第112話 攻防一体
穿たれた頭上の大穴からは、絶え間なく霧が吹き出していく。強い風が織りなす音が、誰かの絶叫にも似た響きを感じさせた。
「これは、早いとこケリをつけないとな……」
結菜の容態は悪化する一方だ。足元から起きた異変は今も進行しており、腰から下は彫像と変わりない姿になっていた。
1秒でも早く打津木を倒すべきだった。それ以外に、結菜を救い出す方法なんて無いように思えた。
「さてと。そろそろ終わらせても構わないかな? 旧人類のお歴々」
打津木が小首をかしげつつ、こちらを見下ろした。左右6本の腕からは、手首から無数とも思える赤い紐が飛び出し、蠢いていた。先端が虚空を探るしぐさには、獲物を狩ろうとする意志が感じられた。
「凜花、衣織、狭い場所は不利だ。一旦地上に出るぞ」
オレたちは強く踏み込むと、一息で大きく飛び、穴から抜け出た。そして穴から少し距離を取って、打津木の追跡を待つ。
果たして乗ってくるのか。それとも無視か。固唾を飲んで見守るうち、穴の縁に紐の束が乗った。さながら崖の淵に手をかけて這い上がるようにして、打津木は直立したまま地上へと現れた。
「やれやれ、追いかけっこかな? 私としては、さっさとくたばって欲しいのだが」
打津木は余裕の表情だ。しかし、態度とは裏腹になかなか攻めかかってこない。オレたちが立ち位置を変えて左右に動いても、相手は身体の向きを変えるばかり。決して踏み込んでくる事はなかった。
「もしかして、あそこから動けないのか……?」
根拠は結菜だ。地下牢獄から一定以上遠ざかると、結菜にからめた紐が途切れるのでは。そう思えた。
実際、打津木が腕を自由に動かせているのは、5本だけだ。最後の1本は穴の方に向けては、紐を伸ばしたままにしていた。
「凜花、衣織。少しだけヤツの事が分かったぞ。地下牢獄から離れられない。それとアイツの攻撃範囲は狭い。せいぜい5メートルくらいか」
「へぇ、そいつは良いや。アタシなら範囲外から撃ちまくりじゃねぇか」
そう言い放った後、凜花はいきなり打津木目掛けて突進した。それからは腰だめにしたショットガン乱射した。
2発、3発。それらは打津木に当たらない。紐の盾によって防がれてしまった。散弾は距離があるほど分散する性質があるので、凜花の銃弾は半数が標的を避けて、付近のガレキや壁に痕を残した。
「チッ。ゼロ距離なら簡単に吹っ飛ばせそうなのによ……」
4発目。そこでようやく打津木の様子が変わった。鉄壁と思われた盾は、その一画が解けて、より合わせた紐が力なく地面に垂れた。5本腕のうち1本を使い潰したのか。打津木を守る盾は、ホールケーキが欠けたようになり、右胴体のあたりに綻びが生じていた。
「よっしゃ! あそこから撃てば大ダメージだろ!」
凜花が駆けた。その間も牽制の射撃は続けていた。5発、6発。それらを残った腕で打津木は防御した。連射速度が早い。凜花が圧倒しているように見えた。
しかしその時、得も言われぬ怖気が感じられた。タダでは済まない。そんな言葉が脳裏をよぎった。
「戻れ凜花、迂闊に攻め込むな!」
「いや行ける! このまま押し切ってやるよ!」
凜花は危なげなく、右側のほころびまで到達した。隙間に照準を合わせては、こう言った。
「あばよ新人類。次はもうちょい謙虚になって生まれてこいや」
そこで、引き金が引かれようとした瞬間だ。突然、無数の紐が暴れ始めた。倒したと思われた腕だ。擬態、死んだふりか。
その紐は凜花の腹からまとわりつき、胸を強くしめあげた。
「グハァ!? は、放せ、このやろ……!」
「大丈夫か凜花! 今助ける!」
大剣を下段に構えたままで走るオレは、右手側の方へ向かった。一直線にひた走る。凜花まであと5歩、というところで、打津木が不気味に微笑んだ。
「小娘。鬼道渉を撃ち殺せ」
すると、全身を強張らせた凜花は、オレの方に振り返った。腰だめのショットガンも、こちらに銃口が向けられている。
「どうしたんだ凜花、やめろ!」
あと3歩。こんな至近距離で撃たれたら即死だ。銃撃を避けようにも、全力疾走の真っ只中では、方向転換も難しい。
