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第18話 つながる悪意

 長老、そして大介の父が現れたディープゾーンは、謎の奥行きを感じさせた。一筋縄ではいかないように思う。だが少なくとも、大介はやる気だった。



「いろいろ失敗しちゃったけども、気を取り直して頑張ろうね」

 

「しかし謎を解くにしてもな。これからどうしたら良いか」


「ワタルさん、ロッカールームの方を当たってみようよ。さっきは僕のせいで失敗したけど」


「そうだな。じゃあ左手奥のドアに行くぞ」



 オレ達は急ぎ、オフィス内に侵入した。給湯室からそっと様子をうかがう。そこには長老と大介の父が見えた。



「さっさと消えろ浅生あさお。お前はもう社員でもなんでもないんだ」


葉狩野はかりの部長……!」


「なんなら警備員につまみ出してもらうか? 良いさらし者だな。横領犯にもなると、それくらいの檜舞台ひのきぶたいを用意してやるべきかもな」



 心無い言葉に、大介の父親は顔をうつむかせて、グッと堪えた。それを眺める大介も、静かに堪えた。オレは、飛び出しそうになる相方を腕で制しながらも、別の事を思う。長老の本名は「葉狩野」というのか、と。


 

「……お世話になりました!」



 それきり大介の父親はオフィスを去っていった。パーテーションの脇を、うなだれながら通り過ぎていく。


 背後からは、痛みを共感するかのように歯ぎしりが鳴る。オレは小声で大介を称賛した。



「よく我慢したな。おかげで先にいけそうだ」


「ワタルさん。これからどうなるの……?」


「たぶん、新しい扉が出てくる。凜花の時なんか、空中にポンと現れたもんだった」



 引き続き、給湯室から様子をうかがう。見聞きできるのは、残された社員たちが仕事に打ち込む様子だった。



――はい、はい、その節はまことに!

――ちょっと、誰かコピー! 昼までに100部刷っといて!

――すいませ〜〜ん。今折り返しの電話来てますけど、心当たりある方〜〜?



 慌ただしく働く光景が続いた。だが、それだけだった。



「ワタルさん。次っていつ?」


「……わからん。もしかすると、別の場所に行くべきか?」



 オレ達は給湯室を後にして、通路に戻ってきた。そしてエレベーターホールまで足を運んだ所で、何か閃くものがあった。



「大介。たぶんこれだ」


「これって、エレベーターのこと?」


「他の階層に行けば進展すると思う。そんな気がしてきた」

 


