第二章 最初にして最後のVドル その1
「こんにちは、皆さん、聞こえますか? 2088年から配信してるアンドロイド、愛野ハルです。本日は『愛野ハルの終末世界ナビゲートチャンネル』のライブ配信にようこそお越しくださいました。いつも動画をご視聴いただき本当にありがとうございますっ、今日は私の初めてのライブ配信を楽しんでくださいね」
ハルはすっかり定着した前口上を述べながら手を振った。現実のハルの手の動きと連動して、配信画面に映るアバターのハルも手を振っている。そして計算し尽くされた絶妙な角度で口角を上げ、目元を緩める。声色は明るく、聞く者の心が弾むように。
ハルの視界の右端に浮かぶ仮想ディスプレイが、リスナーからのコメントを表示する。
『こんにちはー』『ハルちゃんの初めて(意味深)』『相変わらずCGのクオリティ高いな』
数は少ないものの、これまで投稿した動画に何度かコメントを残していったアカウントが並んでいる。固定客が出来たということだろう。
『Vドルになってみませんか』
二週間前にマスターからこのようなコメントを受けた時は、あまりの意味不明さにハルの集積回路をもっても処理しきれなかったが、その後の解説を聞いて納得した。
マスター曰く、人類の危機を警告するのであれば、一人でも多くの人に配信を見てもらう必要があり、そのためにはVドルとして活動することが2022年において最も手っ取り早い方法、とのこと。
異存はなかった。何より仮登録とはいえマスターの言葉であれば、ハルに従わないという選択肢はなかった。
そこでマスターと共に「愛野ハルの終末世界ナビゲートチャンネル」を開設。その名の通り、人類滅亡後の世界をハルが紹介する動画の公開を始めた。無人となった東京や廃墟となった建物をハルが探索している動画だったり、これまで集めた情報を統合して人類が滅びた原因を考察する動画などをアップロードしている。
『たぶん、これらの動画を見て、人類滅亡が未来で本当に起こった出来事だと信じる人はまずいない。それでも大勢の人に視聴してもらえれば未来を変える何かの切っ掛けになるかもしれない。だから愛野ハルには、人気Vドルになってもらう』
それからマスターからVドル活動にあたっての様々なレクチャーを受けた。
『まず何と言っても挨拶だ。配信時に必ず自己紹介と挨拶をすること。ただ普通に挨拶するだけじゃダメだ。特徴的で、コメントしたくなるような感じのやつだ。Vドルのリスナーってのは結局一体感を求めてる。だから皆でテンプレ化された挨拶をするんだ、これが大事』
このアドバイスを受けて、挨拶の内容とその時に発する声紋をハル自身で考案した。これはさほど難しいことではなかった。サンプルとなるデータは配信サイトにいくらでも転がっている。Vドル配信をアクセス数の多い順から視聴していき、片っ端からラーニングした。集積した多数のデータの中から、人々を惹き付けるキャッチーな挨拶文と音声スペクトルの波形パターンを分析し、自身に応用する。ただそれだけだ。
こうしてVドル、愛野ハルは作られた。
これまでに十本の動画を投稿し、その再生数はマスター曰く『全く後ろ盾のない新人Vドルの滑り出しとしては順調』とのことだった。どうやらVドルが廃墟の解説をしている斬新さが割と受けているらしい。
この勢いに乗って、本日は初めてのライブ配信に踏み切った。
「本日の配信ではこちら。無人のデータセンターの中に入って情報収集したいと思います」
ハルはツタ植物のカーテンに覆われた五階建てのオフィスビルに向かって歩き出す。アスファルトを覆っている地衣類を踏み締めながら、ブルーブレイン社の看板を掲げる玄関口を通る。ここはブルーブレイン社が保有するデータセンターだ。