凜花の顔は苦悶に歪んでいた。見えないところで激しく抵抗しているようだった。
「アタシを、な、ナメんじゃねぇぞ。サイコ野郎め……!」
凜花は両腕を痙攣させると、絶叫を響かせながら銃の向きを変えた。その先には打津木の紐がある。
轟音、撃ち出される散弾。すんでのところで打津木が手を引いたために、弾丸は虚空を切り裂くばかりだ。だが、凜花は自由を取り戻した。
「大丈夫か、しっかりしろ!」
地面に崩れ落ちる凜花に駆け寄った。その刹那、槍となった紐が2本、襲いかかった。
オレは凜花を抱きしめては転がり、猛攻を避けると、その場から飛び退った。
「ワタルさん、凜花さんは!?」衣織が、打津木を避けるような軌道で駆け寄ってきた。
「外傷はないと思う。だが消耗が激しそうだ」
凜花は大きく息をつくと、自力で立ち上がった。しかし額には脂汗が滲んでおり、両腕にも赤黒い筋が浮かび上がっていた。
「世話になったなワタル。マジでヤバかった」
「おまえ、巻き付かれた時どうなっていた? まるで操られたかのようだったが」
「まるでっつうか、そのまんまだった。身体を勝手に動かされた感じで、気を抜いたら操られそうに思った」
「そうか、それは厄介だな……」
あの紐は攻防一体と代物だった。槍状なら激しい攻撃に、盾にすれば鉄壁防御、そして相手にまとわりつけば、身体を乗っ取ることも出来る。
「見た目も能力も化け物だな。どうやって攻略するか……」
「やっぱりアニマ切れを狙うか? あんなふうに姿形を変えて、アタシらと戦い続けりゃ、案外ヤツの方が先に音を上げるかもよ」
「いや、それは望み薄だな」
オレがそう言うと、衣織も神妙な面持ちで頷いた。彼女にも見えているらしい。
打津木の腹の中で、凄まじいエネルギーが感じられる。それは片時も衰える事なく、さながら太陽のように、ギラギラとした熱を放っていた。
「たぶん、水晶体の恩恵だろう。アレが腹の中にある限り、アニマが切れる事は無いと思う」
「じゃあどうすんだ。さすがのアタシもお手上げって気分だぞ」
「答えは簡単だ。打津木も生命体である以上、一定のダメージを浴びたら死ぬ。たとえば首をはねる、胴をズタズタにする、まぁそんなところだ」
「あのなぁ、それは分かってんの。そうするにはどうやるんだって話」
「その方法は……」
これまでの動きを見るに、打津木の戦闘行動は紐を頼りにしていた。攻撃も守りのすべてにおいて。
そこまで思い至ると、おぼろげながらも勝ち筋が見えてきた。
「打津木に5本の腕を全て使わせる。そうすれば、自身を守るものが無くなる。そうして空っぽになった身体を……」
「ズドンといくわけか。なるほど、分かりやすいな」
「口に出すほど簡単じゃない。オレと凜花で5本を相手にするんだ。ひとりあたり2本か3本の猛攻をしのぎ続ける。しかも捕まったら操られるおまけ付き。自信のほどは?」
「うっ……そこは、なんつうか、根性で……」
バツの悪そうに答える凜花を押しのけて、衣織が言った。「私にもやらせてください」
「衣織。お前にはこれといった武具が無い。素手で戦える相手じゃないぞ」
「囮があれば、お二人とも楽になりますよね?」
「それは確かに。1本でも負担が軽くなれば、成功率も格段に上がるとは思う」
「ではお願いします。決して足手まといになりませんから」
「そうは言っても、危険すぎる」オレは難色を示したのだが、凜花はカラカラと笑った。
「良いんじゃねぇのワタル。お願いしようぜ」
「凜花。衣織は戦闘に不向きなんだぞ。無謀にもほどがある」
「でもよ、アタシらが死んじまったら、衣織ちゃんだって殺されるんじゃねぇの? あの化け物サイコクソ野郎が、慈悲をかけてくれるのか?」
「うっ。それは、まぁ……」
「ワタルさん。覚悟なら、旅をご一緒したときから、すでに出来ています。お願いします。どうか私にも!」
結局は衣織の熱意に押し切られた形になった。手短に段取りを決めて、今度は3人がかりで挑むことにした。
