どうにか右折した。だが窮地が終わった訳ではない。
飛んだ。車に乗ったままで高く飛んだ。いったんスロープの地上出口乗り上げてしまったことで、斜面がジャンプ台として機能してしまった。
「ギャアアア! とにかく掴まってろーーっ」
街路樹を飛び越えかねない高度。不思議と時間が遅く感じられた。最高高度に達し、上昇から落下に切り替わる瞬間など、世界が止まったと誤認したほどだ。
そして重力に従って落下。車体は奇跡的にもタイヤから着地して、そのまま走行した。ダメージは大した事ない。車のスプリングが悲鳴をあげて、着地の瞬間にオレたちが尻を痛めた程度で済んだ。
「公道に出た! こっから一気に逃げるぞ!」
凜花は叫びつつ車を疾駆させた。付近の道路は格子状だ。直線的に2ブロック進み、突き当りはドリフト走行で右折。駅前通りの電気店が並ぶ大通りを、ひたすら駆け抜けた。
そうして西口から南口エリアまで逃げた所で、ようやく速度を落とした。
「ふぅ……。ここまで逃げれば安心か?」
「そうだと思う。あの射撃手は廃ビルの上から撃ってきたからな」
「どうして分かんだよ、ワタル?」
「窓ガラスとドアの弾痕からだ。斜めに切り込むような射線で、角度もきつい。恐らくは高層階に潜んでいて、狙撃ライフルで撃ったんじゃないか」
「射撃音はしなかったよな。つうことはサイレンサー付きか? クソ厄介だな」
「逆に言えば、さきほどのエリアに行かなければ安全だろう。オレたちを追跡する音は聞こえない。車やバイクで追いかけようとしたら、エンジン音が聞こえるはずだ」
「だよな。こんな環境じゃ、エンジンかけただけで目立ちそうだわ。誰もいねぇもん」
真宿駅を回るように逃げ回ったのだが、その間に1度も車を見かけなかった。だだっ広い道路をオレ達だけが走行している。崩壊前だったらまずあり得ない事だろう。
車も人も、ガレキさえもない真宿駅の目抜き通りを、1台の車だけが疾走している。世界からあらゆる人間が消え去ったと思えるほど、辺りは静まり返っていた。
「電灯、この辺もついてるんですね」衣織がポツリと囁いた。
「何か気がかりが?」
「ワタルさん。これもアニマですよね。そしてアニマって、セカンダリーゾーンで使用されるものですよね」
「オレもその認識だが……あっ!」
オレは衣織の言葉にハッとさせられた。すかさずスマホをみる。いつの間にか通知があり、他者のゾーンに侵入した事を教えてくれた。
だが驚くべきことは、その広さだ。マップを広域モードに変更することで、異常性を知ることが出来た。
「何だこれは。真宿から渋屋までが1つのゾーンで覆われているぞ」
「それって驚くこと……なんだよな?」
「思い出してみろ。宇和前にしろ売利原にしろ、ゾーンそのものは広くはなかった。マンションだけだったり、せいぜい公園1つ分だ。あれだけの残虐行為を繰り返してアニマをかき集めた連中が、だぞ」
「それって、つまり……」
「桁外れのアニマを持つ覚者が潜んでいる。今までとは比べ物にならない程の」
凜花も衣織も、息を飲んだのが分かる。しかし凜花はすぐに、茶化したような口調で返した。
「でもよ、ゾーンが広くても街灯があるくらいじゃん。小洒落たカフェや豪邸もねぇだろ。どこを見ても廃墟に廃ビルばかり。言うほどアニマを使って無いんじゃないか」
「そこも分からん。なぜそんな事をする? 街灯だけ延々と灯りをつけて、道路まで整備する理由はないだろ。普通は衣食住を整える事に使うはずだ」
「んなこと考えても仕方ねぇだろ。それよりもさっさと真宿を抜けちまおうぜ。別に攻略する必要は無いんだろ?」
「まぁ、千夜田に行けさえすれば」
「じゃあ決まりだな。面倒は避けて突破しようぜ。君子危うきに近寄らず――」
凜花が速度をあげた、まさにその時だ。車の外からけたたましい音が響いた。爆発音だ。
「な、何!? 今度はどうした!?」
「ビルだ! どつやら爆発したらしいぞ!」オレは前かがみになって、フロントガラスから外を覗き込んだ。
進行方向の左手側の廃ビルが白い煙を吐いている。それだけでなく、ビルはズルリと傾き、緩やかでも着実に、こちらへと倒れ込んできた。
「とまれ凜花! このままだとビルの倒壊に巻き込まれるぞ!」
「クソが! なんだって爆発なんか起きてんだよ!」
ブレーキが踏みつけられた事で、横滑りしながら速度を落としていく。そして止まったかと思うと、眼前で高層ビルが道路側に倒壊した。降り注ぐコンクリートの塊が、アスファルトに穴をあけながら砕け散った。
あと数秒遅ければ、オレたちはガレキの下敷きになっただろう。わずか数メートルが生死を分けた。
「どうやら間に合ったようだな」
「助かったけどよ、先に進めなくなっちまった。道を変えないと」
ヘッドライトが粉塵を照らす中で、何かが動いた。人影だ。なぜそんな所からと凝視してみると、その人物は頭に目出し帽、肩から下げた鉄板で胴体を守り、そして右手には大きな銃を携えていた。
「こいつは、もしかしてさっきの……?」いつの間に追い越されたのか。オレは驚きの余り言葉を失った。
「別人に決まってんだろ、どうせお仲間とかだよ。つうか逃げるぞ!」
凜花はハンドルを右に切ってアクセルを踏みつけた。そしてUターンして元の道を戻ろうとした。
「南口はダメだな。東口方面に回るぞ!」
凜花はハンドルを小刻みに回しながら言った。蛇行運転だ。銃を持つ相手を背にしているのだから、有効な手段かもしれない。
やがて西口方面まで戻り、今度は北上。大きな交差点を右に曲がれば東口で、そちらは千夜田に通じる道がある。
「おっ、ラッキー。ここのトンネルは無事じゃねぇか!」
線路下を行く短いトンネルは、崩落を免れていた。アクセルを踏み込み、トンネルを駆け抜けた。
しかし抜け出た所で、また破裂音が聞こえた。今度は近い。道路で何かが弾けて、立ち上る炎が常夜の街を照らした。
「これはもしかして、火炎瓶か!?」
「ハッハーー! キャンプファイヤーだぜぇ!」
車外で男の声が響き渡る。また追いつかれたのか。いったい疾走する車にどうすれば追いつけるというのか。そう考える間にも火炎瓶は投げ込まれて、辺りが火の海になる。
「何なんだよさっきから! フザけんなよ!」
憤る凜花はその口調とは裏腹に、丁寧なハンドルさばきをみせた。頻繁に車線を変えては立ち上る炎を避けていく。
さすがだと褒めようとしたが、別の破裂音とともに車は制御を失った。速度もみるみるうちに落ちていき、横滑りになって街路樹に激突した。
「くそっ、やられた。たぶんタイヤを撃たれたっぽいぞ」
「そうか。炎を避ける事を見越して狙われたか……。フザけた口調の割にクレバーな奴だな」
「ここは危険ですワタルさん! このままだと炎が燃え移りそう!」
「仕方ない。車を捨てるぞ、そこの廃ビルに逃げ込め!」
オレ達は車から飛び出して、紅蓮の道を走り抜けた。そして道路に面した廃ビルに駆け込んだ。真昼のように明るい歩道から一転して、駆け込んだ先は、光な実に乏しい闇の世界だった。




