第13話 赤マーカーの少年は
無事に高台へと逃れたオレ達は、あれから回り道した果てに、駅前まで戻ってきた。そこは土砂の被害は大した事ないが、火災によるダメージが問題だった。
「チッ。盛大に燃やしやがって。あいつら……」
凜花が忌々しげに言って、足元の燃えカスを蹴り飛ばした。凜花の拠点だった『喫茶ドゥテイル』は壊滅的な打撃を受けていた。建物は鉄筋なので、崩壊だけは避けられたが、人の住める場所ではなくなっている。
バリケードは壊され、その全てが燃やされた。マットレスも焼け焦げだし、何よりも物資が奪われたのは痛恨事だった。
「あいつら……リュックごと持っていきやがって! アタシの全財産だぞクソオスども!」
「なぁ凜花。1回確認したいんだが、所持品は何がある?」
「モデルガンと弾、LEDライト、あとはガムが3粒ってとこだ」
凜花が、大きなヒップバッグを漁りながら言った。オレ達は顔を見合わせて、強く頷きあった。完全に追い詰められた事を認識したからだ。
「水も食料も無いのはヤバいな。寝床だったら最悪、野宿でもいけるが」
「3日分はあった食料も、バッグごと盗まれちまった……。次に会ったらタマを踏み潰してやる」
「恨み言は後回しだ。今は物資を……」
「どうしたんだ、ワタル?」
「いや待て、水ならあるぞ。それも蛇口から出る水だ」
「そんなん嘘だろ? 水道がまだ生きてる訳ねぇっての」
「寝床も一緒に確保できそうだな。とにかく信じろよ、今も使えると思う」
オレは、半信半疑の凜花を連れて、駅前通りを歩いた。向かう先は、オレを閉じこめていた建物だ。あそこに行けば、結菜の家をモチーフにした部屋があり、水道だって利用できる。それどころか、冷蔵庫には電気も通っていた。
場所もここから遠くはない。線路沿いの道を進み、少しだけ路地に入る。そこは資材置き場と駐車場、そして事務所らしき建物があるハズなのだが――。
「マジかよ……。これは酷いもんだな」
オレは絶句した。確かにそこは建築会社の敷地なのだが、まともに残されたのはブロック塀くらい。大部分が土砂で埋め尽くされていた。
他にも家屋の残骸や、街路樹までもが巻き込まれる形で堆積しており、人力で掘る事は不可能だった。例の建物も概形すら見えない。平屋の屋根部分だけが、辛うじて見える程度だった。
「これ、中に入るのは無理だろ。重機でも無けりゃ」
「ワタルはそういう免許持ってんの?」
「普通免許すら無いが」
「じゃあ諦めな。アタシはAT限定ならあるけど、それじゃ意味ねぇし」
水と寝床、そして電気の通った冷蔵庫。諦めるのは実に惜しい。ここを拠点に出来たなら、だいぶ楽だったろう。
「もったいないな……。いや待てよ。そもそも、どうしてここだけ電気を使えたんだ? もしかして、ディープゾーンだったとか……」
「おいワタル、早く行こうぜ。日が暮れちまうよ」
「あぁ、すまん。今行く」
それからオレ達は路地から出て、線路沿いの国道に出た。国道と言っても広くはない。片側一車線で、歩道も狭く、傾いたビルや家屋に圧迫されるようだった。
さらに言うと足元も悪い。歩道のあちこちが、なだれ込んだ土砂で埋まっていた。即席の坂道を昇り降りするハメになってしまった。
救いがあるとしたら、やはりスマホだろう。
「この周辺にアイテムは無さそうだな。マーカーが反応してない」
「ふぅん。それにしても便利だよな。アタシだったら、入れそうな建物を片っ端から漁ってたぞ」
「確かに手間が省ける……うん? ここに反応があるな」
地図に黄色マーカーが現れた。場所は『軽食マミィズ』という名の飲食店だと分かる。オレにとって馴染みのない店だが、近くを通った事は何度もあった。
それは国道沿いにある、個人経営の軽食屋だ。店主は親しみやすそうなおばさんで、商売人というより、趣味が高じて始めたタイプだった。狭い庭を季節ごとに飾り付けして、楽しそうに切り盛りする。そんな店だった。
「さてと、店はここだな。まぁ酷い有様なのは、予想してたが……」
見えるのは、引きちぎれた電飾の銅線、片側だけ落ちた看板。割れたホワイトボードは、辛うじてだが、『本日のオススメ』の部分だけ読めた。それが何の料理なのか、もう2度と知る事は出来ない。
「ワタル。中の様子は?」
「先に見てくる。ちょっと待ってろ」
ガラス戸は押し開く必要が無かった。ひしゃげたフレームは、その中が素通り出来て、そこから先はもう店内だった。あちこちの天井で穴が空いている。お陰でライトが無くても十分に明るかった。
「ええと、アイテムの位置は……ッ!?」
