第二章 最初にして最後のVドル その3
『はい、私は異存ありません。マスターさえよろしければ、コラボをする方向で準備を進めていきたいと思います。まずはお相手の方と音声で打ち合わせをするのですね。日程はいつ頃がよろしいでしょうか』
早速、その日の深夜に報告した。
まあ、予想通りというか俺に判断を委ねて来た。
「いや、ただ、その、すんなり引き受けていいものかって思う部分もあってなあ」
倫太郎は言葉を濁す。
ちなみに、今、倫太郎とハルはボイスチャットアプリを用いた音声でやり取りをしている。文章だけで意思疎通をするのは手間なので、ハルにもアプリをインストールしてもらった。
『では辞めた方がよろしいのですね』
ハルが淡々と告げる。国営放送のニュースキャスターが深刻な事件の報道をする時よりも平坦な声で話している。
「……それが分からないから相談しているんだよ」
『……現在学習済みのVドルのデータを分析したところ、コラボを実施した場合におけるその後のリスナー数及びチャンネル登録者数は、実に9割以上の確率で上昇しております。単純に数量だけを見れば、コラボはメリットであると考えます』
「確かにそうだ。だけどコラボ先のリスナーの質というか性格というか、これまでと毛色の違うファン層を獲得することで既存のファンとの衝突っていうデメリットも考えられるんだよ。一時的にリスナーが増えても長い目で見るとマイナスってことも……」
『……なるほど、そこまで分析するだけのデータは私にはありませんでした。考えが及ばず、大変申し訳ございません』
そんな馬鹿正直に謝られるとこちらも困ってしまう。
「ハルは、どうしたい?」
『…………私、ですか?』
「このコラボ、受けても受けなくてもどちらでもいいと思う。コラボすればリスナーが増えるのは間違いない。とはいえリスクもあるから、誰の手も借りずに堅実にやっていくのもアリだ。……だったら、君が選ぶべきだ。コラボするのは君なんだから」
コラボを実施することでハルの時間が奪われることは確実だ。もしかしたらそれは人類を救う可能性を縮めることになるのかもしれないし、リスナーが増えることでいい方向に転ぶかもしれない。
……それならハル自身で選ぶべきだ。
正直、人類が滅亡するとか言われても俺にはあまり危機感というか実感が沸かない。そりゃ、一週間後とか一年後とかであれば焦りもするが、何十年も先の話だとピンとこない。
例えば医者に余命一年と宣告されれば目の前が真っ暗になるが、『あなたは六十年後に死にます』とか言われても、まあそういうこともあるかもな、という感想しか抱けないだろう。
人類の行く末に関心の薄い俺だが、ただハルには救われて欲しいと願っている。
自分以外に誰も居ない世界。他者が存在しない無機質な世界。そんな世界で、彼女はこれから一人で生きて行けるだろうか。
少なくとも俺には無理だ。
つい最近まで、自分は孤独には耐性のある人間だと思っていた。元々社交的な性格ではなかったし、限られた友人としか付き合ってこなかった。だから、自分は一人ぼっちでも十分生きていけるのだと。
けど、つい二年前から始まったコロナ禍。自粛生活が続き、他人と対面で会うことが許されない世の中で、自分がいかに脆いかを知った。
大学の講義はオンライン、飲み会にも行けず、誰かと自然と集まって会話をするという当たり前が出来なくなった。心が摩耗していくのをいやでも感じた。
あの時、Vドルにハマったのも、結局は自分の孤独感を紛らわすためだった。ネット上でもいいから大勢で集まって、話題を共有して一体感を覚えることで、少しでも気晴らしをしようとしていた。
そして今、ハルは倫太郎が体験した状況よりも更に過酷な世界にいる。
せめて、彼女に良き思い出を作ってあげたい。Vドル活動を勧めたのだって、少しでも多くの人間と交流させて、たくさんの経験をさせてあげたかったからだ。人類を救うのは、彼女を救うことのついでだ。ただのオタクである俺には、こんなことしかできない。
もしこのコラボが彼女の思い出の一部になるなら実現させてやりたい。
『それは……』
スマホの向こう側で困惑しているのを感じる。配信していないのでハルの表情は分からないのが少し勿体なかった。彼女は悩む時どんな表情をするのか気になる。でもこの悩みを彼女にとって楽しい思い出として残して欲しかった。
『……私一個体としては、マスターの判断に委ねたいと思います』
「ダメ、君自身で選ぶこと。これ、命令ね」
『………………ザ、ザザーッ、……あ、申し訳ありません、マスター。回線の接続状況が悪いようです。マスターの命令が聞き取れません』
「嘘つけっ、こっちはバッチリ聞こえてるぞっ」
ノイズ音まで自分の声で再現するとは、なんて白々しい嘘を。いや、アンドロイドだからこそ、こういう分かりやすい嘘しか吐けないのかもしれない。
『…………分かりました。そこまで仰るのであれば、フィフティ・フィフティの確率的アルゴリズムを用いて、どちらかを選択いたします。……』
一瞬の沈黙。
そして『コラボを受諾することを決定いたしました』と事務的な報告があった。悩み抜いて出した結論という感じではない。
うーん。たぶん、今のはコインの表裏で決めたようなもので、俺が期待していた選び方じゃないんだけど、……まあ、いっか。これも一つの進歩だ。
「了解。じゃあ、相手には俺の方で返信しておく。打ち合わせの日が決まったら教える」
『……はい。お願い致します。では、私は再び探索活動に入らせていただきます』
そうして本日の報告は終了した。
アプリがハルとの交信が切断されたと通知している。
何も映らない画面をしばらく見続けてしまう。
この後もハルはたった一人で誰も居ない街を散策し、人間が生きている痕跡や情報を探し続けるのだろう。
以前ハルが語ったところによると、アンドロイドはデフラグのための休止時間を取る必要はあるものの、人間のような定期的な睡眠は不要のため、理論的にはバッテリーが続く限りいつまでも稼働することができるようだ。だから配信時間外でも彼女は動き続けているらしい。2022年の人類が寝静まった後でも。
月明りの元、伽藍堂になった人類の遺跡をただ一人で歩き回る彼女。セクサロイドとして生まれながら、誰とも肌を重ねることができない彼女を想像するだけで、胸がぐっと締め付けられる。
自分に、こんなセンチメンタルな部分があると知ったのは、本当に最近のことだ。
この数年のコロナ禍で孤独の辛さを知ってしまった倫太郎は、正真正銘一人ぼっちでいるハルを想うたびに、どうしても心のざわつきを抑えられない。
いや、俺なんかが孤独を知ったなんて語るのはおこがましいかもしれないけど。
家の中では家族がいたし、面と向かって会えなかっただけで、チャットや電話で誰かと繋がることはできた。
そして何より、Vドルの存在があった。Vドルを中心にしたネット上のコミュニティは、コロナ禍での孤独感を和らげてくれた。もしあの時Vドルに出会っていなければノイローゼになっていたことは間違いない。
……でも、彼女は違う。この神様の思し召しのようなアクセスがなければ、彼女は目覚めてから壊れるまで正真正銘の一人ぼっちのはずだった。
人類の滅びなんかよりも、どうか彼女に温かい思い出を。このコラボが、彼女の孤独を紛らわす仄かな明かりになりますように。
そんな風に願わずにはいられなかった。