第124話 願いは叶う
ロイドの身体は、眩い光に包まれて消えた。跡形もなく消失したと言う他になく、やつのアニマさえも感じられなかった。
「どうにか倒せた……。次は、地球への攻撃を止めなきゃ!」
両足の感覚はない。腿から下は、千切れたか撃ち抜かれたかで、立ち上がる機能を完全に損なっていた。激烈なまでの痛みはアニマで緩和した。正気を保てているだけマシと思うしかなかった。
ともかく今ばかりは泣き言など言ってられない、一刻を争う事態だ。床の上を両手で這って進む。
「ワタル君! 無茶しないで!」
駆け寄った結菜がオレの傍らで膝をついた。
「ダメだよジッとしてなきゃ! このままじゃ死んじゃうよ!」と言いながら、オレを抱き寄せようとする。
「離してくれ。まだ、全てが終わったわけじゃ」
結菜の手を払おうとした、その時だ。辺りに機械音声が鳴り響き、危急の時を告げた。「警告、警告。対外モジュール区に残されたスタッフは、速やかに第二層以下のエリアに待避してください。警告、警告」
それと同時にけたたましい警報も鳴る。通路では誰かが叫び、そしていくつかの足音が遠ざかっていくと、人の気配も完全に消えた。
確かめに向かおうにも、起き上がって探索するだけの余力がない。結菜も、オレの上半身を抱きしめては、この場から離れようとしなかった。
「いったい、何が起きてるんだ……?」
思わず左右を見渡しながら様子を窺っていると、壁に埋め込まれた金属板が蒸気を発した。そして、板は緩やかな速さで、壁から逃れるようにして飛び出した。それが落下せずに済んでいるのは、筒状のもので壁と連結しているためだった。
この現象を補足するかのような音声も聞こえた。「制圧モジュールを緊急停止します。緊急措置のため、燃料の回収は自動化されず、手動プロセスが適用されます。各作業員は、エリア管理者の指示のもと適切に処理してください」
「緊急停止だって……? 今の話からすると、止める事ができたんだよな?」
「うん。そうだと思うけど……」
当初の目的である、隕石を止めることには成功した。しかし、オレ達の勝利と結びついていないことは、自ずと想像できた。狂ったように鳴り続ける警報が、只事ではないと叫ぶかのようだ。
先行きの見えない事態に困惑していると、不意に誰かの声が聞こえてきた。機械音声とは違う、滑らかな口調だった。
――まさか、ロイドが敗れようとは。
それは、どこか沈んだ口調だが、警報を遮ってまで聞こえるのが不思議だった。
――だから私は抗弁した。地球の民は追い詰めるべきでない、必ずや強烈な反撃に見舞われると。
声色は1つではなかった。どうやら、複数人の会話が聞こえてるようだった。
――今さら責任論を並べても無意味である。議論すべきは、この危急の事案にどう対処するかだ。
――隣の銀河団に移ろう。せいぜい千年も航行したなら辿り着く。
――それが良い。これ以上、ここに居を構える理由もなし。
――では本艦は離脱を宣言し、航行モードに移行しする。アルコウス災害規定に則り、航行前に第一層を切り離すものとする。
――異議なし。異物は捨て置くべし。
――それよりもだ。以後は太陽系を不可侵エリアに指定すべきだと思う。特に地球だ。現地の民と関わり合う事は、あまりにもリスクが高すぎる。
――卿よ、その議題は後日にしよう。時間なら気が遠くなるほどにあるではないか。
声が聞こえたのはそれまでだった。室内に大きな振動があったかと思うと、オレたちは床の上を転がされた。車が急発進した時と似ていた。
「クソッ、今度は何だ!?」
「ワタル君! 部屋の電気が!」
