第25話 鍵を握る少女
あれから結局、ふれあいパークに泊まることになった。オレが返事を濁したせいだ。
宇和前は、寝泊まりする為の部屋を貸してくれた。もとは従業員用の控室だったもので、いくらか荒れてはいるが、畳張りだった。
「鬼道様、国友様、どうぞごゆるりと。隣に誰かしらおりますので、何かお困りの事がありましたら」
袈裟姿の女は、それだけ告げると、隣室へ消えた。
部屋の造りは四畳半で、ゆっくりするだけの広さとは思えなかった。ちなみに2人分の布団が、寄り添うように敷いてあった。
「なんだよこれ、アタシらは夫婦か何かに見えてるってことか?」
凜花はしばらくの間、大きな声で喚いていた。うるさくて敵わないので、布団を部屋の端と端に置いたら、妙に静かになった。
これでようやく状況の整理ができそうだ。
「凜花、この部屋から出るには隣室を通る必要があるようだな」
「そうらしいな。ドアの向こうで気配がする。本当に誰かが居るっぽい」
「そこに誰かが居るってことは、体の良い監視ってところだろう」
「何だよそれ。アタシらはまだ信用されてねぇっての?」
「正式な仲間じゃないからな。一応は警戒してるんだろう」
「つうかワタル。何を迷ってんだ? こんないい場所に居られんなら、即決の即答するもんじゃね?」
「どんなに居心地が良くても、オレは先を急ぎたいからな。それでも交換条件は魅力的だし、悩ましいな」
「ここを手伝ったら、車1台貸してくれるってやつか。しかもガソリン満タンで」
宇和前は、軽トラックを複数台所持しており、働き次第では貸してくれるらしい。その提案には心が揺らいだ。
目的地の東京までは遠く、その都内も、徒歩で踏破するには広すぎた。しかも結菜を匿う病院については、いまだに何の目処もついていない。23区内か、それとも西東京なのかも不明だった。
「やっぱり足が必要だ。車があると助かる局面も多いだろう」
「じゃあ何で協力しねぇの? 答えは出てるようなモンだろ」
「勘……かな。上手く言えんが」
「勘ってお前! もうちっとマシな理由をひりだせよ!」
確かに宇和前は正しいと思う。態度は柔和、収穫物は分配して、感謝の言葉も都度忘れない。そんな態度を反映してか、労働者から子どもに至るまで皆が幸せそうだった。
だからオレが協力するのも正しいはず。理屈ではそう思うのに、なぜか心が拒絶した。『力になろう』という言葉がノドまで上がってきたのに、最後の最後で飲み込んでしまった。
「何でだろうな。自分でも上手く言い表せない」
オレはそっとカーテンをまくった。窓ガラスなど無いので、その先は外と繋がっている。
園内はすでに陽が落ち、夜の闇に閉ざされている。こちらの部屋で光るLEDライトが長い影を作り、遠くまで伸びた。光の届かない領域は、闇の世界と言っていい。月明かりが輝く夜だが、その光はあまりにもか細いものだった。
そんな中、遠くでチラチラとした光も見えた。
「園内は見張りが居るらしい。何箇所かで灯りが見える」
「へぇ、ザッと見て5箇所くらいか。電球や電池も希少品だろうに、ご苦労なこったぜ」
「これだけ広いと警備するのも一苦労だろうな……。うん?」
「どうしたワタル?」
「今、向こうで何か動いたような」
「やめろよぉ! 急に怖いこと言うんじゃねぇ!」
「そうじゃない。ライトを貸せ」
強力な白色光で窓の外を照らした。ここだけ真昼のように明るくなるが、特に目ぼしいものは見つからない。その代わりに、遠ざかっていく足音が聞こえた。
「なんだろ。ここの人間にしては、不審な動きだな」
「ほっとけば? 別にアタシらに関係ないだろうし」
「いや、ここは少し調べてみよう」
「そうそう、今日も疲れたしサッサと寝る――って、ハアア!??」
「もしかしたら、違和感の正体が分かるかもしれん。手伝ってくれ」
