第16話 予期しなかったディープゾーン
中央校舎とは、自明大学の中枢とも言える施設だ。大学事務室や就職相談所といった運営寄りの設備に加え、大小の教室が並ぶ。掲示板には呼び出しや休講情報も出されるので、かつては多くの学生で賑わったものだ。
今やその面影すら無い。ホールは通行のためか、ガレキが退けられるなど、多少は整頓されている。しかし事務室はキャビネットが倒され、ファイルや紙が散乱していた。掲示板にも、色褪せた紙が辛うじてブラ下がっている。
「大学に通ってたころ、休講が出た日は皆で喜んで、ゲーセンとか行ったなぁ。ノンキなもんだったよ……」
変わり果てた光景は、入口付近に置かれた懐中電灯の光に照らされていた。やたらと伸びる陰が、死と破滅を感じさせるようで、背筋が寒くなる。
「ワタルさん。あそこの懐中電灯をとってこようか?」
大介が、侵入口を指さして言う。オレは首を横に振った。
「やめとこう。校舎の中はだいたい暗い。そこをうかつに照らしてしまえば、居場所を教えるようなもんだ」
「そっか。星明かりに期待するしかないね」
「長老の部屋は2階だったよな。まずはそちらへ行こう」
ロビーの辺りはまだ明るい。立ち膝の姿勢になって階段を目指した。侵入口とは反対側の出入り口には、何人か見張りが居た。
「まだ気づかれてないらしいな。今がチャンスだ」
階段をゆっくりと昇り、2階にたどりつく。そこは大小の教室がいくつか、それと視聴覚ルームがある。金曜の夜にはシアターナイトだとか言って、懐かしの映画を流してくれたものだ。
そんな夜も、倒れて配線の引きちぎれた音響では、再現などできないだろう。
「大介。長老の部屋は?」
「通路の突き当りだよ。一番被害の少なかった教室らしいんだ」
「灯りは消えてるから、今は無人か。そのかわり見張りが立ってるな」
見張りはコチラに背を向ける形で、通路を塞いでいた。手にしたライトで壁や床を不規則に照らす。今なら背後を襲えると思った。
「どうにかして倒すか。仮に手間取って騒がしくしたら、それでお終いかもしれんが」
「ねぇ、僕に任せてもらえる? うまく注意を惹けるかもしれない」
「分かった、任せよう。無茶はするなよ」
大介は親指を突き立てたハンドサインを見せると、視聴覚ルームに忍び込んだ。そして反対側の扉まで歩み寄ると、静かに音もなく、出口を開いた。
何をする気だろう。手元には奪い取った鉄パイプがある。握る手に力が籠もるのを感じた。
すると大介は、扉の陰に隠れては腕を大きく振った。まもなく、遠くで何かが転がり落ちる音も聞こえてくる。
「誰だ! そこに居るのか!?」
見張りが、金属バットを構えながら、音のした方へと歩いていった。そして、オレたちとは反対側の階段を調べ始めた。
「ワタルさん。これでアイツはしばらく戻って来ないよ。誰も居ない階段を警戒してる」
「やるじゃないか。お前は本当に優秀だぞ」
照れる大介を連れて、いよいよ長老の部屋へ。
そこは比較的広い教室だった。割れた窓には不揃いのレースカーテン。壁に掛けられた油絵は、一見して立派だが、引っかき傷のような損耗が目立つ。
「確かにここは、他所より被害がマシかもな」
「僕も初めて入ったけど、こんなに広んだね」
「ともかく手分けして鍵を探そう。雑然としてるから面倒だが」
床に固定化された机とイスは、大体が姿形を保っていた。机の上には、私物と思しき物が多く並べられていた。電池、小型家電、貴金属類。その中に缶詰も見つけたので、それはポケットにしまう。いくつかを大介に『おこづかいだ』と言って手渡した。
鍵は見つからない。闇に目をこらして探すのだが、いつしか教室の異常性に気を取られてしまう。
「あのジジイ、頭大丈夫か? 札束なんて持ってても仕方ないだろ」
「ほんとに? もう使い道なんてないんだけど」
記念品として残しておくには、数が多すぎる。キャビネットから溢れそうなまでの量だ。たとえ資産家でも、これほどに現金を手元に置くこともないだろう。