室内を照らす灯りが消えた。目に映るのは、窓一面に広がる満天の星空だけだった。思わず見とれそうになるが、飛び込んで来た光景に息を呑んでしまう。
それが良くないものである事は、背筋を走る悪寒が教えてくれた。
「ねぇ、ワタル君。今通り過ぎたのって……」
「たぶん、月だろうな」
窓の向こうで、一瞬だけ見えては遠ざかり、間もなく消えたのはクレーターだらけの天体だ。月とみなして間違いないだろう。思わず呆気に取られるが、ジワジワと現実を理解するようになる。
「もしかしてオレたちは、ものすごいスピードで移動してるんじゃないのか。この建物ごと」
「だいぶ揺れたりしたもんね。その時に?」
「アップスのやつら、ここを切り離しただけじゃなかったのか……!」
「ということは、私たちは宇宙の中を迷子になっちゃうのかな?」
「それはまだマシな結末だ。方向次第では、より厄介な事になるかもしれない……」
オレはスマホを取り出して、画面に問い合わせた。尋ねたのは現在位置と、移動後の到達予測地点だ。
すると画面には平面的な地図が現れて、いつもの口調で回答があった。
――現在、時速210万キロメートルで移動中。およそ10分後に、地球表層部に到達する見込みです。
「何だと……? 大気圏で燃え尽きる可能性は!?」
――アップス自走式居住艦は、惑星の離着陸を想定した構造です。耐熱、耐衝撃に優れ、無傷の状態で地表まで到達する事が可能です。
「嘘だろ!? チクショウ!!」
オレは思わず床を殴りつけた。
「えっ、なに、どういう事なの?」
「この巨大な建物は地球に堕ちる。例の隕石みたいな兵器を載せたままで」
「それって、もしかして……」
「全部無駄になっちまう。地球は滅亡させられる。せっかくロイドを倒して、アップスの残党も遠くへ消えたというのに……!」
「そんな、ひどい! ワタル君はこんなに頑張ったんだよ!?」
「早く止めなきゃ。どうにかして衝突を防がないと……」
オレは大きく呼吸してから、進路を変えようと試みた。この建物が地球から逸れてしまえば十分だった。
しかしアニマを使おうとした刹那、下半身に感覚が戻った。神経を焼き切られた痛みが瞬間的に駆け上がっては、脳に強烈な刺激をもたらした。
「うっ……ガハッ!」その激痛は呼吸すら奪うほどで、強烈なめまいと吐き気をもたらし、オレは床に頭を打ち付けた。
「大丈夫、ワタル君!」
結菜が再びオレを抱き起こした。そして膝の上に頭を乗せてくれた。
「足の怪我が……。アニマを何か別のことに使おうとすると、鎮痛効果まで手が回らなくなる」
万事休すか。進路を変えるにはアニマを使うしかない。だがアニマを使おうとすれば、猛烈な痛みにより悶絶する。気を失いかねない痛みに、果たして堪えきる事ができるのか。
「いや……できるのか、じゃない。やる。やるんだ。絶対にやりきって――」
そこで、結菜の手のひらが優しく触れた。頬と額を撫でてくれた。柔らかく、温かな手のひらだった。
「もういいよ、ワタル君。これ以上がんばらないで」
「結菜、何を言ってんだ」
「ワタル君は凄かったよ。こんなにボロボロになるまで戦って、そして勝っちゃうんだから。でももうお終い。ワタル君の辛そうな顔、もう見てられないよ……」
「オレがやらなきゃ。冗談抜きで地球が終わる」
「それでもヤメにしようよ。地球のヒーローになんて、ならなくていい。それでみんなから怒られちゃった時は、私も一緒にゴメンナサイするから」
「死んだら、怒るも何もないだろ」
「でもね、命はつながってるとか、輪廻がどうのって言ってたよね。だったら死後の世界で、みんなと顔を合わせる事もあるんじゃない?」
そこでふと、ノゥラの言葉が脳裏をよぎった。命はもともと1つ。その言葉をオレは、戦略として受け止めたわけだが、結菜の解釈の方が正しいのだろうか。
