第17話 仮説と検証
何かしら行動して、しくじれば戻される。それがディープゾーンにおけるルールのようだ。これは凜花の時に実体験済みだ。精神的につらい作業だという感覚は、今も生々しく残っている。
「とりあえず、武器は服の中に隠すか。大介は何も持ってないよな?」
「うん。長老から奪った鍵くらいだよ」
「よし。とにかく見つからないよう気をつけるぞ。上手くやらないと最初からやり直しだ」
「上手くやるって、具体的には?」
「それはオレの方が知りたい。とにかく行くぞ」
行くとは言ったものの、どうすべきか。この一本道にはドアが3つあり、うち1つは開け放たれた上に、パーテーションで遮られている。聞こえる物音も、ほとんどがそちらが出どころのようだ。
まずはパーテーション越しに室内を確認するか。オレは大介を引き連れて、姿勢を低くしたまま足早になる。
「なんだか、ここはオフィスみたいだな」
「会社だよね。スーツ姿のおじさんが沢山いるもん」
フロアにはざっと見て10人くらいは居るだろうか。活気があるというより、殺気立つ様子に思えた。パソコンを前に一心不乱に作業する者、あるいは電話を片手にやたらと頭を下げる者ばかりで、どことなく悲壮感がつきまとった。
この様子が繁忙期なのか、平均値かは分からないが、きっと現実で目の当たりにする事は無いのだろう。全ては崩壊前の世界なのだから。
「人の目が多すぎて、下手に動けないな。ここからどうしたもんか」
「おや? 君たちは誰だい?」
「しまった……!」
不意に背後から声をかけられた。白シャツにスラックスの若い男だ。彼は少しだけ首を傾げるものの、大騒ぎには至らず、冷静さを保ち続けた。
「誰かのお子さんかな。それとも、職場見学とか? インターンにしちゃ、小さな子もいるしなぁ」
「いや、オレ達は、何て言えばいいか……」
「ともかく、ここに居ても仕方ないよね。待ってて。これから部長に聞いてくるよ」
「あっ、おい、ちょっと!?」
若い男は素早く移動して、オフィスの奥に向かった。そこで年かさの男と相談するのだが、すぐに怒号が鳴り響いた。
「馬鹿野郎! そんな話は聞いてない、不審者に決まってるだろうが!」
今の声は、どこかで。気になってパーテーションから覗き込むと、オレは言葉を失ってしまう。
「おい大介。アイツは……」
「警備員! 不審者がいるぞ、ガキが2人だ! さっさとつまみだせ!!」
見覚えのある男は、オレに指を差しながら吠えた。すると世界は白く染まり、最初の場所へと戻されてしまう。
ふりだしだ。しかしオレは、早くも重要情報を掴んだ気分になった。
「大介、あの部長とかいうやつ……」
「長老にすごく似てたよね」
「もしかして同一人物?」
確証はない。だが、他人とみなすには顔が似すぎているし、声もそっくりだった。世界が崩壊する前の長老だと考えた方が自然だろう。
「大介、進入路を変えるぞ。閉じられた扉を探ってみる」
「ワタルさんに任せるよ。僕はまだ、この環境を理解できてないし」
「何か気づいたら遠慮なく言ってくれ。行くぞ」
さっきのパーテーションとは逆の方へ進む。そうして辿り着いた最初のドアは、ひどく飾り気がない。その造りからして防火扉のように思えた。
静かにドアノブをひねってみる。音が鳴らないよう慎重に。しかし、押しても引いても、ビクともしなかった。
「これは開かないな。鍵でもかかってるのか?」
「じゃあ次のドアに行こうよ」
するとその時だ。インターフォンにも似た電子音が、通路に鳴り響いた。奥まったスペースにランプが点滅するのも見えた。その辺りにエレベーターがあるようだが、問題はそれじゃない。
「やばい、誰か来る!」
「えっ、隠れるところなんてどこにも!」
その末路は言うまでもない。警備員、誰だお前ら、そしてふりだしに戻る。
ここまで来ると、大介にも慣れが生まれ始める。それが率直過ぎる感想を引き出した。
「ワタルさん。何だかコレ、面倒くさいね」
「それな。ちなみにオレは前回、何の説明もなしに放り込まれたぞ。しかも1人きりで」
「うわぁ……。それは何と言うか、大変だったね……」
「今回はお前が居てくれる。それだけでも大助かりだよ」
オレたちはすかさず移動を開始した。今度は防火扉を無視して、通路奥のドアを目指す。
「ところでワタルさん。前の時はどんな感じだったの?」
「凜花のディープゾーンに入った。そこでバケモノを倒し、凜花のトラウマらしきものを解決してやったら、攻略完了した」
「えっと、それはどっち?」
「どっちとは?」
「バケモノを倒したらクリアなのか、それとも凜花さんを助けたらクリアなのか」
「それはお前……どっちだろうな」
「知らないの?」
