第41話 宙を舞う変態
思ったより空腹感は強かった。サバの水煮、イワシの蒲焼を平らげつつ、レトルトの生ぬるいカレーを喉に流し込む。舌が渇けば野放図に水を飲み、思い出したようにアーモンドも頬張る。
極めつけは桃缶で、果肉だけでなくシロップまでも完食。ようやく腹いっぱいだ。最後に水をガブ飲みして、口の甘みをやわらげていった。
「ふぅ……やっとひと心地ついたな。どうした2人とも?」
凜花や衣織を唖然とこちらを見た。さすがにこの食い方は暴挙でしかないか。ザッと見積もって2日分の食料を1人で食い散らかしてしまった。
「すまん。あまりにも腹が減って、つい……」
「いや、それは良いんだけどよ。ワタル、頭は大丈夫か?」
「辛辣か? 埋め合わせはする。代わりになる食料を探してくるから、それで勘弁してくれ」
「そうじゃなくて、髪の毛だよ。そんな白髪あったか?」
「白髪って何の話だよ」
凜花がウエストバッグから手鏡を取り出した。そこに自分の姿を写してみると、確かに目立つところに白髪があった。数本という程度ではなく、前髪の毛束ひとつまみ分が、丸ごと真っ白に染まっていた。
「なんだコレ……急に生えてきたかも」
「狙ったようにココだけ白いんだな。後ろとか横は黒いのに」
「全部地毛だぞ」
すると、衣織が少し震える声で「さっきの昏倒と関係あるのかも」と言った。
オレは途端に肝が冷えて、言葉を失ってしまった。一方で凜花はいつもより饒舌になった。
「いや、ワタル、それ結構似合ってるぞ? このご時世に髪を染めるなんて、そこそこ大変だし。ある意味ステータスじゃん。きっと悔しいくらいモテちゃうんだろよ、なぁ衣織ちゃん?」
「凜花さん……。思うんですけど、ワタルさんの力に頼りきりになるのは良くないと思います」
「うん、だよなぁ。アタシも悪いなと感じてるよ……」
「正直言って、ゾーン展開は凄い能力だと思います。でも、その反動も大きいようですね。下手すると、命取りになる気もしていて」
「命……!?」
「あっ、ごめんなさい! 私も確証なしで喋ってます! 怖がらせる気はなくて、そのぉ……」
2人とも黙りこくってしまう。他人事であるのに、さも自分の事のように胸を痛めているようだ。それとも、オレが担ぎ込まれた時はよほど酷かったのか。ともかく嫌な気はしなかった。
「そんなに心配するな。オレはこれからも例の力を使う。そうでもしなきゃ、この凍京で生き延びることは不可能だろう」
「でも……ワタルさんの身体が心配です」
「今は深く考えるべきタイミングじゃない。それよりも時間を無駄にしてしまった。早い所出発しよう」
「外は今もバイクが走り回ってますよ。せめて夜まで待った方が」
「スマホのマップを使えば良い。赤マーカーを避ければ、やつらと遭遇する事もないだろう」
オレは尻ポケットからスマホを取り出した。しかし、なぜか画面は暗いままだ。電源が落ちたか。側面をなぞってみたが、どこにもボタンらしきものは無かった。
そもそも一度として電源を落とした事がない。だからつけ方も知らなかった。
「おい、まさか壊れたんじゃないだろうな? マップだよ。いつものヤツを見せてくれ――――痛ッ!」
「大丈夫かワタル!?」
「あぁ、平気だ。強めの貧血があっただけで」
見間違いでなければ、ほんの一瞬だけ電源が入った。それと同時に鋭い痛みが脳を駆け抜けて、画面が消えるとともにおさまった。
それだけでヒントとしては十分だった。
「そうか。このスマホもアニマで動いてたのか。道理で充電がいらないはずだ」
「なぁワタル。平気か? なんだったら明日まで休んでても……」
「いや、出立だ。連中のバイクなら、音を頼りにすればだいたいの位置も分かるだろ。それとオレの心配ならいらない。また危うくなれば、躊躇わずにゾーン展開するつもりだ」
