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第117話 月の浮かぶ夜に

 雲一つない青空にギラつく太陽。その日差しは灼熱とも言える地獄を生み出していた。病院跡地から離れたオレは付近を探索するのだが、容易な事ではなかった。


 熱を帯びたアスファルトは、もはや鉄板だ。スニーカーの靴底が溶けるのを見て、即座にエクステンドゾーンを展開した。それで身につけるものも全て防護されたので、靴の損耗を免れた。



「なんて暑さだ。生身じゃ歩くことも難しいぞ」



 探索の目的は2つある。まずは付近の変化を確かめること。街中に人の気配はなく、鳥が飛ぶ姿さえも見当たらない。一切の生命活動が見られないのは、灼熱とも言うべき気温が原因かもしれないと思った。


 もう一つの目的は生存者の捜索だった。「おおい、誰か居ないか!」声をあげながら街を駆け回る。一軒一軒、建物の中を覗き込んでみたものの、人影どころか物音すらも聞こえなかった。



「病院の外にも多くの人が居たはずなのに。どこに消えたんだ……」



 オレはふと思いついてビルの上まで登ると、屋上から飛んだ。そして次の屋根を蹴って空を舞い、大きく跳躍する。荒れた地上を進むよりずっと早かった。


 そうして辿り着いたのは、この小島を囲む湖だ。いや、かつて湖だったものの、というべきだった。



「干上がってる……。あれだけの水量が」



 人の往来を阻むほどの豊かな水は、どこにも残されていなかった。あちこちに張り付く渇いた藻に、わずかな名残を感じるくらいだ。こうなれば町の住民たちも、秋葉腹に居座る理由などないだろう。


 遠くに眼を向けると、若干名ながら、誰かの歩き去る姿も見て取れた。その足取りはしっかりしている。白色の歩道を選んで歩くあたり、自我のある人物のようだった。秋葉腹の住民であるかについて、ここから判別することは難しかった。



「よし。あまり収穫はなかったが、一度帰るか」



 こうして病院跡地まで戻った。オレたちの仮拠点は、暑さを避けるために地下に造っていた。敷地内に空いた大穴には急造したスロープがあり、そこを下った先がそれだった。



「ワタルさん、お疲れ様です。どうでした?」



 手術衣を着た衣織が出迎えた。この拠点は、もともとは地下牢獄だ。鉄格子に壁にトイレやらの何もかもをぶち抜いて、ワンフロアに拡大させた地下室だった。陰気な場所ではあるものの、直射日光が届かないだけ涼しげだった。



「生存者は見当たらなかった。湖が消失したので、外へ逃げたか。あるいは」オレが通路の奥へ眼をやると、衣織の顔が曇った。


「少なくない人が、病院の生き埋めになったのですね。中の様子は……?」


「スマホのマップを見るに、マーカーが反応しない」



 それは暗に、生きた人間が居ないということだ。敵も味方も1人として存在しない。つまりはそういう事だ。


 衣織もそれ以上は深く追求しなかった。悲しそうに眼を伏せた後、「あとでお墓をたててあげなきゃ」と呟いた。



「ところで、結菜の様子はどうだ?」



 オレが話題を変えながら辺りを見渡した。衣織が「張り切ってますよ、ほら」と言って、奥の方を指さした。そこでは、衣織と同じ手術衣に身を包んだ結菜が、生存者の1人と向き合っていた。


 生存者は介護が必要なほど弱っていた。地べたに敷いたマットレスの上で寝転がり、半身だけ持ち上げている態勢だった。



「はい、ゆっくりで良いですからね。ご飯は逃げませんよ」


「あ、ありがとぉ。優しいお嬢さんだね」老いた生存者は掠れた声で言った。


「いえいえ、お安い御用です。それより食べられるならたくさん食べましょ。早く元気になりますように」

 

 

 結菜は、ジャガイモの溶け込んだスープを、老齢の男に食わせているようだった。言葉通り、焦らず丁寧に食べさせていく。そして完食したところで「はい、よくできました!」と言っては微笑んだ。その笑顔を見た相手は、両手を合わせながらユルリと頭を下げた。



「あっ、ワタル君だ! おかえりなさい〜〜」



 オレの姿を見つけた結菜が、木椀を片手に駆け寄ってきた。そして上目遣いになってニンマリと微笑む。大きな成果はなかったと告げると「そうなんだね」と言っては、どこへ行くでもなく微笑み続けた。


