表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

103/126

第103話 男は院長と名乗り

 打津木医院と表札には書いてある。しかしその敷地は広大で、大学病院かと見紛うほどだ。駅前の1ブロックを占有しており、中庭も建物も大きい。


 これほど立派な病院が、果たして秋葉腹駅前にあったかは記憶にない。もしかして、アニマで建てたのでは、と思う。



「この中に街の連中は入ったのか……?」



 何百人もの数が押しかけたにしては、不気味なほど静かで、人の気配は感じられない。オレ達が無言になると、静寂の方が耳につくくらいだ。



「庭に何人かいるんですね」



 衣織が指す先には、ほうきを握りしめた人たちが掃き掃除をしていた。ただし、掃く仕草がつたないので、ゴミも落ち葉も集めきれず、それほどキレイではない。やらないよりマシという仕事ぶりだった。



「庭なんてどうでもいい。突っ切るぞ」



 オレたちは大木の幹や、リヤカーの陰に隠れながら庭を突破した。ときどき、住民たちの傍を通ったが、何も起きなかった。彼らは一様に前かがみになりつつ、頭をダラリと下げながら、足元をほうきで掃くばかり。番人の役割は果たしていなかった。



「病院の中はどうだ、入れそうか?」入口付近で壁に張り付くと、凜花が背後で囁いた。オレは壁から顔を覗かせ、入口から内部の様子を窺った。「人の姿はないな」



 見えるのは燦然と輝く室内灯、整然と並ぶ待合室のソファ、そしてガラス張りの自動ドア。脅威はどこにも感じられない。しかし、廃墟がひしめく街の中で、ここだけ整備されたのは異様だった。アニマを使ったにしても文明度が高すぎる。少しだけ圧倒されて唾を飲んだ。


 それと同時にオレは確信する。ここに結菜は閉じ込められていると。千夜田にある病院で、ゾーンの恩恵を受けた施設。怪しいなんてもんじゃないし、ここ以外にあり得ないとすら思う。



「見張りはないな。中へ入ろう」


「待てよ、もう少し情報を集めてからのほうが」



 凜花が止めるのを無視して、オレは堂々と入口から入った。外から眺めて分かることなんて、それほど多くはない。


 自動ドアを開けると、まずヒヤリとした空気が肌を打った。空調だ。冷房がついているのだと、天井を見て理解した。



「エアコンか……。電灯もそこらじゅうでついてるし、ここは大量の電気を生み出してるのか」


「ワタル、大丈夫か?」



 凜花たちがオレの後に続いてきた。その顔には、少し咎めるような色が差している。



「見ての通り、何も起きてない」


「お前さぁ……焦る気持ちは分からんでもないが、先走りすぎだぞ」


「受付には誰も居ないな。誰か居るとしたら奥だろう」


「おい待てって……。クソッ、聞きやしねぇ」



 この病院は2階建てだった。フロアマップにもそう書いてある。だが記憶が確かなら、結菜は地下に囚われていると言った。しかしマップにも、ここから見える範囲にも、地下へ続くルートは見当たらなかった。階段も登りしかない。



「地下か……、地下といえばボイラー室あたりか? それとも秘密の入口でもあるのか……」


「ワタル、もうちょっと警戒しろよ。誰かに見つかったらどうする気だ」


「とりあえず右手の通路に行ってみよう」



 受付から見て左右に通路が続いている。右手には二階へ続く階段と、診察室がいくつか並んでいた。


 診察室はいずれもドアが開いており、そして中には誰も居なかった。診察台とカラの戸棚が寂しげにあるだけだ。ゴミやガラス片が散乱するといったことはなく、やたら整然としており、単純に無人というだけだった。