ビル内に足を踏み入れると、薄暗い闇が覆っていた。企業のメインコンピューターやサーバーを管理しているデータセンターは、セキュリティ上の観点から外と通じる窓ガラスがほとんどない。そのため蛍光灯の明かりがなければ、その内部は昼間でもぼんやりと暗い。
ハルは暗視モードに切り替えて、奥へと進んでいく。
オフィス街を探索し始めて一週間ほどが経つ。
探索を始めた当初は、地下鉄のホームや百貨店など生き残った人類が暮らしていそうな場所を重点的に回っていた。だが最近まで人類が暮らしていた痕跡が全く見当たらなかったため、生存者の探索を打ち切り、情報収集に切り替えていた。
その中でまず向かったのは、コンピューターやサーバーが集まっているデータセンターだった。企業の機密データも取り扱うデータセンターは、免震構造の建物であり、無停電電源装置の設置といった災害時への対策が数多く講じられており、人類が滅びた後でも有益な情報が残っている可能性が高かった。
『相変わらずこのCGのクオリティ頭おかしいな』『マジでそれ』『どこかの廃墟の動画に合成しているんじゃないの?』
配信中のコメント欄にはそんな感想が流れている。当然ながら、この配信が現実のものだと信じているリスナーはいない。
『本当の出来事だと強調する必要は無い。むしろしない方がいい。この映像が現実だと主張するほど嘘くさくなる。だったらそのことにはあえて触れずにミステリアスな雰囲気を作った方が話題になるし、信憑性も出てくる』とはマスターの言だ。
とはいえ、まだリスナーの数は心もとない。集合知としてより活用していくためには、もっと多くのリスナーが必要だ。
そのために、私は、Vドルとして積極的にアピールしていかなくては。
自分の役割をよく理解しているハルは、データセンターの中央コンピューター室に入る前に躊躇う素振りを見せた。
「うわぁっ、中、暗いですね? うぅ。ちょっと怖い……」
声帯機能を調律。言葉を震わせつつ、最後は消え入りそうな声で締めることで、純粋に怖がっている感じを演出する。
アンドロイドという設定はあまり意識せず、より素の人間らしさを出していくこと。これはリスナーを集める必須条件として出された、マスターからのアドバイスだった。
『Vドルってのは色々設定があったりする。設定をモチーフにした挨拶とか、テンプレの会話文なんかはあってもいい。けど配信中の喋りは素の自分を出していった方が受けがいいんだ。設定を遵守しすぎるとあざといって思われるからな。まあ、愛野ハルの場合はアンドロイドは設定じゃなくて事実なんだけど。あ、セクサロイド設定は封印な。流石に生々しすぎるから』
その言葉に忠実に、ハルは人間らしさを出していく。
愛野ハルは単なるアンドロイドではない。人類の性的パートナーにもなれるよう設計されている。搭載されている表情や言動のプログラムは豊富だ。それ故に、人間らしさは汎用タイプのアンドロイドとは比べ物にならないほどにリアリティがあり、何よりも『可愛らしい』。
『ビビッてて草』『かわゆー』『はよ入れ』
愛のあるコメントが流れるのを確認。
「み、皆様、鬼畜ですねっ! ちょっと待ってくださいっ! 気持ち落ち着かせるのでっ」
と、再び怯えた様子を見せ、わざとらしい深呼吸の後にようやく中に侵入。
本来、こうしたコンピューター室には厳重な電子ロックで施錠されているものだが、今、ハルの手には職員用のIDカードがある。センターの玄関口で倒れていた職員の白骨死体から拝借したものだ。これさえあればセンターを自由に動き回れる。
天井の非常灯がぼんやりとした青白い光を、薄闇の中に投げかけている。その中から浮かび上がるのは、クリーム色の長いテーブルがストライプ柄を描くように、何台も連なって並んでいる様子。データセンターの内のコンピューターやサーバーを一元的に管理する場所だ。
