第69話 朽ち果てた世界に生きる理由①
散々に踊り明かした夜が明けて、次の朝が来た。区立公園には避難してきたばかりだ。寝床の用意など一切なく、たいていは地べたに横たわっていた。
幼子は両親の腹の上だったり、あるいは雑草を薙いでこしらえた草のベッドなどと、優遇されていた。それでも快適とは言い難く、早急な拠点づくりが求められていた。
「昨晩は雨が降らなかった。だが、いつまでも好天が続くとも限らないしな」
すでに何人かは活動を開始していた。それは朝餉の準備で、まず火を起こし、大鍋に水道水を流し込んだ。
食材は乾パンの缶詰だ。乾パンをぐずぐずになるように茹でて、味付けは氷砂糖。湯でかさ増しされている分、1人ずつ微々たる量を配るよりも、満足感が得られるのだとか。火を通すので衛生面も向上すると言う。
「はぁ〜〜おはようさん。勝手に朝ご飯が出来てるなんて贅沢至極ってやつだな」
凜花が、2つの椀を携えてやって来た。片方はオレの分だと言うので、ありがたく受け取った。
これは乾パン粥と言えばよいのか。口に含むと、味よりも熱の方が先に感じられた。吐息で冷ましながら食べてみる。味は良く分からない。ただ、何となく甘いような気はした。
するとそこへ、衣織もやって来た。こちらは顔色が悪く、瞳が普段の半分も開いていなかった。
「おはよぉ、ございまぁ〜〜す」
「随分な疲れっぷりだな。眠れたか?」
「一応、それなりには。昨日は翠ちゃんに延々と踊らされたから……」
翠ちゃんというのは、昨晩の少女だ。今やすっかり打ち解けたようで、今も陰木にまとわりついては、楽しげに微笑んでいた。
対する陰木もまんざらではない様子。どこか斜に構えた口調だが、その瞳はまっすぐに少女を見ていた。お互いの関係性は悪くないなと思う。
「ところでワタル。これからどうするんだ? 真宿目指して行っちまうか?」
「確かにそれが最短ではある。だが、ここの人たちを放ってはおけない。真宿に向かうのはその後だ」
そこへ横から、揶揄する声が割り込んできた。
「アンタら、まさか徒歩で行くつもり? 死にたくなけりゃやめときなさい」
声の主は陰木だった。彼女の背中では翠が登ったりブラ下がったりと、器用に遊ぶ真っ最中だ。そのため陰木は、上半身を屈めつつ、覚束ない足取りで歩むことを強いられていた。
「真宿は昼でも光が差さない無明の闇よ。暴徒の数も桁外れらしいわ。車ならいざ知らず、歩いて突破しようだなんてあり得ない。殺してくれって言ってるようなものよ」
「知り合いからも危険地帯だと聞いた。実際そうなのか?」
「たぶん覚者が潜んでるわね。アタシも顔を見たこともない。と言っても、真宿から出てこないみたいだし、乗り込まない限り会えないんじゃない?」
嘘をついている気配はない。そっと衣織をみれば、彼女も納得したように頷いていた。
「じゃあとりあえず、車を取りに戻ろうか」
「はぁ? 何の話よ?」
「霜北沢だ。陰木は知らないだろうが、A番街にほど近い場所に車を停めてある」
「そんなもん大雨で流されたに決まってんでしょ。考えるまでもないわ」
「たぶん大丈夫だ。オレが残ってて欲しいと願ったから」
「何言ってんの。そろそろおかしくなった?」
陰木は揶揄する目を向けてきたが、それも翠が肩にぶら下がった事でガクリと落ちる。そして「ちょっとは加減しなさい」と叱るのだが、本当に怒ったようではなかった。翠もケタケタと笑いながら、今度は腰に抱きついている。
「とにかく車も物資も惜しい。A番街に行ってみよう。凜花も来てくれるか?」
「当たり前だろ。任せときな、相棒」
