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第114話 心の闇を潜って

 辺り一面が暗闇染まる。行くべき道も方角も分からぬまま、いたずらにさまよい続ける。



「なんだあそこに……光が?」



 暗闇の中にポツリと光球がただよっている。孤独な星。そんな言葉が脳裏を過ぎった。あそこに何かある。オレはそちらへと近づいていった。光に寄り添う位置まで辿り着くと、目がくらむ程の閃光が、音も無くほとばしった。



「ここは病室、かな」



 気づけば、とある一室の隅に佇んでいた。8畳間ほどのスペース。ベッドと電灯がある。他に見えるのは空調と、パーテーションで区切られた便器くらい。窓も家具も文具の1つさえも見当たらない。


 この生活感の欠片もない部屋に、結菜はいた。うつむきながら1人きり、ベッドに腰掛けて。



「結菜! 無事なのか、おい!」



 駆け寄ろうとした瞬間、透明な壁に阻まれた。それは1メートル四方の箱のようで、結菜をすっぽりと覆い隠していた。



「気づけ、オレだ! ここにいるぞ!」



 繰り返し壁を叩くが、結菜に変化はない。かすかな呟きを繰り返しては、自分の手元に視線を落とすばかりだ。白く、細い手だ。まるで病人のそれだと思う。


 そこで、この部屋唯一のドアが押し開かれた。現れたのは白衣を着た誰か。打津木ではない。比較的若い、女の看護師と思われるが、顔を狐の面で隠していた。



「食事です」



 看護師は言った。ワゴンを押しては部屋の隅に置いた。献立はスライスパン、バター、コーンスープ、炒め物と葉野菜のサラダ。プラスチックの容器に、先の丸いフォークとスプーンが添えられていた。


 それから看護師は立ち去ろうとする。その背中に向けて結菜は、視線を落としたまま訊いた。「パパとママは?」と、か細い声で。


 すると看護師は冷たい声色で「余計なことを話すなと、院長より言われてます」とだけ告げて、ドアを閉めた。



「なんなのよ……もう……」



 結菜が両手で顔をおおっては、すすり泣きした。その傷心を慰める人は居ない。気分をまぎらわせる本の1冊さえもない。彼女の小さな肩は、今にも孤独に圧し潰されそうだった。


 それを目にしたオレは、腹に怒りが吹き荒れた。ドアに取り付く。開く。力任せに引いては、そのまま通路に飛び出した。



「さっきの看護師はどこへ……うわっ!?」



 通路に飛び出るなり、オレはバランスを失い、壁に背中をぶつけた。あたりは酷く歪んでおり、床も足が沈むほどに弾力がある。まるでバルーンのアトラクションのようだった。


 そんな中を、例の看護師は平然と歩き去っていく。カツ、カツと、甲高い足音を響かせながら。なぜ当たり前のように歩けるのか不思議でならないが、それよりも腹の怒りが炸裂しそうだった。



「おい、そこのアンタ! 止まれ!」



 オレは両手両足を忙しなくさせて、さながら泥の中をもがくようにして看護師を追った。そして女の腕をつかみ、振り向かせ、肩を強く揺さぶった。



「結菜はどうなってる。あれは治療の一環とでも言うつもりか? 今すぐあの部屋から出せ!」


 

 看護師は狐の面越しに答えた。



「余計なことを話すなと、院長より言われてます」


「院長っての打津木か? あんな外道の命令をきく必要なんか――」



 その時だ。辺りに警告灯が光り、警報もけたたましく鳴り響いた。続けて、警棒や盾で物々しく武装した連中まで押し寄せてきた。



「そこで何をしている! 早く病室に戻れ!」



 男たちは警棒を突きつけては、そう叫んだ。オレは看護師をつきはなし、静かに身構えた。



「悪いがオレは患者じゃない。不当にさらわれた幼馴染を助けに――」オレの言葉は、背後からの悲痛な声に遮られた。「ごめんなさい! でも、あそこには居たくないよ!」


 驚いて振り向けば、後ろには結菜の姿があった。心細さを隠さずに指先を胸に添えて、目頭には涙が浮き上がっていた。



「ダメだと言ったろう、部屋に戻るんだ!」



 男が叫ぶ刹那、辺りに閃光が駆け抜けた。気づけば、オレは先程の病室に戻されていた。


 視界の先では、やはり結菜がベッドに腰掛けていた。



「クソッ。正解を当てるパターンかよ……」



 それからはオレなりに、部屋から脱出できないか工夫を凝らしてみた。だが、どうあがいても通路の看護師に見つかってしまう。配膳前でも、その後でも、必ず通路で見咎められてしまって警報が鳴る。


 脱出不可能。そう思えるほどに、警備は万全だった。



「お食事を下げます」



 看護師は、体感で5分も過ぎないうちに食事をワゴンごと持ち去っていった。料理は多少かじったあとが残されていた。


 すると、また数分もすれば、別の看護師がやってくる。その女がワゴンで運んできたのは、湯気を放つタライだ。


 そして結菜の身体を拭いてゆく。病人が着させられるローブに手を突っ込んでは、湯で濡らした布で延々とこする。髪を拭うときは、何か液剤を含ませた布を使っていた。


 そうして全身余すことなく拭き取った布は、不自然なまでに汚れが無い。その看護師も平然とした態度を崩さず、やはり10分かそこらで退室していった。


 

