第118話 胸騒ぎの果てに
静かに吹きつけた夜風が、オレと結菜の間を通り抜けた。わずかに肌が冷える。だがそれを、心地よいと感じる心境には程遠かった。
「どうして、そんな事を?」
オレの声はどこか頼りなく響いた。まるで浮気でも問い詰められたかのようだ。実際に後ろめたさを感じている点に関しては、大差ないと思った。
結菜は、夜空に向けた視線を手元に落とした。
「私ってさ、パパとママにはすごく迷惑をかけたから。今どこで何をしてるかが、気になっちゃって……」
「そんな感じだったのか?」
「うん。入院当初は、私も荒れてたんだ。せっかくお見舞いに来てくれても、ケンカばっかりしちゃって……」結菜は大きく息を吸い込んだ。「そのせいかな。最後の方は、全然会いに来てくれなくなっちゃった」
オレはディープゾーンで見た光景を思い返していた。打津木の記憶が再現した応接室では、確か、結菜の両親は激しく講義していた。娘に会わせろと。それを阻んでいたのは病院側であることは、オレも知っている。
「そんな事はないんじゃないか? だって……」
「だって?」
ここで結菜がこちらを向き、視線が重なる。どこかすがりつく様な目だった。
「だって……実の親子だろ。簡単に途切れるような関係じゃないさ」
咄嗟に言葉を濁しながら、オレは迂闊だと思った。話し方次第では、両親の末路まで明らかにせざるを得ない。災厄の日に被災して、無惨にも息絶えたことを。
果たして、ありのままを伝えることが正しいのか。伝えるにしても、それは今この瞬間なのか。心身のコンディションを整える方が先じゃないのか。
オレは迷いに迷った。その挙げ句、曖昧な返答になってしまった。
「確かに、そうかもしれないけど。もともとは仲良し家族だったし。私があんな事にならなかったら、その先も、きっと……」
結菜はそっと手を伸ばしてきた。そして、静かにオレの手を握りしめながら言った。
「ワタル君。何か知ってたら教えてほしいの。あちこち旅をしてきたんでしょ? 噂でも良いから、お願い」
今にも泣き出しそうな結菜の瞳に、オレの心は揺さぶられた。
正解は何か。悲惨な現実を突きつけるべきか。それとも知らぬ存ぜぬと、しらを切るべきか。分からない。そんな板挟みに苦しめられたせいか、オレの返事はか細い声となって現れた。
「すまん、分からない」
嘘をついた。結菜の足跡を思い返せば、両親との死別は重たすぎる。オレは何か根拠があるわけでないが、事実を隠すべきだと判断した。
すると結菜は「そっか」と呟くと、また夜空を見上げた。さっきよりも寂しげで、夜闇に溶けそうな儚さがただよう。
「だがな、結菜。オレはアニマの残滓を感じ取る事が出来る。誰かの記憶や、感情みたいなものが、断片的に読み取れるんだ」
「ざんし?」
「残り物って意味だ。それを読み解くとだな……」
オレは両手を天にかざして、瞳を閉じた。特に意味はない。それでも結菜には、精神統一の儀式にでも見えただろう。
「ん……。いろんな感情が混じって読みにくいな…
…」などと、知ったようなセリフの後に、結菜を見た。
「少し古い記憶だな。被災前だと思うが、見つけたぞ」
「えっ……ほんとに?」
「そうだ。お前の両親は憤慨してたぞ。『娘に会わせろ、警察沙汰にするぞ!』と叫ぶくらい」
「まさか。パパは優しくて、穏やかな人なんだよ?」
「娘のためにならってとこだろ。だが打津木が拒んだ。治療がどうのってホザいたが、結菜を手放さないための詭弁だろう」
今度は嘘ではない。両親は確かに結菜を愛していたし、面会を強く希望していた。打津木の妨害があったことも事実だ。だが惜しむらくは、どこか嘘くさい伝え方になった事だろうか。
結菜は澄んだ瞳でオレを見た。少しだけ居心地の悪さを感じていると、結菜はうつむいては、こう言った。
「ありがとう。そう言ってもらえると、少し楽になるかも」
嘘の気配は隠しきれなかった。結菜は、オレが同情心からでまかせを言った、と解釈したらしい。真実をそのまま伝えられない以上、お互いに認識がズレる事は免れない。どうしても不自然さが伴うからだ。
それでも、いつかは真実を告げる日が来るだろう。その時は誠意を持って話すことにしよう。もちろん嘘をついたことも詫びる。
「ごめんね長々と。衣織ちゃんのところへ戻ろうか」
結菜は鉄骨に腰掛けたままで大きく伸びをした。それから、カラッとした笑顔を見せた。
「そうしよう。それから、外出する時は一声かけてくれ。こんな時代だ。1人で出歩くのは危ないと思う」
「ごめんね。でもさ、久しぶりの月も見たかったし。そのうち夜のお散歩も楽しみたいなぁ」
「その時はオレが付き合う。忙しくても時間を作るから、必ず声を――」
オレは何気なく月を見上げた。半月から少し膨らんだ形の月だった。だがそこで、オレは眼を疑うほどの光景を目の当たりにした。
「な、なんだアレ!?」
月が欠けた。その下半分が、まるで闇にでも食われたように、ゴッソリと消えてしまったのだ。
だがそれは一瞬の出来事だった。結菜が一呼吸遅れて見上げたときには、月はいつもの姿を取り戻していた。