「んだよ……。人使いの荒い親分だな、オイ」
それから凜花とともに部屋から出ると、壊れかけの売店に出た。すると監視役の女が、すり足にも似た動きでこちらに歩み寄った。
「鬼道様、何かございましたか?」
「少し夜風に当たりたい。散歩してきても良いか?」
「大変申し訳有りません。日暮れ以降に出歩く事は固く禁じられております。ゲストの方だけでなく、全員がです」
「夜は外に出ちゃいけないのか?」
「左様でございます。以前、農作物を盗まれる事件が頻発しまして。それ以来、日中以外の外出は禁止されました」
「そうか……。そんなルールがあるのか」
「もちろん、お手洗いは別でございます。不用意に出歩かなければ、お咎めもありません」
では先程の足音は何だったのか。見回りにしては、灯りは無く、足音も不審だった。
これは真相を探る必要がある。それもまた、勘が告げるものだった。
「そういった事情でございます。ご不便をおかけしますが、散策は明朝までお待ちいただけると――」
「すまん。それは言葉の綾だ。実はツレの凜花が腹を壊してな。トイレに行きたくてタマランらしい」
「えっ、アタシ!?」
凜花が目を丸くして驚いたが、オレはすかさず目配せをした。すると驚きの表情が、みるみるうちに諦めのものへと変わっていく。
「イタっ、イタタタっ! アホみたいに昼飯食ったから、死ぬほど腹がヤベェ!」
「まぁ! それは大変、お手洗いはコチラです!」
監視の女は『鬼道様は部屋にお戻りを』と言い残して、凜花を連れて行った。オレは部屋に帰るフリだけする。偽装工作にドアの音を大きく鳴らして、オレもすかさず闇の中に消えた。
「外出禁止の中でウロつく人影か。絶対何かあるだろ」
眼が暗さに慣れ始めると、付近の様子も見えるようになった。見回りは外周付近をウロついているらしく、ここまで眼が届くことも無いだろう。
「さてと、例の人影は……」
眼が慣れてきたとは言え、遠くまで見通せる訳じゃない。だから物音に注意を払う。ジイイと鳴く虫の音に混じって、微かな物音がした。たぶん扉の開閉音で、農場の方からだ。
「もしかして倉庫か? だとすると、本当に泥棒が出たのかも」
念の為、警棒を手に取った。そして暗がりの中、足音を殺して忍び寄った。
月明かりの下で、倉庫の入口が僅かに開いているのを見た。その先は一層に暗い。外からでは、中の様子を窺い知ることは難しい。
「本当に泥棒か? 一体どんなヤツが」
ドアの隙間からそっと中を覗き込んだ。わずかに差し込む月明かりが、1人の少女を照らしだす。何か作業に夢中のようで、オレの存在には気づいていない。それだけでなく、ブツブツと独り言を呟いていた。
「よし、ここまでは順調。あとは私の力で鍵を手に入れて――」
「順調そうで良かったな。何が目的だ?」
「ウギャアアーーッ!!」
少女はバケモノでも見るような顔で驚いた。そして、振り返りザマに足をもつれさせ、大きく尻もちを打った。
歳の頃は若い。高校生くらいか。長い黒髪の細く毛束でツインテールを結ぶ。服装もワンピースにハーフパンツという、およそ窃盗犯とは思えない装いだった。
「何してんだお前。ここの人間か?」
「あっ、ええと、そうですハイ」
「夜中に出歩くのはルール違反らしいぞ。知らなかったのか?」
「あの、すいません。大事なネックレスを落としちゃって。それを探そうと考えてました、ええ」
「それは困ったろ。手伝ってやるよ」
「いえいえ、もう見つかりました! それでは私はこの辺で!」
少女はそう言うと、胸元を隠しながら出ていった。怪しげだ。しかし不思議と、悪意のようなものは感じられなかった。
「まあ良いか。オレに捕まえる義理もないし」
帰り際に倉庫の扉を締めた。鍵があるかは知らないので、あくまで締めただけだ。