「私もお手伝いしますよ、ワタルさん。人手は多いほうが便利でしょうし」
「だったらアタシも連れていきなさい」
「陰木まで来るのか? 安全の保証はできないが」
「アタシにだって大切なものがあんの。それを取りにいきたい」
「じゃあスイも行く〜〜!」
「アンタはお留守番! 遊びに行くんじゃないのよ」
ヤダヤダとごねる翠を母親に預けて、オレ達は区立公園をあとにした。
行きは平坦な道だった。せいぜい大きな水たまりがあるくらいで、行く手を阻むものはなかった。
「ところでワタルさん。突然道が崩れたりしませんかね? 昨日も、いきなり大穴が空いた感じでしたし」
「任せろ。あらかじめ対策してある」
オレはスマホを取り出し、マップ画面を開いた。すると地図のなかで、付近の大通りから小道に至る全ての道が、何らかの色で染まっていた。
「道は全て緑色。つまりこの辺りは大丈夫だ」
「へぇ。そんな事も出来るんですねぇ」
「崩落の可能性がある道は赤く染まるようにしておいた。これで上手くいくとは思う」
建物の様子を見る限り、洪水には至らなかったようだ。あるいはこちら側が、僅かばかりに海抜が高いのか。理由は分からないが、区立公園が無事ならそれで充分だった。
「車と物資の回収、それが終わったら避難民のケア、つまりは衣食住の安定。やるべき事は山積みだな」
「そう考えると忙しいな。骨休めしてる暇もねぇわ」
「それだけじゃない。他にも……」
オレはチラリと後ろに目を向けた。少し離れて陰木が後をついてくる。彼女の生きるべき理由を見つけてやる必要があった。
正直なところ、車と物資なんてどうとでもなる。どこかで調達ができるからだ。しかし陰木の命と心は、この世でたった1つしかない。失くしました、では済まされないと思う。
「ワタルさん、そろそろ霜北沢ですけど。道の様子はどうですか?」
「眼の前の交差点までは安全だが、その先は……」
今歩いている大通りは、霜北沢駅に繋がっている。しかし駅前にあるA番街付近は、目抜き通りから路地に至るまで、一面が真っ赤に染まっていた。通行不可と考えた方が良い。
「車はこの辺りに停めた。マップ上でいう、駅の左上方向だ。ここは赤くないから、やはり無事の可能性が高い」
「問題はどうやって行くかだな。だいたいの道が真っ赤じゃねぇか」
「いったん瀬田谷まで戻って大回りすれば……。いや、それは時間がもったいないな」
「どうすんだよワタル?」
「そうだな……やるべきことは」
オレは何の気無しに衣織を見た。彼女は今も一枚布を羽織っている。今日は胸元で絞めているので、オフショルに似た姿だった。
「大きな布かな。あとはロープと、ゴンドラのようなものがあれば……」
「何の話だよ」
「周辺を探して回ろう。アニマの消費を抑えるために、なるべく物資を集めるぞ。ついでに衣織の服も見つけてやりたい」
「あはは。お気遣いどうも〜〜」
そうして探索してみるが、ブティックなんて気の利いた店は無かった。それでも構わず物資をかき集めていく。公民館からは暗幕を、工事現場跡地から、金属板を数枚、それと黒と黄色の虎柄ロープを拝借した。
「これだけあれば充分か。燃料と動力部分はアニマでなんとか補おう」
「なぁワタル、そろそろ教えろよ。これでどうしようってんだ?」
「気球を作る。それで危険地帯を飛び越そう」
「マジかよ、そんなもの作れる……って、もう出来ちまった!?」
オレが素材に手をかざしながらイメージすると、眼前には立派な気球が現れた。