「もしかして、今のが入浴代わりか? 風呂にすら入れてもらえないのか……」



 結菜は何事もなかったように、ベッドに腰掛けては俯いた。そして独り言を呟くようになる。



「お食事です」

 


 たいして間をおかずに、また食事のワゴンがやって来た。それが終われば身体を拭いて、独り言に戻る。そのセットをただ、ひたすらに繰り返した。


 オレはループとしか思えない光景に目を剥いてしまった。



「なんだコレ。ひたすら同じことが続いてるな。ディープゾーンは、その人物の記憶に紐づいた光景が見られるはず――」



 そこまで思い至ったところで、オレは胸にツキリとした痛みを覚えた。これが結菜の人生なのだ。ただ狭い部屋に閉じ込められて、何もさせてもらえず、季節のうつろいすら知ることがない毎日。


 今の結菜は、背格好からして15歳前後か。そんな年頃の女が通学も部活も、いや、まっとうな生活をさせてもらえずに暮らしているのだ。



「クソッ! 打津木のやつ、フザけてるのか! 結菜の親も何やってんだ、助けてやれよ!」



 結菜の四方を囲む壁を殴りつけた。とにかく頑丈そのもので、ひびの1つも入らず、内側にも全く変化が見られなかった。


 あと一歩で結菜に届く。だが、その距離が致命的に遠い。オレはずるずると壁に張り付きながら、その場に座り込んでしまった。


 だがそこまで結菜に接近したことで、一体何を呟いてるのか、つぶさに聞き取ることが出来た。



「ワタル君は覚えてるかな。もう忘れちゃったかな」


「オレの話……なのか?」


「あの時は嬉しかったな。びっくりしたけど、とても大切な思い出なの」


「何の話だよ。もう少しヒントをくれって」



 結菜は今もベッドに腰掛けたまま、自分の指先を眺めていた。オレの存在に気付いたようではない。だが、その呟きに返事をするだけで、会話を重ねている気分は味わえた。



「私ね、小学校の2年生のころね、お友達がいなかったの。街に引っ越してきたばかりだから」


「そうだっけ。あんま覚えてない」


「だからいつも1人ぼっちだったんだ。学校が終わったら、公園でずっと1人おままごと。別に慣れた事だったけど、ある日、どうしようもなく寂しくなっちゃってね」



 オレの話をしているらしいが、どうにも思い出せない。別のヤツと間違えてるんじゃないかとすら感じていた。



「そしたらね、どこかで髪飾りをなくしちゃったの。クロアゲハのやつ。学校帰りには付けてたから、公園で落としたんだと思って。すぐに探そうとしたけど、もう夕暮れ時で、子供は帰ろうなんて放送も聞こえたでしょ。もうパニックだったよね」


「クロアゲハの髪飾り……って、あぁ!!」


「そしたらね、ワタル君がいきなり茂みから出てきてね。虫取り網とカゴを持ってたの。良く見たら、網の中に私の髪飾りが入ってたんだよ」


「思い出した……。あったあった! 知らんヤツがこっちをジィっと見てきて、驚いたんだよ」


「そこでワタル君が気づいてくれて、『これお前のか?』って言って、返してくれたの。そしたら私、安心したし、でも初対面の男の子が怖いしで、泣き出しちゃったんだ」


「あんときは焦った。女の子を泣かしちまった、怒られるって」


「私が全然泣き止まないから、ワタル君がお菓子をくれたんだよね。でもその時のセリフが……フフッ」


「えっ。オレは何かやらかした?」



 結菜がかすかに微笑んだ。一方でオレは不安になる。よっぽどなセリフをさらしたようだが、全く記憶にない。


 

「『子供なら甘いモン好きだろ。食えよ』って、ポケットからラムネを出して、2つ渡してくれたの。自分も同い年なのに。変な子だよね」


「やめてくれ……。あの時はなんつうか、お菓子になびかない方がカッコイイと思ってたんだよ……」


「それでも私が泣き止まないからさ。ワタル君は私の手を引っ張ってくれたの。グイグイと。こっちに来いよって。茂みの中を通って、池を通り過ぎて、雑木林を突っ切った先までね」


 

 結菜が懐かしそうに語るので、オレもつられて記憶の扉を開いていた。小学校の頃、だだっぴろい児童公園に、お気に入りのスポットがあった事を思い出す。


 いわゆる穴場スポットで、当時のオレは秘密基地として利用していた場所だった。



「『みんなには言うなよ』って教えてくれたのが、見晴らしの良い高台でね。街がどこまでも見えたの。坂道を走る車のテールランプとか、きれいに並ぶ街灯とか住宅街。遠くに一番星があって、空の端っこが夕日でほんのり赤く染まってたんだよね」