「えっ、どうかしたの?」結菜の問いかけに答える事ができない。結局は目の錯覚だろうと言って、地下拠点へ戻っていった。
(いったい何が起きたんだ。単なる見間違いとも思えないが……)
オレはその日、なかなか寝付けなかった。傍では結菜が、マットレスの上で寝息をたてている。凜花と衣織も、壁を背にして座りながら、熟睡しているようだった。
仮眠程度でも良いから寝ておくか。浅い眠りに落ちては覚醒する事を繰り返す。そんな最中のことだ。不意に誰かの声が脳裏に響いた。
――果たして私は正しかったのだろうか。
聞き覚えのある声、老人のものだった。ごく最近に耳にしたと感じたが、結局は思い出せず、また眠りの世界へと落ちていった。
(結局何だったんだ。今、何が起きようとしてるんだ)
一晩明けても気分は晴れない。いやむしろ、異物感のようなものが強く際立ち、心を煩わせるようだった。
「はいどうぞ、おじいちゃん。朝ごはんですよ」
結菜はいつも通りに愛想が良い。生存者の世話に滞りはなく、衣織が「次に洗濯を手伝ってください」という声にも、明るく返答した。
やなて凜花も加えた3人が、井戸端で洗い物を片付けていく。談笑を交えながら、和気あいあいとした光景だ。それは好ましいものだし、眺めているだけでホッとさせられた。
しかしなぜだ。胸の奥にジットリとした焦燥感が張り付いたままだった。
「何だか気が晴れないな……。とにかく作業に没頭しよう」
オレがやるべきことは冷房設備の構築だ。内容は大介と細かく詰めていた。造りは単純で、地上から取り込んだ外気を冷やし、地下に送風するというものだ。どう冷やすか。それには気化熱を利用することにした。
まず粘土でこしらえたパイプで、地上と地下を結ぶ。そのパイプを外側から水で濡らすと、中を通る空気の熱を奪うのだそうだ。大学図書館の蔵書に、そのヒントがあったらしい。大介からメカニズムを聞いてはいたが、オレも陰木も理解しきれなかった。
ともかく『粘土の筒を濡らせ』という話だった。
「水の管理はどうするか……。電気を使うにはアニマが重たいし、まずは原始的にいこう」
井戸の上に地上へつながる穴を掘った。地面に滑車を設置して、垂らしたロープをたぐると、水で満杯の桶が地上まで持ち上がる。
地上では別に水路を整えた。そこに水を注ぎ込むと、下り斜面の水路を重力にしたがって辿っていき、その途中でパイプを濡らすという仕組みだった。
実にシンプルなシステムだ。難点があるとすれば手間がかかりすぎる事くらいか。
「このプロセスだと二役が必要か……。工夫の余地があるな」
冷房を実際に稼働させてみて、品質はどうか。使用感はまずまずだった。土の匂いのする扇風機という感じだが、涼しいは涼しい。
オレが試作の成功を告げると、結菜を先頭に、居合わせた全員が寄ってきた。
「あぁ〜〜これ涼しい。助かるなぁ」パイプのほうに顔を向けた結菜は、前髪の揺れる風が心地よいといった様子だ。
もちろん、ほかのみんなも評価してくれた。暑さが和らぐといった感想ばかりで、試作としては悪くない反響だった。
「このことを大介や陰木にも報告しておくか」
オレはチャット画面から、写真付きで試作機を投稿した。
大介は微調整の段階まで進めている一方で、陰木は苦戦していた。地下の森林との兼ね合いから、地上に空ける穴の位置で苦心しているようだった。死ぬほど暑い暑いと定期的に、メッセージを介して愚痴ってくる。
「ワタルさん、こっちは上手くいったよ。定期的にパイプを濡らす手段が悩ましいけど」
大介から通話が入った。彼は開口一番に、達成感の満ちた声で言った。オレは「そうだな」と短く答えた。
「もしかしてだけど、ワタルさん。何かあったの?」
鋭い、と思った。ビデオ通話越しとはいえ、ものの数分でオレの心境を読み取るとは思わなかった。
ここは1つ、相談しても良いかもしれない。昨晩に見かけた怪現象について。月の満ち欠けに干渉する事態が、これまで頻繁に起きたことなのか、それとも昨夜が初出か、その辺りも気になった。
「なぁ大介。聞いてもいいか?」
「うん、なにについて?」
「昨晩、ちょっと妙な現象を目撃したんだが――」
そこまで言ったところで、横から陰木が会話を遮った。「ちょっとアンタたち、これ見てよ!」
オレは苛立ちを覚えつつ、後にしろと言った。だが陰木は、先に喋らせろと譲らない。
「まったく……。そんなに慌ててどうしたってんだ」
「良いから見なさいって! 画面はそのままね!」
そこまで叫んだところで、陰木は通話カメラからフレームアウトした。そうして見えたのは、抜けるような青空。真宿の廃ビル群。そんなどこか狭苦しさを覚える空に、異質なものが浮かんでいた。
「おい、まさかこれは……!」
オレは頭を殴られたかのような衝撃を覚えた。大介も絶句してしまい、全身を強張らせていた。
陰木がオレたちに見せたのは、青空を斜めに横切って落ちてくる赤い筋だ。それは以前、結菜のディープゾーンで眼にした、災厄の日の光景と酷似していた。