第105話 秋葉腹の実態
悲鳴は1つだけ、路地裏から。遠くはないようで、旧飲食店のひしめく狭い路地を、ガレキを飛び越しながら駆けた。
「たのむ、見逃してくれぇーー!」
悲鳴はもう一度聞こえた。駐車場らしきスペースに駆けつけると、そこにボロをまとった男が倒れていた。彼は上半身を起こして、右手を前に突き出している。それは相手を拒むようでもあり、命乞いをする姿にも見えた。男の顔は恐怖で歪んでいた。
対する相手を見て、オレは思わず絶句した。同じ人間とは思えない、異形なるものの姿を見たからだ。
「なんだあれ……化け物か?」隣で凜花も呆然とする。その化け物とは、全身を鱗に覆われた二足歩行の生き物で、上背はなくとも筋肉で膨れ上がった身体をしていた。顔は見えない。だが、爬虫類のような容貌から、人間でない事は明らかだった。
「ディープゾーンで見るようなサイコストーカーが……」
そうして唖然とする間も事態は悪化した。化け物は大きな鉄斧をかかげては、躊躇無く振り下ろした。刃が男の腕を切り裂き、あたりに鮮血が舞った。
「化け物はやる気みたいだ。ともかく助けるぞ!」
オレはフェンスを駆け上ると、跳躍して一気に距離を詰めた。駐車場に競合ゾーンを展開。負荷は強いが人命には代えられない。手元に大剣を出現させて、走りながら切りつけた。
「これでも喰らえ!」
体重を乗せて振り下ろし。敵は斧で受けた。互いの刃がぶつかり、つば迫り合いになる。腕力はこちらが若干勝る。一旦押し込んでから、構え直し、横一文字に切りつけた。
しかし、敵は身軽だった。一瞬、態勢を崩した格好を見せつつも、その場で宙返り。オレが浴びせようとした渾身の一撃は、あえなく虚空だけを割いた。
「チッ、すばしっこいタイプか」
「ワタル! このオッサンは結構深傷だ! はやいとこ治療しねぇとやべぇぞ」
凜花が叫ぶのを聞いて、オレは辺りを見渡した。そして指差した。「あの建物に逃げ込め!」
オレが隣のビルの崩れた壁を見て、叫んだ。凜花がフェンスを蹴倒して道を作ると、衣織とともに男に肩を貸しては、廃ビルの中へと逃げ込んだ。
するとトカゲの化け物が咆哮を響かせた。そして弾丸のように、一直線に素早く駆けた。狙いは凜花たちか。
オレは脇を素通りしようとする敵に、真横から蹴りを浴びせた。手応えはある。サイコストーカーは、何度もアスファルトの上をバウンドして、転がっていった。
「どこを見ている。お前の相手はこのオレだ」
倒れたままの敵まで駆け寄り、大剣を構え直す。あと一歩で間合いに入る。それを肌で感じつつ、握りしめる柄に力をこめた。
だがその時だ。サイコストーカーは、甲高く耳障りな悲鳴を響かせると、大きく後ろに跳んだ。そして、凜花たちが逃げた方と反対の路地へと消えていった。
「……逃げたか。まぁいい」
オレは剣を消し去って、皆と合流した。こちらも状況は緊迫していた。
「ワタルさん! 血が止まりません、どうしましょう!?」
「わかった、まかせろ」
オレはビルの1階にもゾーンを展開。もちろん競合だ。アニマの消費がいよいよ厳しくなり、視界が一時だけ赤く染まっては、揺れた。
「おいワタル、大丈夫かよ?」凜花がオレの肩を抱いた。
「問題ない。すぐに治療を開始しよう」
「無理すんなよ。顔が真っ青だぞ、少し休んでからの方が」
「命には替えられないだろ」
力なく倒れる男の傍らで跪いたオレは、ぱっくりと開く傷口に手を添えた。とめどなく溢れる血が、彼の命まで奪い去るようだ。
まずは止血だ。意識を集中させると、大きな1本の線が途切れて、また無数の細かな線が途中で切断されている。そんなイメージがよぎった。
(なんだこれ、抽象イメージか……?)