こうなると広さも気になる。アレコレと物を並べてまくって、精一杯に飾ろうとしても、スペースの半分すら使い切れていない。床に敷かれたマットレスも1人分で、それがどことなく寂しげに見えた。
「この部屋、みんなで使えばいいのにな。独居老人かよ」
「ねぇワタルさん。鍵を見つけたよ。ここに第3棟の奴もあるかも」
「マジか。お手柄だぞ」
大介がキャビネットの傍で言った。オレも駆けつけるのだが、磁石型フックには、何本もの鍵がブラ下がっていた。
「タグとか目印はないのか。これじゃ、どれがどれだか……」
「とりあえず全部持って行く?」
「それしかないな。ジャラジャラうるさくなりそうだが」
鍵の束に手を伸ばした、その時だ。眩しさで目が眩む。一筋の強い光、いや、2つ3つ。手のひらで遮りながら見たのは、出入り口に大勢が押しかける姿だった。
「やはり引っかかったか。クソわずらわしいネズミめが」
「長老……!」
連中が次から次へと入室してくる。その手にはライト、包丁槍や釘バットと、敵の全員が武装していた。その中で唯一、長老だけが軽装だった。
「お前たちの探しているのはこれか、それとも……」
シワの深い手が、1本の鍵とスマホのそれぞれを片手ずつに掲げた。
「ククク……残念だが、お前たちは何も手にすること無く、ここで死に至るのだ」
「ワタルさん……どうしよう……!」
「落ち着け。状況を冷静に見定めるんだ」
出入り口は1か所のみ。そちらは5人の武装した若者と長老が固めている。
一方で窓はガラ空きだ。飛び降りても死ぬ高さではない。しかしそれは下策だ。何も得られぬままに手傷だけを負う事になる。もし捻挫でもしようものなら、逃げきることも出来ず、挙句の果てに殺されてしまうだろう。
だから、活路は前だ。多勢の敵をブチのめして突破するしかない。ついでに鍵くらいは奪ってしまいたい。
(向こうの方が数も多いし、だいたいが刃物を持ってる。こっちは鉄パイプと錆びた鎌だけ。工夫しないと一瞬でやられちまうな)
出来る工夫とはなにか。必死に考えてひりだしたのは『挑発戦法』だった。
「長老さんよ。アンタには同情するよ。こんな無様な老人なんて見たことない」
「なんだと……!?」
釣れた感覚がある。オレにとって最悪の事態は、問答無用で総攻撃を食らうことだ。まずはそこを封じた事を良しとする。
「ワシの何が無様だ。多くの人間を従え、文明的な暮らしを維持している。あふれるほどの物資に囲まれ、芸術に触れるゆとりさえある。これの何が無様だという!」
「アンタ1人でせこせこ貯め込んでる事だよ。人間、飯なんて1食1人分だし、寝るにしても1畳ありゃ十分だ。それなのに、このだだっ広い教室はなんだ? 分かち合う心を忘れて貯め込んだくせに、教室の半分も埋められない。誰にも感謝されず、むしろ恨みを――」
「黙れ黙れ、ワシはこの井久田の支配者だ、自明キャンパスの統治者だ! 王と言っても過言ではない!」
「だいぶ思い上がってんな」
「王とは孤独であると同時に、豊かでなくてはならない!」
「王様ねぇ……。だったら『兵隊ども』は命がけでアンタを守るんだろうな」
オレは腰から鎌を抜いた。農場そばで掠め取ったものだ。
「この鎌はいわくつきだ。とある廃病院から盗んだ物で、不治の病で死んだヤツの身体に突き刺さってた。この刃には、今もそのウィルスがベットリ付いている」
「ふ、ふふ。でまかせを。そんな話を誰が信じるものか」
「じゃあ試してみるか。これで斬られた奴は、歯がボロボロ抜けた後に、真っ黒な血を吐いて死んだぞ」
連中が唾を飲むのが分かる。それもそうだ。この年代物の鎌は見た目が不気味過ぎる。でっち上げのストーリーに、ほどほどの信憑性を与えてしまうくらいには。
オレは鎌を振りかぶった。男たちは動揺して、こちらに聞こえるほど、どよめいた。
「試してやるよ、兵隊共の忠義心をな!」
鎌を投げた。狙うはもちろん長老だ。すると回りの男たちは、全く庇おうとせず、自分の頭を抱えて伏せた。
