第23話 廃墟の先には
あくる朝。テーブルには、バッグやライトを始めとした、数々の道具が並んでいた。オレと凜花は一つひとつを確かめながら、各自装着していった。
「どうかなワタルさん。使えそう?」
そう言って微笑むのは大介だ。彼の手腕はなかなかのもので、半日もしないうちに、オレ達の私物を探し出してくれた。
腰に警棒を差す。背中に背負ったショルダーバッグは、餞別として贈られたものだ。中には収穫したてのジャガイモと、大きな水筒が入っていた。しかも飲み水は満タンだった。
「助かるぞ大介。いや、ここは領主サマと呼ぶべき?」
「やめてよね、それ。そんな大それたもんじゃないよ」
葉狩野の居なくなった自明キャンパスは、リーダーが不在になった。そこに大介がおさまった事は自然の流れだったと思う。彼は論理的で、判断も的確、さらに気質も善良ときている。足りないのは年齢くらいだろうか。
それでも大介を、子どもと侮るような不届き者など、ここには居なかった。
「キャンパスの皆は、頭脳明晰なお前を頼りにしてるんだ。担がれてやるのも人助けだぞ」
「偉そうなのは好きじゃないよ」
「アタシの装備を取り返してくれてありがとな、大介! やっぱアンタはイイ男だよ」
「凜花さん。可能な限りかき集めたけど、全部そろってる?」
「缶詰が足りねぇけど、イモを山程貰ったからな。むしろ釣りが要るくらいだわ」
凜花も上機嫌で装備した。喫茶ドゥテイルで盗まれた物資は、このキャンパス内にあったらしい。紆余曲折した結果、今こうして取り戻す事ができた。
凜花も大きなリュックを背負い、モデルガンを肩にかけたところで、満足げに微笑んだ。
「おし、おまたせ。アタシも準備オッケーだ」
「それじゃあ大介。オレ達は行くよ」
「寂しくなるけど、仕方ないね。せめてお見送りはさせてよ」
「えっ? 大介はついて来ねぇの?」
凜花は声を裏返してまで驚いた。すると大介は、少し悩む素振りを見せてから、静かに答えた。
「僕はここに残るよ。茉莉恵の事もあるし。それに子どもの身体じゃ、長旅なんて足手まといになると思う」
「そうかよ、マジで残念だわ。軍師ポジションが1人居ると安心なんだけどさ」
「凜花。あまりワガママ言うな。大介が困るだけだろ」
「わかってるよ。つうか年下が説教すんな!」
そうしてオレと凜花は、校門まで来た。見送りとして大介と茉莉恵、タネ婆さんに何人かの青年と、多くの人が集まってくれた。
「それじゃあワタルさん。本当に、本当にありがとう」
「元気でな大介。みんなと上手くやれよ」
差し出された手を見て、オレは握手に応じた。大介の手は小さいが、確かな力がこめられていた。
「ワタルさん。困ったことがあったら、いつでも頼ってね。必ず力になるから」
「そうか。じゃあピンチの時は遠慮なく、ここの厄介になると思う」
「任せてよ。この集落を、もっともっと住みよい場所に変えてみせるから」
「がんばれ。お前なら出来るよ」
大介の肩を叩くとともに、繋いだ手を離した。別れの合図だった。
それからオレたちは、何日かぶりに井久田坂を降りていった。
「元気でな、大介〜〜! 妹ちゃんと仲良くすんだぞ〜〜!」
凜花の言葉が、最後のやり取りとなった。オレたちは以前のように、二人旅を再開した。
「さてと、ワタル。これからどうすんの?」
「当初の目的通り、東京に向かう。小和急線に沿って行くのが良いだろう」
「そりゃまぁ、新熟駅に繋がってるけどさ。スンナリ行けんのか?」
「それは知らん。だが水と食料は十分にある。しばらくの間は、補給を気にせず歩いていけそうだ」
