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第115話 守り通せる力

 結菜の両親は傍目から見ても分かるくらい、頬がゲッソリと削げていた。しかし、気力までは萎えていないらしい。母親は、打津木の背中を鬼の形相で睨みつけており、父親などは今にも飛びかかりそうなほど憤慨していた。

 

 対する打津木はというと、窓辺に立って街並みを眺めている。それから、身体を半分だけ振り向かせるのだが、薄笑いを浮かべる始末。両親の抗議など意に介していない。


 

「何度来られても同じ事です。現在、お嬢さんは重要な治療の真っ最中。ご親族とは言え、面会させるわけにはいかないのです」


「いったい何年つき合わせる気だ、間もなく娘は成人するぞ! ろくに成果が無いどころか、最近は面会すら出来ていないじゃないか! 」


「5年でも10年でも、必要と判断されれば入院措置をとります。隔離についても同様です。娘さんを元気にしたいのでしょう? ならば素人は口出しせず、専門家に委ねていただきたいものです」



 腰を浮かしかけた父親は立ち上がるまでに至らず、代わりにテーブルを叩いた。その拍子に、傍のティーカップが揺さぶられ、中の紅茶がこぼれた。



「治療だと!? 何も無い部屋に長いこと監禁してるそうじゃないか、非人道的にもほどがある!」


「おや……。その話を誰から?」


「今は関係ないだろう、どうなんだ!」


「ふむ、末端の者が口をすべらせたか。やはり自己意思だなんて下らぬものは、邪魔でしかないな。無能どもが優秀なる者の足を引っ張ろうと目論む。異物は早急に処分するに限るか」


「何をブツブツ言ってるんだ、話を聞いてるのか!」



 再びソファから立ち上がろうとする父親を、打津木は片手を押し付けるゼスチャーだけで留めた。父親は額に青筋を立てながらも、辛うじて座った。苦悶の表情から、彼の葛藤の激しさが窺えた。


 

「失礼、聞こえていますよ。娘さんの今後ですが、より強固な部屋に移そうと思います。脱走癖があるようでしてね。いやはや、私としても心苦しいのですが」


「それは逃げ出したくなるくらい酷い環境、ということだろう!?」


「治療とは得てして、心身に負担をかけるものですよ、叶井さん」



 打津木がグニャリと口元を歪めた。笑ったつもりだろうが、強烈なおぞましさを孕んでいた。激しく詰め寄る父親も、この時ばかりは腰が引けた。


 オレはその表情に、いつぞやの複眼を見た気分になる。だが打津木の顔は今も、人間のそれだった。



「ともかく、何と言われましても、娘さんを返すわけには参りません。お引き取りを」


「お前に何の権利があって……! 次は弁護士を連れてくるからな! 警察にも被害届を出すし、マスコミにだって!」


「弁護士、警察、マスコミ……ねぇ。クックック」



 打津木がくぐもった笑い声をあげた。なぜ平然としていられるのか、その根拠は不明だ。


 今ここに展開されるのは、法と秩序の支配する世界だった。決して力が正義という思想の横行する場ではない。被害届を出されれば警察が捜査して、不正を法の番人によって裁かれる。この頃の打津木は、法律を前にすれば無力な存在でしかないはずだ。


 にも関わらず、打津木は余裕の表情だ。首を傾げて夫妻を見下ろす様が、侮蔑の気配をかすかに匂わせた。



(打津木のヤツ、何故こうも堂々としてられるんだ? 何か秘策でもあるのか……) 



 固唾を飲んで見守っていると、突然、室内に電子音が鳴り響いた。アラーム音だ。デジタル時計に目を向けると、13時49分と表示されていた。


 アラームをかけるにしても、半端な時間だと思った。



「どうぞどうぞ叶井さん。好きになさい。いかようにも騒げばよろしい」


「コケにしてるのか。一市民が喚いたとしても、大した事にはならないと。お前たち権力者は、いつもいつもそうやって……!」


「いえいえ、そうではありませんよ。あなたには、それを実行するだけの猶予がないのです。ごらんなさい」



 打津木は、窓の方へ手のひらを指しのべた。すると、遠くの空に赤い筋が描かれるのを見た。彗星か、あるいはミサイルか。その正体は分からずとも、怖気が走るほど禍々しいものとして映った。


 それが空を泳いでる最中、床がドンと揺れた。突き上げてくる衝撃に、家具は激しく揺さぶられ、棚の中身が全て落下した。身体が飛び跳ねるほどの縦揺れはすぐに治まったものの、やがて横方向の揺さぶりへと変化していった。



「タイムアップですよ叶井夫妻。人類は今、変革の時を迎えようとしています。いや、滅亡と言うべきかな」


「夏江、テーブルだ! 早くテーブルの下に隠れなさい!」打津木の話など、夫婦は聞いていなかった。身体の自由を奪うほどの揺れに抗いながら、どうにか安全を確保しようとする。だが、悲劇的な未来は変えられなかった。



「さらば、愚鈍なる旧人類どもよ。結菜という逸材を生み育てた事を誉れに、あの世へと旅立つが良い」



 次の瞬間、窓の外が赤く染まった。かと思えば、何もかも吹き飛ばすほどの暴風が吹き荒れた。


 割れた窓ガラスの破片が風に乗って暴れまわる。まるで榴弾りゅうだんが炸裂したかのようで、辺りを激しく蹂躙した。夫妻は全身を切り刻まれた後、大きな破片に貫かれる事で、はかなくも命を散らした。最期に小さく結菜の名前を呟きつつ。