それから部屋に戻ろうとすると、例の監視役が涙目で出迎えた。オレが消えた事で、パニックを起こす寸前だったらしい。オレもトイレだよと告げて、大人しく部屋に戻った。
凜花はすでに高いびきで就寝だ。オレも灯りを消して、今日という日に別れを告げた。そして次の朝が訪れた。
「鬼道さん、国友さん。昨晩はよく眠れましたか?」
朝早くに宇和前が迎えに来た。朝食の誘いで、献立は卵粥と麦茶だった。デザートにミカンの缶詰まで出てきたので、凜花がシロップまで舐める勢いで食い尽くした。
「さて、鬼道さん。一晩おいて、考えは決まりましたか?」
「いやまだだ。オレはここの事情について、詳しく知らない。返事はもっと、お互いを知ってからでも遅くないと思う」
「仰るとおりです。具体的には何を?」
「ここで暮らしている信者というか、一般の人たちについて知りたい」
「承知しました。少し歩きます」
今日も宇和前が案内する形で歩いた。まずは園内中央の農地を横切っていく。
「どうですか。朝の畑も良いものでしょう。この、胸が満たされる程の香りといったら」
「分かる気はする」
話によると園の中央が農地で、北は駐車場跡地、東側の雑木林ではシイタケの栽培所と鶏舎がある。南は宇和前の私室と監視小屋、オレたちが寝泊まりする売店が点在する。
一般の人たちが暮らすのは、西エリアだった。
「ちょうど大きなレストランと、それに併設してプラネタリウムがありましてな。大人数が寝起きするのに都合が良いのです」
まずはレストランへ向かう。中は想像以上に広く、百人以上は利用できそうに思えた。今はテーブルを並べるのは奥の一角のみ。他はパーテーションや段ボールで、空きスペースが細かく区切られていた。
「これは部屋みたいなもんか。避難所と同じだな」
仕切りの中は、敷きっぱなしの布団や私物がある。今は休憩中なのか、たまに布団の上であぐらをかいて、読書などを愉しむ姿を見かけた。その青年と視線が重なると、申し訳なく思い、深めに会釈した。
「皆には窮屈な想いをさせてしまい、心苦しく思います。大工でも居れば新たな家屋も建てられるのでしょうが、今のところは無いものねだりです」
「セカンダリーゾーンは使えないのか?」
「アナタもご存知とは思いますが、アニマが不足しています。今のままでは、噴水と農地を維持するので手一杯なのです」
「なるほどな。確かに、あれだけでも十分奇跡だよ」
レストラン内の厨房は、何人かの人員が騒がしくしていた。茹で時間に下ごしらえと、怒号にも似た声が飛び交っている。あそこは戦場のようだが、どこか表情は明るい。
「鬼道さん。お望みの物は見つかりましたか?」
「それなんだが宇和前さん。悪いが少し外してくれないか」
「外すと仰いますと……」
宇和前は納得しない様子だった。しかしオレがしきりに凜花へ視線を送ると、すぐに照れ笑いを浮かべた。
「これは気がききませんで。本日はおおよそ私室におります。何かあればお声がけください。ではごゆっくり……」
宇和前は何か意味深な態度を見せた一方で、去り際は潔かった。振り向きもしないで歩いていった。
良く分からんが渡りに船。オレは凜花を連れて東エリアへと向かった。そこは木々の多く残る緑地となっていた。
「おいワタル。何だよ、こんな所に連れ出して……」
「この辺も少ないが、人の行き来があるな。ついてこい。もう少し人気の無い場所が良い」
「えっ、ちょっと、どういう風の吹き回しだよ!?」
そこで運良く、深い茂みを見つけた。歩道からも離れているので、立ち聞きされる心配もないだろう。
だがなぜか、肝心の凜花が煮えきらない態度だ。オレに近づくような、しかし離れたがるようでもあり、半端な位置で立ち尽くしている。そんな素振りには、少しばかり苛立ってしまった。
「凜花、もっと傍にこい。ちょうど茂みがある」
