第122話 決戦の火蓋
光の粒子に包まれたインフォは、その姿を消してしまった。あとに残るのは鉄の臭いがするほどの血溜まりと、耳に響くほどの静寂だけだった。
すると結菜が両手を合わせて目を閉じた。小さく弔いの言葉を呟いたところで、オレに訊いた。
「ワタル君。さっきのお爺さんは……?」結菜が口に出したのは当然の疑問だった。オレはなぜか、歯に物が挟まったような回答になった。
「そうだな……珍妙な知り合い。いや、遠い星から来た、風変わりな友人ってとこか」
「不思議な人だったね。でも、親切そうだった」
「親切と言われたら、そうかもしれない」
「ちなみに、この子はどうするの?」
結菜が足元に目を落とした。オレもその動きにならうと、白い塊がうごめいた。ノゥラだ。
「インフォの忘れ形見みたいになったが、どうしたものか……」
オレたちはロイドとの決戦を控えている。果たしてコイツまで連れて行くべきか、それとも置き去りにすべきか、少しだけ悩ましい。事後を託された訳でもないので、世話を焼く義理も無さそうに思えるが。
「それはお節介だね。これからロイドとやり合うんだろう。そんな君にとって、僕の身を案じる事なんて贅沢に他ならないよ」
「えっ、誰だ!?」
「僕だよ僕。こっちを見なさい」
声の聞こえる方へ顔を向ければ、そこには白くモチッとした生物が居座るばかり。もしかしなくてもノゥラだけ。その、種族すら不明な真ん丸の生物が、真ん丸で黒い瞳をこちらに向けていた。
「失礼極まる男だな、君は。一度礼節が何たるかを学ぶべきだよ」
「えっ、お前、喋れるのか……?」
「なぜ会話不能だと決めつけた。僕が言語を解さぬ獣だって、自己紹介でもしたのかな?」
「なんだその論理、絶妙に破綻してるし、言葉もやたら毒が強いし。何なんだよお前は」
「これが本来のキャラクターさ。愛玩動物をロールプレイすべき理由なんて、もう無いからね」
ノゥラが足元の血溜まりに目を向けて、押し黙った。そして、ポツリと漏らした。
「君には感謝してるよ、ありがとう」
「なんのことだ」
「ジムを……いや、インフォを元気づけてくれたでしょ。彼は本当に、見ていて可哀想になるくらい打ちのめされてたから。君たちの存在は、救いそのものだったのさ」
「感情がどうのというやつか」
「そうだね。君たちのように、笑って泣いて、怒って嘆き哀しむ。そんな振る舞いは、時として見苦しく映る事もあるけど。とても大切な行為なんだね」
ノゥラは今も血溜まりを見つめたままだ。お前には感情があるのか、と尋ねたくなったが、やめた。さすがに無粋すぎると思って、別の話題に変えた。
「インフォは、お前の本質を理解してたのか?」
「薄々感づいていたみたいだ。でも、深く追求しなかった。彼は賢い男だよ。真実よりも関係性を大切にしたかったんだね」
「そういうものか」
「この世は虚実が入り混じって出来ている。真実が常に善きものとは限らないよ」
ノゥラは、そんな小難しい事を喋る一方で、オレの足元に絡みついてきた。モタリとした感触が足首に始まり、すね、腿へと登ってくる。
「おい、何をする気だ」
「感謝してるって言ったでしょ。だからお礼をしてあげるね」
「要らない要らない。過去イチで気色悪い」
「君も結構言うよね」
モタリ、モタリ。かつてない感触が胸にまで登ってきた。それが首筋に達した時は、小さく悲鳴を漏らしてしまった。
だがそんなオレに配慮は見られず、ノゥラは淡々と登りきり、ついには頭頂を制覇されてしまった。
「ノゥラ。お前の礼とは、恩人を尻に敷くことなのか?」
「違うよ。君の中身がボロボロだから治してやろうっての。じっとしてなさい」
「治すって何する気だ? いっとくが怪しげな儀式はお断りで――」
「はいはい静かにね」
突然、頭皮に温かさを感じた。さながら、シャワーを優しくかけたかのようだ。その温もりは徐々に体内を伝っていき、最後は指先や足の先まで満ちた。
すると、全身に活力がみなぎってきた。まるで煮えたぎるマグマでも、腹の中に収めたかのようだった。
「なんだこれ……。力が溢れてくるぞ」
「経絡線のあちこちが炎症を起こしたよ、相当無茶を重ねてきたんだね」
「まぁ、戦うたびに死にかけてたと思う」
「バーサーカーかな? ともかく僕がキレイさっぱり治したから。今後はアニマの活用効率が飛躍的に向上すると思うよ」
ノゥラの説教じみたコメントを、結菜が横から遮った。
「あっ、ワタル君の髪が! 全部真っ黒になってる!」
「ついでに白髪も治したんだよ。線で引いたように半分だけ真っ白だったでしょ。それも経絡線の乱れが原因さ。こうして身だしなみまで改善させちゃうんだから、僕の仕事は完璧だなぁ」