マップが広域モードから切り替わり、店内にフォーカスされた事で初めて気付いた。黄色のマーカーに重なるようにして、赤いものが見え隠れしている。それは敵対者を示すものだ。
オレが辺りの様子を窺っていると、凜花も店内に足を踏み入れた。硬いブーツの底で、ガチャリと残骸を踏み砕きながら。
「なぁワタル。手分けしようぜ。その方が早く終る――」
「シッ!」
「えっ、何がだ?」
「奥に誰かいる。たぶん敵だ」
「マジかよ……」
その場でスマホを見せつけ、端的に説明した。それだけで納得してもらえたようで、凜花もモデルガンを構えるようになる。
マーカーの反応は勝手口の方。この場所から相手の姿は見えない。蝶番の半分だけでブラ下がる扉の向こうだった。
「凜花、物音に注意」
そう囁いては、扉の方へと向かった。枯れ葉や古雑誌に靴が触れるたびに、かすかな音が鳴る。いつもなら気にならない物音が、この時ばかりは冷や汗を誘発した。
(いいか、開けるぞ)
扉に指をかけてから、凜花の方を見た。強い眼差しでこちらを見返す。問題なし。あとは突入するだけだ。
「そこに居るのは誰だッ!」
オレは勢いよく飛び込み、警棒を構えた。近くで凜花も射撃体勢に入っている。
だが、そこで待ち受けていたのは、全く予想だにしない展開だった。
「うわぁ、ごめんなさい! 殺さないで!」
甲高い悲鳴をあげたのは少年だった。それもまだ幼く、10歳に届く前に見えた。武装も一切していない。ロングTシャツはロゴが読めないほどに汚れており、下のズボンも擦り切れ方が激しかった。
オレは凜花に苦笑いを向けた。それだけで察してくれたようで、凜花も構えを解き、モデルガンをベルトで肩からブラさげた。
「驚かせて悪かったよ坊や。もう怯えなくていい」
「あの、お兄ちゃんたちは、お店の人じゃないの?」
「そうだ。店の人じゃないの」
「外で、悪い事してる奴らでもないの?」
「でもないの」
「そうなんだ、良かったぁ……」
少年は安堵すると、手元から何か落とした。重たくも甲高い音が鳴った。そちらを見ると、探し求めていた食料だと分かる。
「あっ、それ乾パンじゃないか」
「うん。さっきここで拾ったよ。お腹が空いてるんだ」
「そうだろうよ。見つけられてラッキーだったな」
「ねぇお兄ちゃんたち。良かったらこれ、少し分けてあげるよ」
「いや、それは流石に。坊やが見つけたんだから、自分の好きにして――」
「えっマジかよ、分けてくれんの!? 気が利くねぇ〜〜。将来はきっとモテモテだぜ、少年ッ!」
凜花が横から割り込んでは、両手でお椀の形を作った。プライドを瞬時にかなぐり捨てる姿に、終末世界の処世術をかいま見た気分になる。
少年は缶を開けると、言葉通り本当に分けてくれた。片手が埋まる程の乾パンに加え、氷砂糖もひと欠片。少し、という量を超えていると思った。
しかし隣の凜花は、考えるよりも先に手を動かした。
「うまっ、久々の砂糖うまっ! こんな味だっけ、あぁもう、脳にクルぅーーッ!」
「落ち着けよ凜花。あの子がひいてる」
少年は強張った笑みを見せたものの、多少は安心したらしい。乾パンの2、3枚も食べては、静かに咀嚼していた。
その一方で、凜花は機嫌の良さを隠しもせず、大きな声をあげ続けた。これでは、どっちが子供か分からなくなる。
「いやいや、助かったよ少年! 本当に出来た子だな!」
「そんな。僕はただ……」
「あぁ、ウゥン。これ喉が渇くな。どっかに水でもありゃ良いのに」
「水ならここにあるよ」
少年は肩掛けベルトを手繰り寄せて、水筒を見せた。それは子供用で小さい。装飾の塗装やシールが剥げてしまった後で、どこか物悲しさを漂わせた。
それから少年は、慣れた手つきでコップを取り外し、水を注いだ。丁寧に、一滴もこぼさないように。そしてコップの半分を満たした所で、凜花に差し出した。
「はいどうぞ。キレイなお水だよ」
「少年ーーッ! 君は神様なんじゃないか? いただきまっす!!」
凜花はためらいもせず、コップをあおった。喉を鳴らして一気飲み。そして『かぁ〜〜ッ』だなんて声をあげた。オッサンかよ。
「ありがとう、マジでありがとう! 君は世界一素晴らしい少年だよ!」
「えへへへ。ねぇ、お兄ちゃんも飲む? まだお水はたくさんあるよ」
「いや、オレは平気だ。それより聞いてもいいか?」
「なぁに?」
「どうしてオレ達にそこまでしてくれる? 家族や友達でもあるまいし」
「それは、えっと……」
少年は視線をさまよわせると、すぐに俯いた。それから再び顔を持ち上げて、強い意思のこもる眼差しを向けてきた。