「おいおい、やめとけってマジで! 次はもっとヤベェかもしれねぇぞ!?」
「敵は銃を持ってる。あれで狙われたら、こっちはひとたまりもないぞ」
「確かに防御力が必要だよな。うん」
「そう思うだろ。だからオレはゾーンを――」
「だったらこうしようぜ!」
凜花には名案があるのか、勝ち気な笑みを見せた。実際に話を聞いてみると、悪くないと思う。衣織も少し乗り気だった。
そうなると善は急げ。凜花のアイディアを実現すべく動き出した。
「よし! それじゃあ、向こうのでっかい建物まで行ってみっか!」
オレ達を乗せたトラックは2ブロック先へ。極力、周囲に注意を払いつつ進むのだが、オフィス街を抜けてしまった。付近は集合住宅の並び立つエリアで、不安を覚える程に見通しが良い。
しかし、不安は現実化することなく、目的地に辿り着いた。近距離だった事が幸いしたようだ。
「到着、ホムセン! こんだけ広けりゃ、使えそうなものも残ってんだろ!」
凜花の案とは、軽トラックの強化だ。車体を手当たり次第に改良して、インフレする敵の強さに対抗しようというわけだ。
良いひらめきだと思う。ゾーン展開せずに切り抜けられるなら、オレも力を温存できるのだから。
「さぁてと。中の様子はどうだかね」
多くの棚は倒されて、無数の部品や資材が床に散らかっている。しかし歩けないほどではない。
ウキウキの凜花を先頭に店内を物色しようとする。その時だ。風切り音が鳴るとともに、足元に1本の矢が突き立った。誰だ、と思うなり、辺りに怒声が響き渡った。
「何だお前ら、また来たのか! オレは仲間にならねぇと言っただろ!」
店の奥で、棚の積み上がった一画から、男が叫んだ。伸び晒しの髪に無精ひげ。日に焼けた肌が覗くタンクトップに、ハーフパンツという姿だ。
その手にはボウガンが握られていた。
「また、とは何だ。オレ達は初めて来たんだぞ」
「ん、アァ? お前ら疾風ナンチャラっていうバイク乗りじゃないのか?」
「むしろ敵対してるくらいだ。奴らと対抗するために、目ぼしいものを漁りに来た」
「ふぅん、そいつは良いや。話くらい聞いてやろう。だがここはオレ様の縄張りだ。部品1つ盗むんじゃねぇぞ」
男はボウガンこそ下げないものの、気安い足取りでやって来た。近寄るとどこか、すえた匂いが感じられた。
「そんでオメェら、何か欲しいのかよ」
「軽トラックを強化したい。資材と工具だな。争うつもりはないので取引に応じてくれ」
「良いのか? 高くつくぜ」
「水と食料ならそれなりに持ってる」
「あぁもちろん、出すもん出してもらうが。それだけじゃ足りねぇよなぁ」
「他に何が欲しい?」
「決まってんだろ」
男は顔を歪めると、両手の指を柔らかく曲げては、小刻みに蠢かせた。それを嫌悪した衣織は、自然とオレの背後に隠れた。一方で凜花は、大きな溜息を吐いては、乱雑に脇腹を掻いた。
「随分な美人を連れてるじゃないか、ええ? モノが欲しけりゃそいつらの、おっ、おっぱぱパイをちゅっぷちゅぷさせろ!」
「あのな、そんな要求が通ると思うか? 特に衣織はまだ未成年だぞ」
「ぶふっ、つうことは女子高生!!? ぐへっ、げへっ、30歳も年下の子のパッパイをチュウチュウできるなんて……もう最高じゃねぇか! ギンギンしてきたぜぇーー!」
変態だ。それも度胸のある方だ。
男の侮辱は凜花の逆鱗に触れた。不用意に近づいた男の顔面にモデルガンが突きつけられる。
「調子に乗るなよオッサン。2度と朝日を拝めねぇようにしてやろうか?」
「ヒッ!? やめてくれよマジで。オレ様はDIYにうるさい方でな、車の改造だってお手の物よ? アンタらにはそのスキルがあんのか?」