 エレベーターは一基だけ。ボタンは2つで上りと降り。とりあえず上を目指してみよう。ボタンを押した瞬間に、その扉は開いた。


 中にはスーツ姿の男が待ち受けていた。



「おい、お前たち。いったい誰なんだ!?」



 浴びせられる叱責の言葉、白む視界、リテイク。ふりだしに戻された。


 それからと言うものの、連戦連敗が続いた。エレベーターに乗り込もうとするのだが、どのタイミングでチャレンジしても、必ず何者かと遭遇してしまう。


 もちろんやり直しだ。今となっては、牛革ソファを見るだけで吐き気が込み上げるようになった。



「クソッ……。これで何回目だよ」


「10回目からはもう数えてないよ……。頭痛くなってきた」


「気分転換だ。なんか甘いものでも食うか」


「もしかして、アメ玉でも持ち込んでるの?」


「こっちだ、ついてこい。何か奢ってやるよ」



 怪訝けげんな顔の大介を連れて、オレは通路を左に進む。その先はロッカー、続いて給湯室。そこまで来て、お目当ての冷蔵庫に手を伸ばした。



「さてと。何か美味いものでも入ってないかな」


「ワタルさん、それって泥棒じゃないか。他人のでしょ?」


「考えてもみろ、ここは現実じゃない。誰かの心の世界だ。勝手に食い散らかしたところで、被害者なんて居やしないぞ」


「うん、うん? そうなるのかな……」


「さてと。気になる中身は何でしょう」



 扉を開けてみると、肌に心地よい冷気が溢れ出てきた。懐かしさを覚えるほど、キンキンに冷やされている。



「飲みかけのお茶、ジュース……。おっ、プリンがあるな。食うか?」


「食べたいけど。本当のホントに良いの?」


「平気だろ。オレは水まんじゅうでも貰うかな」



 ビニールの包装は、どこからでも切れますタイプ。上手く切れた。その作業だけでも既に懐かしい。


 プルンと揺れてみずみずしい。一口でほおばる。すると、口にも舌にも、凄まじいまでの甘みが押し寄せてきた。


 久々に味わう砂糖の甘さは、もはや暴力的と言っても過言ではない。実際、頭を殴られでもしたかのような衝撃が、頭の中を駆け抜けた。



「甘ッ……なんだこれ! アンコってこんなに凄かったか!?」


「あわわわ。ワタルさん、プリンもめちゃくちゃ甘いよ! 匂いも濃いし、すごくヒンヤリしてるし……!」



 オレ達は、さながら欠食児童のように食い散らかした。まんじゅう、プリン、冷やし中華にスポーツドリンク。完食した頃には気が緩んでしまい、眠気が押し寄せるようになった。



「いっそ昼寝でもするか。たぶん、またやり直しになるだろうから」



 すっかり敗北主義者と化したオレ達だが、迫る足音で緊張感を取り戻した。あわててロッカールームに逃げ込んで、成り行きを見守った。


 するとスーツ姿の女が、冷蔵庫を開けては大声を響かせた。



「あーー! 誰か勝手にプリン食べたでしょ!」



 女は恨みがましくオフィスを睨むが、犯人などそこに居ない。だから自首する者など現れるはずもなかった。


 業を煮やした女は、デスクに戻るなり財布を取り出した。



「ちょっとコンビニ行ってきます。誰かにプリン食べられたから!」


「あっ、それなら無糖コーヒーもよろしく!」


「じゃあオレはエナドリ、青いやつね」



 すっかり買い出し担当となった女は、大きなため息の後、オフィスから出ていった。そこでロッカールームを通り抜けたのだが、オレたちの存在には気づかなかったらしい。


 眼の前でドアが閉まった。その瞬間、オレは何か閃くものを感じた。今度は確信に近い感覚すらある。



「大介、新しい展開だな」


「言われてみれば、そうかもね」


「追いかけるぞ。何か進展があるかも」



 オレ達は遅れて通路に出た。さきほどの女は、防火扉の前でただずんでいる。それから、何か扉に細工を施すと、ヒステリックな金属音とともに開いた。


 そうして聞こえたのはハイヒールの鳴り響く音。反響具合からして、階段を降りていったように思う。



「ワタルさん。これが正しいルートなのかな?」



 正解は、冷蔵庫のものを勝手に飲み食いする、でした。


 

「いや、そんなん分かるかよ!!」


「シーーッ! 気づかれちゃうよ」


「すまん。何だかムカついて……。不親切設計にもほどがあるだろ」



 ご立腹でも、道は開けた。女の後を追って階段を降っていく。1フロア分も進めば行き止まりで、分厚い鉄扉だけがあった。



「さてと。どこに繋がってるか分からんが、とにかく開けるぞ」


「うん。まかせたよ」



 鉄扉がきしむ音を聞きながら開く。光が差し込んで、眩しさから目を閉じた。



「つぎはどこだ……?」



 弾む会話、行き交う足音、レジの電子音。どこかの店だろうか。


 目を開いてみる。どうやら喫茶店の中に出たらしい。背後を振り向くと『スタッフオンリー』の文字が見えた。



「そっか。割と好ましくないルートを通ったかな」


「あの……お客様。2名様でしょうか?」


「あっ、うん。2人組だ」


「店内は禁煙のみですが」


「いいよ。吸わないし」



 男の店員から接客を受けてしまった。とっさに客を装って、彼の後に続いた。案内されたのは窓際で、隣客との間も観葉植物で仕切られるという、そこそこ上等なテーブル席だった。


