第119話 災厄の再来
陰木からもたらされた急報に、オレはスロープから外へ飛び出した。うだるような暑さと、強烈な陽射しに顔をしかめるも、四方の空を見渡した。
西の方に真っ赤な何かが、落下しながら青空を切り裂いていた。血を思わせるほどの赤さに、暗いものを想像して、思わず立ち尽くした。
するとそこで、スマホがけたたましい音を響かせた。
「何だよこれは……警報か?」
緊急車両を思わせるような、長い警告音は片時も休まず鳴り続ける。僅かに不協和音的で、聞いているだけで心に焦りを募らせていくようだった。
そして追い打ちとばかりに、スマホからは無機質な声が発せられた。それはもはや、死刑宣告も同然だった。
――議員権限により、ロイド・アルコウスが『焼夷の矢』を射出しました。着弾まであと4分。
オレは焼夷の矢などというものは知らないし、どんな結果を及ぼすかも把握していない。だが、あのロイドが仕掛けた事だ。生易しいものとは思えないし、そもそも、地球に災厄をもたらした隕石と酷似していた。
着弾するまでに対策を練らなくては。それだけはハッキリと分かっていた。
「大介、陰木、どうやら最悪の事態になりつつあるぞ」
「そのようだね、急に警報が鳴り始めたし……。これはもしかして?」
「恐らくは、あの災害がもう一度起きる。そうとしか考えられない」
「そんな……! どうしようワタルさん!?」
電話越しの大介はパニック寸前だった。陰木など、ヒステリックに叫んでいて会話にならない。
2人がこんなにも取り乱すので、オレはかえって冷静でいられた。そして「落ち着け2人とも!」と怒鳴ると、どちらも口を閉じた。
「例の地震や熱風がくるぞ。とにかく1人でも多くの住民を地下にかくまえ。1秒を争うぞ、急げ!」
オレはその場できびすを返して、地下室へと駆け戻った。そして叫んだ。「今すぐ傍に集まれ!」
もちろん、皆は困惑顔で受け止めた。状況を把握していないのだから、無理もない。だが皮肉なことに、オレの言葉に信憑性を与えてくれたのは、今も鳴り続ける警報だった。
「間もなく災厄が降ってくるぞ、時間がない!」
この言葉には、全員が血相を変えた。凜花たちは一斉に洗い物を足元に放り上げて、立ち上がった。いまだ衰弱に苛まれる生存者でさえ、よろよろとこちらへ歩み寄ってきた。
「ワタル、どういう事だよ。災厄がって……」
「西の空だ。隕石と思しきものが、今まさに落ちようとしている」
「嘘だろオイ!?」
凜花は、さきほどのオレと同じようにして、地上へと飛び出していった。そして、息を切らしながら戻ると「マジだ、ワタルの言う通りだった」と叫んだ。
すると衣織が膝から崩れ落ちて、床にへたりこんだ。顔面は蒼白で、血の気は完全に失せていた。
「そんな、あんな事がもう一度起きるなんて……」
衣織が絶望に襲われ、その恐怖から震えていると、それは付近に伝播した。生存者たちはその場で苦悩し、身悶え、喉が張り裂けんばかりに喚き散らした。
「いやだぁ、どうしてだよ! せっかく生き残ったのに!」
「あぁ神様、お助けください! 私達はもう限界です! なにとぞ、なにとぞ……!」
泣き叫ぶ声、神仏にすがる声、そんなもので地下室は満ちていった。
恐怖は伝わるほどに肥大する。もはや手に負えないほど騒がしくなり、みなが泣き叫んだ。あまりの騒がしさに、オレも考えがまとまらなくなる。ただでさえ警報が心をかき乱して、正常な思考を奪い去るのだ。
(くそっ、落ち着け。落ち着いて考えをまとめるんだ……!)