炎が暗幕に膨大な熱を送り込み、大きな水疱のように膨らませた。すると地面から緩やかに浮き上がり、ロープで括り付けられた鉄のゴンドラを、天高く持ち上げようとする。別のロープで廃ビルと繋ぎとめていたので、そのまま飛び立つことは避けられた。
「よし、みんな乗り込め」
「うわぁすごい! 気球に乗るだなんて初めてですよ!」
「乗り心地は、悪くねぇな。これは快適な空の旅になるかな?」
「陰木も乗ったな。じゃあ行くぞ」
「乗ったは乗ったけど、本当に大丈夫よね? 落ちたりしたら承知しないからね」
オレはゴンドラからロープの結び目をほどいた。すると気球は緩やかに上昇。まもなく廃墟の頭を越えていった。
上空から眺めると、A番街は手のひらに収まるほど小さく見えた。霜北沢での出来事も、こんなにも狭いエリアで繰り広げられていた。そう思うと、やはり人間とはちっぽけな存在だと言わざるを得ない。
「わぁぁすごい! 遠くまで見えるよ紬季ちゃん!」
「分かったから。ひぇっ。引っ張んないでぇ」
「もしかしてだけど、高いところが苦手?」
「そっ、そんな事無いわよ! このオンボロの気球が怖いってだけ! つうか早く降ろしなさいよ、もう危ないところは越えたんでしょ!?」
「そうだな。ところで誰か、気球の降ろし方を知らないか?」
「えっ?」
「おい」
「はぁぁーー!?」
求む、気球の降ろし方。おかげでゴンドラはパニック状態だ。
「えぇぇ? ワタルさん知らないんですか!?」
「すまん。飛べりゃ良いとだけ考えてたから」
「ちょっとぉ! いい加減飛びすぎでしょ! 逆に行き過ぎてないコレぇ!?」
「そもそもどうやって前に進んでるんだろうな。それも分からん」
「笑ってる場合かよワタル! どうにかしろってマジで!」
「すまんすまん。ええと、上手いこと降りられたら良いんだが」
その時だ。何かが勢いよく漏れ出る音が響いた。すると凜花たちは顔面蒼白となって、いっそうに喚き立てた。
「ワタルさん、空気! 暗幕から漏れてますけど!」
「おい、この高さで落ちたらヤベェんじゃねぇの!?」
「ヤダヤダ! 死んでもいいとは思ってるけど、こんなマヌケな最期は絶対にイヤ!」
「高度が落ちてるなら良いじゃないか。渡りに船というやつだ。乗ってるのは気球だが」
「ワタル! 頼むからもうちょっと真剣味を持てよな!」
暗幕の隙間は徐々に広がっているようだ。すると落下速度も加速していく。あれほど遠かった町並みが、みるみるうちに迫った。
「ギャアアアーー落ちるーーッ!」
ゴンドラに大きな衝撃が走り、どこかを滑っていく。そうして耳障りな摩擦音を響かせたが、やがて止まった。
周りを見渡すと、全員が無事だった。
「あは、は。生きてる。どうにか生き延びましたよ……」
「いたた、ケツ痛い。尾てい骨が……」
ここはどこだとマップを開いた所、確かめるよりも先に陰木が呟いた。「ここはアタシの家だ」と。
正確に言うと実家ではない。A番街で寝起きをした家屋という事だった。
「なんだか納得いかないけど、アタシの目的は達成できそうね」
この建物は3階建てで、オレ達は屋上に居る。陰木の手招きに従って、下のフロアへと降りていった。もともとは立派な家屋だったのだろう。建材や窓枠の広さから、高級住宅であることを想起させる。
今となっては、豪勢な廃屋というだけだった。陰木のゾーンが解除された今は、よその廃墟と遜色ない廃れぶりを晒していた。
「あっ、良かった! ちゃんと残ってた!」
1階の小部屋前で陰木が叫んだ。そして書き物机に駆け寄ると、卓上のものを愛おしそうに抱きしめた。