ノゥラは、こうなる事まで予測して、慰めの言葉を告げたとしたら。最後は必ず1つの命に還るだけ。失敗した所で結末は同じ。それを仄めかしたという可能性はあるのか。
考えた所で本人は不在だ。答えを求めたところで虚しいだけだ。それよりも今は、腹の奥で燃えたぎる激情の方が、オレの思考を支配していた。
「クソッ。オレは悔しいぞ。奴らに好き勝手やられて……」
「私は、こうしてワタル君と一緒にいられて、嬉しいと思うよ」
「お前には色々と見せてやりたかった。皆で頑張って廃墟を再建したんだよ。大きな農園とか、小洒落たカフェとか、真宿には地下空間にバカ広い森があって。外に連れ出したお前がガッカリしないように、皆と協力して造ったんだ」
「うんうん。そういうの、たくさん教えてね。お喋りするくらいの時間はあるから」
「教えると言えば……あぁ……」
「どうかしたの?」
「ちょっと悩ましいが、今のうちに伝えておく。お前の両親について」
「いいよ。何となく分かるもん。家族とはもう会えないんだよね?」
「お前、気づいていたのか……」
「ワタル君って嘘が下手だよね。話してるうちにピンときたもん」
「そうか。上手いこと誤魔化したつもりだったが……。すまない」
「ううん、慰めてくれたんだよね。確かにパパとママを亡くしたことはショックだったけど、ワタル君の優しさも嬉しかった」
その時だ。何の脈絡も無しに物音が鳴り響いと。床に落下したそれが、カツンと高い音を響かせた。
「今のは?」
「うんとね、石……かな? 金属の板の中から出てきたみたい」
「例の制圧モジュールからだな。部品でも落下したのか」
「うわぁ……。すっっごくキレイだよコレ。七色の石だ」
「ん? ちょっと待て。オレにもよく見せてくれ」
「はいどうぞ。キラキラの宝石だよ」
「これは……アニマ水晶体だ! 打津木の病院で似たものを見たことがあるが、あれの比じゃない。とてつもないほどに膨大なアニマを感じる……」
「へぇ〜〜何だか凄いものなんだね。見たところ、たくさんありそうだけど」
制圧モジュールからは筒状のものがこちら側に突き出しており、側面に空いた穴から水晶体がこぼれ落ちていた。結菜が筒の中を探ってみると、両手が埋まるほどの量を集めては、オレに見せつけた。
室内の制圧モジュールは4基ある。そちらも同じ様に、多くの水晶体が残されている事もわかった。
「なぁ結菜。地球を救ってもいいか?」
「えっ? それはどういう……」
「これだけのアニマがあれば、オレの想定する事が全て出来るんだ」
オレは結菜の顔を見上げて、もう一度訊いた。
「なっても良いか? 地球を救うヒーローに」
「そこまで言うなら、ワタル君に任せるよ。でも無理だけはして欲しくないの」
「心配はいらない。それと、もう人生を諦めなくていい。心に思い描いた光景は、必ず実現できることを証明してやる」
オレは水晶体を手のひらに集めて、意識を集中させた。
「願えば叶うんだ! 強く祈れ!」
まばゆい閃光が駆け抜けた。視界を焼き切ると思われるほどの光だ。目をつぶっても白い世界が広がるばかりで、耐え難いほどの眩しさだった。
ワタル君、と叫ぶ声がする。手をまさぐり、相手の身体を手繰り寄せて、抱きしめる。離してはいけない。この先何が起きようとも、この両腕だけは離さない。
光が消えた。闇が押し寄せてくる。それは恐ろしくもあり、どこか安らぎをもたらしてくれた。「もう頑張らなくていい」という言葉が聞こえた気がする。それからは意識が薄れていった。
最後に誰かが叫ぶ声を聞いた気がする。相手の正体が分からないうちに、すべて遠くなった。