第15話 奪われたら取り返せ
大介は静かに妹を見つめていた。その瞳は、時が止まったかのように、僅かさえも移ろうことはなかった。
やがて、その妹が口を開いた。
「お兄ちゃん……?」
「あぁごめんよ、茉莉恵。起こしちゃったかな?」
「おかえんなさい。おしごと、できたの?」
「心配しなくていいよ。眠いならまだ寝てて大丈夫だからね」
「うん。じゃあ、あとちょっと……」
それきり茉莉恵は瞳を閉じた。微かな寝息が聞こえるようになる。
大介は、妹の乱れた髪をそっと整えてやり、それからオレの方を向いた。
「あっちの方へ行こう。僕の話を聞いて欲しいんだ」
子どもとは思えない、意思のこめられた言葉だ。オレはゆっくり頷くと、大介の歩くあとに続いた。
やって来たのはロビーの片隅。天井の穴から差し込む夕日が、大介の神妙な顔を照らした。
「僕の妹、茉莉恵は身体が弱いんだ。生まれつきなんだけど、薬が手放せないくらいに」
「今は薬なんて手に入らないだろ。危険な状態じゃないか」
「奇跡的にも、病状は悪くないんだ。調子のいい日は外を歩いたりできるし、ご飯も食べてる。茉莉恵もがんばってるんだと思うよ」
大介が、そっと眼を伏せた。オレを直視できなくなるほど重たい、胸に秘めたる何かが飛び出すのだろう。
「ここは、働けない子供を養ってくれるほど、優しくはないんだ。本当なら、どこかに売り飛ばされるか。あるいは……」
家畜のように絞め殺される。大介はそこまで言わず、握りこぶしを震わせた。
「妹と一緒に生きていくには、僕が『特別な仕事』をしなきゃならなかった。それが――」
「オレ達のような人間を連れてくることか?」
「うん。そうなんだよ。本当にごめんなさい……」
「人の売り買いは、よほど儲かるんだろうな」
この先、人間が減ることはあっても、増えることなどないだろう。だから生存者には価値がある。育ちきった大人ならば尚更だろう。高額で取引されていても不思議ではなかった。
「なぜ、オレに?」
「えっ……?」
「なぜオレにそれを教えたんだ? そこらの人間を騙して集めるだけで、このご時世に、兄弟そろって安泰でいられるんだ。わざわざ話す理由なんて無いだろう」
「わからない、わからないよ……!!」
大介は、伸びさらした髪を両手で掴んでは、その場で膝を着いた。その手は毛髪を引き抜かんほど、強く、強く震えていた。
これが子どもの抱く苦悩か。あまりにも深く、暗すぎはしないか。オレはそっと眼を閉じて、心の置きどころを探ろうとした。
「もうイヤなんだ、苦しいんだ、こんな生き方! 僕はただ、妹と慎ましく暮らしたいだけなのに、どうしてこんな想いを……ッ!!」
「だったら止めてしまえばいい」
「やりたくても出来ないよ! 妹を、茉莉恵を見捨てる事なんて! あいつにはもう、僕しか居ないんだ!」
「そうか」
ふと、自分の口角が持ち上がるのを感じた。世界が廃墟と化して、人が人をためらいもなく殺す時代にも、美しいものが残されていた。それが嬉しかったのかもしれない。まるで、アスファルトに咲く綿毛のタンポポでも見たような、爽やかな気分になった。
オレは膝を折り、大介の顔を正面から見つめた。なんとなく、目線の高さをそろえたくなったからだ。
「じゃあ、戦うしかないな」
「えっ……?」
「逃げるのも、堪えるのも出来ない。だったら戦って、勝利を収める以外にないだろ」
「でも、僕は子供だし。背も低いし……」
「いいか大介。困難からは逃げてもいいし、誰かに助けてもらっても良いと思う。だがな、戦わなくちゃならない瞬間ってのは、必ずやって来るんだ。その時はお前が大人になるまで、わざわざ待ってくれない」
眼を見開いた大介がオレを見る。あどけなさを残す顔は、夕日に照らされて赤く輝いていた。
「大介、お前は平穏な暮らしを奪われた。オレは仲間と物資を奪われた。それが嫌だと言うなら取り返すしかない」
「それは、そうかもしれないけど……」
「そもそもお前はラッキーだぞ。今ならオレという強力な助っ人までいる」
「お兄ちゃんは、戦うつもりなの?」
「もちろんだ。凜花を助け出して、荷物も取り戻す。ついでに長老一派とも決着をつけてやるさ。オレの『相棒』は暴れ散らかすだろうしな」
「すごいよ……。僕には真似できない。だって僕が殺されたら、茉莉恵が……」
すると、そこへ小さな影が歩み寄ってきた。砂埃に汚れた青白い肌、年齢以上に細すぎる手足。その子は、オレの脇を通り過ぎ、大介の前で立ち止まった。
「茉莉恵……」
「ごめんなさい。お兄ちゃん、ごめんなさい!」
「何言ってるんだ。お前は悪くないから、兄ちゃんに全部まかせとけって」
「お兄ちゃんが、そんなにツライなんて、マリエしらなかった! お兄ちゃんに、スゴくたいへんなコトさせてたの!」
「だから、お前のせいじゃなくて……」