 店員は「ご注文決まりましたらお呼びください」と言い残して、席から離れていった。



「ふぅ、どうにかなったか。冷や汗がやばかったぞ」


「ワタルさん。これからどうするの?」


「もちろんお茶しよう……とはならないぞ」


「だよね。たくさん飲み食いしたばかりだし」


「そうじゃなくて。意味もなくカフェに出てきたとは思えない。ここにも何かあるんだと思う」


「何かって?」


「それを探すんだよ」



 オレがそう告げた瞬間、近くから聞こえた声に思わず反応してしまった。観葉植物に隔たれた向こう側、テーブル席の会話が聞こえたらしい。


 それは紛れもなく、葉狩野の声だった。



「どうだね。考えてくれたか、浅生の奥さん?」



 相変わらず、肌にまとわりつく響きが不快だ。葉狩野は女連れで、テーブルを挟んで向かい合っていた。



「何度も申し上げますが、私は主人を裏切る事なんてできません」


「その旦那は家族を裏切ったが。会社の金を横領した上に、やれ風俗だのギャンブルと、やりたい放題だったそうだ」


「そんなハズはありません! 私は、夫を傍で支えてきたんです。平日は遅くまで仕事で、週末は家族とべったりだったんですよ! 大金を使い込む時間なんてありませんでした!」


「では、平日の遅くに遊び呆けていたのだろう。いやはや、こんな美人な奥さんをほったらかしにして、他所で女をこしらえるとはな……」


「夫を侮辱するのはやめてください」


「奥さん。オレなら、アンタを満足させる自信がある。試してみないか? もし望むなら、遊ぶ金だって用意してやる」


「やめてと言ってるでしょ……!」


「ま、アレだ。ゆっくり考えることだ。今ならまだ示談を成立させて、被害届を取り下げる事も出来るんだ。オレがその橋渡しをしてやろうってんだから、優しいだろ?」


「夫は無実です」


「裁判官に通じたら良いがなぁ。小さいガキ、小学生だったか? ソイツらも犯罪者の親をもって可哀想に。あぁ、可哀想だ」



 葉狩野はそこまで言うと、伝票を片手に立ち去っていった。


 他人事ながら話を聞くだけで、腹の中が腐りそうな気分になる。実際、奴と直接対話した女は震えていた。それが怒りから来るのか、それとも不快感からなのかは分からない。



「あの長老、葉狩野の奴は、とんでもないクズ野郎だったな」


 

 オレは顔を正面に戻したところ、大介までも震えるのを見た。大介は視線を床の方に向けたままで、隣席の女よりも激しく、そして大きく全身を震わせた。



「おい大介、大丈夫か?」


「どうして母さんまで、長老と……?」


「そうか。隣りにいるのは、お前の母親か」


「父さんだけじゃない、母さんまでアイツと喋ってるなんて……。どうして!」


「落ち着けよ。さっきも言ったが、辛いならどこかに隠れて――」


「分からない! どうしてなんだよッ!!」



 大介が悲鳴にも似た声で叫んだ。すると、カフェの窓ガラスに、無骨な扉が出現した。えもいわれぬ気配を放つそれは、開くことをためらわせるが、同時に別の意図も含んでいた。


 この先にきっと答えがあると。



「大介、お前はここで待ってろ。オレだけで見てくる」



 そう告げると、焦点のずれた大介の視線が、強く、しっかりと定まるようになった。



「待って。僕も行くよ」


「無茶だ。そろそろお前には堪えられないと思うぞ」


「僕の知らない所で一体何があったのか、どうしても知りたいんだ。お願いだよ!」


「……そうか。分かった。お前の意思を尊重しよう」



 オレは意を決して扉を開いた。ソファを蹴って中に飛び込む。大介も遅れずに続いた。



「次の部屋は……一軒家か?」



 そこは畳張りの和室だった。どこか凜花の時と似ているものの、細部が異なる。あちらは『荒れた』印象を受けたが、こちらは『朽ちかけた』ように見えた。


 窓ガラスにヒビ、畳は踏みしめると沈む。通りをトラックが走るだけで、室内もあちこちが激しく揺れた。


 目を凝らしながら観察していると、隣の部屋から話し声が聞こえた。幼い子どものものだった。

 