「もったいない。前の髪型も、私は好きだったのに」
「君たちってホントお似合いだよね」
ノゥラは呆れたような溜息を吐くと、今度は小さく笑った。
「でもひょっとしたら、そういう所が地球人の魅力なのかもね。こうして触れ合ってみると、存外悪くないよ」
「それよりもノゥラ。用事が済んだなら降りてくれ。モッタリとした感触が落ち着かないんだ」
「心配ご無用。降りるまでもないよ」
「何を言って……。えっ?」
オレの頭上でくつろぐノゥラからは、その重みが瞬く間に消えた。頭皮に居座る感覚はない。そこに手を伸ばしてみたのだが、オレ自身の髪に触れただけだった。
「僕もそろそろ表舞台から退場するよ。飼い主もいないことだしね」
「お前まで消えるのか?」
「まぁね……って、もしかして寂しがってるのかな?」
「知った顔が立て続けに居なくなるのは、けっこうキツイんだよ」
「気に病むことはないよ。僕たちあらゆる生命は、魂の根っこでつながってるから。生死も関係ない。もともとは大いなる1つの存在なんだよ」
「急に小難しい話をふるな」
「君たち生者は、この事実を認めようとしないよね。何かと自分と他人を線引きしたがる。全く別の存在だと見なすから、争うし、奪って、傷つけ合ってしまう。本当は皆あわせて1人の人間だって、ちょっと考えたら分かるのにね」
「とりあえず、オレはさっぱり分からんが」
「他人をもっと身近に感じろってことさ。我は汝、汝は我」
「そうか。分からんものは分からん」
「頭を柔らかくしてごらん。まぁ僕からのアドバイスは以上だね。過剰な介入は本意じゃないから」
そこでノゥラの気配が遠ざかっていった。今も姿形は見えないのだが、確かに、その存在も遠のいていくのが分かった。
「それじゃあね。あとは自分で力で、運命を切り開いておくれ」
「お前が理由の分からん事をいうから、すごく消化不良の気分だが?」
「そのうちわかる日が来るよ。じゃあ、せいぜい頑張ってね〜〜」
その言葉を最後に、ノゥラの存在は消え失せた。
「あいつ。好き放題した挙げ句、勝手に消えやがった」
「独特な子だったね。でも、嫌な感じはしなかったかも」
「性格はそこそこ曲がってたがな」
談笑やら、感傷にひたる時間も、ここまでだった。突然、この階層にロイドの気配が現れたからだ。感覚的に分かる。それほど遠くない場所にいると。
「結菜、今度こそ本当に戦場へ行く。覚悟はいいな?」
「うん、もちろん。絶対勝とうね!」
「当然だ。必ず地球に凱旋するぞ」
オレは意識を深く集中させて、ロイドの位置を正確に把握しようとした。いくつかの壁を隔てた向こう側、座標を掴んだ。
アニマを使って空間移動を開始した。視界がコマ送りになったのも束の間で、すぐに広々とした部屋に出た。
「ここは……何だろう?」
比較的殺風景な内装だった。大きな窓から見える景色は、数え切れないほどの星の海。その中で、青い地球だけが特別に大きく見えた。
真っ白な壁には、円形の蓋らしいものがいくつも設置されていた。壁の素材は見てもわからないが、蓋は金属製だ。他にも見慣れない機器が並ぶ。液晶画面つきのそれらは、流線型をしており、地球で見かけるような角張ったものではなかった。
ここが何の部屋か分からず、観察を続ける最中に、話しかける声を聞いた。その響きは寒気を覚えるほどに冷たかった。
「来たか、下等生物どもめ」
部屋の奥で空間が歪んだかと思えば、同時に細身の大男が姿を見せた。身を包むローブは濃紫色で金の縁取り。長く伸びた銀髪の隙間からは、尊大な視線がギラリと光る。
見間違えようがない。ロイドだった。
「まさか貴様らに、ここまで手を焼かされるとはね。もっと早いうちに対策しておくべきだった」
ロイドはそう言いながら、カードキーらしきものを見せつけた。そして、壁際のカードリーダーに通した。全部で3枚。最後の1枚を通した時、室内に機械音声が鳴り響いた。
――議員3名の同意を確認しました。これより制圧モジュール『焼夷の矢』を再稼働します。
そこでロイドが両手を広げながら嘲笑った。感情が乏しいはずなのに、妙に芝居がかった仕草だった。
「準備が整うまで、若干の時間的猶予がある。その間は貴様らと遊んでやろう」
やるしかなかった。右手に大剣を呼び出して、深く腰を落として構えた。ここでロイドを止められなければ、何もかもお終いだ。
「いくぞロイド、覚悟しろ!」
「せいぜい足掻け、そして絶望しろ。無力さに苛まれながら死んでいけ!」
結菜には「下がってろ」と短く告げてから、床を蹴った。正面にロイド、遮るものは何も無い。オレは放たれた矢のようになって、全力で疾走した。