「いやいやいや、なんで? どしたんお前?」
「どうしたもあるか。早く来いよ」
「えっ、待って、結菜ちゃんはどうすんだよお前!?」
「なんで結菜が出てくる。いいから来い」
「あっ……!」
オレは凜花の腕を引いて、茂みの傍まで引き込んだ。立ち膝になって周囲の視線にも対処した。そして今、眼の前には、両目をまんまるに見開いた凜花が居る。なんて顔してんだお前。
「黒髪のツインテール。歳は高校生くらいの女。今からこいつを探すぞ」
「……ハァ?」
「ここの施設は、やはり裏があると思う。その鍵を握ってるのがツインテールの女だ。宇和前に気取られないよう、うまく探し出そう」
「おう、分かったよ。分かったけどワタル、1発殴らせろ」
「どうしてそうなる?」
「どうしてもだよッ!」
頬に紅葉。視界に軽く星が舞う。オレはなぜこんな仕打ちを受けなくてはならないのか。茂みから出て、散策を装って探し続ける間、痛烈なまでの理不尽さに苛まれてしまった。
「解せぬ」
「解せぬじゃねぇわ! まったく、少しは乙女心ってもんを理解しやがれ!」
「問題解決するのに、男も女も無いだろ」
「あぁそうだよな! お前ならそう言うだろうよ! つうかさ、分かれよ、アタシも年頃のお姉さん――」
「静かに、凜花。見つけたぞ」
オレは咄嗟にブロック塀の裏で立ち止まった。凜花も前につんのめりそうになるが、どうにか堪えた。
「あれが例の女か、何やってんだろ?」
「監視小屋に用事があるらしい。ずっと周囲をウロついてるが、不自然だな」
昨晩の少女は、いくらか不審な動きを晒していた。大きなプラスチックのカゴを持ち歩いては、どこかへ移動するのだが、何度も同じ場所を行ったり来たり。
時々、わざとらしくも腰を叩いたり、大きく伸びをする間も、視線は監視小屋へと向けられていた。
これ以上無いまでに怪しい。オレは凜花を連れて、声をかけながら近づいた。
「おう、またネックレスでも無くしたのか?」
「えっ、あぁ! あなたは……」
「昨晩ぶりだな。ここで何してる?」
「あの、えっと、すみません! お仕事がありますから!」
「おい待て、少し話を――」
オレは逃げ去ろうとする少女の肩を掴んだ。するとその瞬間、指先に激しい電撃を感じて、思わず手を引っ込めた。
今の感覚はもしかして。記憶をまさぐっていると、スマホがポケットの中でくぐもった音声を発した。
――サイコダイブが可能となりました。ディープゾーンへ侵入するには、こちらのボタンを押してください。
オレは思わず凜花と顔を見合わせてしまった。
「もしかして、この少女も適正者なのか?」
「さぁな。潜ってみなきゃ分からねぇだろ」
「それもそうだな。じゃあ行くぞ」
「ちょっと待て、心の準備!」
凜花は両手で自分の顔面を覆うと『いつでも来い』と言った。許可が降りたなら遠慮はいらない。サイコダイブ開始。
凜花はイモムシに飲まれる最中、断末魔の叫び声をあげた。この仕様にはまだ慣れないらしい。
それから間もなく、オレも飲まれた。そうして次に目覚めた時は、少し懐かしい光景が広がっていた。
「なんだコレ。どっかの校舎か?」
「そうらしいな。ここは教室わきの通路みたいだが」
凜花と並んで教室を覗き込んだ。ちょうど授業中で、黒板には化学式がズラリと並んでいた。
それも懐かしい、などとノンビリ眺めていたところ、不意に教師と眼があった。白衣を着た若い男の教師が、こちらへズカズカと歩み寄ってきた。
「そこのお前ら! 部外者が何をしている!」
すると甲高い音が鳴り響き、視界が白く染まる。この感覚、今となっては何も珍しくなかった。
「そういう事だ、凜花。がんばろうか。正解ルートを探すお仕事だ」
果たして、この校舎に何百人の人間が居るのだろう。オレ達は何のヒントもナシに、この数の暴力と向き合わなければならなかった。