「事実を積み上げる事で、答えが分かる事もあると思う。世の中の全てが、計算ドリルのように正解が用意されてるとは限らない」
「なるほどね。そういう話かぁ」
「おっと静かに。人が来るぞ」
エレベーターの到着音が鳴ったが、オレたちは遭遇を免れた。見知らぬ誰かが、さきほど来た道を通り過ぎていった。
「よし。どうやらコレが正解ルートみたいだな」
「ワタルさん。そこのドアは開くのかな?」
「そうだと期待しよう」
ドアを静かに押すと、開いた。そこはロッカールームだった。ただし、先程のオフィスと繋がっており、扉やパーテーションで区切られてもいない。
「伏せろ大介、見つかるぞ」
オレはとっさにしゃがみ込んだ。そして、物陰に隠れながら探索を続けた。隣は給湯室。シンクと大きめの冷蔵庫がある。同じオフィスでも、こちら側は従業員の姿が少ない。さっきのパーテーションよりも潜伏に向いていると思った。
「見ろ大介。長老の席から遠くないぞ」
「うん。ここなら良く見えそう……ッ!」
「どうかしたか?」
気づけば、大介が硬直していた。何かに驚いたのか。視線を巡らせると、彼はどうやら1人の男を凝視しているようだった。そのスーツ姿の男は生真面目そうで、年齢も30歳代後半というところか。
男は緊張した面持ちで、
「部長。私はこれにて」
と言った。するとその返事は、肌に貼りつきそうなほど、不快な響きにまみれていた。
「浅生か。アレだけの大金を横領しておいて、よくもまぁ顔を出せたもんだ。アァ? 厚顔無恥とは、お前みたいなヤツを言うんだろうよ」
「部長! 私は、私は決してそのような……!」
「くだらん言い訳など聞きたくない。消えろ。無実を証明したければ、せいぜい裁判中にでもホザくんだな」
オレはそこで引っかかるものを覚えた。浅生とは、記憶が確かなら――。
「大介と同じ苗字だな。珍しい部類だと思ってたが」
「父さん……」
「えっ? マジか?」
「父さん! 会いたかった!」
「お、おい待て!」
大介は静止の声も聞かずに、オレの脇を通り抜けていった。そして脇目もふらずに男の傍へ駆け寄った。
「父さん! 生きてた! 生きててくれた!!」
「大介!? お前、どうしてここに!」
驚いた父親も、大介の方へ駆け寄ろうとする。正面から向き合う父と息子。死によって分かたれた2人が、まさに今、手を取り合おうとした。
が、しかし、甲高い音が鳴り響く。視界は白み、やがて見慣れた通路へと戻されてしまった。
「とう……さん?」
大介は今も、虚空に手を伸ばして呆けていた。そして、ゆっくりと腕をおろすうち、彼も少しずつ理解を深めていった。
「そうか。ダメなんだね。父さんに声をかけちゃ……」
「つらいか? もしそうだとしたら、あとは全部オレに任せておけ。お前はロッカーにでも隠れてたら良い」
「あのさ、ひとつ聞いてもいいかな」
「もちろんだ」
「凜花さんの時は、一緒にトラウマをやっつけたんだよね?」
「そうだ。アイツは幼少期に、実の母を喪ったことを、大人になっても後悔していた」
「父さんが出てきたって事はさ、これは僕のトラウマって事になるの?」
「いや、どうだろうな。少し違和感が……」
以前のディープゾーンを思い出す。あの時はなにが見えたか。幼い頃に凜花が住んでいた家、父を喪った事故現場、母の婚活に付き添い、最後は母と帰宅中を暴漢に襲われた。
共通点は何か。考えると、1つの仮説が浮かび上がってきた。
「ディープゾーンは、本人が見聞きしたものを映し出す……?」
「ワタルさん。それは本当なの?」
「確証はない。だが、この仮説が正しいとするとだ。このディープゾーンは、長老の世界って事になるな」
「長老の……?」
「調べてみるか。大介の親父さんが出てきた事も気になる。もしかすると、一筋縄にいかないかもな」
「知りたい。僕は知りたいよワタルさん! お願いだから力を貸して!」
「当たり前だ。もとよりそのつもりだよ」
「うん……ありがとう……!」
「そうと決まったところで、だ。キッチリ解決してみようか。この世界もな!」
するとそこで、ポンッと小気味良い音が鳴る。同時に通路の奥でランプが点滅するのも見えた。
「あっ、ヤバッ」
「おい、そこの君たち! ここは関係者以外は立ち入り禁止だぞ?」
「すまん大介。いったんリセットだ」
「そうみたいだね。次はがんばろうか」
「警備員! 子どもが入り込んでるぞ、早く連れて行け!」
甲高い音、白む視界。すでに何度も繰り返すハメになったが、徒労感は少ない。明確な目標が定まり、それを大介と共有できたことが大きかったかもしれない。
しかし次のループは、ある意味でひどく残酷だった。子どもが知って良い話ではなかった。やはり大介を連れ歩くべきではなかったと悔やむのだが、全ては後の祭りだった。