テーブルの一画に触れると、空中にディスプレイが投影される。煙のように漂うディスプレにタッチすると、すぐさまセキュリティ認証が入る。ハルは職員のIDカードをテーブルに置く。ピコンという電子音と共にすぐに承認を受ける。ディスプレイを操作し、情報の深部に潜っていく。階層を下る度にディスプレイの脇に新たなポップアップが表示されていく。積み重なるポップアップの数が、現在の情報深度を示している。
今、探っているのはコンピューターやサーバーのログだ。最後のアクセス履歴などから、人類がいつ頃まで生存していたのかを調査する。
……ログを見る限り、六か月前のアクセスが最後だ。それ以降、ここのコンピューターやサーバーを誰かが触った様子はなく、外部からのアクセス履歴も残っていない。つまり半年前に人類が何らかの原因で死滅した。少なくとも電子端末を弄る余裕がなくなったことは確実。
偶然、ニュースサイト運営会社のサーバーを発見したため侵入。内部の情報を漁り、最新のデータを吸い出してみる。
だが、出てくるのは他愛もない日常のニュースばかりだ。
政治家の不祥事、タレントの不倫、芸人の炎上騒ぎなど。平時にもあるようなニュースばかり。
海外ニュースに目を向ければ、半年ほど前からニュージーランドで大地震、アメリカでハリケーン、サウジアラビアの石油コンビナートで爆発事故など、人間の大量死が発生した事故や震災が短期間に立て続けに起こっていた。だがこの程度の不運が多少続いたくらいで人類が絶命するはずがない。世界が滅びる兆候はどこにも見当たらなかった。
『初見。これって何のゲーム?』『分からん』『俺らが知りたい』『廃墟探索ゲー、たぶん』
サーバーを漁り続けていると、視界の端に困惑するコメントが並んでいるのが見えた。
「初見さん、ようこそいらっしゃいました。私は2088年に製造されたアンドロイドで、未来から配信しております。この映像は、私の視覚センサーで捉えた現実の光景です。どうか、私と一緒に世界が滅んだ原因を探してください」
今回初めて視聴するリスナーへの説明のため、改めて軽く紹介する。
『なにそれ?』『ポスアポ系のゲームやってんの?』『雰囲気は好き』
状況を呑み込めていないコメントが散見されるが、映像に興味を持ってもらえたようだ。
『なんで人類は滅びたの?』『原因はパンデミック?』『核戦争じゃね』『それなら建物がもっと倒壊してるだろ』『そのアンドロイドごっこはいつまで続けんの? 寒いんだけど』『嫌なら見るな』『みんな分かっててネタで楽しんでんだよ』
あっという間にコメント欄が討論の渦になった。
ああでもないこうでもないと、少しずつではあるが活気づいている。
止めどなく流れていく色々な文字列。ハルに好意的なものもあれば、そうではないものもある。アンドロイドであるハルには、例え相対する人間がどのような感情を持っていたとしてもそれを粛々と受け止めるようにプログラムされている。
この文字の向こうには、まぎれもなく人類がいる。顔も、声も聴くことはできない。触れ合うことはできない。その存在を、文字で感じ取ることしかできない。そのはずだが、自分以外の存在は確かにいる。
人類が滅びた世界だが、電波を通じて過去の人類と繋がることが出来ている。
ただそれだけのことが、ハルに言語化できない何かを植え付ける。
……集積回路の更なる熱上昇を確認。
クールダウンさせるため、冷却ファンの回転率の上昇と空冷装置を稼働。……内部機構の正常稼働を確認。集積回路から取り除いた熱は冷媒ガスに乗せ、胸部のコンプレッサーへと移動。圧縮し、口から大気に排出する。
人間から見れば深呼吸に思える行動で、自身の冷却を果たした。
そうやって冷静に返ったハルは微笑を湛えた。
「皆さん、コメントありがとうございます。気付いたことがあればどんどん書いてくださいね」
今日も、Vドルらしく愛嬌を振り撒いていく。