さびついた刃は長老の肩に突き立った。その拍子に、鍵とスマホが硬い床に落ちて、跳ねた。
「ギャアアア! ワシの! ワシの肩がッ!!」
「大介、今だ!」
オレは駆けた。隣の大介も弾かれたように跳ぶ。大介は滑り込みながら、鍵を拾い取った。ならばオレはスマホだ。拾い上げる。半日ぶりの奪還で、不思議と安堵らしき情が込み上げてくる。
「何が王だ、全然守られてないな!」
続けて長老の腹を蹴り飛ばして、手下どもの方に倒した。それだけで連中の攻撃は鈍る。武器を振るって応戦しようにも、長老が邪魔で上手く扱えない。
その混乱は千載一遇のチャンス。仕上げに、出入り口を塞ぐ邪魔な男を、鉄パイプでブン殴る。そこまでして、ようやく退路の確保が出来た。
「走るぞ大介!」
大介は、オレの呼びかけに素早く反応した。集中できている証だ。
オレ達は肩を並べるようにして通路を駆け抜ける。その背後からは、苛立った怒号が響いた。
「奴らが逃げたぞ! 追え、刺せ、潰せ、引き裂け、殺せぇーーッッ!!」
ヒステリックな叫びに応じた手下達は、オレ達の背後から迫った。それだけじゃない。建物の外からも応援が駆けつける気配がした。
「このままじゃ挟み撃ちだな。早く校舎から出るぞ」
「うん、分かったよ……うわぁ!?」
「大介、大丈夫か!?」
「なんとか……。暗すぎて足元が見えなかったよ」
「確かに、灯りが無い中を走るのはキツイな」
オレは取り返したばかりのスマホを操作した。画面の灯りで照らそうと考えたからだ。
しかしその時、スマホはすでに起動しており、オレの意図しない画面を映しだした。
――サイコダイブが可能となりました。ディープゾーンへ侵入するには、こちらのボタンを押してください。
なぜ急に。そう考える前に、うかつにもオレの指は誤タップしてしまう。するとスマホ画面から巨大なイモムシが現れては、大介をひと飲みにしてしまった。
「なにこれバケモノ!? ワタルさん! 助けェェエエッ!!」
大介が子どもとは思えない声で叫ぶ。耳にしただけでも罪悪感が凄まじい。
「悪いな大介。そういう仕様なんだ」
そう言うオレにも大口が迫った。おぞましい程の生暖かさ、そして急激に視界を覆う暗闇。オレも間もなく同じ末路を辿った。
「いててて……。いきなりディープゾーンかよ。話が急過ぎるぞ」
「ねぇ、ワタルさん。ここって?」
大介がそっと身を寄せてきた。不安に思うのも無理はない。細い通路に敷き詰めた絨毯、壁際にソファと観葉植物。天井にはズラリと蛍光灯が並び、こうこうとした灯りを照らす。
それだけじゃない。耳を澄ませば、キーボードのタッチ音と、コピー機の電子音が混じり合いながら聞こえてきた。
「マジでどこだ。大介は見覚えあるか? 例えば塾とか、学校とか」
「ううん。1度も見たことない」
「奇遇だな。オレもだよ」
ここはどうやらディープゾーンではあるようだ。では誰のものか。何らヒントが無いので、検証のやりようもなかった。
すると背後で物音がした。ファイルを盛大に落としたらしい。そちらに目を向けると、スーツ姿の女がオレを見ていた。その顔は恐怖で青ざめている。
「だ、誰か! 不審者! 鉄パイプをもった不審者が!」
「えっ、いや、待ってくれ!」
弁明の余地はなかった。間もなく、ガタイの良い男たちが駆け寄り、オレ達に詰め寄った。
「お前ら、どこから入った? とにかく事務所に来てもらうぞ!」
警備の男がこちらに手を伸ばした。すると、甲高い音が響き渡り、視界も真っ白に染まってゆく。
再び視界を取り戻すと、また同じ場所にいた。ソファ、電灯、コピー機の音。それらを自覚すると、頭痛にも似たうずきが感じられた。
「やっぱり、そうくるよな……」
「ワタルさん、これは何事?」
「大介。お前、ゲームは得意か?」
「まぁ、それなりかな」
「そうか。これからいわゆる『死に覚えゲー』が始まるぞ。覚悟しておけよ」
今回は1人じゃない。それだけが救いのように思えた。これより、謎のディープゾーン解明に向かうことにする。