第二章 最初にして最後のVドル その2
「愛野ハルの終末世界ナビゲートチャンネル」のチャンネル登録者数の折れ線グラフが、登り始めのジェットコースターのように右肩上がりになっているのを見て、倫太郎は満足げに頷く。
まさかハルのVドル化計画がここまでうまくいくなんてなあ。俺ってプロデュース能力あるかも。
つい自画自賛してしまう。Vドル戦国時代の現在、新人がこれだけ着実にリスナーを集めているのだからまさに重畳と言うほかない。
こうやって順調に伸びているのを見ると、今日までの宣伝工作の苦労も吹っ飛ぶというものだ。
プロダクション事務所などのバックがない新人Vドルは、定期的に配信をしているだけでは認知度は上がらない。
そのため倫太郎はSNSのサブ垢を総動員して宣伝した。
元々、推しているVドルが炎上した時の火消し用として、前々から育てていたサブ垢だ。Vドルオタクたちと相互フォローを繰り返した結果、それなりのフォロワーは持っている。よい機会なのでこれを活用し、ハルのチャンネルを広めていた。
……まあ、実際のところ俺の力なんて微々たるもの。ほとんどハルのスペックのお陰なんだけど……。それくらい俺だって分かっている。後ろ盾の全くない、本当にただの無名新人だったら、俺がどんだけ宣伝してもすぐに埋もれてしまう。可愛らしい皮のVドルなど、今やありふれているんだから。
倫太郎がしたことは、ハルにVドルとして基本的な心構えや方針を教えたのと、SNSでの宣伝活動ぐらいだ。配信中の挨拶やトークの仕方などは全てハルの独学によるものだ。
流石、未来のアンドロイド。人気Vドルの動画を一通り流し見ただけで、リスナーの印象に残りやすい挨拶や喋り方をあっという間に身に付けてしまった。こういうのディープラーニングって言うんだっけ? 今の彼女は俺と一対一で対話していた時と全く違う。まるで別人、いや別アンドロイドだ。
しかもハルの凄いところはそれだけではない。
『なるほど。《はぐれコイン》さんの提案はよいですね。パンデミックが原因なら病院に行けば色々分かるかもしれません。《はぐれコイン》さんは以前も、動画のコメント欄でもいい案を出してくれましたね、ありがとうございます。《チーズ牛鍋》さんもこんにちは、今日もその観察眼を発揮してくれると嬉しいです』
今、ハルは探索を一体休止しコメント返しタイムに入っていた。
そう、ハルはアカウント名と各々が残したコメント内容を紐づけてきっちり覚えている。この程度のこと、リスナーが少人数で固定化されているのであれば、どんな配信者でもできるだろう。だがハルのリスナーはゆっくりとではあるが増加しており、それに伴って彼女への指示コメントもバンバン送られている。これらを全て把握し、的確にお礼や意見交換をするのは普通の人間ではできない。
いや、アンドロイドなのだから当然のことと言えば当然だ。
ただそのことを知らないリスナーからすればこれは驚きだし、嬉しいことだろう。どんなに人気Vドルであってもリスナーのことを覚えてくれる人は少ない。せいぜい配信の度に高額な投げ銭をくれるアカウントぐらいしか認知されない。
それなのにハルは全員をちゃんと覚えていても、しかもしっかりと反応してくれるのだ。寂しがり屋なVドルファンはがっちりと心を掴まれてしまう。それが固定ファンを生んでいる。
うん、配信は順調だ。
倫太郎は配信画面から目を離し、SNS上で愛野ハルの評判のサーチする。
少しずつ伸び始めたVドルということで、じわじわという感じではあるが、配信の外でも話題になることが増えている。
SNS上ではすでにハルのリスナーのコミュニティが出来上がっており、当然ながらキャラ設定のバックグラウンドの考察が盛り上がっていた。世界の滅亡の原因は何なのかという話題を中心に、決して大勢ではないもののコアな人達による議論が白熱している。
ウイルスのパンデミック説、巨大隕石衝突説、核戦争あるいは核実験説、火山噴火説、ベテルギウス星ガンマ線バースト説、宇宙人による全人類抹殺説。
多くの意見と今後の探索方針などが話し合われている。俺なんかでは思いつかなかった予想の数々。ハルをVドルとしてデビューさせたのは正解だったようだ。
そうした議論の最中に、そもそも愛野ハルは何者か、という議題もたびたび持ち上がっては論争の的になっている。
それも当然だ。ハルの配信画面に映るのは、人類が全く存在しない東京の映像。眺めているだけで胸を締め付けられるほどの寂寥感を放っている。
これらの映像がものすごくハイクオリティなCGなのか、あるいは現実の廃墟の映像を合成しているのか、誰もが気になっている。
SNS上では、『どこかの大手ゲーム会社の新製品のプロモーション』が有力な説として挙げられている。
実際、似たような宣伝方法は存在しているので、それなりに説得力はあった。
あるハリウッド製作の怪獣映画では、正式発表の前に架空のニュース映像を動画サイトに流したり、存在しない企業のホームページを立ち上げたりして、大衆の想像力を煽るようなプロモーションが行われていた。