 その成り行きを眺めていた打津木には、浅傷のひとつさえもない。かわりに全身が赤い光に覆われていた。



「実に愚かだ。この私に逆らわなければ、次の時代も生きる権利をくれてやったのに。ただし、意思を持つことの許されぬ、生ける屍としてだがね。クックック」



 打津木が嘲笑う背後には、まさしく地獄の様相が広がっていた。悲鳴やうめき声に混じり、爆発音も聞こえてくる。へし折れた電柱が遠くのビルにのしかかり、大きな音をたてて倒れた。至るところで火災も発生したらしく、方々から黒煙が立ち昇っていた。



「さてと、こっそり見ているんだろう。鬼道渉!」

 


 突然の名指しにオレは身体を強張らせた。ただし打津木はこちらを見ておらず、天井に向かって吠えていた。



「よくも現実の私を亡き者にしてくれたな。だが、私のアニマは残されているぞ。これより叶井結菜の魂を粉々に打ち砕き、その身体を乗っ取ってくれるわ!」


「な、何だと!?」



 オレは咄嗟に大剣を呼び出し、打津木に斬り掛かった。しかしそれは空のみを裂く。ヤツの身体が、足元に開いた穴の中へと消えていったからだ。


 すかさず追跡しようとする。しかし、その穴は打津木だけを飲み込むと、即座に消失してしまった。



「アーーハッハッハ! 無限牢獄の中で待ちわびるが良い。叶井結菜が完全に消え去る、その時をな!」


「くそっ、待て! 打津木!」



 オレは窓から外へ出ようと試みた。しかし、窓ガラスのない、歪みきったフレームがあるだけなのに、見えない壁に阻まれた。ひどく頑丈だ。ここから脱出はできそうにない。



「だったら通路の方を!」



 出入り口のドアも脱出路になり得なかった。ドア自体は開くのだが、その先は一面が真っ暗闇。何の道標もない、漆黒の空間だけが広がっていた。



「閉じ込められたのか……クソッ!」



 出口のない部屋に1人きり。このままでは結菜が危険だ。一刻も早く駆けつけなくては。それは分かっている。だが何を、どうすれば。


 呼吸はみるみるうちに早まり、鼓動も痛いほど強くなる。当て所もなく室内をうろついていると、そこでようやく閃いた。



「そうだ、アニマの気配を辿れば良いんだ!」



 そこまで気づきはしたものの、簡単ではなかった。とにかく焦れる。すると心が乱れて、何も感じられなくなった。


 落ち着け、落ち着け。言い聞かせるように繰り返し、息を長く吸っては吐いた。すると微かな悲鳴が耳に届いた。結菜のものに違いない。



「見つけた、今行くぞ!」



 それから小さな目眩に襲われ、不快感が過ぎ去った後、視界に変化が起きた。オレの身体は病室に戻されていたのだ。


 そこでは今まさに、打津木が赤い紐を伸ばしては、結菜を脅かそうとしていた。


 結菜は見えない壁に守られている。しかし、ガラスの弾け飛ぶような音とともに、透明なものが砕かれた。もはや結菜を守るものは何も無い。紐がその体を締め上げようとし、輪を形作っては狭めていく。



「結菜に手を出すな! 打津木ーーッ!」



 大剣を頭上に掲げながら駆け寄り、紐を目掛けて振り下ろした。その刃は虚空だけを切り裂いた。打津木は斬られる寸前に、全ての紐を引っ込めたのだ。


 すかさず結菜を庇う位置で身構えた。


 

「平気か結菜。もう大丈夫だぞ!」


「えっ、嘘……。ワタル君なの……?」


「そうだ。今まで辛かっただろう。よく頑張ってくれた」



 再会の言葉は短い。眼の前には、人の形をした脅威が蠢いている。いや、いつの間にやら顔はひしゃげて複眼が浮かび、右腕の肘から先は紐の束と化していた。腕の数は1本だけ。隻腕だった。



「実にしつこい男だよ、鬼道渉。そろそろ諦めて欲しいものだね」打津木がかぶりを振った。


「それはお前の事だ。覚悟しろ、再現できないレベルにまで粉砕してやる」



 オレが静かに構えようとすると、背後で結菜が悲痛な叫び声をあげた。



「やめてワタル君! この人は、先生は、とても怖いの! すごく強いの! またワタル君を巻き込みたくない!」



 辺りに声を響かせたかと思えば、声は一挙にか細くなった。絞り出すような声色だった。オレはそれを耳にするだけで、胸がしめつけられる思いにさせられた。



「危ない目にあう前に逃げてよ、ワタル君。私は大丈夫、大丈夫だから……」そこまで言い終えると、結菜の頬に涙が伝った。オレは指先で拭ってやる代わりに、大剣の柄を強く握りしめた。


「聞いてくれ、結菜。オレはあの時のような非力な子供じゃない。別人のように強くなったんだ」



 頭上で大剣を一周だけ回してみせた。重たい風切り音が肌を打った。



「助けに呼びに行く必要もなければ、ましてや逃げ出すなんてあり得ない。オレは、オレ自身の手で、お前を守ってやれるんだ」


「ワタル君……」


「そこで見ていろ。お前の悪夢は、今ここで終わりを告げる」



 そうだ、オレはあの時のように無力じゃない。これまで重ねてきた激闘が、死闘が、途轍もなく強くしてくれた。それらは決して無駄ではなかったと今にして思う。


 静かに息を吐いては、剣を中段に構えた。そうして、化け物の姿に落ちぶれた打津木を睨む。腹の奥底で「結菜を返してもらう」と、もう一度だけ呟いた。

 

 

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