まず衣織が1人だけで打津木に立ち向かった。その歩みは遅く、駆け足にはならず、一歩ずつ迫っていく。オレと凜花は後方で突っ立ったまま、去りゆく背中を見送った。
この戦術には、打津木も腹を抱えんばかりに笑い出した。
「これはどうしたことか。捨て石にしても露骨すぎるではないか!」
打津木は紐を振り上げて、衣織に槍を浴びせようとした。すかさず衣織は両手を組んで祈る姿勢になった。すると彼女を覆う赤い光が膨らみだす。
繰り出された槍は、硬いものにでもぶつかったように、カンという音をたてて弾かれた。
「何!? 小癪な……!」
打津木は立て続けに、2本3本と、槍による攻撃を浴びせた。あまりの猛攻に地面がえぐれて、砂埃が舞い上がる。
しかしそうまでしても、衣織に傷1つつける事は出来なかった。その成り行きを眺めて思う。もしかすると、衣織はオレたちよりもアニマの扱いが上手いのかもしれないと。
少なくとも、打津木の癇にさわる程度には優秀だった。
「思い上がるなよ小娘! 愚鈍な旧人類の分際で!」
逆上した打津木が戦法を変えた。槍ではなく、紐を縄状にバラけさせては、衣織の身体に巻き付こうとした。腕3本分の紐は膨大な量で、衣織の身体に巻き付いては、各々の紐が複雑に絡み合っている。
これでは紐も簡単にほどけない。そして、衣織も依然として赤い光に守られており、防御態勢を保てている。オレは凜花と顔を見合わせては頷いた。
「今だ、走れッ!」
オレは凜花と並んで駆け始めた。衣織を横目に過ぎ去り、立ち止まらずに打津木を目指す。
残る腕は2本。打津木は額に青筋を立てながら怒鳴った。
「このガキどもめ! ウロチョロと鬱陶しい!」
チャンスだと思った。打津木は冷静さを欠いており、攻撃が単調になっている。付け入る隙を見つけることは、難しくないかもしれない。
「さっきはよくもやりやがったな。これでも喰らえや!」
凜花が中距離から射撃する。腕2本分の紐で作られた盾に防がれた。凜花は休む間を与えようとしなかった。連射に次ぐ連射。間断ない攻勢に、ついに紐が耐久限界を迎えた。いくつかの紐がハラリと地面に落ちては、煙を吐きながら消えていった。
「調子に乗るな小娘ーー! 潰れてしまえ!」
じれた打津木が、凜花に槍の攻撃を浴びせた。転がって避けた凜花はなおも射撃する。それをしのぐ盾もボロボロだ。
5本の腕はフル稼働だ。打津木の身体はかつてないほど無防備だった。ここしかない。オレは渾身の力で跳んだ。足先にアニマを注入して、目にも止まらぬ速さで距離を詰めた。
間合いに飛び込んだ。手を伸ばせば打津木の腹に届く。その距離で、大剣を下段に構えた。
「これで終わりだ、打津木!」
力を込める。ガラ空きの腹。剣を横一線。
斬れる。そう思った。しかし、またもや刃は寸前で止められる。打津木の身体を、新たな盾が庇っていた。
「そんな、全ての腕を使い果たしたはず……まさか!?」
「察しが良いね。結菜君に巻き付けていた腕だよ」
大剣の刃を受け止めた紐は、にわかにほどけて、オレを目掛けて飛びかかった。あまりのスピードに反応できず、相手に拘束を許してしまう。
続けて視界が歪んだ。地面を踏みしめる感覚を失い、膝から崩れ落ちてしまった。
「ワタル! 気をしっかり持て、乗っ取られるぞ!」
凜花が叫んだ。だがそれもすぐに悲鳴に変わった。オレに気を取られてしまった凜花も、そして平静さを失いアニマを乱してしまった衣織までも、紐によって囚われてしまった。
最悪の展開だった。オレたち全員が、打津木に支配されてしまった。3人とも、凄まじい力で押さえつけられたように、地面の上に這いつくばる事を強いられた。
「ハッハッハ。手間をかけさせおって。なぁ、勇敢なるナイト様よ」
打津木は高く笑うと、すぐにピタリと止めた。すると、オレの腹に靴の先が食い込んできた。執拗に、繰り返し、蹴りが浴びせられる。
「グッ……ガハッ……」オレは堪らず胃液を吐いた。それには赤い血が混じっていた。
「ふぅ、ふぅ、ザコどもが。大人をナメるなよ。私の力を思い知らせてやる」