「診察室は3部屋か。どれも似たようなものだな」



 オレがきびすを返して、来た道を戻ろうとした。すると衣織が「ひぃっ」と短く悲鳴をあげた。



「どうした衣織?」


「い、いま、窓の外に何か通りました」


「住民じゃないのか?」


「それにしては、人ならざるものと言いますか……。トカゲみたいでした。二足歩行の」


「何……?」オレは震える衣織の視線をたどり、診察室の窓を覗いてみた。焼却炉と小さなプレハブ倉庫が見える。それだけだった。



「さすがに見間違いじゃないか? 姿形をハッキリと見たのか」


「そう言われると自信がないです。ほんの一瞬、ちらりと過ぎっただけなので」


「そうか……。ともかく教えてくれてありがとう。人外の何かが潜んでる可能性も、頭に入れておく」


   

 それから間もなく受付まで戻った。今度は左手側の通路へ向かう。そちらは途中で二股に分かれており、方や別棟につながる自動ドアで、もう一方は食堂に続いていた。



「伏せろ2人とも。人がいるぞ」



 オレは観葉植物に隠れつつ、凜花たちに向けた手のひらを下に向けて仰いだ。身を屈めた2人が、オレの背後に並んだ。



「ほんとだ。すげぇ数だな……」



 凜花が半ばあきれたような声で言った。入口が解放された食堂は広大で、ぎっちり詰め込むようにテーブルが並べられていた。そこに先程の住民たちが行儀良くも座り、何かを口にしていた。


 食器はお椀がひとつだけで、箸もフォークもない。全員が手づかみで食事していた。手のひら大で、毒々しい赤色の何かを、無言のまま頬張っている。まともな料理ではないだろう。離れていても分かる程度には粗悪のようだった。



「あれは生肉? まさかな。こんなご時世で牛の入手なんて難しいし」凜花が大きくかぶりをふった。


「もし牛肉だったらどうする気だ?」


「ん? まぁ、ちょっとくらい分けてくれねぇかなと思ったりね。新鮮な肉なんて1年近くご無沙汰だし」


「我慢しろ。全てが終わったら食わせてやる」



 オレは観葉植物から飛び出し、食堂のドアに張り付いた。中を覗き込んで見えたのは、肉に食らいつく住民たちと、食事にありつこうとする長蛇の列だ。


 百名にも及びそうな列は、厨房まで続いているのだが、不満の声は聞かれなかった。誰もが頭を垂れて揺らしながら、列が進むのを待っていた。


 そこまで目視すると、再び凜花たちのもとへ戻った。



「どうやら食堂には、階段や別室に繋がる扉はないみたいだ」


「あのな、危ねぇだろワタル。誰かに見咎められたら、アタシらは袋のネズミじゃねぇか」


「いや、恐らくは平気だ。亡者のような住民たちは、オレの存在なんて気にも留めていない。騒ぎになることはないはずだ」


「そうかもしんねぇが、危なっかしくて見てらんねぇよ」


「ともかく食堂は探索不要だ。次は別棟に行ってみるか」



 オレがそう告げた時だ。不意に背後から人の声が聞こえた。



「あまり無断でウロつかないでもらいたいね」


 

 とっさに振り向く。すると食堂から、白髪頭の男が現れた。上に羽織る白衣に汚れはなく、新品同様で、神経質そうな銀縁眼鏡をかけている。



「誰だアンタは……!」


「それはこちらが訊きたいくらいだが?」男は中指で眼鏡の位置を直しては、正論を吐いた。確かにオレたちは侵入者も同然で、名を名乗るのが礼儀だと思う。



「オレは鬼道渉。幼馴染の女を探しに千夜田までやって来た」


「こんなご時世に物好きな事だ……。いや待てよ、君はキドウワタルという名なのか?」男は右の眼尻を持ち上げながら言った。


「それがどうした」


「なるほどそうか。君が……ねぇ」



 男は口元を歪ませると、気配を変えた。とたんに仕草は砕けたものになり、両手を広げる仕草を見せた。まるで『オレたちを歓迎する』とでも告げるかのように。



「私は打津木。ここの院長だ。今から少し話をしないか? 立ち話ではなく、そうだな、応接室に案内しようじゃないか」


「良いだろう」



 オレたちは白髪の医者についていった。受付の前を素通りして、階段を登って2階へ。


 その道すがら、打津木が「なるほど、この男がねぇ……」と呟くのを、オレは聞き逃さなかった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