そのようにして心が焦りで塗りつぶされていく最中の事。不意に伸ばされた両手が、オレの手を優しく包みこんだ。結菜だった。
「私達、本当にここでお終いなのかな……」そう言って眼を伏せた。「せっかく会えたばかりなのに。せめてあとちょっとだけ、ワタル君と過ごしたかったな」
すると、結菜と結んだ手のひらから、微かに温かいものが伝わってきた。それはアニマだった。もう少し生きていたいと願う心が、微量なアニマを伝えてきたのだ。
腕を通って胸に宿ると、力が沸き起こってきた。それと同時に、脳裏に閃きまでももたらした。
「これだ、これしかない……!」
オレは結菜の手を握りしめると、即座に声をあげた。スマホ越しの大介や陰木にも伝える。
「生存者は全員集まれ! そして、手を繋いで輪を作れ!」
この言葉を誰も理解できていない。唐突すぎるセリフに、ポカンとこちらを眺めるばかりだ。だが「生き残りたければ急げ」と続けると、皆が慌てて立ち上がった。
「大介、陰木、そっちの様子はどうだ?」
オレの問いかけに「一応はできた」と、2人から連絡が入る。しかし現場は騒然としており、自明も真宿も、辛うじて理性を保てている状態だった。住民で手を繋いで輪を作る。それでも、すすり泣きや喚き声は鳴り止まず、といった様子だった。
「あぁ、良かった。陰木のところに駒江の人たちも居るのか」
通話画面に、疾風旅団の早川と細矢の姿が映り込んだ。酷暑から避けるために、駒江の住民たちも真宿に避難してきた直後だったらしい。これは朗報と言えた。オレが閃いた対抗策は、覚者の傍に居なければ恩恵にあずかれないからだ。
場は整ったとみるなり、オレは叫んだ。声は殊更に大きく張った。今は何よりも強い言葉が必要だと思えたからだ。
「これから生き残るための唯一無二の方法を説明する! 全員手を繋いだか!?」
スマホの画面には、大介や陰木の姿も映り込んでいた。スピーカーモードに切り替えて、スマホを手放したのだと思った。
「皆で手を繋いだなら、あとは簡単だ。『生きたい』と願え。それだけをひたすら願え」
すると、あちこちから不満の声が噴出した。声が裏返るほどの猛抗議だ。
「おいアンタ! そんなんで助かるわけねぇだろ!」
「こんだけ引っ張っといて神頼みかよ! それで良いなら苦労してねぇんだよ!」
非難轟々だ。罵倒の嵐でスマホのスピーカーが音割れしてしまう。眼前に集まった秋葉腹の住民たちも、力ない素振りでこちらを見た。納得いかないのだろう。
だがそんな空気も、オレが一喝する事で途端に静まり返った。
「これは神頼みじゃない! お前らのリーダーにすがるんだ! 今日まで、不思議な力でお前たちを救ってくれただろ!」
生存者たちは虚を突かれでもしたかのように、困惑しては黙りこくった。それには構わず話を続けた。
「大介、陰木。お前たちは最小限の範囲でセカンダリーゾーンを展開しろ。その状態なら、みんなからアニマを受け取れるはずだ」
「ワタルさん、ゾーンを展開した後は?」
「小難しいことは考えるな。そこにいる人間が生き残れるとだけ、念じ続けろ」
すると、画面の向こうで大介と陰木が、ゾーン展開を完了させた。自明も真宿も、みなが手を繋ぎ合い、一体化していた。真宿の方は、妖精たちも焔走の身体にしがみつく形で参加していた。
――焼夷の矢が着弾するまで、あと30秒。
こちらも他人の世話を焼いていられる限界に達した。オレは通話状態のスマホをポケットにしまうと、左手を空けた。右手は結菜と繋いだままだ。
「ようやく終わったと思ったらさ。とんでもねぇ事になったよな、相棒」
隣に歩み寄った凜花が、オレの左手を強く握りしめた。
「でもよ、アタシはワタルを信じてるぜ。これまで何度も何度も死にそうになった。でも、そのたびにワタルは救ってくれたよな。今回もそうなるって信じてるぜ」
凜花のさらに左隣では、衣織も手をつないでいた。衣織はいまも顔面を青白くさせているが、瞳には強い意志が宿っている。