その言葉が聞こえるなり、オレは立ち上がった。自分の意志ではない。見えない力によって、無理やり立たされた感覚だった。
これが操られた状態か。オレは抵抗を試みようとしたが、敵わず、相手の意図通りに動いてしまう。
「クックック。無駄だよ無駄。私とお前とでは、アニマ量の桁が違うのだから」
押し相撲のようなものだった。ただし、大人と子供ほどの力量差がある。どれだけ懸命になっても、ろくに拮抗せず、身体は操られてしまう。
そして今、オレは握りしめた大剣を肩に預けた。ちょうど刃が首筋に当たる位置だった。
「どうした鬼道渉。押し返さなければ、そのまま首が落ちてしまうぞ、ポトリとなぁ」
「クソッ……いたぶるつもりか……!」
「アーーッハッハ! ザマぁないな若造! 不躾に乗り込んできた挙げ句、自害して果てるとは! 情けないにもほどがあるわ!」
力技では勝てない。ほんの少しでも押し返そうとすれば、更に強力な力で戻されてしまう。遊ばれている事は分かりきっていた。打津木の顔には今も余裕の表情が浮かんでいる。
やはり強敵だった。正攻法ではまず勝ち目なんてない。圧倒的なアニマの力に、いやというほど思い知らされていた。
(このまま押すだけじゃダメだ。押してダメなら引くしかないが……)
たとえば相撲で、押し合いの拮抗する最中に引いたとしたら、どうなるか。相手は確実に態勢を崩す。
それだ、と思った。そこに賭けるしかない。いたずらに抵抗を続けても、虚しくアニマを消耗するだけだった。
「どうした鬼道渉。そろそろお終いか? んん〜〜? お仲間を置きざりにして死のうだなんて、薄情な男だなぁ」
打津木はゆっくりと視線を巡らせた。這いつくばる凜花を、そして衣織を眺めているようだ。確実に気を抜いている。それは間違いなかった。
(今だ!)
オレはいきなりアニマによる抵抗を止めた。すると打津木が、驚愕に染まる顔を向けてきた。
「な、何だ!? 今度は何を企んでいる!」
体内に嫌なものが駆け巡るのを感じた。これは
打津木のアニマだろう。全身の血管を伝っていく感覚は違和感が凄まじく、猛烈な悪心を伴った。
だが、打津木の支配は完璧ではなかった。流れ込むアニマは不安定で、コントロールは途切れとぎれだ。さながら、通電したばかりの電灯が明滅を繰り返すかのように。
(一瞬だ、ほんの一瞬で良い! 身体よ動いてくれ!)
オレは手足の感覚を一斉に失い、前のめりに倒れた。剣も足元に落としてしまった。右手、感覚はない。右足も動かない。
左足、動く。倒れかけたところで踏ん張った。左手、これも動く。前に手を伸ばして打津木の腹に触れた。
これは、薄氷を踏む想いで掴んだ、またとないチャンスだった。
「アニマよ、爆ぜろーーッ!」
オレはそう叫ぶとともに、残されたアニマの全てを注ぎ込んだ。狙うは打津木自身ではない。打津木の体内に残されたアニマ水晶体の方だった。
それが激しく暴走するように働きかけた。そうなるよう願った。するとどうだ。打津木の腹が瞬間的に膨らんだかと思うと、辺りに衝撃が広がった。
打津木の身体が2つに分かれた。上半身は回転しながら宙を舞い、下半身はバランスを欠いて後ろに倒れた。その間も、血と肉を鬱陶しいほどに撒き散らしていった。
「ば、バカな……。この私が、旧人類ごときに……」
打津木には、恨み言を吐く猶予もなかった。地面に転がる2つの半身は、動きを止めると、煙となって消えていった。骨すらも残さない最期を見届けたのだった。
「勝った。ようやく、オレたちは、勝ったんだ……!」
寝転がって見上げた空には、霧が立ち込めていた。そうだ、勝利の余韻に浸ってる場合ではなかった。早く結菜を助けてやらないと。
オレは傷ついた身体を休ませる時間も惜しんで、のろのろと身を起こした。右半身の感覚はまだ鈍い。それを厭わずに、凜花たちの元へと向かった。
2人ともひどく消耗しているが、無事のようだ。あとは結菜だけだ。戦闘中に打津木の縛めが解かれたので、結菜への干渉も止まっているはずだ。だから、最悪の事態は免れたに違いない。
この時のオレは、そんなふうに考えていた。