「うげっ。もしかして、この先ずっとイモ料理?」
「食えるだけ良いだろ。美食家でもあるまいし」
「わーーってるよ! 文句ねぇから、お供させてくだせぇリーダー様ッ!!」
そんな言葉を交わしながらも、すでに井久田から離れていた。無人の廃墟を、ひたすら東の方へと歩いてゆく。
「しかしな、不気味なくらい静かだ。スマホはどうなん?」
「こっちもマーカーなし。付近に人は居ないようだ」
「そっか。まぁ、この有り様じゃ聞くまでもねぇよな」
凜花が前方にアゴを突き出しながら言った。そこでは、見渡す限りの全てが崩壊していた。倒壊した建物、へし折れた電柱、根本から倒れた高架線と、見るも無惨な光景が広がっていた。
井久田エリアは坂道が多いので、一望できる機会は少なかった。しかしこの登途エリアには、広い平野部がある。
だから見えてしまった。どこまでも続く廃墟の海を。
「ハァ、気が滅入るよなぁ。マジで人類は死に絶えたろ」
「キャンパスには大勢が生き残ってたぞ。よそも同じように、集落なんか作ってるんじゃないか?」
「だと良いけどよ。こうも静かだとキツすぎんぞ」
凜花の蹴った小石がそこらを転がっては、長い音を響かせた。剥き出しの鉄骨に当たったせいだが、それにしても大きな音だと思う。
「ういっ。マジで怖くなってきた。ワタル、しりとりしようぜ」
「どうしてまた?」
「無音が嫌なんだよ。それにアンタは、話しかけなきゃ黙っちまうだろ。ホラやんぞ」
「……敵を見かけたら中止、だからな」
それからは単語の応酬が始まった。リンゴ、ゴンドラ、ラジオ、オクラ、ラー油、湯船。
こんなやり取りが、次の駅付近に差し掛かるまで続けられた。
「ら、ら、ら……。来賓客! どうだ、アタシはまだまだ負けねぇぞ!」
「倉」
「また『ら』かよオイ! こんなのイジメだろお前――」
「止まれ凜花。これ以上は進めない」
「うおっ、なんだよコレ……!」
オレたちは思わず、その場に立ち尽くしてしまった。本来ならあるべき道はなく、ビルや建物もなく、ただ巨大な穴が口を開けていた。
「バカでけぇ穴だな……。クレーターかよ」
「とんでもない規模だな。ガス管でも爆発したのか」
その巨大な穴は深く、勾配も急で、まるで断崖絶壁のようだった。ここを通過するには、何かしらの登山道具が必要だろう。今の装備で飛び込むのは自殺行為だった。
こうして迂回を強いられたのだが、他の道もコンディションは悪い。倒壊したビルと、焼け焦げた車の残骸が行く手を阻む。ここを突破するだけでも、相当の体力を削られそうに思えた。
「仕方ない。なるべく平坦な道を探そう」
「そうだな。長い旅になるってんなら、無駄な体力は使いたくねぇし」
それからは駅を離れて、大通りの方へ足を向けた。オレたちの事を、間もなく異質なものが出迎えた。
「おいワタル。なんだよこれ……?」
凜花が地面を指さした。そこは交差点で、赤い塗料による幾何学模様が描かれていた。
目にしたことのない図形だが、眺めていると、胸にムカつきのような物が込み上げてきた。
「ペンキで描いた魔法陣……かぁ? 歪んでっけど、円の中に無数の目玉と、手のひらがあるよな」
「何の意図かは分からん。もしかすると、誰かに宛てたメッセージかもな」
「何の意味があんだよ?」
「それは知らんが」
どうやらこの付近には、何者かが潜んでいるらしい事は分かった。実際スマホにはマーカーが現れている。紫がいくつか、この付近に点在していた。
接触を避けるべきか、それとも情報交換でも持ちかけるか、悩ましい所だった。
「ワタル、見てみろ。建物にも例のマークが」