「ワタルさん、私も信じてます。あまりにも厳しい状況ですが、必ず、絶対に生き残りましょう!」
衣織の左隣は生存者たち。それで10名程度の輪をつくろうとして繋がり、最後は右隣の結菜まで届いた。
結菜の様子はいつも通りだった。もしかすると、オレよりも落ち着きを払っているようにさえ見えた。
「大丈夫。ワタル君なら、きっと上手くできるよ。私には分かるもん」
オレは返事をする代わりに、結菜の手を強く握りしめた。談笑の許される時間などどこにもない。
――焼夷の矢、着弾するまで残り5秒。
「そろそろ来るぞ」
――4秒。
生き残る、生き残るという念仏が聞こえた。
――3秒。
「必ず生還するぞ!」
――2秒。
「何があっても気持ちで負けるなよ!」
――1秒。
「オレたちは絶対に生き残るんだ!」
――着弾。
スマホが無機質に告げた。すると、数秒の間をおいて、突然地面が揺れた。地下室一帯が、波でうねるように大きく歪み、次いで轟音が轟くとともに天井が破壊された。
オレたちの身体は、凄まじいまで縦揺れで浮き上がった。
「うわぁ! きたーーッ!」早くも悲鳴があがる。オレは腹の底から叫んだ。「手を離すんじゃないぞ!」
猛烈な地震により、住民たちは早くも錯乱しはじめた。尻ポケットに突っ込んだスマホからも、他拠点での騒がしさが聞こえてきた。
だがこんなものではない。次からが本当の試練だった。
「熱風が来るぞ! 備えろ!」
頭上から、ゴウゴウという音が聞こえた。風だ。そう思った瞬間、この地下室に暴風が吹き荒れた。
同時に、ゾーン外のありとあらゆる物が燃えた。マットレスも、石材も、コンクリートにスチールさえも、何もかもが発火していった。
「ひぃ、ひぃっ! いやだ! 死にたくねぇ!」
地獄の様相に、心の弱い者から順に悲鳴をあげた。そのたびにオレは怒鳴りつけた。
「手を離すなよ! 死をイメージするな、生き延びる事だけ考えろ!」
「ふぅ、ふぅ、絶対生き延びる、絶対生き延びる……!」
火焔の暴風は強烈だった。溶けて千切れた鉄やスチールの破片が、炎をまといながら飛ばされていく。
あんなもので貫かれたら、生身では対抗しようもない。いや、斬られる必要すらない。金属の融点にも迫るほどの熱風では、人間など一瞬でケシズミだった。
「あひゃぁぁ! 熱い! 燃えちまうよぉぉ!」
「落ち着け、それは錯覚だ! 心を強くもて!」
ゾーンの外は地獄そのものだ。どこを見渡しても赤く燃え盛る炎が見えるだけで、それは終わりがないように思えた。
(いや、そんな事はない。必ず終わりはある。そして生還するんだ……!)
オレが弱気でどうする。両手の力を強めた。左右の結菜と、凜花から強く握り返された。その力が、不思議なエネルギーを伝えてくれた。
「がんばれ、あと少し。あともう少しだ!」
そう言いながらも、オレは嵐が過ぎ去るのを今か今かと待ち焦がれた。オレたちは助かる。早く終われ。短い言葉を交互に思い浮かべた。
すると、ゾーン外からの圧力が弱まった。猛り狂う業火が消え失せ、不気味なほどに静まり返った。壁が剥がされて剥き出しになった地面の層が、猛烈な熱風を浴びたことで燻っていた。
「あぁ、生き残った……。とんでもない地獄から……!」
老いた生存者たちは腰砕けになり、その場で倒れ込んだ。しかし何も問題はない。オレたちは生き残ったんだ。不穏さを撒き散らす警報も鳴り止んでおり、この静けさが勝利を祝うかのように思えた。
「よく頑張ってくれたな、みんな。オレたちは決して、あんな連中に負けたりは――」
オレの言葉を遮る形で、スマホが音声を発した。
――焼夷の矢が装填準備に入りました。次弾の発射予定時刻は、これより5分後と見込まれます。
無機質な声が、辺りに大きく響き渡った。もはや言葉もない。誰一人として口を開かないが、考えていることは同じだろう。「またあれがくるのか」と。
「大介、陰木、そっちの状況はどうだ!?」