 オレはどうすれば良いか分からなくなり、とりあえず結菜の頬を撫でた。するとそこへ凜花が騒がしく戻ってきた。



「ふぃぃ、ただいま! 食いもんが見つかったぞ!」



 背負ったリュックサックをその場に下ろすと、ドカンとやかましく鳴った。限界を超えて詰め込まれたために、チャックが閉まらず、人参の先が飛び出していた。



「打津木の野郎、やっぱテメェの分だけは隠し持ってやがった。離れの小屋にズラリとよ」


「そうか。それは朗報だな」オレがそう言うとと、凜花は鼻を鳴らしては胸を張った。


「でもよ、十分な量じゃねぇよな。まともな食料はこれで全部。この人数を考えたら心許ないわ」



 凜花がチラリと室内に眼を向けた。生存者は10名弱。そこにオレたち4人が加わる。全員が腹一杯に食おうものなら、2日で食い尽くしてしまいかねない量だった。当面は節約が強いられるだろう。



「ともかく助かった。しばらく休んでてくれ」


「あいよ。衣織ちゃん、軽いもんで良いから何か作って。まだ飯食ってねぇんだ」



 すると衣織が「まかせてください」と言い、少し遅れて「私も手伝うよ!」と結菜が続いた。


 2人は手押しワゴンの方へ歩み寄った。台の上には、申し訳程度の調理器具が並んでいた。


 その料理風景は、歳の近い姉妹に見えた。結菜は、小柄な衣織よりもさらに小指1本分は背が低い。実年齢とは打って変わって、結菜の方が妹のようだった。



「それでは結菜さん。さっき教えた通り、ジャガイモの芽をお願いできます?」


「ええと、こうやって取れば良いんだよね……」


「そうですそうです、お上手ですよ」


「ありがと。衣織ちゃんの教え方が上手いおかげだね」



 やはり衣織が姉役のようだ。楽しそうに下ごしらえする中、凜花が「アタシよりよっぽど出来てる」と言っては笑いを誘った。


 そんな仲睦まじい様子を横目に、オレは次の仕事に取り掛かることにした。スマホを手に取りチャット画面を開いた。99+というアイコンは無視して通話ボタンを押す。近況報告をかねたミーティングを予定していた。



「結菜さんを助け出せたって? おめでとう」



 ビデオ通話に、祝福する大介の顔が映った。幼くも日に焼けた顔が、活力とたくましさを感じさせた。彼の背景は真昼とは思えないほどに暗く、居場所が想像できなかった。



「やっと幼馴染に会えたって? 鈍臭いわね。こっちなんてホラ、こんなにも復旧が進んだわよ」



 陰木は相変わらずの口調で現れた。ツインテールの脇からは、ウッドデッキや真新しい建物が映り込んでいた。小洒落たカフェのようで、豪語するだけの復旧速度だと思った。


 そうして祝福と自慢話を交互に聞いた所で、オレも報告した。



「こちらも一応は落ち着いた。秋葉腹に長居するつもりはないが、この気温では移動も困難だ。それと、生存者も連れて行くかすらも決めてない」


「どうしよう。僕から車を出そうか?」


「後ほどに頼むかもしれない。だが今のうちは考えなくて良い」


「分かったよ。だけど、くれぐれも無茶しないでね。ちなみにうちのキャンパスでは、最高気温が43度にも達したよ。出歩くべきじゃないと思う」


「43度……そんなにもか」


「この先さらに上がりそうな気がしてる。だから僕達は居住空間を比較的涼しい地下に移したよ。皆しんぼう強く堪えてくれてる。でも作物はダメかもしれない」


「そうだな。何か対策を考えよう」


 

 次は陰木の番だった。霜北グループの様子を窺うと、少し顔を曇らせた。やはり、地獄のような暑さにまいっているという。



「ちょっとシャレにならないのよね。熱中症の症状を訴える人もチラホラいて。でも今から地下室にとりかかっても、時間がかかりすぎて。地質もサラサラしてて造りにくいし」


「だったら真宿に避難したらどうだ? あそこには緑豊かな地下森林がある。関元に相談すれば、霜北のメンツを受け入れてくれると思う」


「はぁ!? せっかく頑張って、ここまで復旧させたのよ? それを捨てろっていうの!?」


「涼しくなった頃に戻ってくればいいだろ。まずは人的被害を出さないことが第一だ。分かるな?」



 眉間にシワを寄せて難色を示す陰木が、小声で承諾した。「アンタが言うならそうしてあげる」と、恩着せがましく呟きつつ。



「ともかく、命を最優先に考るんだ。暑さ対策を思いついたら、何でも良いから共有しよう。このグループチャットを活用してくれ」


「あっ、それならさっき、新作のワンピース画像送っといたから。めちゃクソ可愛いやつだから。感想コメントをちゃんと忘れずに――」


「では頼んだぞ2人とも」



 そこで通話を切った。陰木が何か言っていたようだが、大した用事じゃない気がする。暑さに対して可愛さなど、何の役にも立たない。


 スマホを尻ポケットにしまうと、結菜が駆け寄り、オレの目前で小さく跳ねた。そして丸い瞳でこちらを見上げてくる。



「お疲れ様、ゴハンまだだよね? いっしょに食べようよ」


「そうだな。用意してくれ」



 腹が減った、とは言わなかった。実際に空腹を感じていない。腹を抱えてごねる凜花とは対照的だった。


 これがアニマの後遺症、乱用したことによる反動、そんな言葉が過ぎった。そんな矢先に、結菜から木椀が手渡された。少しだけ褐色に染まるスープに、不揃いな四つ切のジャガイモが浮かんでいた。