「マリエなんてしんじゃえばよかったの! パパやママみたいに、ペシャンコになって!」
「バカなこと言うなよ!」
2人はそこで抱き合った。お互いの頬が、肩が涙で濡れる。どちらが流したものか分からないほど、涙はとめどなく溢れた。
「生きてて良いんだ、茉莉恵。お前は何も悪くない。生きてて良いんだよ……」
「マリエね、お兄ちゃんといっしょがいい。いっしょじゃなきゃヤダ」
「うん……うん……」
「お兄ちゃんが、ツラそうにするのもヤダ。マリエ、たのしく、いっぱい笑うのがいいの」
「茉莉恵……」
子どもの観察眼は侮れない。茉莉恵は、兄の世話になりながらも、その様子をつぶさに観察していたのだろう。苦悩する場面もそっと見られていたはずだ。だから、死ねばよかったなどという、悲壮な言葉が飛び出したのかもしれない。
ここで、大介の気配がみるみる内に変わった。力強い視線には、幼さなど微塵も感じさせなかった。
「僕、やるよ。出来る限りやってみせるよ」
「鬼道渉だ。いつまでもお兄ちゃん呼びは不便だろ」
「そうだね、ごめん。僕は浅生大介だよ」
オレは立ち上がると、大介に手を差し伸べた。そうしてお互いの指先がふれあった時、突然、強い電流が駆け抜けた。
「いてっ! 静電気か?」
「いたたた。ワタルさん大丈夫? ごめんね」
その時、空耳だろうか。かすかに話し声が聞こえた。聞き間違えじゃなけりゃ、『適正者』がどうのと聞こえたような。
「どうしたの? もしかして、すごく痛くしちゃった?」
「いやすまん。作戦を練ろうか」
「具体的に、僕は何をしたらいいのかな」
「あまり気負わなくて良いぞ。荒っぽいことは全部オレがやる。大介には別の事を任せようか」
差し当たって情報が必要だ。さほど期待はしていたかったが、大介は多くの物事を把握していた。
「まず凜花が囚われてるのは、第3棟。それに間違いないな?」
「うん、合ってるよ。あそこはいつも鍵がかけられてる。バリケードも厳重だし、見張りも居るよ」
「絶対に逃さねぇぞって構えだな。鍵はどこにある?」
「長老の部屋だよ。中央校舎の2階。忍び込むのは難しいと思う」
「そこばかりは考えても仕方ない。まずは潜入してみるか」
「ワタルさんって、勇敢すぎやしない? 敵の本拠地なんだけど……」
「そうか? あんまり深く考えてなかった」
今のは強がりでも何でもない。あの巨大なバケモノと死闘を演じ、倒して以来、変に度胸がついたのかもしれない。そこらの人間なんて、あまり脅威に感じなくなった。殴れば倒せるんだから。
「ともかく中央校舎だ。話はそれからだな」
「僕も行くよ。手伝える事もあるだろうから」
「頼りにしてるぞ。奪われたものを取り返してやろう」
オレは握りこぶしを突き出した。大介も不敵に笑うと、そのこぶしを軽く小突いた。腹が決まったサインだ。
後は出発するばかりだが、大介は、ふと足を止めた。そして茉莉恵に寄り添い、小さな頭をなでた。
「じゃあ行ってくるよ」
「お兄ちゃん。マリエもなんかやる」
「それじゃあ、ここを守っていてくれ。いつ僕達が帰ってきても良いようにね」
「うん、うん。わかった! マリエはまもる!」
こうして、オレ達は闇夜に身を投じた。外灯のないキャンパスは真っ暗だ。しかし、校舎内の一部分と入口付近だけは明るい。懐中電灯か何かで照らしているようだった。
移動中は発見リスクが低い。だが、やはり校舎に潜入するとなると、話は別だ。
「ワタルさん。中央校舎に見張りが立ってるね」
「そうだな。だが1人だけだな」
「食事時だからね。もう片方は食堂棟だと思う」
「よしよし、ハードルがだいぶ下がったな。大介、1つ頼まれてくれ」
オレは耳打ちすると、大介は快く頷いてくれた。どこか、イタズラ小僧のような声で笑いつつ。
「じゃあ行ってくるよ」
そう言い残して、大介は中央校舎に向かって駆け去っていった。大げさに、息も絶え絶えといった様子を演出しながらだ。
「ねぇ、そこに、例の男が隠れてたよ! みんなで追いかけ回してた奴!」
「何!? それはほんとか?」
「嘘じゃないって! 早く早く! このままじゃ外に逃げられちゃうよ!」
「チッ……。仕方ねぇ、案内しろ!」
大介の演技が功を奏したか、あっさり釣れた。2人が全力疾走で駆け戻ってくる。
大介が通り過ぎるのは、黙って見送る。遅れて見張りの男が駆け込んできた時、オレは物陰から飛びかかった。
「うわっ、誰だ――」
叫ぶだけのゆとりは与えない。素早く背後を取り、締め上げてやった。それだけで見張りの男は意識を手放し、力なく倒れた。
「武器は鉄パイプか。無いよりマシかな」
「すごい手際の良さだね。格闘技でも習ってたの?」
「いや、たまたまイメージ通りハマっただけだ。それより急ぐぞ。他の見張りが戻る前にな」
こうしてオレ達は中央校舎へと足を踏み入れた。長老の部屋まで、あと少しだった。