オレは思わず叫んだ。少し遅れて返答がある。だが、2人とも言葉は途切れ途切れで、聞き取ることが困難だった。通信状況が劣悪になっていた。
「ワタルさ……。どうにかみんな生き残っ……けど。まだ次の攻撃がある……ホントかい?」大介を映すカメラはノイズまみれだ。画面越しに自明キャンパスの現況を窺い知ることはできない。
「もう無理。アニマの……残りが無いの。みんなも疲れ果て……次なんて堪えられないわよ」陰木も状況に大差ないようだった。息も絶え絶えといった様子で、言葉を発するのもやっとという有り様だった。
そして、疲労困憊するのは秋葉腹の拠点も同じだった。
「みんな、立ってくれ。次の攻撃が来る前に、また輪を作って」
オレはそう告げたのだが、生存者たちは座り込んだまま動かない。彼らはいった。「もう嫌だ、堪えられない」と、頭を掻きむしってのたうちまわった。
彼らは恐怖に縛られていた。およそ人類が経験したことのない大災害を、目の当たりにしてしまったのだ。まともな精神状態でいられる訳もなかった。
極めつけに、凜花たちもその場で膝をついてしまった。
「わりぃ、ワタル……。アタシも限界っぽい」凜花の両腕には赤い筋がいくつも刻まれていた。アニマ枯渇の症状だった。
「私たちはもうお役に立てません。動ける人だけで、どうにか生き延びてください」衣織の頬にも同じ様な筋が浮かび上がっている。呼吸も荒く、喋るだけでも辛そうに見えた。
「結菜、大丈夫か!?」
右隣では、結菜が前のめりに倒れようとした。すかさず抱きとめるのだが、憔悴ぶりが激しい。まだ意識はあるようだが、あえぐようにして呟いた言葉は儚いものだった。「足手まといになりたくないのに……。ワタル君だけでも、安全なところへ」と呟いた。
死ぬ。オレたちは全滅する。大介たち自明キャンパスも、早川率いる疾風旅団も、陰木や関元たちの真宿のメンバーも。
オレも、凜花も、衣織も、結菜も、地獄を生き延びた秋葉腹の人たちも、みんな死ぬ。今ここで死ぬ。悪党どもと立ち向かい、あるいは虐げられても生き続けた人たちが、虫けらのように殺されてしまう。誰かの都合や理屈によって。
そう思ったとたん、腹の奥底が何かが弾けたようになった。たぎる血が脳を目掛けて駆け上がり、重たい頭痛をもたらした。それが、かつてないほどの活力を授けるようだった。
「フザけるなよ……。お前らは何様なんだ。何の権利があってオレたちを殺そうってんだ!!」
オレは地下から飛び出して地上まで駆け上がった。
地上の様子は別物だった。もはやアスファルトはなく焼け焦げた地面が剥き出しだ。廃ビルも溶けたか飛ばされたかして消失している。辛うじて残された街路樹も、すべて炭化して飛ばされたか、どこに植わっていたかも思い出せない。
そこにあるのは青空。見渡す限りが地平線。遠くに山の稜線が見える。地上には文明を思わせるものは何もない。オレたちは先程の攻撃で、わずかな資産すらも失ってしまったのだ。
――焼夷の矢にアニマ水晶体を装填中。進捗率70パーセント。
スマホが知らせた。そうだ、感傷に浸っている余裕はない。オレはその場で天を仰ぎ、腹の底から叫んだ。
「聞こえてるだろ、ロイド! ここへ来て勝負しろ! 安全圏から攻撃して倒すだなんて、卑怯にもほどがあるぞ!」
大剣を右手に呼び出しては、虚空をやたらめったら切り裂いた。だからと言って返事があるわけもなく。地平線には何も現れず、青空も青いままだった。
だが唯一、スマホだけが変化を起こした。突然、機械音声ではない、誰かのセリフが鳴り響いた。
――そこまでだロイド! これ以上、地球の民を攻撃することは許さぬぞ!
大介や陰木の声とも違う。だが、これまでに何度も耳にした声だった。
「もしかしてインフォ……。お前なのか!?」
スマホの向こうでは、状況が変わっていた。インフォが繰り返し、ロイドを糾弾しているようだった。
今も予断を許さない状況だ。それは分かっていても、オレは「昨晩に聞こえた幻聴も、インフォと同じ声だった」と、場違いなほど呑気に構えてしまった。