それはプラスチック製の箱で、中には細かな部品や器具が満載されていた。ハンドメイド用の道具箱らしい。それは年季の入ったもので、離れても目立つ傷や、シールの剥がし跡が残されていた。
それらの全てが、彼女の過去を記録するものだった。
「大切なものは、それか」
「こればっかりは替えがきかないもの。この世に1つしかないから」
「分かる気はする」
「さぁ、アタシの用事はこれでお終い。さっさと次に行くわよ」
陰木は追求をさけるかのように、話を切り上げた。机の引き出しからトートバッグを取り出して、道具箱といくつかの衣類を詰め込んだ。
それからは車を取りに向かった。幸いにも道は安全、車も無事と、良いこと尽くしだった。強いて言えば、車輪の片側がぬかるみにハマったので、押し出すことに苦労したくらいだ。
「あぁ、どっと疲れたな。公園戻ったら休みてぇわ」
凜花がエンジンをかけながら呟いた。後部座席の衣織と陰木もすかさず同調する。
「そんじゃ出発するから。ワタルは安全な道をナビしてくれ」
「分かってる。重量も計算させて、マップを再起動した」
「頼むぜ相棒、マジで」
帰路も大したトラブルは無かった。ガレキが邪魔で数度迂回したくらいで、往路の騒ぎとは雲泥の差だった。
そして昼過ぎには、区立公園まで戻る事ができた。
「あぁぁぁおつかれさん! 帰ってきたぞ!」
車を路肩に停めると、陰木が真っ先に下車した。凜花や衣織も続こうとするが、それをオレが止めた。
「なんだよワタル。さすがに一休みしてぇんだが」
「実を言うと、ずっと考えてたんだ。陰木が生きようとするには、どうすべきかと」
「それ、私も考えてますよ。でも全然閃かなくって」
「問題は陰木が孤独であることだ。アイツはまだ、世間から受け入れられてないと考えている。だが、完全に人間を見捨てていないのは、翠や衣織への態度からも明らかだ」
「壮絶な過去だったもんな。あんな扱い受けてたら、誰だって嫌になるわ」
「だからその『世間』から受け入れられたら、解決できる。そのために一芝居うつぞ」
オレは閃きを端的に告げた。すると予想通りにも、2人を驚愕させてしまった。
「それマジ? 大丈夫かよ?」
「このアイディアなら、陰木は皆から重宝がられるだろ」
「この話、紬季ちゃんは知らないんですよね。もしかしたら、イヤになって逃げ出しちゃうかも」
「その時はその時だ。陰木のフォローもするし、最悪、避難民の面倒はオレがみる」
「まぁ、そこまで言うならアタシも乗るよ」
「私もやります。他に紬季ちゃんを救う手段も無いと思いますし」
「なら決まりだ。この時のために、さっきの暗幕を持ち歩いてたんだ」
「だからあんな馬鹿デカいもんを、ずっと担いでたのか」
オレは暗幕にアニマを使用して3人分のローブを作成した。黒だとイメージが悪いので、純白に塗り替えた。
オレたちはそれを目深に頭から羽織ると、車を降りた。そして粛々と、整然と歩く。なるべく神聖さを演出できるように。
そうして、公園内でウロつく陰木のもとまで歩いていった。
「なによアンタたち。キモいんだけど」
挨拶代わりの罵倒を聞き流し、オレはその場で膝をついた。凜花と衣織もそれにならう。
そして、少なからず避難民の耳目を集めている事を確認してから、大声を響かせた。
「嗚呼、なんというめぐり合わせか! これで我らの無限とも思えた苦難も終わり、救われましょうぞ! 幸福の女神よ何卒、我ら哀れなる民草を導き給え!」
唐突な事態に陰木は、目を見開いて絶句した。周囲の避難民たちも、にわかにザワめきだした。
この策が当たるかどうかは分からない。だが不思議と、失敗する未来は見えなかった。