この付近は比較的、道が広い。大型スーパーやカラオケ店といった、大きな建物も珍しくない。それらの入口や壁には、やはり赤い塗料で、不気味な図形が描かれていた。
「アチコチに描いてんな。こんなの暇人の仕業だろ」
「シッ。そこに誰かいる」
オレ達は物陰に身を潜めた。道路を挟んだ向かい側、何者かが屋内にいるようだった。傾いた看板にはゲームセンターの文字が見えた。
「あんな所で何やってんだろ。オッサン1人だけか?」
「スマホを見る限り、そうらしい」
その男は、店内でひざまづいて、何かを呟いた。それから両手を天井に向かって突き上げ、やはり何か、呟いた。
一体何をしているのか。しばらく見守っていると、事態は急変した。男の手元が白く光る。それは1本のナイフで、逆手に持ちながら大きく叫んだ。
「今こそ約束の時! 我が主よ、迷える魂を導きたまえーーッ!」
ナイフは腹に向けて振り下ろされた。次に、横に裂いて、1度引き抜く。最後に左胸めがけて一気に突き刺した。
それきり男は動かなくなる。声も、物音もない。寒気を覚える静寂だけがあった。
「何だよあのオッサン。絶望した結果か、それともトチ狂ったか……」
「まだ助かるかもしれない。ちょっと見てくる」
「おい、あんなのに関わんなよ! 即死に決まってんだろ!」
オレは制止の声を聞かずに、道路向かいまで駆けた。スマホを確かめる。マーカーはいくつか見えるが、全て遠い。少なくとも、5分やそこらの距離ではなかった。
そこまで確認すると、店内に足を踏み入れた。血溜まりの床に倒れ伏す男は、黒スウェットの上下を盛大に濡らした状態で、事切れていた。
「間に合わなかったか……。ん?」
男は壮絶な死を遂げたはずだが、その死に顔は不審だった。持ち上がった口角が、どこか笑うように見えてしまう。
「これが絶望の末に死んだって? そうは見えないな」
「なぁワタル、そんな奴に構うなって言ったろ」
「凜花、お前まで入ってこなくても良かったのに」
「良いか、この世の鉄則を教えてやるよ。とにかく自分の安全を最優先にしろ。さもないと命がいくつあっても………って、何だコレ!?」
凜花がいきなり叫んだ。すかさず薄暗い店内をライトで照らしていく。そうして映し出されたのは、異様としか思えない光景だった。
「マネキンが切り刻まれてやがる! それも1つや2つじゃねぇぞ!」
「他にもあるな。ぬいぐるみも引き裂かれてるし、赤のペンキで塗りたくってる」
「んだよ、ぬいぐるみ遊びの中でも陳腐な部類だなぁ? もしかして終末世界の再現かよ、オォ?」
凜花は悪態をつくが、それからは言葉を失い、立ち尽くした。二の句がつげないのはオレも同じ。これほどに異常な環境下で生命を絶つとは、どんな心境だったのか。行きずりのオレたちには、全く想像できなかった。
するとその時だ。不意に出入り口の外で足音が響いた。オレたちは咄嗟に身構えると、その眼前に包丁槍を突きつけられた。
「誰だお前たち! ここで何をしている!」
武装した男達が吠えた。3人は居る。まるで空から降って湧いたような敵を、オレは信じられない想いで眺めていた。
やがてその人垣が割れた。そこから現れたのは中年の男で、袈裟姿だった。僧侶のような男は、静かに両手を合わせると、オレ達にこう告げた。
「あなたがた、見ない顔ですね。ここが我ら『迷える魂の集い』のテリトリーと、ご存じないのでしょうか?」
落ち着きを払った声だった。それが不思議と、凶々しいもののように感じて、耳を塞ぎたくなる。
僧侶の男はというと、今も変わらず、穏やかな表情を浮かべたままだった。