大きな線をつなぐことを試みた。イメージ上で接続したと思った瞬間、腹の奥からドウッという疲労感が湧き上がり、思わず息を吐いた。すると鼓動にあわせて頭痛も走るようになり、アニマの消費が膨大であることを思い知る。
「きついなコレ……。でも出血がマシになったかも」深呼吸を繰り返して息を整えた。平常心を失えば、瞬く間にアニマが乱れる。そうなれば治療も覚束ないのだ。そう思った矢先、凜花が叫んだ。
「ワタル! さっきのやつが!」
「オレは手が離せない、なんとか応戦できないか?」
「任せとけ! くたばれオラァ!!」
窓辺からショットガンを射つ凜花は、銃口を右へ左へと目まぐるしくする。サイコストーカーの素早さに翻弄されているようだった。
するとついに敵の侵入を許してしまう。化け物は窓枠に両足を乗せて、こちらを見る仕草を晒した。
「なめんなよクソが!」
その動きは凜花が読んでいた。あらかじめ銃口を合わせていた凜花は、躊躇無く発砲。弾丸がサイコストーカーの頭を吹き飛ばすと、その身体は背中から倒れた。
間もなく、水に溺れながら叫ぶような、くぐもった絶叫を聞いた。そして、敵の身体は白い霧を撒き散らしながら消えていった。
「ふぅ。手こずらせやがって」
凜花が肩を鳴らしつつ振り向いたところ、緊張を緩めた顔に再び怒気が宿った。
「衣織ちゃん、避けろ!」
「えっ……」
反対側の窓からもう一匹が侵入した。凜花はショットガンを構えるものの、射線上に衣織がいる。発砲はできず、横にスライドすることを強いられた。
その間にサイコストーカーは、一心不乱に突撃した。狙いはオレか、あるいは負傷した男か。それは定かでないが、迎撃体制は間に合わなかった。治療による急激なアニマの消費が、指先にまで倦怠感をもたらしていた。
「やべえぞワタル! どうにかかわせ!!」
「だめだ、間に合わない――」
敵の振り上げた鉄斧がギラリと光る。眺めるしかできないオレは、歯を食いしばっては、攻撃されるのを待った。するとそこへ横から怒声が轟く。「ひれ伏せ!」
応戦したのは衣織だった。彼女は両手のひらを前に突き出しながら、必死に念じていた。それがサイコストーカーから自由を奪い、うつぶせの状態で床に押し付けた。
「ギッ、ギギッ、グギィィ」耳障りな声が敵の口から漏れた。そのたびに両手足を暴れさせるので、完全な束縛とは言えなかった。
「お願い凜花さん! 私じゃ、これ以上おさえられない!」
「十分だぜ衣織ちゃん!」
颯爽と駆けつけた凜花が、敵の頭を撃ち抜いた。トカゲの顔半分が飛び散り、すぐに息絶えた。その死体は残らず、やはり白い霧となって消えていった。
「ふぅぅ……ビビらせやがって。もう居ねぇよな?」
凜花が窓から顔を出して、付近の様子を伺った。そして東西南北をしきりにチェックしたのち、彼女は言った。「たぶん、倒しきったと思うぜ」
そのころには、男の治療も終わっていた。最後に、衣織のリュックからお手製の包帯をつかい、腕に巻いてやる。それが出来うることの全てだった。
「これで治ったと思う。傷口が開かないよう、しばらくは無理しないでくれ」オレが言うと、男は半ば呆けたような顔を向けた。
「アンタら、何者だい? 魔法を使えんのかい?」
「魔法じゃないが、確かに不思議な力かもしれない」
「あぁ、たしかになぁ、不思議だぁ……」
男は滑舌が悪く、酔ったような口調で聞き取りにくい。だがせっかくの情報源だ。話が訊きたいと告げると、男は数秒後にうなずいた。
男と向き合うのはオレと衣織のみ。その間、凜花は周囲の警戒にあたる事になった。
「よし、じゃあ名前は?」
「あ〜〜、忘れた」
「年齢は?」
「ん〜〜、わからん」
「昔から秋葉腹に住んでたのか?」
「えぇ〜〜。ええ、え、覚えてない」
「オレたちは、身の危険を顧みずアンタを助けたんだが」
「何も思い出せねぇんだから、しょうがないだろぉ」
ここで衣織を見ると、彼女は力なく首を横に降った。なんでも男の心の中は、ひどく不明瞭だという。「まるで濃霧がたちこめているようで、何も見えないんです」とも言った。
「じゃあわかった。最近アンタが何をして、どこで寝泊まりして、その辺のことを好きに語ってくれ」
「あぁ……? あぁ」男は視線を天井に向けてから、ぽつり、ぽつりと話してくれた。
「駅前の、なんか、ゲームセンター? で寝ることが多いのか?」