「熱々だとツライから、ちょっと冷ましておいたよ」


「あぁ、助かる」



 テーブルだなんて贅沢品はない。4人とも地べたに座ってのランチタイムだ。



「それにしても、ここは無い無いづくしだな。ワタルが井戸を造ってくれたがよ。テーブルや椅子はない。ベッドも布団も足りねぇ。長居すんのはキツイと思うぞ」大切りジャガイモを丸ごと食らって頬を膨らませた凜花が、そうぼやいた。


「ここを本格的に拠点化するかは、まだ決めてない。だから作り込みも最低レベルだ」



 オレが答えると、凜花が「まずは暑さ対策から?」と訊くので、頷いた。地上よりマシとはいえ、安全とは言えない気温だ。場当たり的でも良いので、早急な対応が求められていた。


 食事のあとは、すぐにチャット画面を開いた。大介がさっそく案を出してくれたからだ。扇風機を用いたミストで、電力は必要になるが、要求量はさほど大きくない。簡単な図面も添付してくれた。


「さすが大介。頼りになるな」と、オレは素直に返答した。


 すると、陰木も画像を寄越してきた。グループチャットではなく個別だった。それらの陰木が被写体となった写真は、ワンピースやら靴やら、割と無関係なものばかりだ。さながらカタログのようだった。オレが無反応でいると「これならどうだ!」と勇ましいコメント付きで、水着の画像が送られてきた。


 これで暑さ対策のつもりか。オレは理解できないなりに「陽に焼けそう」と、素直に返答した。


 そんなやり取りを続けて、冷房設備に取り掛かっていると、衣織が話しかけてきた。



「あの、結菜さんを見かけませんでしたか? 晩御飯のお手伝いを頼もうとしたのですが」


「いや、見てないな。探してくる」



 作業に没頭するうち、何時間も経っていたらしい。オレはチャット画面で離席を告げ、結菜を探しに出た。と言ってもこの地下には大部屋1つがあるだけだ。パーテーションもないので、近くにいないことは一目瞭然だった。


 荷物整理中の凜花を捕まえて、結菜の事を尋ねてみる。すると返答は「見ていない」だった。ここで鼓動が大きく弾けるのを感じた。


(もしかして何かトラブルでも。目を離すべきではなかったか……!) 

  

 自然と足早になる。通路の端から端まで、その姿は見当たらなかった。


 この地下室から出るには、大穴のスロープを通るしかない。かつては通路の反対側も研究室エリアに通じていたが、今や土砂とガレキで埋もれている。まずは地上を目指すことにした。


 スロープを駆け上がってゆく。そこで見たものは、黒髪の頭が、闇夜の中に浮かぶ姿だった。


 

「結菜……。ここに居たのか」



 陽はすでに落ちていた。地面に転がる鉄骨の端に腰を降ろす結菜を、月明かりが優しく照らしていた。気温は昼間よりも低く、多少は過ごしやすく思う。肌を撫でる微風など心地よくすら感じられた。



「衣織が呼んでたぞ。料理の手伝いを頼みたいって」


「うん、分かった」



 結菜はそう返事をしたのだが、この場から離れようとしなかった。何かあるのか。オレは黙って、結菜の隣に腰を降ろした。



「どうだ。みんなとは上手くやれそうか?」オレは自分で言いながら、不器用な親子の対話みたいな切り出し方を選んだと思う。


「うん、順調かな。凜花さんも衣織ちゃんも、優しいし、親切だし」


「そうか。なら良い」


「うん」



 不思議と会話が弾まなかった。結菜の発するただならぬ気配を前に、オレは言葉を見つけられずにいた。


 何か悩みでもあるのか、それとも不安に苛まれているのか。地下ぐらしはもう嫌気が差しているとか、そんな事も有り得そうだ。


 オレが絶え間なく思考を巡らせていると、不意に結菜が口を開いた。



「ねぇ、ワタル君。ひとつ聞いていいかな?」


「もちろんだ。遠慮するなよ」


「あのさ、知ってたらで良いんだけど……」



 結菜はそっと夜空を見上げた。満月には至らないが、少しふっくらとした月の方に目をむけて、言葉を続けた。



「私のパパとママのこと、何か知らない?」



 オレは胸を突かれた気分になった。すぐに答えることはできず、空を見上げる結菜の横顔を見ていた。彼女の瞳は、今も金色の月に向けられたままだった。

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