そこでオレ達は顔を見合わせたが、どれも自信なさげだった。素人3人が寄り集まっても、果たしてどの程度までやれるだろうか。
「良いだろう、オッサン。とりあえず衣織ちゃんには触らせねぇ。だが、もしアンタが改造を手伝ってくれたら、アタシの初めてをくれてやる」
「んホッ、ンホォーー!! は、は、初めてっちゅうことは、お前さんは、しょしょしょ処女なんだな!?」
「悪いか。男とは縁が無かったんだよ」
「ぐっへぇぇ! そりゃたまらねぇな! よし決めた、オレ様も手伝ってやるぞ!」
話がまとまりかけたが、とてもじゃないが見逃せなかった。
「おい凜花、いくらなんでも無茶だろ!」
「良いんだよワタル。アタシが決めることだからよ」
「衣織も何か言ってやれよ、こんなの理不尽だろ?」
「いや、私の口からは何とも……」
オレはまだ食い下がろうとしたものの、凜花の目配せを見た事で、ついに口を閉じた。何か考えがあるのか。しかしそれが何なのかは、全く想像もつかなかった。
「よし、まずは図面だ。どんなイメージがあるか、言ってみろ」
「イメージなんてない。だが、とりあえず銃撃を防ぎたいとは思う。特に荷台に居ると狙わやすい」
「う〜〜ん。銃弾を防ぐとなると、選択肢なんてほぼ無いぞ」
「最悪、投石や弓矢が防げたらと思う」
「うん、うん。他には?」
「あとは運転席も対策したくって……」
こうして皆で案を出していく内に、イメージは固まっていった。そして男の見せ場がやって来た。手先が器用らしく、作業は滑らかで美しくすらあった。
これで変態で無かったら、仲間に誘いたいくらいだ。
「よし、出来たぞ。我ながらいい仕事っぷりだ」
「早いな。まだ半日も経ってないぞ」
言葉通り、仕上がりは要望通りだった。
まず荷台に置いた盾は、フライパンを何十個も重ねたような、不格好なものだった。当然重い。裏側に革ベルトが付いており、そこに腕を通して使えとの事。拳銃相手には心もとないが、無防備よりはマシに思えた。
運転席も防御面が向上している。窓ガラスに飛散防止のフィルムを張り、さらに内側から金網で補強した。これで視界を確保しつつ、投石などからも守れそうだった。
男は、そんな説明をする間、ずっと鼻息を荒くしていた。両目も血走っており、興奮状態にある事がわかる。
「他には鈎爪付きのロープを荷台につけといたぞ。牽引するときにでも使いな」
「分かった。とりあえず資材を使わせてもらったから、代金は水と食料で払う」
「おうよ、もらっとくぞ。あとはグヘッ。技術料の方を払ってもらおうか。お愉しみボディのお姉ちゃんよぉ?」
「あいよ。たっぷり味わいな」
そこで凜花は、手のひらを自分の口に押し付けてから、手を差し出した。男はポカンの立ち尽くすのだが、凜花は意に介さず、その場で踵を返した。
「正真正銘、人生初の投げキッスだ。嘘はついてねぇよ。それじゃあな」
「おいフザけんなよ! そんなお遊びで我慢できるか! こちとら粘膜で出し入れしたい――」
男が凜花に掴みかかろうとするが、次の瞬間に状況は一変する。男の身体は目まぐるしく回転して、背中から勢いよく床に落ちた。見事な投げ技が炸裂した瞬間だった。
「あんまナメんな、人の足元見やがって。そんな簡単に身体を許すわけねぇだろ。これに懲りたら、次はもう少し誠実に生きてみろや」
「凜花さん。もう何言っても無駄ですよ。気絶してますもん」
「あっそ。まぁいいや。つうか出発しようぜワタル」
たくましいやつだ。素直にそう思った。
間もなく凜花が、運転席でクラクションを短く鳴らした。オレと衣織も急いでトラックに乗り込んだ。
「さぁて、結菜ちゃん探しの旅を再開すんぞ!」
こうしてオレ達は、意気揚々と出発した。翌日には、せっかく改良したトラックを乗り捨てる事になるのだが、この時は知る由もなかった。