「オレたちに聞かれてもな……。まぁいい。他には?」
「グルグルを回して、ご飯を食べて、また回す。そうだよ、それが仕事なんだよ」
「仕事? それの対価に食事が与えられると?」
「くれるんだよ。病院で、赤い赤いネズミ肉を」
ここで凜花が窓際で吹いた。そして驚愕の眼を男に向けた。以降は『肉をわけてもらおう』だなんて言うことは、決してないだろう。
「さっきのトカゲみたいな化け物に、なにか見覚えは?」
「あぁ、ガーディアンって呼ばれてる。仕事場でも、ネズミ小屋でも、何人もいる。たくさんだ」
「ネズミ小屋?」
「飯だよ。たくさん増えるから、部屋の中でギッチギチだ。いっぱい増やして、つぶして、飯にする」
そこで凜花が「ヒッ」という悲鳴をあげた。続けて男が「こっちのほうに小屋がある。何か所か」と、北の方を指さした。すると凜花は、肩をすぼめながら室内の南側に避難したが、それは無意味だと思った。
「話をまとめよう。アンタはどこかで働いて、病院で飯を食わせてもらった。駅付近で寝泊まりしている。それであってるな?」
「あぁ、たぶん……」
「あのトカゲの化け物はガーディアンと呼ばれており、打津木との強い関係が疑われる。そんな化け物にアンタは襲われたわけだが、何か心当たりは?」
「うぅぁ……」
「ん? 今なんて言った?」
「うぅ、あぁぁ……ッ!」
男は突然、身悶え始めた。両手で頭を掴む姿は、激しい頭痛に苛まれるかのようだ。
「どうした。傷が痛むのとは違うんだよな?」
「あぁ、ダメなんだ。オレってば、自我をもっちゃいけない。自分を捨てなきゃ……」
「急に何の話だ、いったん落ち着け」
オレの制止など意味をなさなかった。男は取り憑かれたように、独り言を繰り返す。その最中に、自身の顔に爪を立てては、力をこめていった。こめかみからは、新たに赤い血が滲み出した。
「肉を食わなきゃ、食いに行かなきゃ。でも痛い、痛い、痛い、痛い、痛い」
「痛むのか? ともかく落ち着け。少し休息を――」
「なんで自分があるんだ痛い痛い痛い。肉を食べたい、痛い痛い痛い痛い。自分がなけりゃ苦しくないのに、痛い痛い痛い痛い」
「じっとしてろ。今治療してやる!」
オレが駆け寄ろうとした瞬間、男は素早く天を仰いだ。両手もダラリと脇におろしており、頭痛から解放されたかのように見えた。
しかし、彼の瞳から赤い筋がこぼれ落ちた。かと思えば、口から大量に血を吐き、辺りを真っ赤に染めた。
うつ伏せに倒れた身体は、さらに背中、右脇腹、太腿までもが破裂。こうして彼は、物言わぬ肉塊と成り果ててしまった。
「……事切れてる」
オレは男の首に触れつつ、そう言った。脈拍はなく、瞳も瞳孔を開いている。この惨状だ。素人目に見ても死んだことは明白だった。
悼む気持ちとともに、男の目を閉じさせた。それから立ち上がって2人に告げた。
「凜花、衣織、聞いてくれ」
凜花は緊張した面持ちで、衣織は顔面蒼白になりながら微かに震えていた。オレは2人の顔を交互に見つつ、語りかけた。
「実を言うと、少し悩んでいた。オレは病身の結菜に何がしてやれるか。そして、あの医者に治療を任せたほうが良いのかもしれないと」
2人とも、真っ直ぐな視線を向けてきた。言葉を続けた。
「だが、この男を見て考えが変わった。打津木は医者の皮をかぶった異常者で、何か良からぬことを企んでる可能性が高い。そんな奴に結菜は囚われているんだ」
オレは拳に力をこめた。指先までしっかりとした感覚があり、頭痛といった異常も感じられない。
「オレは助けに行く。たとえ相手が尋常でない強敵であったとしてもだ。邪魔するものを片っ端から潰して、結菜を解放するんだ」
「そう言うと思ったし、ワタルについてくよ。なぁ衣織ちゃん」
「私も賛成です。その方が良いと思います」
「話は決まりだな」
オレは前に右手の握りこぶしを突き出した。すると空気が少しだけ和らぎ、凜花と衣織も同じ様に右手を出した。3人の拳がコツンとぶつかった。
「これから結菜救出に向けて、全力で挑む。敵は強い。気を抜くなよ」
「おう!」
こうしてオレたちは気持ちを新たにして、廃ビルを後にした。去り際に、男の亡骸を整えて安置した。
(アンタの仇もとってやる。安らかに眠れ)
そう呟いては、アニマで絹の布を生成して、男の顔にかけてやった。その刹那、男の顔が笑ったようにも見えた。