「懐かしいな。今思い返しても、良いロケーションだったと思う。車道からも遠いから静かだったし」


「それから帰ろうとしたんだけど、もうとっぷり暮れた後で。家の近くまで行くと、心配したママが駆け寄ってきて、すごく怒られたっけ。ワタル君も一緒に」


「なんか謝らなきゃって思った。お嬢さんを連れ回してスンマセンとか」


「あの日からだよね。一緒に遊ぶようになったのは。戻れるなら、今すぐにでも戻りたいよ」


「結菜……」


「ワタル君は、元気なのかな。怪我の後遺症とか大丈夫かな。ううん、生きていてくれるだけで、私は……」


「オレはここにいるぞ! 無駄に元気だ! お前が驚くくらいにな!」



 もう一度見えない壁を叩く。やはり砕けない。結菜もオレの存在に気づいてくれない。


 一筋縄ではいかないようだ。心を壁で閉ざしてしまった結菜を救い出すには、オレは何をすればよいのか。それが分からず途方に暮れた。



「いやいや、落ち着けオレ。分からずじゃないだろ考えろ。この問題を解決できたら、結菜を救い出せるはずなんだ……」



 部屋の中には何も無い。引き出しの1つも無いのだから、解決の手がかりがあるとは思えなかった。


 ここから外に出ることは不可能だ。たえず看護師がうろついてるし、見つかれば警報、警備員が駆けつけてくる。窓の1つもないので、外の様子を窺い知る手段も極めて乏しい。



「じゃあ考え方を変えよう。この状況を作り出してるのは誰だ。そいつが原因だったりしないか」



 その人物とは、結菜の両親か? いや違う。愛娘を刑務所以下の過酷な環境に閉じ込めているあたり、ネグレクト同然の振る舞いだが、敵とまでは言えない。結菜もすがる意思を垣間見せた。


 ならば看護師は? こいつらはただの駒だ。無情ではあるものの、決められたルールに従っているだけ。それは警備員も同じだ。


 そう考えると、やはり敵は1人に絞られる。



「打津木だな。だが、あいつはすでに倒したはず。もうこの世にいない。そんな奴が、ここまで厄介な状況を生み出せるものなのか……」



 その時だ。部屋のいずこかから、絹の擦れる音を聞いた。結菜ではない。そもそも壁の中から響いたようだった。


 何かあるのか。壁をまさぐってみると、一箇所だけ脆くなった部分を見つけた。そこを蹴りつけてみる。コンクリートの欠片が散った。繰り返し蹴る。蹴る。蹴る。


 すると壁は音を立てて崩れて、こぶし大程の穴が空いた。そこを覗き込んでみたところ、思わず驚きの声をあげてしまった。



「この赤い紐は……打津木の!?」



 わずか数本の糸が絡み合いながら、壁の中を走っていた。さながら電気の配線のように。それだけでなく、紐が蠢くたびに圧迫感がただよった。


 それは打津木が傍にいるかのような、生々しいまでのアニマを放っている。



「おかしいな。打津木が生きているなんて事はありえない……。いや待てよ、もしかして」



 思えば、打津木は死の直前まで、この紐で結菜を拘束していた。アニマを悪用して干渉し続けたはずである。


 だから、今こうして赤い紐を目撃したのは、そのアニマが残されたせいだ。そんな仮説が浮かんできた。



「もしかすると、まだここに居るのか? 打津木のやつが、結菜の心に悪影響を……?」



 オレは一度息を吐き出し、それから深く、ゆっくりと吸った。意識を集中させたい一心だ。


 結菜の心のどこかに打津木は潜んでいる。ご丁寧に、やたらと目立つアニマもセットで。ならば、打津木の見た世界や記憶も再現できるのではないか。そう思えた。


 もちろん何ら実証していない仮説だった。オレの独り相撲で終わるパターンかもしれない。



「どこだ。打津木。いるんだろう。姿を現せ……!」



 細めた瞳がやがて閉じる。かつてないほどに精神を研ぎ澄ませて、あらゆる変化を感じ取ろうとした。


 結菜のささやき声。吐息。ベットが微かに軋む音。それらに紛れて、話し声が聞こえてきた。別に耳慣れた声色でないが、忘れようもない響きだった。



「見つけた……!」



 そう思った瞬間に、強い閃光が駆け抜けていった。眉間にシワを寄せて堪えていると、突然目に映る景色が変わった。


 青空を映し出す大きな窓と、窓辺に佇む白衣の男。対するようにソファに腰を下ろす男女。女の方は見覚えがある。結菜の母親だ。となると、男の方は父親だろうか。


 オレがしげしげと観察する中、父親がいきなり拳をテーブルに叩きつけた。



「いったいどういうことだ、実の娘と面会も出来ないだなんて! ちゃんと説明しろ!」



 憤慨した声が応接室に響き渡る。その一方で、白衣姿の打津木は振り向くことはなかった。ただジッと窓辺から、空だけを見ていた。


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