「お願い。僕をお家まで連れてってちょうだい」
「家まで?」
「外は、怖い人がたくさんいるよ。家はすぐそこだから、守ってほしいんだ」
「そうだな。世話になったんだし、それくらいはやるさ。良いだろ凜花?」
「構わねぇけどよ、家はどこなんだ?」
「駅の向こう側で、坂を登った所。大きな学校があるんだよ」
「そこはもしかして、自明大学じゃないか?」
「うん。たぶんそう」
「そうか。オレが通ってた大学だな……」
何年も通った学び舎だ。あの辺りには土地勘もある。だから少年を連れて行く事に、何も問題はないと思えた。
しかし、ここで凜花が耳打ちをした。
「そこは危ねぇかも。アタシも前に、その大学に行ってみたんだ。避難所っぽい雰囲気がしたからな。でもよ……」
「何があった?」
「敷地のそばで、刃物を持った連中に追いまわされた。どうにか撒いたけどよ、捕まったらヤバかったと思う」
「それはいつの話だ?」
「一ヶ月経つか、経たないか」
「割と最近だな」
「これはちょっと安請け合いかもな。冷静に考えた方が良いと思うぞ」
「あんだけ飲み食いした後にか? しかも相手は子供だぞ」
「ウッ……。何も言えねぇ」
オレは、不安げな少年に微笑みかけた。もちろん伝えるのは快諾だ。
「構わんぞ。大学まで護衛させてもらうさ」
「ありがとう! 本当に嬉しいよ!」
それからオレ達は店から出た。
少年は『大介』と名乗った。こんな世界じゃなけりゃ、小学4年生になっていたと言う。
「大介君は、この辺の出身なのか?」
「ううん。生まれは川咲市だけど、もうちょっと遠いよ。市役所の方なんだ」
「じゃあ、電車で1〜2駅くらい向こうか。急行電車が止まる駅だな」
オレは歩く間も、つぶさにスマホ画面を確認した。広域地図では、確かに赤いマーカーがあちこちをウロついていた。
それでも連中が近くに居ない事は幸いだった。一番近い赤でさえ、1ブロックほど路地に入った付近にある。大声でも出さない限りは気づかれないだろう。
「こっから先は登り坂だな。少し長いが、中腹まで行けば門がある」
「そうだよ、お兄ちゃん。なんだか詳しいね?」
「ここに通ってたからな。この『井久田坂』は、嫌になるくらい登ったもんさ」
登る間もスマホをチェック。やはりマーカーは多い。特に大学敷地内は、画面が埋まる程の数だった。5人や10人というレベルではない。
特に気になるのは、それらが全て赤色である事だ。
「本当に大丈夫か、これ……」
「どうしたワタル。顔色悪いぞ」
「いや、うん。何でもない」
凜花は、画面上に緑色で表されている。そして大介はというと、今も赤い。スマホが敵対者だと認識しているのか。
しかし、この親切な少年が敵とは思えない。彼は終始、友好的な姿勢を崩さなかった。
(もしかすると、赤色が敵とは限らないのでは? もっと別な括りが有るのかもしれない)
やがて、門の所までたどり着く。赤いマーカーは多いが、別に警備がいる訳でもなかった。キャンパス内の建物付近や道の上で、見知らぬ人が見えるくらいだ。
オレ達が開いた門を通り抜けようとした所で、近くの建物から声をかけられた。
「お前は大介! 無事だったか!」
しわがれた声に大介も反応した。
「あっ、長老さま!」
それから現れたのは白髪頭の男だった。年老いてはいるが、まだ背筋が伸びており、活力のようなものを感じさせた。
その長老が出迎えに来た。するとキャンパス内から、野次馬までも集まりだした。その年齢層はまちまちで、若い男の姿も見えた。
「まったく、このイタズラ小僧め。心配をかけおって」
叱り口調だが、長老の顔は笑っている。好々爺という言葉を思いだした。
すると大介も、足を弾ませながら男たちの方へ駆けていった。歓声にも似た笑い声があちこちであがった。
オレ達が、その成り行きを見守っていると、長老から声をかけられた。
「お若いの。ウチのものが世話になったようで。少し休まれてはいかがですか?」
「いや、オレ達は別に……」
形式上だけでも断ろうとした。すると、そこで長老は指をパチンと鳴らした。
「遠慮せずとも良い。ともかく動くなよ、死にたくなければな」
「えっ……!?」
オレは絶句して辺りを見回した。すると、野次馬と思われた男達が、一斉に刃物を取り出した。同時に門も閉められてしまった。これでは逃走する事もままならない。
「よくやったぞ、大介。若い女だけでなく、活きの良さそうな男まで連れてくるとはな」
長老が顔を大きく歪めて嘲笑う。さきほど見せた微笑みとは似ても似つかない。邪悪な顔だと思った。