愛野ハルもそういった類、つまり『滅びた世界をアンドロイドが徘徊する新作ゲーム』の宣伝なのでは、というあり得そうな話が出ていた。
こうした噂が醸成されることで、それを聞きつけたVドルに興味がなかった純粋なゲーマーも配信に足を運ぶようになり、リスナーとして獲得できる。より幅広い層へとハルが拡散していくことになる。
このままVドルの界隈を越えて、ネット社会全体を巻き込んだ独自のミームへと成長してくれれば……。
けど、そこまで成長するには時間がかかるだろうなあ。
そんな諦観もある。
今の世の中、ネットの娯楽は多様化しているし、配信者も雨後の筍の如く湧いてくる。競争相手には事欠かない。バックに企業がついているVドルなどはゲーム会社からの案件をどんどん引き受けて、話題性を猛アピールしてくる。だが愛野ハルはそういうわけにはいかない。今のままでは、知る人ぞ知るレベルに留まり続けることになる。
ここいらもう一つ爆発が欲しいところだ。いわゆる、バズるという奴だ。
しかしこれがまた狙ってやるのは難しい。バズりを狙う狩猟者どもは、Vドルや配信者だけでない。芸人やタレント、そして一般人ですらバズりたがっている。今の時代、誰もが心の承認欲求を抑えられないのだ。
これは一種の麻薬だ。
いいね一つ貰えただけで、脳内エンドルフィンがどどっと分泌させる。いいねが増えれば触れるほど、多幸感に包まれ、一度、その味を知ったら病みつきになってしまう。
特にコロナ禍による巣ごもり期間のせいで、人との繋がりに飢餓感を覚えた者は大勢いる。そうした人が一度、バズることを知ってしまった、あるいは自分もバズりたいと思ってしまったら、もう止まらないのだ。
そんな中毒者がひしめくネット界隈で、ハルがもう一つ抜きん出るためにはどうしたらいいのか。
……って、いやいや、そんなこと俺が分かるわけないだろ。俺だってバズったことないのに。渾身のネタでも20いいねが限界だったんだ。
はてさてどうしたものか、と考え込んでいると、ポンッとスマホに通知があった。SNSのダイレクトメッセージだ。
届いたのは倫太郎にではなく、ハルあてだ。Vドル活動にあたってハルが取得したSNSのアカウントは倫太郎も共有している。そのためハルに届いたメッセージは倫太郎も読むことができる。
リスナーからのメッセージか、もしくは荒らしか。
さっと目を通すと、そのどちらでもなかった。
「……コラボ配信、か」
メッセージの内容をもう一度よく読み返す。
相手は、『新星ノヴァ』。女性Vドルだ。何度か倫太郎も配信は見たことがある。
淡いオレンジ色のツインテールが特徴。釣り目で、ちょっと勝気な顔立ち。常時ハイテンションな配信スタイルが持ち味だったはず。
今受け取ったメッセージの文面は丁寧で、あの配信内容から想像もできないほどしっかりしていた。
メッセージには、愛野ハルとのコラボ配信がしたいという旨と、配信の内容はボイスチャットで事前に打ち合わせをするといったことが書かれていた。
なるほど、コラボか。リスナーを増やすにはそれもありかもしれない。
新星ノヴァはVドルとしては中堅だ。話題作のゲーム配信で一時有名になり、同時接続数も大手と肩を並べるほどだったが、クリア後は目に見えて下がっていた。喋りが面白いというわけではなく、ゲーム選びがよかっただけなので、ゲームをクリアしてからはリスナーも離れてしまったようだ。その後、配信スタイルを試行錯誤していたようだがなかなか伸び悩んでおり、今でも中堅という位置に留まっている。ただ愛野ハルよりはチャンネル登録者数は多いし、配信でもそれなりに人は集めている。
これ以上伸びる余地はないが、ある程度の固定客はいるという、まさに中堅だ。ノヴァには失礼だが、新人Vドルとしてのコラボ先として丁度いいかもしれない。
「けどなぁ……」
コラボというのは新規リスナーの獲得には悪くない。コラボを切っ掛けにノヴァのリスナーをこちらにも引っ張り込めるかもしれない。普通の新人Vドルであれば一も二もなく飛びつく申し出だ。
しかし愛野ハルは普通ではない。重大な使命をもってVドルをしているのだ。男どもからチヤホヤされたいだとか、投げ銭が欲しいからとか、そんな軽薄な理由でVドルやっている連中と一緒にしてもらっては困る。
新たなファン層の獲得はすでに形成されているファンコミュニティを解体するおそれがある。例え解体まではいかなくても雰囲気ががらりと変わってしまうことは十分考えられる。そのせいで今まで一生懸命に人類滅亡の原因を考察をしてくれていたコアなファン層が去ってしまうかもしれない。
そして何よりコラボの準備やらなんやらでそれなりに時間を取られてしまう。ハルの探索の時間が減ることは間違いない。
ハルとの交信は奇跡によって成り立っているギリギリの綱渡り。いつ途切れてしまうか分からない、か細い橋だ。ここで無駄な時間をかけてしまってもよいものか。
いずれにせよハルには相談しないといけない。俺一人の判断で請け負うことはできない。
配信が終わった頃合いでリスナー数の増加報告も含めて連絡してみよう。