「ねぇママ。どうして?」



 どこか聞き覚えがある。そっと隣室を覗き見ると、そこは台所だった。声の主はやはりというか、茉莉恵まりえだ。兄の大介と肩を並べて、母の背中に語り続けた。



「ねぇママ、どうしてなの? あたらしいおうち、オンボロだよ? まえのおうちのほうが、ピッカピカでキレイだったのに」


「ごめんねマリちゃん。今はパパの仕事がちょっとだけ大変なの。だから上手くいくまでは、ここの家を借りましょうね」



 母親は晩飯の支度中らしく、シンクに向き合ったままだ。しかし、その手は止まっており、作業が捗っているようには見えない。

  

 すると今度は大介が語りかけた。本物の大介は、今もオレの隣にいる。口を開いたのは幻の方だった。



「ねぇ母さん。今度の日曜に、遊園地でも行かない? 家族みんなでさ」


「遊園地……ねぇ。今は少し難しいかも」


「わぁいわぁい! マリエ、ゆーえんちいきたい!」


「そう。マリちゃんは行きたいのね。ダイちゃんはどうなの?」



 ここで母親が振り向く。だがその瞳は、息子を見るようで、虚空を見ているようだった。幻の大介も、気圧されたようになってたじろいだ。



「どうなの、ダイちゃん。行きたい?」


「う、うん。そりゃもちろん」


「そう……。そうよね、分かったわ」



 母親は台所を後にすると、片付けもせず別室に入った。そして、部屋から出たときには、フォーマルスーツに着替えていた。


 それからは台所に戻るわけもなく、玄関でパンプスを履いた。


 急な予定の変更に、オレは強烈にイヤな予感を覚えてしまった。母親の何気ない仕草から、鬼気迫るものが漂っていたからだ。動作が移るたびに手を止める様が、無言の警告音を鳴らすかのようで、やはり不吉だ。


 しかし、そんな異様さに反して、声色は平然としたものだった。



「ちょっと出かけてくるから、留守番をお願いね」



 母親は、そう言いつけると家から出た。悪い予感がさらに膨らむように感じられる。


  

「大介……。ヤバいぞ。もしかすると、葉狩野のところへ行くつもりかも」


「それはもしかして、僕が遊園地なんて言ったから……。お金が必要になったから……?」


「親御さんは金欠みたいだしな、その可能性はある。まぁ、あくまでもキッカケというか、トリガー程度の話だろう」


「違うッ! 僕は別に、贅沢に遊びたかった訳じゃないんだ! 父さんも母さんも、いつも辛そうにしてたから、笑って欲しかっただけなのに!」


  

 大介が悲痛にまみれた声で叫んだ。それと同時に、外で重たい音が鳴った。車のドアが閉まる音だ。


 オレは大介と視線を合わせると、すかさず外へ飛び出した。



「母さん、待って! 行かないで!」



 大介が車の後部座席にすがりつこうとする。運転席に座るのは葉狩野で、大介の存在に気づきつつも、車を急発進させた。そうして母親だけを乗せて走り去っていった。



「待ってよ母さん! 母さーーんッ!」


「追いかけるぞ大介! 乗れ!」



 オレはママチャリ片手に声をあげた。ちょうど庭先に停まっていたもので、鍵はかかっていない。サドルの位置も悪くない。すぐにげる状態だった。


 オレがチャリにまたがると、大介もすかさず荷台に座った。



「車を追うぞ、道案内は頼んだからな!」



 そこからは全力疾走だ。走り去る車の排気音を頼りに、知らない町を走り続けた。


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